その日は近づき幻は実現する

エゼキエル書講解17

その日は近づき幻は実現する

エゼキエル書 12:17-28

17 主の言葉がわたしに臨んだ。18 「人の子よ、震えながらパンを食べ、恐れ、おびえながら水を飲み、19 国の民に言いなさい。主なる神は、イスラエルの土地にいるエルサレムの住民に向かってこう言われる。彼らはおびえながらパンを食べ、硬直した様で水を飲むようになる。その地が住民すべての不法のゆえに、地を満たしていたものを失い、荒れ廃れるからである。20 人の住んでいた町々は荒れ果て、この地は荒廃に帰する。そのとき、お前たちは、わたしが主であることを知るようになる。」21 また、主の言葉がわたしに臨んだ。22 「人の子よ、イスラエルの土地について伝えられている、『日々は長引くが、幻はすべて消えうせる』というこのことわざは、お前たちにとって一体何か。23 それゆえ、彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる。『わたしはこのことわざをやめさせる。彼らは再びイスラエルで、このことわざを用いることはない』と。かえって彼らにこう語りなさい。『その日は近く、幻はすべて実現する。』24 もはや、イスラエルの家には、むなしい幻はひとつもない。気休めの占いもない。25 なぜなら、主なるわたしが告げる言葉を告げるからであり、それは実現され、もはや、引き延ばされることはない。反逆の家よ、お前たちの生きている時代に、わたしは自分の語ることを実行する、と主なる神は言われる。」26 主の言葉がわたしに臨んだ。27 「人の子よ、イスラエルの家は言っているではないか。『彼の見た幻ははるか先の時についてであり、その預言は遠い将来についてである』と。28 それゆえ、彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる。わたしが告げるすべての言葉は、もはや引き延ばされず、実現される、と主なる神は言われる。」

油断しているうちにその日は来る

 明けましておめでとうございます。
 金曜日は正月でした。新しい一年が始まりました。

 つい1か月前にも同じような話をしたような気がしますが、また正月が来ました。早いですね。
 今回は旧暦の正月、旧正月です(2018年2月18日の説教)。2019年もあっという間にやって来ます。
 まだ時間はあると思って油断している間に、その日は近づいてきます。

 長男は予定日より19日早く生まれました。
 予定日の1か月前には、妻のお腹はパンパンに膨らんでいました。それでもまだ実感はわいてこないです。本当に産まれてくるのだろうか。このお腹から新しい命が出てくるなんてどうして信じられるのかという感じです。
 一応予定日が近づいているので、ベッドを買ったり、ベビーカーをもらったりして準備をしました。
 名前も決めなければなりません。難しいです。まだ4週間あるからそのうち決めればいいやと思って後回しにしました。
 予定日の3週間前に他の教会でミニコンサートがあり、それに参加しました。長男はお腹の中で足をバタバタ動かしていました。賛美に興奮したようにすごく激しく動いていました。しかしまだ3週間ある。
 次の日の朝、梓先生が破水したかもしれないと言うことで病院に行きました。そのまま入院するということになり、書類を書いたり荷物を取りに行ったりしました。
 そうしたら午後3時から陣痛が始まりました。
 いやいや、まだ早いでしょと思いましたがそれから夜通しで格闘が続き、翌日の昼に長男が生まれました。
 まさかこんなに早く生まれると思いませんでした。
 いつかこの日が来るとはわかっていましたが、まだ先だろうと思っていました。名前がまだ決まらないままでした。
 本当に何も知らなかったら何もできなかったでしょう。
 産まれることが先にわかっていたので、いくらか準備はできました。
 しかしまだ先だと思っていたので、油断してしまいます。

 主は私たちに先に語ります。
 聞き従う人は準備することができます。
 なかなか実現しないような気がすることもありますが、主は必ず約束を果たします。
 その日はいつか必ず来ます。

