創世記2

神が造られた世界

創世記 1:3-13

3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。4 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。6 神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」7 神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。8 神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。9 神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。10 神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。11 神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。12 地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。13 夕べがあり、朝があった。第三の日である。

ハビタブルゾーン

 ハビタブルゾーンという概念があります。日本語では生存可能圏などと訳されます。宇宙空間の中で生物が存在できるであろう領域のことです。
 地球上の生命もそうですが、水が重要な役割を果たすと考えられます。ですから水が液体で存在できるような、硬い岩石タイプの惑星や衛星。大気を留めておくのに十分な質量。そして恒星から近すぎず、遠すぎないなどの条件があります。
 太陽系の中では地球が当てはまります。
 銀河系の中には他にもハビタブルゾーンに収まる星が見つかっているので、もしかすると生命がいるかもしれないし、将来的に地球人が移住できる星が見つかるかもしれません。
 しかしこの青い惑星地球は、やはり特殊な星です。
 この星には植物があり、栄養豊富な土がある。植物の光合成で生み出された酸素があります。
 地球の生命はこれらを活用し、複雑で大きな体を維持することができます。
 そして人間が生活をし文明を築くのに十分な資源があります。
 地球というのは私たち人間を含む動植物が生きるのに本当にちょうど良いです。

 地球がこういう環境だから自然選択によって地球の生命が存在しているのだと考えることができます。
 逆に、人間を含む生命が存在できるように、地球や太陽といったこの環境が備えられたと考えることもできるのではないでしょうか。

神の言葉で創造された世界

光あれ

 聖書によると、初めに神が天地を創造される前、世界は形なく空しい状態でした。無秩序で無意味な世界です。
 そこに神の言葉が響きます。
 「光あれ」
 この時神は何語で話したと思いますが?
 そもそも何もない宇宙空間に音が伝わりますか?
 そういう疑問を持つことは大事ですが、聖書が私たちに伝えたいメッセージから離れてしまいますので、今は気にしないでください。
 大事なのはこの世界が神の言葉によって造られたことです。
 混沌として無秩序だった世界に神が「光あれ」と命じる。すると光が生まれました。
 そして光と闇は区別され、光は昼、闇は夜と呼ばれました。空しい闇さえも神の言葉によって夜という役割が与えられています。
 こうして夕べがあり、朝が来ました。これが創造の一日目になります。
 この世界に秩序と意味が与えられたことがわかります。

神の言葉は世界を造り支えている

 この後も神が命じると、そのようになります。
 これは天地創造の時だけでなく、聖書全体を通して言えることです。神の言葉は現実になります。
 神の言葉は天地万物を創造し今も支えています。

 そして言葉が意味する内容ではなく、言葉そのものが現実になりました。
 肉となって私たちの間に宿られた神の言葉。それは御子イエス・キリストです。

天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。

コロサイの信徒への手紙1:16

 神の言葉で造られた世界が神の言葉に従うのは当然のことです。
 神の言葉であるイエス・キリストにも当然従います。嵐を静め、いちじくの木を枯らすこともできます。

暗闇の世界に光を灯す

 私たちは自分の置かれた環境や状況に不満を抱くことがあります。
 なぜ私はこのような家庭に生まれてしまったのだろうか。
 なぜこんな仕事をしなければならないのか。
 浜松は本当に遊ぶところがないな。
 問題点に気づくことは大事です。
 しかし不平不満を言うだけなら、何も変わりません。空しい思いに心が支配されます。

 この世界を造り支えておられる神様に祈ってみてください。
 神の言葉で造られたこの世界は神の言葉に従います。
 信じるなら海の中に道ができ、山も動きます。

 しかし変わるべきはこの環境ではなく、自分の方かもしれません。
 マザー・テレサは「暗いと不平を言うよりも、あなたが進んで明かりをつけなさい。」と言いました。
 暗闇の世界に神は光を創造しました。
 暗い世に光を輝かせるためにイエス・キリストが来ました。
 そして今私たちは世の光とされています。
 神が私たちをそれぞれの家庭に生まれさせ、それぞれの役割を任せ、この街に住まわせたのは、神の最善の計画の内です。
 イエス・キリストを信じて世の光とされた私たちを通して、そこに光が輝きます。

人が生きるための場を準備された神

 創造の二日目に神は「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」と言いました。すると大空ができ、その上と下に水が分けられました。そして大空を天と呼びます。
 ここで天は硬いドームのようなイメージで描かれています。
 神が天の窓を開くと、大雨が降ってくるというわけです。

