ローマ書講解40 神のために働く栄誉

ローマ書講解40

神のために働く栄誉

ローマの信徒への手紙 15:14-33

14 兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。15 記憶を新たにしてもらおうと、この手紙ではところどころかなり思い切って書きました。それは、わたしが神から恵みをいただいて、16 異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。そしてそれは、異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません。17 そこでわたしは、神のために働くことをキリスト・イエスによって誇りに思っています。18 キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。キリストは異邦人を神に従わせるために、わたしの言葉と行いを通して、19 また、しるしや奇跡の力、神の霊の力によって働かれました。こうしてわたしは、エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました。20 このようにキリストの名がまだ知られていない所で福音を告げ知らせようと、わたしは熱心に努めてきました。それは、他人の築いた土台の上に建てたりしないためです。21 「彼のことを告げられていなかった人々が見、/聞かなかった人々が悟るであろう」と書いてあるとおりです。22 こういうわけで、あなたがたのところに何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。23 しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、24 イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです。25 しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。26 マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。27 彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。28 それで、わたしはこのことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます。29 そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています。30 兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、“霊”が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください、31 わたしがユダヤにいる不信の者たちから守られ、エルサレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように、32 こうして、神の御心によって喜びのうちにそちらへ行き、あなたがたのもとで憩うことができるように。33 平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン。

人を神にふさわしいものに整える

今日の私たちの心を突き刺す聖書の言葉

 ローマの信徒への手紙は、最後のまとめの部分に入ります。
 ここまで信仰の基礎、福音とは何かということから始まり、福音に生きることについて語られてきました。
 そしてキリストを見上げて信仰による喜び、平和、希望に満ちあふれるようにという祈りで締めくくられました。
 ここまで読み進めてきた私たちは、教えられること、心に刺さること、悔い改めさせられることが様々あったのではないでしょうか。
 それはまだ私たちの福音理解が不十分で、愛や喜びに欠けていて、互いに愛することができないからです。

 現代に生きる私たちにもこの手紙は生きている神の言葉として語りかけてきます。
 しかしこの手紙は浜松の信徒への手紙ではなく、まずローマの信徒たちに向けて書かれました。
 パウロは彼らの信仰の評判を聞いています。そしてまだ見ぬ兄弟姉妹が、善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると確信しています。尊敬をもって相手を優れた者と思うという愛の表現です。
 と言いつつ「他人の召し使いを裁くとは、いったいあなたは何者ですか。」みたいな厳しい表現を使ってましたよね、パウロさん。
 パウロ自身もそこは気にしていたようで、思い切った表現を使ったと打ち明けています。
 そういう表現のおかげで、より印象に残る御言葉があったのではないでしょうか。

異邦人を神にささげる祭司

 パウロがこのように信仰の基礎を伝える手紙を書いたのは、パウロの使命に基づきます。
 パウロの使命はまず異邦人の使徒。手紙の一番最初に記したように、パウロはキリストの僕、神の福音のために選び出された使徒です。
 パウロはその役割を祭司と表現しています。
 祭司の役割とは何ですか。身近な職業ではないのでわかりづらいですね。
 祭司の役割は、民を代表して神様のために仕えること、いけにえをささげて神と人とを和解させること、神様からの祝福を民に流すことです。
 パウロは異邦人のためにキリストに仕え、異邦人をそなえものとしてささげます。
 人身御供じゃないですよ。神様に立ち帰らせるということです。
 こうして異邦人もキリストにつながり、祝福を受けます。

 パウロが自分を異邦人をそなえものにする祭司と表現しているということは、ただ異邦人に福音を伝える以上のことを使命として受け取っていたということでしょう。
 皆さんが大切な人に贈り物をしたいとき、どんなものを選びますか。その辺にある適当なものをあげたりしないでしょう。
 相手が喜んでくれそうなものを選び、きれいに包装などしますね。
 だから神様に対しても、一番良いものをささげるべきです。
 祭司はキズやシミのない最上のいけにえを選んで神様にささげました。
 異邦人を神様にささげるというのは、神様から遠く離れていた人を神に喜ばれるものとして整えるということです。