エルサレムを襲う苦難の予告

 今日の本文で主は3つの預言を通してエルサレムに襲う苦難について予告します。
 エルサレムはその住民全ての罪のために呪われています。だからおびえながらパンを食べ、硬直した様で水を飲むようになります。
 主はその日が来る前に先に語ってくださいます。
 エルサレムの住民はその日は幻であり、実現しないと思いました。しかし主は真実な方です。約束は必ず実現します。
 また他の人々は、その日が来るとしてもまだ先のことだと思いました。しかし主はもはや引き延ばされず実現しないと言っています。
 まだその日が来ないのは、主が忍耐して引き延ばしているからなのです。
 今日の本文を通して、主の御言葉に聞き従い、真実な主を信頼し、その約束の実現のために共に働く私たちになることを期待します。

主は先に語る

 まず今日の本文の17節から20節で『17 主の言葉がわたしに臨んだ。18 「人の子よ、震えながらパンを食べ、恐れ、おびえながら水を飲み、19 国の民に言いなさい。主なる神は、イスラエルの土地にいるエルサレムの住民に向かってこう言われる。彼らはおびえながらパンを食べ、硬直した様で水を飲むようになる。その地が住民すべての不法のゆえに、地を満たしていたものを失い、荒れ廃れるからである。20 人の住んでいた町々は荒れ果て、この地は荒廃に帰する。そのとき、お前たちは、わたしが主であることを知るようになる。」』 とあります。
 主は先に語ってくださるので準備できます。

苦難の予告

恐れおびえる

 主はエルサレムに起こる苦難を予告します。
 主はエゼキエルに、震えながらパンを食べ、恐れ、おびえながら水を飲みながら預言するように命じます。
 それはエルサレムの住民がおびえながらパンを食べ、硬直した様で水を飲まなければならなくなるからです。
 それはエルサレムの住民の罪の結果として起こるものです。避けることはできません。苦難は必ずやって来ます。

 私たちは普段、苦難はあると思って生活しているでしょうか。普通はそう思いませんよね。
 もしかしたら今日地震があるかもしれない。もしかしたら餅つきのときに杵の頭が飛んできて頭に当たるかもしれない。餅を食べたらのどに詰まるかもしれない。帰る途中に車にひかれるかもしれない。帰ったら家が火事で燃えてなくなっているかもしれない。
 考えすぎると生きていけません。
 それで私たちは苦難を忘れ、平安な言葉を信じます。

 この世界は私たちの行いに対して公正な結果が帰って来るという世界観のことを公正世界仮説と言います。
 正義は勝つ。努力は実る。善いことをすれば善い結果が帰って来る。罰が当たる。自業自得。悪いことをすれば悪い結果が帰って来る。
 もし人生の中で悪いことが起これば、それは自分の行いが悪かったからだと思います。
 またいじめられたり、事件の被害にあったりした人を、いじめられたり被害にあったりする人に原因があったのではないかと責めてしまうこともあります。

 ところがこの世界は私たちの罪のために壊れています。
 ですから、理不尽なことはあります。現実の世界は公正ではありません。不意に苦難が襲うことはあるのです。

備えられる

防災グッズ

 突然の苦難が襲ってくれば、私たちは対処ができません。
 もし予測できていれば、対処ができます。
 地震はいつ起こるかわからない。だから防災訓練をしたり、非常食を準備したりできます。
 餅つきの時は杵が当たると危ないから離れていよう。急いで食べるとのどに詰まるから、よく噛んで食べよう。車は危ないから、交差点はよく見て渡ろう。家が火事にならないように、暖房をつけっぱなしにしないように気をつけよう。洪水が来るから、方舟を作っておこう。
 主は先に語っていてくださいます。だから準備をすることができます。

 この現実の世界は私たちの罪のために壊れています。
 イエス・キリストはこの世には苦難があると言いました。ですから苦難に対して、先に準備ができます。
 信仰生活を送る中で様々な苦難があるでしょう。
 クリスチャンだという理由で苦しむことがあります。家族から反対されたり、職場で不利益を受けたり、友だちから笑われることもあります。
 その日が突然来れば私たちは倒れてしまうかもしれません。
 しかし私たちはその日が来ると知っています。ですから心構えをして、よし、いつでもかかってこいと準備できるのです。
 霊的な戦いもあります。疑いが生じたり、大切な時に体調が悪くなったりしまう。
 祈りをもって準備し、御言葉の剣で戦うことができます。敵の策略はわかっているので、恐れる必要はありません。

