ローマ書講解41
福音の同労者たち
ローマの信徒への手紙 16:1-16
1 ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを紹介します。2 どうか、聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてください。彼女は多くの人々の援助者、特にわたしの援助者です。3 キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。4 命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。5 また、彼らの家に集まる教会の人々にもよろしく伝えてください。わたしの愛するエパイネトによろしく。彼はアジア州でキリストに献げられた初穂です。6 あなたがたのために非常に苦労したマリアによろしく。7 わたしの同胞で、一緒に捕らわれの身となったことのある、アンドロニコとユニアスによろしく。この二人は使徒たちの中で目立っており、わたしより前にキリストを信じる者になりました。8 主に結ばれている愛するアンプリアトによろしく。9 わたしたちの協力者としてキリストに仕えているウルバノ、および、わたしの愛するスタキスによろしく。10 真のキリスト信者アペレによろしく。アリストブロ家の人々によろしく。11 わたしの同胞ヘロディオンによろしく。ナルキソ家の中で主を信じている人々によろしく。12 主のために苦労して働いているトリファイナとトリフォサによろしく。主のために非常に苦労した愛するペルシスによろしく。13 主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです。14 アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、および彼らと一緒にいる兄弟たちによろしく。15 フィロロゴとユリアに、ネレウスとその姉妹、またオリンパ、そして彼らと一緒にいる聖なる者たち一同によろしく。16 あなたがたも、聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。キリストのすべての教会があなたがたによろしくと言っています。
パウロの個人的な挨拶

今日の本文のほとんどはパウロがローマ教会にいる個人的な友人に挨拶をするという内容です。
たくさんの名前が出てきますが、彼らはもちろん私たちの教会にはいません。
本の最後に、本を書いた人が協力してくれた友人、編集者、そして家族に感謝を述べる部分がありますよね。あの後書きみたいな感じです。
後書きを読みながら、この本の著者は何を主張したいのだろうと考える必要はありません。
著者とその周りの人には意味がありますが、一般の読者には知らない名前ばかり。本の主題とは関係ないので読み飛ばしてもいいです。
では今日の本文も読み飛ばそうか。
いや、聖書の中にいらない部分も足りない部分もありません。天地が消え去っても聖書は一点一画も変わることがない。
このパウロの個人的な友人の名前が書かれているところからも、神様は今日私たちに語りたいことがあります。
しかしすべての人は紹介しきれないので、何人かだけ取り上げます。
信頼された女性執事フェベ
まずはフェベという女性。
彼女はローマ教会の信徒ではなく、ケンクレアイの教会の奉仕者です。
奉仕者と訳された言葉はディアコノス。現代の教会制度で執事(deacon)と呼ばれるような人です。
パウロはなぜこの手紙の中で、ローマ教会にケンクレアイ教会の執事を紹介しているのか。
それはおそらく、このフェベ執事が手紙を届けたからでしょう。
古代ローマに郵便制度はなかったので、手紙は個人的に届けられました。

パウロはまだ行くことができないローマ教会に宛てて手紙を書き、それをフェベ執事に託しました。
この手紙はパウロにとっても重要であり、ローマの信徒たちにとっても信仰の基礎を伝える重要な手紙でした。そして新約聖書の手紙の最初に置かれ、正典としても歴史的にも重要な手紙です。
この手紙をパウロは一人の女性に託しました。それほどパウロは彼女を信用していました。
