サウル王家の系図

歴代誌講解8

サウル王家の系図

歴代誌上 8:33-40

33 ネルにはキシュが生まれ、キシュにはサウルが生まれ、サウルにはヨナタン、マルキ・シュア、アビナダブ、エシュバアルが生まれた。34 ヨナタンの子は、メリブ・バアル。メリブ・バアルにはミカが生まれた。35 ミカの子は、ピトン、メレク、タレア、アハズ。36 アハズにはヨアダが生まれ、ヨアダにはアレメト、アズマベト、ジムリが生まれ、ジムリにはモツァが生まれ、37 モツァにはビンアが生まれた。その子は、ラファ、孫はエルアサ、ひ孫はアツェル。38 アツェルには六人の子があり、その名はアズリカム、ボクル、イシュマエル、シェアルヤ、オバドヤ、ハナンである。彼らは皆アツェルの子である。39 アツェルの兄弟エシェクの子は、長男ウラム、次男エウシュ、三男エリフェレト。40 ウラムの子らは、弓を引く勇士となり、多くの子と孫に恵まれ、その数は百五十人に達した。彼らは皆ベニヤミンの子孫である。

危険を知らせてくれる友

 先週、香港のリンゴ日報(Apple Daily)という新聞が発行を停止しました。香港国家安全維持法に違反したとして創業者や幹部が逮捕され、関連会社の資産が凍結されるなどしていました。

香港「リンゴ日報」発行停止 市民 “私たちには何もできない”

 リンゴ日報は香港が中国に返還される2年前の1995年に創刊されました。中国政府に批判的な論調で知られていました。
 リンゴ日報の名前の由来は旧約聖書に出てくる善悪を知る木の実です。西洋の絵画ではリンゴとして描かれることが多いです。聖書にリンゴは出てきませんが。
 創業者は「もしアダムとイブがリンゴを口にしなかったら、世界に善悪はなくニュースも存在しなかっただろう」と言ってリンゴ日報と名付けました。

 この世に悪が存在する以上、人や組織が善だけしか行わないということはありえません。ですから、問題点を指摘することも必要です。特に強い力を持つものに対して、誰かが監視しなければ、暴走してしまうかもしれません。
 しかし中国政府は批判的な言論を認めません。香港と中国の安全を維持するために、法に基づいて取り締まっていると言いますが、批判に耳を傾けない国が本当に安全を維持できるのか心配になります。

子と孫に恵まれたサウルの子孫

 今日の本文はサウル王家の系図です。
 サウルはイスラエル王国の初代の王でした。サウル王が戦死した後、ダビデが王になります。
 その後もサウルの子孫たちは保護され、子と孫に恵まれます。

敵対した者が寛大に扱われる

 歴代誌はダビデ王朝である南ユダ王国に焦点を当てています。
 サウルはイスラエル王国の初代の王ですが、ダビデの前の王です。サウルとダビデでは、王朝が交代しています。
 中国には易姓革命という思想があります。王様の徳がなくなったら、天は他の徳がある人を王座につけるという思想です。
 だから王朝が交代するとき、新しい王は前の王を非難します。前の王が徳を失った悪い王だったから、徳のある新しい王が前の王を倒したというわけです。
 サウル王は神に油を注がれて王になりました。しかし神に従いませんでした。そこで神はサウルを退け、より優れた人を王にすると言いました。こうしてダビデに油が注がれます。
 易姓革命に似ていますね。だからサウル王家はダビデ王朝の時代に落ちぶれていてもおかしくありません。
 しかしサウル王家の系図は続き、子と孫に恵まれたという結論で終わっています。

恩人ダビデの命を狙うサウル

グエルチーノ「槍でダビデを殺そうとするサウル」

 サウル王家とダビデとの関わりをもう少し説明します。
 サウル王は人間的には立派な王でしたが、神様に従うことができませんでした。神様から滅ぼし尽くしなさいと命じられていたのに、敵の王や立派な家畜を生かしておきました。
 この後、主の霊が離れてしまったのでサウルは悪霊に苦しめられることになります。サウルは、王宮で琴を奏でて神を賛美し悪霊をしずめる人を置くことにしました。そこで呼ばれたのがダビデでした。
 そのダビデがゴリアテを倒したことで、イスラエルの英雄になります。サウルはダビデを妬み、命を狙うようになりました。ダビデは逃げ出し、放浪生活を送ります。
 サウルに命を狙われたダビデは、サウルを暗殺するチャンスを得ました。しかしダビデは手を出しませんでした。サウルがあくまでも主に油注がれた王だったからです。
 サウルと3人の息子たちがペリシテ人との戦いで戦死すると、ユダ族はダビデを王にしました。しかし他の部族はサウルの末の息子エシュバアルを王にします。サムエル記ではイシュ・ボシェトとなっています。
 7年間の対立の後、エシュバアルが部下に暗殺されたことでサウル王朝は滅びました。そしてダビデが全イスラエルの王になります。
 その後ダビデは、サウル王家の生き残りを探させます。するとサウルの長男ヨナタンの息子メリブ・バアル(サムエル記ではメフィボシェト)がいることがわかりました。ダビデはサウルの財産をメリブ・バアルに返し、いつでも王の食卓に参加できるようにしました。

 初め、サウルにとってダビデは恩人でした。賛美によって悪霊をしずめ、ゴリアテを倒してイスラエルを助けてくれました。
 しかしサウルはダビデをねたみ、殺そうとします。
 それでもダビデはサウルに敬意を持って接しました。そしてその子孫を王の食卓に招いてくれたのです。
 ダビデによって滅ぼされてもおかしくなかったのに、驚くべき恵みが示されました。

