出会いが力になる

使徒言行録講解47

出会いが力になる

使徒言行録15:36-16:5

36 数日の後、パウロはバルナバに言った。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」37 バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。38 しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた。39 そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、40 一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。41 そして、シリア州やキリキア州を回って教会を力づけた。1 パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。2 彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。3 パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。4 彼らは方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えた。5 こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった。

人生を変える出会い

 2011年3月11日のことは忘れられません。
 私は高校の先生として、最後の出勤日でした。
 荷物を整理して帰ろうとしたとき、校舎全体が大きく揺れました。
 幸い試験期間だったので、学校に残っている生徒は少しだけでした。
 それでも残っている数名の生徒を守らなければなりません。まだ校舎が揺れる中、階段を駆け上がっていきました。
 その時の情景、揺れている感じ、そして津波の映像は今でも忘れられません。
 東日本大震災は、多くの人の人生または人生観を変えてしまいました。

 このように、ある出来事や人との出会いが人生に影響を与えることがあります。
 今はまだ自覚できていないかもしれませんが、このパンデミックの経験も、私たちの人生に大きな影響を与えるはずです。
 ある出会いは、私たちを悲しませ、苦しませることもあります。
 しかしすべてをプラスに変える出会いもあります。

第2次伝道旅行に出発

 今日の本文はパウロとバルナバが第2次伝道旅行に出発する場面です。
 パウロはバルナバに、「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」と提案しました。
 バルナバはこれに賛成しますが、マルコも連れて行きたいと思いました。
 前回の伝道旅行の途中で帰ってしまったマルコです。そんな人を連れて行けば、またトラブルを起こして足手まといになるかもしれません。パウロは反対しました。
 しかしバルナバは若者にチャンスを与えるべきだと考えます。
 どちらの言い分にも一理あります。
 それで意見が激しく衝突し、パウロとバルナバはついに別行動を取るようになってしまいます。
 使徒言行録はここから本格的にパウロを中心に描かれていきます。
 パウロはシラスと共にガラテヤの教会を再び訪問します。そこでテモテという若者を連れていくことになります。パウロ、シラス、テモテの訪問によって教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていきました。

パウロを変えたバルナバとの出会い

 パウロは教会の迫害者でした。そんな人が偉大な宣教者として変えられていくまでには、様々な人との出会いがありました。
 特にバルナバとの出会いが大きな影響を与えています。
 回心したパウロが初めてエルサレムに行ったとき、弟子たちは彼を信用しませんでした。数年前までパウロから迫害を受けてきたのですから、当然です。
 そんなパウロを受け入れ、教会が受け入れるようことが出来るように和解の務めを果たしたのがバルナバでした。
 それからバルナバがアンティオキア教会に派遣されると、わざわざタルソスまで行ってパウロを連れ出します。エルサレム教会に支援物資を送るときにもパウロを同行させます。
 そしてバルナバとパウロは第1次伝道旅行に派遣され、パウロの伝道の賜物が発揮されることになります。
 バルナバは本当に人を育てる賜物があります。パウロの活躍は、バルナバの助けがなければあり得なかったでしょう。

バルナバとの別れ

 エルサレム会議の後、パウロはイコニオンやリストラなど、南ガラテヤ地方の教会に行きたいと思っていました。ユダヤ主義者からの伝えられた、他の福音の影響が心配です。それでバルナバを誘いました。
 ところが意見の対立で2人は別行動を取るようになってしまいます。
 ユダヤ主義者による分裂の危機を防いだばかりです。それなのに2人は別れてしまいました。
 これは大失敗ではないでしょうか。
 ああ、やっぱり意見が対立するとロクなことにならない。伝道の賜物はパウロにあるのだから、バルナバは黙ってパウロに従えばよかったのに。こうしてバルナバの名前は教会の歴史から忘れ去られていくのだ…。そのように考える人もいるかもしれません。
 そうではありません。色々な意見があるのはいいことです。
 教会はキリストを頭として、1つの体です。しかしその中には色々な部分があります。一人一人、違う人生を歩み、違う考えを持ちます。

 パウロは確かにバルナバとの出会いで育てられました。
 第1次伝道旅行を経験し、パウロは一人前の伝道者に成長しました。これからはもう、バルナバがいなくても大丈夫です。
 バルナバのこれからの役割は、途中で逃げた若者、マルコを育てることです。
 確かにバルナバの名前はこの後出て来なくなります。しかしマルコがどのように変えられたかを見ることはできます。バルナバの判断も、決して間違ってはいませんでした。
 もちろんパウロの考えも間違いではありません。迫害のある地域にマルコを連れて行けば、また逃げ出してしまったかもしれません。
 パウロは、バルナバとマルコの代わりにシラスをエルサレムから呼び出します。そしてガラテヤで、重大な出会いがあります。
 こうして第1次伝道旅行は1つのチームだったのが、第2次伝道旅行は2つのチームになります。
 そして教会は強められ、それぞれの働きを通して次の世代の若者が育てられることになります。

