棕櫚の主日

信頼ではなく信仰

ヨハネによる福音書 12:1-8

1 過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。2 イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。3 そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。4 弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。5 「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」6 彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。7 イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。8 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」

社会を変革してきたキリストの福音

 明日からNHKの連続テレビ小説「風、薫る」が放送されます。
 モデルは大関和(ちか)さん。日本で最初に近代教育を受講して看護師の資格を取った人の一人です。
 彼女は植村正久牧師から洗礼を受けたクリスチャンでもあります。
 当時看護婦というのはいやしい仕事と見られていました。
 しかし植村正久牧師から「病人を真心をもて親切に看護し、天父(てんぷ)の慈愛を顕(あらわ)すは之(これ)に勝る伝道なし」(病人を真心をもって親切に看護して天の父の愛を表すことは最高の伝道だ)と勧められ、看護学校に進みます。
 その後も隣人愛などの聖書の教えは彼女の活動に少なからず影響を与えたと思われます。

 聖書の教え、キリストの福音は歴史上の多くの人々に影響を与え、社会を変革する原動力になってきました。日本でも教育、医療、福祉、介護など様々な分野で影響を与えてきました。また科学の発展、絵画や音楽などにも影響を与えています。
 やはり聖書の教えは素晴らしい。イエス・キリストは信頼に足る偉人だ。そう思って聖書を学ぶ人、キリスト教系の学校などに子どもを通わせる方は多くいます。
 しかしこの信頼という姿勢は危険です。

キリストへの信頼

ナルドの香油

 今日の本文はナルドの香油の場面。
 ヨハネは過越祭の6日前と記しています。過越祭が金曜日の日没から土曜日の夕方までだとすると、6日前は土曜日の日没から日曜日の夕方まで。夕食が用意されたということですから土曜日の夜でしょう。
 イエス様はエルサレムから近いべタニア村にいました。ここにはマルタ、マリア、ラザロのきょうだいがいます。
 マルタはやはり給仕。この日も忙しく働いていますが、何も文句はありません。心からの喜びをもって仕えています。
 ラザロはイエス様と一緒に食事の席に着いています。数日前まで彼は死んでいましたが、「ラザロ、出て来なさい」というイエス様の声で墓から出て来ました。
 この素晴らしい奇跡について知りたいと、人々はイエス様とラザロに注目していたことでしょう。
 このような時、いつもならマリアがイエス様の足もとで話しを聞いています。
 ところがこの日マリアの姿が見当たりません。
 マルタ姉さんの手伝いをしているわけでもありません。どこで油を売っているのか。
 と思っているとマリアが油の壺を持って来ました。
 この壺にはナルドの香油という貴重な香油が入っています。
 イエス様の足もとに来たマリアはその壺の首を折り、中の香油をドバドバとイエス様の足に注ぎました。そして自分の髪でその足をぬぐいます。家は香油の香りでいっぱいになりました。

無駄遣い

 そこに居合わせた人々は驚きました。香油をこういう風に使う人はいません。少しつければ十分です。こんなにドバドバ塗ったらもったいないし、数日間匂いが取れなくなります。無駄遣いです。
 弟子の一人イスカリオテのユダはこう言いました。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
 彼の見立てでは、このナルドの香油は売れば300デナリオンになります。1デナリオンが1日分の給料ですから、300デナリオンともなれば年収に匹敵する金額です。日本人の年収の中央値は2024年のデータで約360万円。だいたいそれくらいだと思ってください。
 1リトラは300gちょっと。小さいペットボトルくらいです。それで360万円ですから、ものすごく貴重なものだとわかりますね。
 それを1回で使い切るなんてもったいない。今のSDGsの時代にはあり得ない。
 ユダの言う通り、売って貧しい人々のために施せばどれだけ多くの人を助けられたのか。また5,000人以上の人にパンと魚を用意できますよ。

貧しい人々を心にかけるイエス様

 イエス様は羊とヤギのたとえを話しました。
 羊飼いが羊とヤギを分けるように、イエス様はすべての民を裁く。その時、神の国を受け継ぐのは飢えている人に食べさせ、渇いている人に飲ませ、旅人に部屋を貸し、着る物のない人に服を与え、病気の人を見舞い、社会からはみ出した人に手を差し伸べる人だと言います。
 「最も小さい者の一人にしたことは、わたしに対してしたことだ」と。
 これはエルサレムに入ってから話したことなので時系列としては後ですが、貧しい人たちに対するイエス様の配慮を弟子たちはこの3年間見てきたはずです。
 だからユダがこう言うのもうなずけます。

ユダの信頼

 しかしヨハネは、そのユダの思いが別のところにあったことを記しています。
 彼は貧しい人たちへの配慮でこう言っているのではありません。
 360万円の現金が手に入れば、そのうちのいくらかをポケットに入れてもバレないだろうと思っているのです。
 そして彼はこの後イエス様を裏切り、銀貨30枚で売る約束をしてしまいます。

