小さな者の声を聴く

使徒言行録講解65

小さな者の声を聴く

使徒言行録23:12-22

12 夜が明けると、ユダヤ人たちは陰謀をたくらみ、パウロを殺すまでは飲み食いしないという誓いを立てた。13 このたくらみに加わった者は、四十人以上もいた。14 彼らは、祭司長たちや長老たちのところへ行って、こう言った。「わたしたちは、パウロを殺すまでは何も食べないと、固く誓いました。15 ですから今、パウロについてもっと詳しく調べるという口実を設けて、彼をあなたがたのところへ連れて来るように、最高法院と組んで千人隊長に願い出てください。わたしたちは、彼がここへ来る前に殺してしまう手はずを整えています。」16 しかし、この陰謀をパウロの姉妹の子が聞き込み、兵営の中に入って来て、パウロに知らせた。17 それで、パウロは百人隊長の一人を呼んで言った。「この若者を千人隊長のところへ連れて行ってください。何か知らせることがあるそうです。」18 そこで百人隊長は、若者を千人隊長のもとに連れて行き、こう言った。「囚人パウロがわたしを呼んで、この若者をこちらに連れて来るようにと頼みました。何か話したいことがあるそうです。」19 千人隊長は、若者の手を取って人のいない所へ行き、「知らせたいこととは何か」と尋ねた。20 若者は言った。「ユダヤ人たちは、パウロのことをもっと詳しく調べるという口実で、明日パウロを最高法院に連れて来るようにと、あなたに願い出ることに決めています。21 どうか、彼らの言いなりにならないでください。彼らのうち四十人以上が、パウロを殺すまでは飲み食いしないと誓い、陰謀をたくらんでいるのです。そして、今その手はずを整えて、御承諾を待っているのです。」22 そこで千人隊長は、「このことをわたしに知らせたとは、だれにも言うな」と命じて、若者を帰した。

小さな者から放たれる光がある

ラルシュ創設者
ジャン・バニエ氏(右下)

 ラルシュ共同体を知っていますか。
 1964年にフランス系カナダ人のジャン・バニエがフランスで設立しました。ラルシュ(L’Arche)とはフランス語で箱舟という意味です。
 世界中に広がり、2015年には35ヶ国に147のコミュニティがありました。静岡市にもあります(ラルシュかなの家)。
 特徴は健常者と障害者が共に生活することです。
 一般的に障害のある人は弱く、助けられるべき存在だと考えられています。
 しかしジャン・バニエは、そのような人たちと共に生活することで、健常者の眠っていた能力を成長させ、全き人間へと造り変える手助けをしてくれると言います。
 人間の可能性の中で最も大切なのは愛する能力であり、弱さを持った人たちは愛することや心の交わりという面では、私たちを解放する存在なのです。
 小さな者から放たれる光があります。

パウロ暗殺計画

 今日の本文はパウロ暗殺計画です。
 一部の過激なユダヤ人が、パウロを殺すまでは飲み食いしないと誓いました。
 一部と言っても40人以上です。祭司長や長老たちと共謀し、パウロをおびき出して殺そうとしました。
 これをたまたまパウロの姉妹の子が聞き込みました。そして兵営に来てパウロに知らせました。さらに千人隊長にも知らせ、パウロはカイサリアへ移されることになります。

強大なローマ帝国と、征服されたユダヤ

 ユダヤ人にとってパウロは神殿を汚した犯罪者であり、地上から取り除かれるべき存在でした。しかしローマ兵によって保護されています。
 最高法院で取り調べをしましたが、有罪にすることはできませんでした。
 ユダヤ人にとっての犯罪者なのに、ユダヤ人の手で裁くことができないというもどかしい状況です。
 ローマ帝国の支配下にあるので、ローマ兵に介入されてしまいます。
 ローマ帝国は圧倒的な力で世界を征服してしまいました。従うしかありません。
 これはユダヤ人にとって屈辱的なことでした。彼らは神に選ばれた民だと信じているからです。
 それでユダヤ人の自主独立を守るために、過激な手を取るしかないと考える人たちがいました。熱心党という人たちです。イエス様の弟子の中にもシモンという熱心党員がいました。
 パウロの暗殺計画にも熱心党が関わっていたのかもしれません。

弱肉強食の世界

 このような状況は現代でもあるのではないでしょうか。強い者が弱い者を支配する。多数の意見ばかり尊重され、少数の意見は無視される。
 一部の影響力ある国が労働力や食料を他の国から手に入れます。しかし正当な代価を支払わず、貧困から抜け出せなかったり子どもも働かなければならなかったり、自分たちの食べるものに困ったりしています。私たちが食べるチョコレートを生産するためにカカオ農園で働く子どもたちは、自分でチョコレートを食べることはできません。
 技能実習という名目で外国からの実習生を受け入れ、安い労働力として過酷な仕事をさせることもあります。
 国内でもお金のある人や大企業ばかりが優遇され、庶民の生活は貧しくなるばかりです。
 日本の政治の中心にいるのはおじいちゃんばかりです。高齢化が進み、おじいちゃんおばあちゃんが多いです。自然とおじいちゃんたちに都合の良い政策が行われるでしょう。
 では貧しい若者たちはどうすればいいのでしょうか。
 この世界は弱肉強食だからと諦めて従うしかないのか。
 あるいは車に爆弾を載せて突っ込むしかないのか。
 日本でそのようなテロ事件はほとんど起こりませんが、世界の中には自分の声を聞いてもらうために暴力的な方法に訴える事件が日々どこかで起きています。
 日本も政治がこのまま進めばどうなるかわかりません。