パウロが手紙を書いたのはコリントだと考えられますが、隣町のケンクレアイにいるフェベに頼んだということからも、彼女に対する信頼の厚さが見えます。
フェベ執事は貿易など商売を営んでいたのかもしれません。
だからローマまでの旅にも慣れていたことでしょう。
パウロはケンクレアイに髪を切りに行っただけですから、フェベ執事と出会ったのも旅先だったかもしれません。
またその商売であげた利益を貧しい人たちに施したり、パウロの宣教活動を援助したりしていました。
そこでパウロの代理として手紙を届ける彼女を迎え入れ、必要な援助をしてくださいとパウロは書き記します。
信頼できる信徒のリーダー
先週は神のために働くということについて話しましたが、このフェベ執事のように信頼できる信徒のリーダーの存在は重要です。
エルサレム教会でも食事の分配のことでもめたとき、ステファノやフィリポなど7人の執事を選び出しました。そして使徒たちは祈りと御言葉の奉仕に専念し、神の言葉はますます広がっていきました。
私たちの教会も、信徒の皆さんの支えが重要です。
先週は夢を見る会をしました。神を賛美し、互いに感謝を伝えあいました。
このように集められた兄弟姉妹が神様から与えられた恵みを分かち合い仕え合うことで、神の国が広げられていきます。
女性の弟子たち
エルサレム教会の執事たちは男性ばかりでしたが、フェベのような女性執事も出てきます。
女性の立場が低かった時代です。特にユダヤの文化では、女性子どもは人の数に数えられることもありませんでした。
イエス様が選んだ使徒たちも男性ばかり。
しかしマルタ・マリア姉妹やマグダラのマリアなど、女性の弟子たちがイエス様の働きを支えたことを聖書は記しています。
夫婦でパウロを助けたプリスキラとアキラ
もう1人女性のリーダーとしてプリスカが紹介されています。
私は愛称のプリスキラと呼ぶ方が好きです。夫のアキラと合わせて、アキラとプリスキラ、語呂がいいですからね。
この夫婦は以前もローマに住んでいましたが、ユダヤ人退去令でコリントに移住していました。そこでパウロに出会いました。
パウロはコリントで特定の人から援助を受けることを避け、自分で働いて生活の糧を得るという戦略を取りました。その仕事はテント造り。アキラは同業者でした。
同じユダヤ人であり仕事仲間である2人は意気投合し、パウロはアキラの家に住み込みます。
アキラとプリスキラがいつ信仰に入ったかはわかりませんが、安息日ごとに会堂で、また日ごとに自宅でパウロの語る福音を聞いたことでしょう。
ユダヤ人の反対があって異邦人宣教に専念するためにパウロは引越しますが、それからもこの夫婦とのつながりは続きました。
コリント宣教でパウロは悩み苦しみますが、そこで恐れず黙らず語り続けることができたのは、彼らの信仰の励ましがあったからかもしれません。
パウロは、この夫婦がパウロのことを命がけで守ってくれたことがあったと言っています。
アポロに福音を伝えた
パウロが第2次宣教旅行を終えるとき、プリスキラとアキラもエフェソまで一緒に行きます。
エフェソ教会にアポロという説教者が来て、イエスが旧約聖書で預言されたメシアだと大胆に語りました。
これを聞いたプリスキラとアキラは、彼の説教の弱点を見抜きました。
彼はヨハネの洗礼までは知っています。罪を悔い改めて神に立ち帰れと。
しかし重要なのはイエス・キリストの十字架の死によって罪は赦され、復活の主と共に新しい命に生かされるということです。
そこでプリスキラとアキラはアポロを招き、もっと正確に神の道を伝えました。
こうしてイエスの十字架と復活という福音を受け入れたアポロは、福音伝道者としてより力強く福音を語っていきました。
プリスキラとアキラがこのようにアポロに福音を伝えることができたのは、パウロの説教を近くで聞いていたからでしょう。
まずプリスキラという妻の名が出てくるのは、信仰の面ではプリスキラの方がリードしていたからかもしれません。
生活の場で神を礼拝する
その後プリスキラとアキラはローマに帰っていました。そして家を解放し、そこに兄弟姉妹が集まっていました。
教会エクレシアは人の集まりです。神に呼び集められた人々がいるところ、そこが教会です。
ローマ教会と言っても、ローマのどこかにサン・ピエトロ大聖堂のような教会堂があったわけではありません。いくつかの家の教会の寄せ集めです。