 もちろん神様は私たちがキズだらけシミだらけの罪人であったにも関わらず愛し受け入れてくださいました。ありのままで愛されています。
 しかしありのままでは満足しない。パウロは福音によって人が造り変えられ、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえになることを信じています。
 この手紙もそのような意図をもって書かれました。

聖霊によって神にふさわしいものに造り変えられる

 しかし人を生かすのは手紙に書かれた文字ではなく、聖霊です。
 真理の霊の働きによって、この手紙を通してもローマの信徒たちはキリストの言葉を聞き、信仰に導かれたのです。そしてキリストと共に死に、新しい命に生かされたことでしょう。
 聖霊は今も私たちに同じように働きます。
 聖書を生ける神の言葉として受け取るなら、私たちも神の前にふさわしい者として整えられていきます。

神の手にある道具として用いられる

 パウロは「神のために働くことをキリスト・イエスによって誇りに思っています。」と言います。神のために働く栄誉を感じています。
 パウロの語った言葉を通して、また愛の実践によって多くの異邦人が神様に立ち帰りました。また使徒言行録を見れば、足の不自由な人が癒されたり悪霊を追い出したり、パウロが行った奇跡が記されています。
 パウロが誇っているのは、このような実績ではありません。
 これはパウロの力ではなく神の霊の力であり、キリストがパウロを通して働かれたのです。
 パウロは神のために働いた。それはパウロが神様のために何かをしたということではなく、キリストの働き。
 つまり神様の御心をこの地で行うために、キリストの体の部分として、あるいは神の手にある道具として用いられるということです。

偉業のために使われたボール

 昨年、大谷翔平選手が1シーズンでホームラン50本、50盗塁を記録しました。プロ野球史上初の「50-50」です。
 この大記録を達成した時のホームランボールはオークションにかけられ、日本円で6億円以上の価値がつけられました。
 このボールにそこまで価値がありますか。外見的には他のボールと同じですよ。
 それでも大記録を達成するときに使われたという点で、唯一無二の価値を持ちます。
 大谷さんに用いられてそこまでの栄誉を受けられるのなら、神の手にある道具として用いられることはどれほどの栄誉でしょうか。

神からの大志

 パウロは教会開拓も自分の使命としていました。
 エルサレムから始まり、アンティオキアから派遣され、小アジア、マケドニア、アカイアなどの地方を回りました。今のパレスチナ、シリア、トルコ、ギリシアの辺りです。
 第3回伝道旅行の合間に、イリリコン州というアドリア海の東側の地方にも立ち寄っていたようです。今のクロアチアの辺り。
 アドリア海の対岸にはイタリア半島があり、帝国の首都ローマがあります。
 こうして地中海世界の東側を巡ったのは、キリストの名がまだ知られていないところで福音を伝えるためでした。
 パウロはローマに行きたいという思いがありましたが、なかなか実現しませんでした。そこには、すでに安定した教会があるローマより、まだ教会がないところで宣教したいというパウロ自身の選択もあったかもしれません。
 そしてイスパニア、今のスペインまで行こうという計画もあります。
 そこは地中海世界の西の果て。
 その途中でローマに寄り、そこを拠点に西へ旅立とうと考えています。

 これはパウロ個人がいただいた思いです。私たちが皆教会開拓をしなければいけないわけではないし、他人が築いた土台の上に立てることは何も問題ありません。
 ただパウロが、イザヤ書52章の御言葉から召命を受け、教会開拓という思いが与えられたということです。
 思いという言葉は軽いですね。
 神からの使命、大志です。