 3年半イエス様と行動を共にして、ユダは何を学んできたのか。
 ユダは裏切った後で「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と後悔を口にしています。ユダはイエス様が正しいお方であると知っていました。
 そこにあったのは信頼です。
 信頼というのは、相手が自分の期待に応えてくれると信じることです。そこには根拠が伴います。
 ユダはイエス様の3年半を見て、この方が正しい人だと信じました。
 そしてエルサレムに近づきながら、この方こそ救い主メシアだと信じました。
 きっと力強くローマの支配からイスラエルを解放してくれる。そして自分たちは大臣になり、イスラエルを治めるんだ。今まで金の管理をしてきた自分は財務大臣か。そのような期待を持っていたことでしょう。

信頼していた相手を捨てる

 信頼というのは人間関係を築く上でとても大切なものです。しかし注意が必要です。
 信頼の根っこには、自分の期待があります。相手はこうしてくれるだろう。相手はこういう人物だ。
 その期待通りにならない時、裏切られたような気持になります。

 たとえばある男性がある女性に一方的に好意を持っているとします。それでプレゼントを贈る。
 女性はまったくそんな気はないんだけど、プレゼントはうれしいですね。
 喜んでもらったのを見て男の期待はふくらむ。もしかして彼女も自分に気があるんじゃないか。それでLINEや電話でアプローチする。
 女性も最初は相手をするけど、段々面倒になってくる。
 その男としては、相手も自分が好きだと期待しているわけです。しかし期待に反して、LINEは既読スルー。
 裏切られたと思って、相手が嫌がるほどの連絡を入れたり待ち伏せしたりする。ストーカーの誕生です。
 極端な例ですが、自分の期待通りにならない時、人は信頼していた相手を傷つけ、捨て、殺します。

 ユダは、貧しい人への配慮を口にすればイエス様も同調してくれると期待しています。
 ところがイエス様は「この人のするままにさせておきなさい。」と言います。なんと無駄遣いしたマリアの肩を持つのです。
 結果的にユダはイエス様を裏切りますが、彼の中ではイエス様が自分を裏切ったと思っていたかもしれません。

自分の活動のためにキリストを利用する

 私たちはイエス様を信頼の目で見ていませんか。
 道徳的に良い教えを学べば十分だと思っていませんか。
 十字架の死や復活はどうでもいい。弱い立場の人たちの味方をしたその生き方を模範とするのだ。
 そして自分たちの活動を裏付けるために聖書の言葉を利用します。

 沖縄県名護市の辺野古に普天間飛行場の移設のための工事が進められています。
 沖縄県には日本のアメリカ軍基地の多くが集約しています。それに関わる事故や事件が度々起きてきました。
 それで基地を移そうということになったのですが、同じ沖縄本島内でサンゴ礁の海を埋め立てるということで反対運動が続いてきました。
 その活動にキリスト教会の牧師も関わってきました。
 そこにはやはり「最も小さい者の一人にしたことは、わたしに対してしたことだ」というイエス様の教えがあったと思います。
 このような活動は尊いことです。
 ところがその活動に高校生たちを巻き込み、死亡事故を起こしてしまいました。
 どこかでキリストの福音に従うよりも、自分たちの政治的主張を押し通すために聖書を利用する部分があったのではないかと思います。

 私たちはイエス様を信頼の目で見るとき、キリストの福音から外れ、イエス様が悲しむ道へと進んでいきます。

キリストへの信仰

イエスは主であるという一点にすべてを賭ける

 私たちに求められるのは信頼ではなく信仰です。
 イエス様はマリアのしたことを擁護し、「わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。」と言います。
 香油は遺体の匂い消しにも使われます。これからイエス様は十字架に向かう。この6日後、イエス様は殺され、墓に葬られます。ドバドバ塗られた香油の香りは、その墓の中まで満たしたかもしれません。
 マリアはそこまで考えていなかったと思います。
 ただイエス様への愛の表現として、持てる最大の愛をささげました。
 ここにマリアの信仰があります。
 信仰とは、根拠を越えた絶対的信頼です。
 自分の期待通りかどうかなんて関係ない。ただ信じる。
 イエスは主であるという一点にすべてを賭けるのです。

キリストの十字架の死と復活を信じる

 この信仰にはキリストの十字架の死と復活が欠かせません。
 ただの偉人に対して信仰を持つことはできません。相手も人間だから。
 信仰は自分を超越した存在に対してしか持てないのです。
 イエス・キリストは聖書に書いてある通り私たちの罪のために死なれ、復活された。
 そして天に上げられ、今も生きておられる。
 私たちはこの福音を信じています。

信仰者によって世界は変わる

 イエス様は貧しい人たちへの配慮を忘れてはいません。貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいると言います。
 私たちはその小さな者の一人に愛の手を差し伸べるように求められています。
 神の国の福音は壊れたこの世界を修復する力があります。
 福音は分断と敵対が進む人間社会に和解と一致をもたらすと信じます。
 そのように社会を変革する力が信仰にあります。
 イエス・キリストが私たちの罪のために死なれ復活されたので、罪によって壊れた世界は修復され、神と人との間に和解がもたらされるのです。
 イエスを主と信じる信仰によって、この世界は変えられていきます。


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