乗り越えられる

 エルサレムの住民は食べるにも飲むにも困るようになる。
 それを先に知っていればどうしますか。余裕があるうちに蓄えることができます。
 ヨセフの時代にエジプトで7年の豊作の後に7年の飢饉がありました。
 ヨセフは豊作の間に、食べ物を蓄えておきました。そのため後で来る飢饉を無事に乗り越えることができました。
 ただエジプト人だけではなく、周りの国々も助かりました。そして離れていた家族もエジプトに来て救われたのです。
 主の約束の御言葉を握るとき、私たちはただ苦難を乗り越えるだけではなく、周りの人々を救いに導くことができます。
 必要な御言葉は先に語られています。啓示は完成しています。この聖書の中に、全て語られています。
 日々御言葉を受け取り、乗り越えていく私たちになることを願います。

主の約束は実現する

 また今日の本文の21節から25節で『21 また、主の言葉がわたしに臨んだ。22 「人の子よ、イスラエルの土地について伝えられている、『日々は長引くが、幻はすべて消えうせる』というこのことわざは、お前たちにとって一体何か。23 それゆえ、彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる。『わたしはこのことわざをやめさせる。彼らは再びイスラエルで、このことわざを用いることはない』と。かえって彼らにこう語りなさい。『その日は近く、幻はすべて実現する。』24 もはや、イスラエルの家には、むなしい幻はひとつもない。気休めの占いもない。25 なぜなら、主なるわたしが告げる言葉を告げるからであり、それは実現され、もはや、引き延ばされることはない。反逆の家よ、お前たちの生きている時代に、わたしは自分の語ることを実行する、と主なる神は言われる。」』 とあります。
 主の約束はその通り成し遂げられます。

むなしい幻ではない

 エルサレムの住民は『日々は長引くが、幻はすべて消えうせる』と言っていました。
 エゼキエルが言っていることはすぐに来ない。本当にそんな苦難が来るのか。どうせむなしい幻だ。実現しない。
 約束がなかなか実現しなければ、本当に実現するのだろうかと疑ってしまいます。

グルメサイトのレビュー

 インターネットで注文してもなかなか商品が届かなければ、本当に来るのだろうかと心配になります。
 そういう時にはレビューを見るといいです。先に注文をした人たちが、出品者を評価します。もし評価が低かったり、商品が届かなかったというコメントがあったりすれば、自分の注文も届かないかもしれないと覚悟した方がいいかもしれません。
 何人もの人が高い評価をつけている出品者なら、安心して注文することができます。

実現する

 主が語られたことはどうなったでしょうか。
 私たちはそのレビューを見ることができます。
 聖書の約束は全て成し遂げられてきました。
 主がノアに語られた言葉は120年後に実現しました。世界は洪水で滅ぼされました。アブラハムに約束された子どもは25年たって与えられました。アブラハムの子孫がエジプトで奴隷になり、400年後に脱出するという預言も実現しました。
 バビロン捕囚もモーセの時代の契約に基づいて行われた主の約束の実現でした。エゼキエルの時代に、エレミヤによって捕囚は70年続くと予告されていました。
 このようなイスラエルの歴史を学ぶとき、主の言葉は必ず成し遂げられるのだと分かります。
 エルサレムの住民も、主が約束した苦難がその通り起こること、また70年の後に解放されることを知ることができたはずです。
 しかしエルサレムの住民は預言を信じませんでした。
 今私たちはその結末も見ることができます。エルサレムは崩壊し、神殿は破壊され、ユダ王国は滅亡します。それから70年たち、ペルシアのキュロス王によってユダヤ人はエルサレムに帰ることが許されます。
 全ての約束はイエス・キリストにおいて実現しました。
 ですからまだ実現していない約束も、成し遂げられるだろうと予測することができます。

主は真実な方

 現実の世界では、万が一ということはあります。
 今まで何回も自転車に鍵をかけなかった。それでも盗まれたことはない。だから今回も大丈夫だろう。
 もし200台の自転車が置かれた駐輪場で10日間1台も盗まれなかったなら、統計上では盗まれる確率は0%です。
 ではこの駐車場にとめていれば絶対に自転車は盗まれないのでしょうか。そんなことはありません。