死ぬべき者が神のパーティーに招かれている

 これはイエス様と私たちの関係に似ています。
 イエス様は神の国の福音を伝え、病を癒し、悪霊を追い出しました。
 しかし祭司長や律法学者たちはイエス様を妬み、殺そうとしました。
 イエス様は十字架の上で、自分を殺そうとする人たちのために祈りました。
 そして十字架で死に、3日目に復活をし、罪と死に勝利しました。私たちはイエス様によって神様のところに帰れます。いつでも王の食卓に招かれています。
 今日私たちが礼拝をささげるのも、神のパーティーに招かれているからです。死ぬべき私たちに驚くべき恵みが示されています。

世代を超えて果たされる友との約束

 ダビデがサウル王家に敬意を示し続けた理由は、サウルが神に油注がれたということの他に、もう1つあります。
 それはヨナタンとの約束です。
 ヨナタンはサウルの長男でした。王子の立場です。
 ヨナタンはゴリアテを倒したダビデと友だちになりました。自分自身を愛するように、ダビデを愛しました。
 しかしヨナタンの父はダビデに殺意を抱きます。サウルはヨナタンと部下に、ダビデを殺せと命令します。ダビデがいる限り、サウル王朝は脅かされる恐れがあります。それは王子であるヨナタンにも関係することでした。
 ところがヨナタンはダビデに深い愛情を抱いていたので、暗殺計画をダビデに知らせました。そして父にも訴え、暗殺計画は一旦中止されます。
 後日、サウルはダビデを王の食卓に招き、殺そうと再び企みました。この計画はヨナタンに秘密にされていました。
 危険を感じたダビデは野に隠れ、ヨナタンが様子を探ることにしました。サウルはダビデをかばうヨナタンに激怒し、ヨナタンにまで槍を投げつけて殺そうとしました。
 サウルの殺意を確信したヨナタンは野に行き、矢を放って少年に取りに行かせます。そして「矢はお前のもっと先ではないか。早くしろ、急げ、立ち止まるな」と叫びます。これが逃げろという合図でした。
 最後にヨナタンはこう言います。

ヨナタンは言った。「安らかに行ってくれ。わたしとあなたの間にも、わたしの子孫とあなたの子孫の間にも、主がとこしえにおられる、と主の御名によって誓い合ったのだから。」

サムエル記上20:42

 ダビデがヨナタンの息子メリブ・バアルを寛大に扱ったのは、このヨナタンとの友情があったからです。
 互いの間にも、互いの子孫の間にも主が共にいる。ダビデはこの約束を、ヨナタンの子孫との間でも守りました。

本当の友情

 美しい話です。ダビデとヨナタンとの間には、本当の友情があったと思います。
 どのような点が美しいのでしょうか。
 まず、立場を超えて愛しました。一方は王子、もう一方は羊飼いの少年でした。それから王の息子と、王の敵という立場になります。
 また、命をかけて危険を知らせた点も美しいではありませんか。自分の身を危険にさらしてでもサウルの殺意を確かめ、王に背いて危険を知らせました。
 そして互いに約束したことは、世代を超えて果たしていきました。
 そのような友情がありました。

 聖書は、神さまと私たちとの間の友情も語っています。
 イエス様は私たちを友と呼びました。本当の友情で結ばれています。
 神様ご自身が、被造物である人間を愛する。それ自体が驚きです。そしてキリストは神の身分でありながら自分を無にして僕の身分になり、人間になりました。
 私たちは神を捨て、神の子を十字架につけて殺しました。弟子たちの裏切りも知っていました。それなのに弟子たちをこの上もなく愛し抜かれました。そして私たちを救うために、十字架で死なれました。
 神の救いの計画は世代を超えて成し遂げられていきます。天地創造の前から計画され、十字架で成し遂げられた救いは、2000年後を生きる私たちにも、私たちの子や孫の世代にも変わることがありません。

友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。

ヨハネによる福音書15:13

 友のために自分の命を捨てたヨナタン、そしてイエス様から、私たちは本当の愛を見出します。

友を大切に

 あなたにはどのような友だちがいますか。
 同じ属性の人ばかりかもしれません。同じ学校、同じ趣味、同じ年代、同じ国籍、同じ性別、同じ宗教、同じ政治的立場の友だち。共通点があるので仲よくしやすいです。
 しかし同じ属性の人とばかり付き合っていると、世界は狭くなっていきます。立場や考えの違う友だちがいることは人生を豊かにします。
 どの政党を支持するかとか、ワクチンを打つか打たないかといったことで友だちをやめてしまってはいけません。考えの違う人と付き合うことで、私たちの世界は広がっていきます。そういう友だちが必要です。
 教会の中には多様な人がいるので、信仰の友を持ちましょう。教会の外で、信仰の違う友だちも大事にしましょう。
 また、危険があるとき、命をかけてそれを知らせてくれる友だちはいますか。時には批判をしてくれる人です。そっちに行ったらヤバいよ。そういう生き方はダメだ。20代の頃はまだいけるけど、30代になったらそのツケが回ってくるよ!
 危ないときには、命をかけて守ってくれる人はいますか。本当に危ないときには通報した方がいいかもしれませんが。
 そしていつまでも約束を果たしてくれる友だちはいますか。学生の時に思い描いた夢を、時を超えて世代を超えて果たしていく。自分たちの世代がどうにかなればいいというのではなく、次の世代の子どもや孫に、神様から与えられたビジョンを受け継いでいく。
 信仰の友である兄弟姉妹たちと、そのような友情を築き上げていこう。

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