よい出会いも辛い出会いもキリストにあってプラスになる

 意見の対立で分かれるというのは悲しい経験です。しかしその別れが、宣教の幅を広げました。
 私たちは今までの人生の中で、様々な出会いを経験してきました。
 愛する家族との出会い、親しい友人との出会い、素晴らしい先生との出会い、仕事上の出会い、生涯のパートナーとの出会い。うれしかった経験、達成感を味わった経験など、よい出来事との出会いもありました。
 しかし人生の全てが順調に行くわけではありません。出会いがあれば、別れがあります。憎たらしい出会いもあったでしょう。失敗や挫折、トラウマになっていることなど、辛い出来事との出会いもあったと思います。
 バラ色だと思った人生をズタズタに切り裂かれ、滅茶苦茶にされたと思うかもしれません。
 それはもしかすると、人生の1つの面しか見えないからかもしれません。

 イエス・キリストは神の国の福音を伝え、多くの人を癒し、多くの奇跡も行いました。しかし最期は人々から捨てられ、十字架に架けられました。最低最悪の出来事との出会いです。
 そして十字架上で叫びました。
 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。(わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか)」
 神からも見捨てられたかのように思う、私たち人間の悲痛な叫びです。
 そして死に、墓に葬られます。完全な敗北でしょう。
 しかし出来事は、完全な勝利につながります。3日目にイエスは死の力を打ち破り、復活するのです。逆転が起こります。

滅茶苦茶に見える裏地
裏返すと綺麗

 私たちの人生も、キリストにあって逆転されます。
 今は滅茶苦茶に見えるかもしれません。しかしそれは、片方の面からしか見えないからです。
 滅茶苦茶な模様の布も、裏返すときれいな模様が表れます。
 よい出会いも、辛い出会いもすべてひっくるめて私の人生です。神の平和の計画の中にある人生です。

神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

ローマの信徒への手紙8:28

  復活の主は、すべての出会いをプラスに変えます。

人生を変える出会い

 パウロとシラスはシリア州とキリキア州を通り、そこに建てられていた教会を力づけていきます。
 そしてデルベに行き、リストラに行きました。エルサレム教会の決定を伝え、他の福音に惑わされそうになっていた兄弟姉妹を励まします。
 そこにテモテという兄弟がいました。エウニケというユダヤ人女性の息子です。父親はギリシア人でした。
 パウロは第1次伝道旅行の時からこの若者の信仰に注目していたようです。
 リストラとイコニオンで評判の良い弟子となっていたテモテを、パウロは連れて行こうとしました。
 しかしテモテは割礼を受けていませんでした。
 このとき伝道の主な戦略は、ユダヤ人の会堂を回ることでした。テモテが割礼を受けていないとなると、ユダヤ人は耳を貸さないでしょう。
 それでテモテに割礼を受けさせました。
 こうして後にパウロの代理人、また後継者とも呼べる存在になるテモテが仲間に加わりました。このとき、20歳前後の若者だったと考えられます。

 ユダヤの律法では、国際結婚は認められていません。エウニケとテモテ親子はユダヤ教のコミュニティでは冷たい目で見られていたかもしれません。もしかすると、テモテは父親から子どもとして認知されていなかったという可能性もあります。
 そのようなテモテが、パウロに出会い人生が変えられます。
 パウロはテモテのことを、信仰によるまことの子、愛する子と呼んでいます。テモテにとってパウロは父親代わりのような存在でした。何より、パウロを通して父なる神と主イエスに出会ったことが、テモテの人生を大きく変えます。

 人生というものは簡単には変わりません。
 特に生まれもった性質というのは変えようがありません。人種、性別、家庭環境など。それで差別を受けることもあります。
 特に日本は差別が根強くあります。
 外国にルーツがある人に対しての差別があります。国籍が日本でも、生まれたときから日本で育っても、外の人:外人として扱われます。
 また、日本では女性として生まれたというだけで不利な立場に置かれます。世界経済フォーラムが発表したジェンダーギャップ指数は、153ヶ国中121位でした。日本が先進国というのは20年前の話です。
 憲法で保障されている基本的人権も危ういものです。豊かな人はさらに豊かになり、貧しい人はそこから立ち直ることができません。
 障がいのある人の社会進出を阻むバリアもたくさんあります。
 そういう変えられないもののために苦しまなければならないのだとしたら、人生この先、何に希望を持って歩めばいいのでしょうか。

ブレーズ・パスカル

 そんな私たちの人生を変えるのがキリストにある兄弟姉妹との出会い、主イエスとの出会いです。
 フランスの哲学者・科学者であるパスカルは、病を抱えていました。腰から下が麻痺したようになり、松葉杖なしには歩けないほどになります。その弱さを抱えながらも、多くの発明をしました。
 彼は31歳のとき、火のバプテスマという体験をします。圧倒的な主の臨在を体験し、火で燃やされるような感覚を受けます。そしてイエス・キリストの贖いを自分のものとして受け取ります。
 その後パスカルは神学者アルノーから「君はまだ若い、君なら何かができるはずだ」と助言され、堕落した教会を批判する手紙を書きました。
 39歳の若さで天に召されます。
 その後パスカルが書き残したメモが発見され、パンセとして出版されます。
 このパンセはただの哲学の本ではありません。神なき人間の悲惨と、神と共にある幸福の2部構成となっています。
 イエス・キリストに出会い変えられた彼が、神に出会い、神と共に歩むことの喜びを伝えるために書いたものであることは明らかです。

 イエス・キリストとの出会いは、私たちの人生を作り変えます。
 そしてキリストにある兄弟姉妹との出会いを通して、私たちは力を得ます。
 こうして教会は信仰を強められ、日ごとに成長していくのです。 

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