無名の若者の話に耳を傾けた千人隊長

 この弱肉強食の世界観で見るとき、聖書はおかしなことを言っています。
 突然、パウロの姉妹の子が登場します。甥ですね。まだ若者です。名前すら出てきません。ルカさん、調べたらわかるでしょ。
 そんな無名の若者が、パウロ暗殺計画を耳にしました。そして兵営にいるパウロに知らせます。
 兵営に監禁されていても、差し入れを持って行くなど面会することはできました。
 パウロは自分の甥の言うことですから、彼の話を信じました。
 それで百人隊長に願い、千人隊長に伝えさせてもらいました。
 千人隊長は若者の手を取り、話を聞き、信用しました。
 不思議ではありませんか。
 無名の若者です。そんな若者がパウロ暗殺計画をどうやって知ることができたのでしょう。
 相手はローマの千人隊長です。身分が違いすぎます。
 通常なら、この若者の声など無視されて当然です。
 しかし千人隊長は若者の話を信じました。

少年に託した王

 イスラエルがペリシテと戦争をしていたとき、ペリシテ軍にはゴリアトという巨人がいました。
 ゴリアトは一騎打ちを要求しました。身長が3mもあり、重厚な防具で身を固め、さらに槍を持っています。全く隙がありません。イスラエル軍は恐れおののきました。
 そこにダビデが来ました。お兄さんたちが出兵していて、パンを届けに来ました。
 そしてゴリアトの挑発の言葉を聞きました。イスラエルの神に対する挑戦と受け取ったダビデは、自分がゴリアトと戦うと言いだしました。
 それを聞いた兄のエリアブは腹を立て、家に帰らせようとします。
 羊飼いの少年ダビデに何ができるというのでしょう。
 しかしダビデの言葉をサウル王に告げた人がいました。サウル王はダビデを呼び出します。
 ダビデがまだ少年なのを見て、サウル王も初めは止めさせようとしました。
 しかしダビデが、主が守ってくださると力強く言うので、ダビデを信じました。
 そしてダビデは石を投げ、ゴリアトを一撃で倒してしまいました。

神の国はこのような者たちのもの

 イエス様に祝福してもらおうと、人々が子どもたちを連れてきたことがありました。
 子どもたちが集まってくると賑やかになります。
 弟子たちはこの人々を叱りました。「イエス様のお話が聞こえなくなるだろ。こんなところに子どもたちを連れて来るなんて非常識だ」と。
 イエス様は逆に弟子たちを叱りました。

しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。

マルコによる福音書10:14

 子どもたちが無視されていた時代ですが、イエス様は子どもたちから学ぶことがあると言います。

 強い者や多数派が大事にされる時代です。弱い者、貧しい者、幼い者、少数派は切り捨てられていきます。
 自分は強い側、多数派だと思っていても、それは幻想でしかありません。強くなるために、多数派であるために競争に駆り立てられます。他者を蹴落としてでも自分を強く見せようとします。
 こうして次々に弱い者、貧しい者、少数派を生み出していきます。自分もいつか蹴落とされるかもしれません。思いがけず弱くさせられることもあります。
 平安はありません。
 しかしこの弱い者、貧しい者、幼い者、少数派の声に耳を傾けるとき、私たちは失っていた大切なことに気づきます。

一人の人間と向き合う

 千人隊長は若者の手を取り、一対一で向き合いました。
 千人隊長と無名の若者という立場の違いはありません。支配するローマ人と支配されるユダヤ人という身分の違いもありません。
 一人の人間と一人の人間という対等な関係で向き合っています。
 相手が子どもでも、一人の人間として向き合い、その子の話に真剣に耳を傾けてほしいです。

 ウガンダのワトトの働きは、79歳の未亡人との出会いから始まりました。彼女には7人の子どもがいました。
 ワトト創設者のゲイリー・スキナーが彼女を訪問した時、彼女はバナナ畑の向こうを指さしました。
 その指の先には7つの墓がありました。それは夫と6人の子どもたちの墓でした。全員、エイズで亡くなったのです。
 そして1人残った娘も、同じ病気で死にかけていました。
 この1人の未亡人との出会いから、ワトトが始まったのです。今では多くの子どもたち、赤ちゃん、女性たちが支援を受けています。

みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。

ヤコブの手紙1:27

 相手が孤児であろうと未亡人であろうとどんな人であろうと、1人の人間として向き合う。
 この世が弱肉強食で競争に駆り立てようとしても、神の国の価値観で生きていく。
 それが私たちの生き方です。
 また、自分の声が聞かれないからと口を閉ざしたり、暴力に訴えたりしてはいけません。
 小さな者の声を聴いてくださる方がいます。
 天のお父さんに祈りつつ、声を上げていきましょう。
 そこに神の国が広がっていきます。

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