 三日目に神は「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」と言いました。
 水が集まったところが海。乾いたところが陸、地です。
 さらに神は地上に草や木を生えさせました。

まず空間を造った神の配慮

 ここまで神は光を見て良しと言い、海と陸を見て良しと言い、植物を生やして良しと言いました。順調です。
 でもちょっと寂しいですね。空間だけ造って、そこに動くものはまだ何もありません。
 太陽も月も星もなく、魚も鳥も地上の動物もいません。
 私はここに愛の神の配慮を感じます。

 もし皆さんの家に急に赤ちゃんが来たらどうですか。
 うれしいですね。
 しかし戸惑いますよね。赤ちゃんをお迎えするのにふさわしい環境ではないからです。
 ベビーベッド、おむつ、服、ミルク、おしりふき等々を準備しなければなりません。
 掃除をして、赤ちゃんの危険になりそうなものを処分します。
 こうしてまずは環境を整えて、赤ちゃんをお迎えします。

 神はまず環境を整えました。
 それはこの後で創造する動く者たちに場を備えるためです。
 特に生き物たちにとってちょうど良い場を用意されました。

 この世界を見渡してみてください。
 空を見上げて移りゆく雲を眺める。
 海辺で寄せては引いていく波を眺める。
 森の中や草原で深く息を吸い、小川の流れに耳を傾ける。
 なんと美しい世界でしょう。見えない神の神性が被造物の中に表されています。
 創造主なる神をたたえずにはいられません。

イエスは永遠に生きるための場所も用意してくださる

 ところが神様は、赤ちゃんが来るのにまったくふさわしくないところに赤ちゃんを生まれさせたことがあります。
 それはベツレヘムの飼葉桶。
 身ごもった時マリアとヨセフはまだ結婚していませんでした。赤ちゃんを迎える準備など何もできていませんでした。
 生き物にふさわしい環境を創造された神は、なぜ御子イエスをこのような環境に生まれさせたのでしょう。
 それはイエス・キリストがこの地上で生きるためではなく、死ぬために来たからです。
 イエス・キリストが十字架で死んで葬られ、復活し、その福音が世界中に知らされる。そのためにはちょうど良い時と環境が備えられていました。
 イエス様は私たちがこの地上で生きるためだけではなく、天で永遠に生きるための準備も整えてくださっています。
 すべて愛の神の配慮の内に整えられています。

神が新しい一日を造る

 創造の三日目までを見ました。
 ここでの一日は、私たちの感覚で言う一日と同じでしょうか。
 私たちの一日というのは、太陽が昇って沈んでまた昇ってくるまでの長さ24時間が基準です。
 三日目までは太陽がまだありませんから、同じように一日を定義することはできません。
 地球の自転の速さを基準にすれば同じように定義することはできるかもしれませんが、自転については何も語られていないのでわかりません。

夕べがあり朝があった

 まあ、一日の長さはどうでもいいことです。
 聖書で一日は「夕べがあり、朝があった」と描かれています。
 まず夕方があります。何も活動できない夜がある。
 そして光が表れ朝が来る。このような世界観です。

夜は神を信頼し休め

 今は電気の力で夜も活動できます。それでも多くの人にとって夜は寝る時間ですね。
 夜寝るとき、私たちは活動を止め、悩むことを止め、一旦すべてを手放します。
 寝るというのも信仰の行為です。
 自分でやらなきゃ、どうにかしなきゃと思い煩っていると、夜眠れません。寝たとしても、焦って朝早く起きて活動を始めます。明日のことまで思い煩っていると、十分に寝られないのです。
 その日の苦労はその日で十分です。明日のことは神に委ねてください。
 神が新しい一日を造られます。愛の神の配慮の中で、新しい朝が来るのです。

1 【都に上る歌。ソロモンの詩。】主御自身が建ててくださるのでなければ/家を建てる人の労苦はむなしい。主御自身が守ってくださるのでなければ/町を守る人が目覚めているのもむなしい。2 朝早く起き、夜おそく休み/焦慮してパンを食べる人よ/それは、むなしいことではないか/主は愛する者に眠りをお与えになるのだから。

詩編127:1-2

 今日という日、そして私たちの前に広がるこの世界は神が造られました。
 特に日曜日の朝はイエス・キリストの復活を覚える時。
 あらゆる神の言葉はイエス・キリストにおいて現実になりました。
 このお方を信頼してこの世へと遣わされていきます。
 そこに自分を置いてくださった神の愛を感じてください。
 その時、私たちを通して神が造られたこの世界に神の栄光が光り輝きます。


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