 主の約束が今まで成し遂げられていたとして、これからも成し遂げられると信じる根拠は何でしょうか。
 それは主ご自身の品性です。
 主は真実な方です。主は嘘をつくことができません。主は約束を必ず成し遂げるお方です。
 私たちには永遠の命が約束されています。
 どうしてわかりますか。永遠に生きている人間を見たことがありますか。肉体が永遠に生きている人は誰もいません。
 それなのにどうして信じられるでしょうか。主が約束したからです。
 主がどのようなお方かを知ること。それが約束を信じる、最も確かな根拠です。

主の日は近づいている

 最後に今日の本文の26節から28節で『26 主の言葉がわたしに臨んだ。27 「人の子よ、イスラエルの家は言っているではないか。『彼の見た幻ははるか先の時についてであり、その預言は遠い将来についてである』と。28 それゆえ、彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる。わたしが告げるすべての言葉は、もはや引き延ばされず、実現される、と主なる神は言われる。」』 とあります。
 主は約束の日を私たちのために忍耐して引き延ばしておられます。

先のことだと思う

 エルサレムの住民は『彼の見た幻ははるか先の時についてであり、その預言は遠い将来についてである』と言っていました。
 まだ先のことだと思っていると、油断してしまいます。
 レポートを出さなければならない。でも締め切りまで1週間ある。するとまだいいやと思ってしまいます。そして手を付けないまま締め切りの前日になるということが起こります。
 まだ産まれないから名前はまだ考えなくていいやと思っていると、陣痛が始まってしまいます。
 ノアが言うような洪水なんて起きないだろうと思って食べたり飲んだりしていると、洪水が襲ってきます。
 10人のおとめのたとえで、花婿が帰って来るのが遅かったため、5人のおとめたちは灯火の油を切らしてしまいました。すると夜中に突然花婿が帰って来ました。急いで宴会に参加しようとするけれど、油が切れています。それで急いで買いに行ったけれど、すでに宴会場の入り口は閉じられていました。
 イエス様は言いました。

だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

マタイによる福音書25:13

 その日その時は不意にやって来ます。

反逆する

 まだ時間があると思って準備をしないことは反逆です。
 主が警告しているのに聞き従わないなら、主を無視し、反逆していることになります。
 まだ先のことだと思い、現実のものに心を奪われる。それは主を忘れこの世を愛する反逆です。
 そこで主は警告します。「わたしが告げるすべての言葉は、もはや引き延ばされず、実現される」
 主の言葉は必ず実現します。だから主の約束を自分のものとして受け止めるのです。
 遠い将来のことではなく、今日、今、自分に語られていると受け止めるのです。そして生活の中で適用していきます。

主は待っている

 主は「もはや引き延ばされず、実現」すると言います。
 それまでは引き延ばされていたわけです。実現させようと思えばいつでもできたけれども、引き延ばしていました。
 それは誰のためでしょうか。エルサレムの住民のためです。

 イエス様は再び来ると約束しました。この世の終わりが来ます。しかしその日その時は誰も知りません。
 いつか来る。でもまだ来ないだろう。そう思って油断してしまいます。
 まだいいや。悔い改めは明日しよう。そう思っていると、その日その時は不意にやって来ます。だから目を覚ましていなさい、と主は言っています。
 私たちはいつまで主を待たせ忍耐させるのでしょうか。いつまで引き延ばしてもらうのでしょうか。
 むしろ私たちは、主が実現させようとしている計画の実現のために共に働く者でありたいです。
 イエス様は2000年間ずっと忍耐しています。長過ぎます。
 マラナタ、主よ来てくださいと、主が早く帰って来られるように協力したい。
 いつも油を切らさず、いや、油で満たされ、主の約束の実現のために用いられていく私たちになることを願います。

 主は私たちに先に語ってくださっています。主はこのように約束しています。

8 背く者よ、反省せよ/思い起こし、力を出せ。9 思い起こせ、初めからのことを。わたしは神、ほかにはいない。わたしは神であり、わたしのような者はいない。10 わたしは初めから既に、先のことを告げ/まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。わたしの計画は必ず成り/わたしは望むことをすべて実行する。

イザヤ書46:8-10

 主の約束を聞きながらそれに従わない反逆者になるのではなく、約束の御言葉をしっかりと握りしめて、すべて成し遂げてくださる真実な主を信頼していく私たちになることを願います。

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