神はあなたを通して成し遂げたいことがある

 神様は私たちを招きます。
 それは人によって違います。
 ある人は牧師や宣教師になるよう招かれます。
 ビジネスの世界、アートの世界、スポーツの世界で神の栄光を現わすように遣わされる人もいます。
 神様は皆さんをどこに遣わそうとしていますか。どのような役割を与えられていますか。
 何の役割もない人なんていません。
 皆、キリストの体の部分として共に働きます。
 神様は皆さん一人一人を通して、成し遂げたいことがあります。
 神様の大きな計画があるのです。神様が思い描いた夢があります。
 それは皆さんの存在なしには完成しません。一つでもピースが欠けたらジグソーパズルは完成しないのです。
 神様からの思いをぜひ受け取ってください。いや、大志を抱いてください。
 クリスチャンとして毎週礼拝に出る。これはこれですごいことです。でもそれで満足しないでください。
 神様はあなたを通して成し遂げたいことがあります。キリストの体としての存在意義があります。
 神のために働くという光栄な役割が、あなたにも与えられています。

小さく見える働きも忠実に

困難の中にある人を助ける

 パウロはローマに行く前にエルサレムに行かなければなりません。
 マケドニアとアカイアの諸教会からの献金をエルサレム教会に届けるためです。
 困難の中にある兄弟姉妹を助けようとしています。
 宣教活動を中断することになりますが、パウロはこのような救済も大事な使命だと考えています。

福音を伝える人を助ける

 福音はまずエルサレムから始まり、ユダヤ、サマリア、そしてヨーロッパに伝わりました。
 異邦の教会はこのように霊的なものをいただいたので、物質的なことでできる限りの援助をするのは当然のことです。
 こうして互いのできる範囲で助け合うことができます。

 福音を伝える人を物質的に支えることで、伝える人は伝えることに専念できる。
 パウロ自身はこの権利を使うことなくテント作りをしながら福音を伝えました。そのおかげで同業者のアキラさんに出会うなど、メリットがありました。
 そういう二刀流の生活をする人もいますが、一つの働きに専念したい人もいます。
 宣教師や牧師がその働きに専念できるよう支援するのも大事なことです。
 パウロはそのようにエルサレム教会を支援し、キリストの祝福をあふれるほど携えて、ローマに行くつもりです。

祈りのチームに加わる

 しかしパウロには心配があります。
 エルサレムに行けば迫害が待っているだろう。混乱が生じるかもしれない。エルサレム教会は果たして歓迎してくれるだろうか。
 そこでパウロは祈りをお願いします。
 一緒に熱心に祈ってくださいと。
 この「一緒に熱心に」という言葉は、一緒に奮闘する、共に戦うという意味の言葉です。
 祈りによってパウロの戦いを共に戦うことができます。

11 モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。12 モーセの手が重くなったので、アロンとフルは石を持って来てモーセの下に置いた。モーセはその上に座り、アロンとフルはモーセの両側に立って、彼の手を支えた。その手は、日の沈むまで、しっかりと上げられていた。13 ヨシュアは、アマレクとその民を剣にかけて打ち破った。

出エジプト記17:11-13

 戦場に出たのはヨシュアたち。
 その後ろにはモーセ、アロン、フルの祈りがありました。
 祈りのチームに加わることによっても、共に戦うことができます。
 これも神のために働くこと大事な役割です。

父なる神からの称賛

 そして戦い抜いた私たちは平和の神によって憩います。
 パウロも自分の役割を果たし、喜びの内にローマに行って憩うことを願っています。

 願った通りにはならないかもしれませんが、私たちも自分に任された働きを忠実にしていきましょう。
 それは教会開拓や宣教旅行のような大きな働きかもしれません。
 救済や祈りのような目立たない働きかもしれません。
 どんな小さな働きに思えても、忠実にやってみてください。
 「忠実な良い僕だ。よくやった。わたしと一緒に喜んでくれ。」と父なる神様からほめていただけます。
 そのような神のために働く栄誉を受け取っていただきたいです。

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