エルサレム教会でも、信徒たちは家ごとに集まって礼拝し、食事をし、神を賛美していました。そこで民衆全体から好意を寄せられ、救われる人々が日々加えられていきました。

皆さんの家はどうでしょう。
なかなか自宅を解放することは難しいですよね。
しかし生活の場所が教会になることを考えてみてください。
家族だけでもいいです。
夫婦で、親子で信仰を分かち合う。家族で共に賛美し、共に祈る時間を持ってみてください。
職場や学校に信仰の友がいますか。
日本でそれは難しいことかもしれません。
しかし神にできないことはありません。
生活の場で信仰の友を求めてください。そうすれば与えられます。
既にクリスチャンになっている人がいないか探してみてください。そうすれば見つかります。
そして集まる場所を求め、その門を叩いてみてください。そうすれば開かれます。
私たちは礼拝のためにこの建物に集まっていますが、この建物が私たちの教会ではありません。
私たち一人一人が、教会です。
偶然のような出来事の中にある神の招き
もう一人、ルフォスについて話をさせてください。
彼は主に結ばれ選ばれている人、そして彼の母はパウロにとっても母のような存在だということが記されています。
正確に言えるのはそれだけです。
しかし実はこのルフォスという名前、マルコによる福音書15章にも出てきます。キレネ人シモンの息子の一人です。
このルフォスと今日の本文のルフォスに何か関係があるかという、決定的な証拠はありません。
ですが聖書の様々な証拠から、マルコはペトロと一緒にローマにいて、ローマの異邦人にイエス様を紹介するために福音書を書いたと考えられます。
マルコはイエス様の働きを簡潔に紹介するために、可能な限りシンプルに福音書を書き記しました。他の聖書もそうですが、本当に無駄な記述は省かれています。
そのマルコが福音書にキレネ人シモンの息子たちの名前を記しました。
共観福音書と言われるマタイとルカもキレネ人シモンのことを紹介していますが、息子たちの名前は入れていません。彼らにとっては、不要な情報だったのです。
しかしマルコにとって、この息子たちの名前は省くことができない重要な情報だった。
それは最初の読者であるローマの信徒たちにとって重要だったからではないでしょうか。
とすれば、パウロが挨拶を送ったルフォスは、キレネ人シモンの息子と言えるのではないでしょうか。
十字架を担がされたキレネ人シモン

彼らはアフリカのキレネに住んでいたユダヤ人。過越祭を祝うためにたまたまエルサレムに来ていました。
するとゴルゴタの丘へ向かう3人の死刑囚の列に出くわした。
十字架を担いで歩く死刑囚の一人が、倒れ伏した。これでは十字架につける前にくたばってしまう。ローマ兵は道端にいた群衆の一人をつかまえ、十字架を無理やり担がせました。それがキレネ人シモン。
災難です。何もしていないのに死刑囚のように扱われてしまいました。
その後のシモンのことは聖書に書かれていません。
しかしシモンは、自分が背負わされた十字架の重みが、本当は自分が負うべき罪の重みだったと気付いたかもしれません。
そして自分のために十字架で死なれたイエス様を救い主と信じたのではないでしょうか。
そしてその信仰が息子たちにも受け継がれた。
私たちは神に呼び集められた福音の同労者
私たちが救われる背景は様々です。
ある人は自分の意思に反して教会に連れて来られた人もいるかもしれない。
国際交流のイベントだと聞いて行ったら、そこが教会だったという人もいます。
私がそうです。
最初は「だまされた!」と思いました。
しかしそこで私は聖書に出会ったのです。
偶然のように思える出来事、不運のように思える出来事を通しても、神様は私たちをご自身のもとに招きます。
私たちは偶然ここにいるのではありません。
神が私たちをここに呼び集めました。
この時代に、この場所で、神様が私たちを通して成し遂げたいことがあります。
今日の本文には出自、年齢、性別の違う様々な人が出てきます。
パウロはまだローマに行ったことがないのに、友だちが既にたくさんいました。
彼らは神が出会わせてくださった福音の同労者たち。
私たちもあらゆる違いを超えて、福音の同労者とされています。
兄弟姉妹と共に主を見上げ、力を合わせて福音を伝えていこう。