宗教なんてと嘲笑う人々に

使徒言行録講解52

宗教なんてと嘲笑う人々に

使徒言行録17:16-23

16 パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。17 それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。18 また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」と言う者もいれば、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言う者もいた。パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである。19 そこで、彼らはパウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った。「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。20 奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ。」21 すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである。22 パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。23 道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。

国の危機に先人たちは何をしたか

 1300年近く前の日本は、奈良の平城京が首都でした。
 聖武天皇の時代、天然痘が流行しました。現代ではワクチンが開発され、天然痘は根絶されています。しかし奈良時代にはワクチンもウイルスの知識もありません。感染力も致死率も高い天然痘は、恐ろしい疫病でした。この天然痘の流行により、政治の中枢にいた藤原四兄弟も亡くなりました。
 自然災害も多発しました。干ばつ、飢饉、そして大地震に襲われています。
 さらに九州でクーデターも発生しました。

 そのような社会の不安が募る中で、聖武天皇は大仏を造りました。それが東大寺盧舎那仏像、いわゆる奈良の大仏です。
 この大仏を造るために7年間かけ、260万人が工事に携わり、国中の銅を集め、4657億円の費用がかかったと言われています。 

この危機に宗教なんて

 2020年の日本も同じような状況にあります。
 コロナウイルスという疫病が流行しています。ワクチンはありませんし、このウイルスについてわかっていないことも多くあります。著名な人も亡くなり、社会に衝撃を与えました。
 自然災害も起きています。九州や岐阜などで川があふれ、多くの被害が出ています。
 クーデターはまだ起きていませんが、政治に対する不満は募るばかりです。
 こうなれば1300年前の先人たちの知恵を借りて大仏を造るしかないでしょう!
 2027年の完成を目指し、260万人の労働者と銅を集め、4657億円の税金を投入して東京大仏を造るのだ!
 もし総理大臣がそんなことを言い出したら、ついにクーデターが起こるでしょう。
 仏像はありえないでしょうが、神社なら現実にあるかもしれません。
 いずれにせよ、この危機に宗教なんてという落胆が生じるでしょう。

 1300年前は国のリーダーが宗教を頼っても大丈夫でしたが、現代は笑われます。
 科学の発展によって宗教を頼ることがバカげたことのようになってきました。宗教は弱い人のもののように扱われることもあります。この現代にキリスト教という宗教を頼りに生きる私たちは愚か者や弱い者のように扱われます。

死者の復活なんて

 べレアから送り出されたパウロはアテネに到着しました。
 現代もギリシアの首都であるこの都市は、パウロの時代も哲学や芸術など文化の中心でした。
 アテネの人たちやアテネを訪れる人たちは何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていました。
 ギリシア神話には多くの神々が出てきます。天空の神ゼウス、大地の神ガイア、海の神ポセイドン、芸術の神アポロン、しゃべる神ヘルメスなど。
 アテネにはそのような神々の像が置かれていました。多くの神が存在するのは、病気や自然災害から守られたり生活の繁栄を求めたりする中で作られていったのでしょう。もしかすると想像力豊かなギリシア人でも思いつかなかった神がいるかもしれません。そこで『知られざる神に』と刻まれた祭壇もあったとパウロは証言しています。
 このように多くの偶像があるのを見てパウロは憤慨しました。
 アテネの人たちは多くの知識を持ち、この世界に隠された秘密の探求にも熱心でした。しかし真の神に出会うことはできませんでした。
 それでシラスとテモテが来るまでの間、会堂や広場で論じ合っていました。テサロニケの信徒への手紙によると、テモテは先に到着したけれど、テサロニケの様子を見るために送り返されたようです。パウロはしばらくアテネに滞在していたと思われます。
 そうこうしている間に、パウロが語るイエスと復活の福音はアテネの人たちの興味を引き、アレオパゴスの評議場で福音を語る機会が与えられました。
 パウロは憤慨していましたが、アテネの人たちの信仰のあつさを認め、話を始めます。
 ところが死者の復活という話になったとき、ある人々は嘲笑いました。
 ギリシア哲学において、霊は天に属する清いもの、肉体は地に属する汚れたものと考えられていました。ですから肉体を持って復活するというのは、ギリシア哲学の定説に反した愚かな思想だったわけです。

スタートもゴールも見失った知恵

 パウロが憤慨したように、私たちも憤慨するべきだと思います。
 現代の科学はギリシア哲学よりはるかに進歩しました。この世界に隠された秘密を次々に明らかにしています。
 疫病もその原因は明らかにされ、天然痘は根絶されました。
 天気予報のシステムができ、雨雲の進路を予測することもできます。
 大きな地震が発生すれば、瞬時に緊急地震速報を出して警告できます。
 このように社会は発展していきますが、それによって神への畏れを失っています。
 そもそも科学は、神への探求から発展してきたのです。

主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。

箴言1:7

  神を畏れるところが科学の出発点です。
 数学者ラマヌジャンは、「私にとって方程式とは、神をあらわしていなければ意味がない」と言いました。
 科学は神を殺す道具ではなく、神をあらわす道具です。神の栄光が科学の目的でなければなりません。
 しかし現代の多くの人は科学の出発点も目的も忘れ、神は死んだと言い、宗教なんてと嘲笑うのです。
 何でそうなるの!?という叫びが心の底から湧いてきませんか?

深く刷り込まれた思想

 私たちは、神を知っています。イエスは主であると知っています。
 私たちは賢い人間ですね。
 では神を知らない世の人々を、無知な人だと嘲ってもいいでしょうか。
 パウロは、神を知らないアテネの人たちをバカにはしませんでした。
 むしろ信仰のあつい人たちとほめています。彼らの信仰を認め、またギリシアの詩人たちの言葉も引用しながら福音を伝えていきます。
 宣教の重要な点です。
 ユダヤ人にはユダヤ人の目線に立って語り、ギリシア人にはギリシア人の目線に立って語りました。
 宗教なんてと嘲笑う人たちにも、彼らなりの信念があります。それを真っ向から否定するようなやり方は通用しません。
 日本人には宗教に対する嫌悪感を植え付けるような記憶があります。
 また自己責任が強調され、助けを求めることが弱いことのように扱われます。
 出る杭は打たれるということわざや世間体という言葉に縛られ、違う生き方を認めない雰囲気もあります。
 その中で何十年も生きていれば、宗教は愚かな人、弱い人のものだと思い込んでも仕方ありません。

福音は愚かだが救いをもたらす神の力

 しかしそのような思想がどんなに深く深く刷り込まれているとしても、神の言葉は届きます。

十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。

コリントの信徒への手紙一1:18

  アテネの人たちは死者の復活と聞いて嘲笑いました。
 パウロはその場を立ち去り、アテネで教会を形成するまでには至らなかったようです。
 しかしアレオパゴスの議員ディオニシオやダマリスという婦人など、何人かは信仰に入りました。
 聖書に精通していた祭司長や律法学者たちはイエスを嘲り、メシアなら自分を救えとののしりました。
 十字架上のイエスは『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。』と祈りました。
 そしてイエスが息を引き取った後、神のことなど何も知らない百人隊長が「本当に、この人は神の子だった」と告白しました。
 イエスの十字架の死と復活は、多くの人にとってつまずきであり、愚かなことです。
 しかしこの福音は神の力です。
 神の愚かさは人より賢く、神の弱さは人より強い。
 どんなに宗教なんてと嘲笑われることがあったとしても、宣教という愚かなわざを止めるわけにはいきません。
 それは神に出会った私たちの果たすべき責任です。
 パウロがこのように言う通りです。

わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。

ローマの信徒への手紙1:16

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