十戒5
【第三戒】 神の名の呼び方
出エジプト記 20:7
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
名前は大事
宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」。
主人公の千尋たち家族は神様の世界に迷い込んでしまいます。
千尋はブタにされてしまった両親を助け元の世界に帰るために、お風呂屋で働くことになります。
そこには湯婆婆という魔女がいました。湯婆婆は契約書に書かれた千尋の名前を見てこう言います。
「千尋というのかい?」
「はい。」
「ぜいたくな名だね。今からお前の名前は千だ。いいかい、千だよ。わかったら返事をするんだ。」
このように湯婆婆は相手の名前を奪い、支配する力を持っていたのです。
名前は大事です。
私たちはそれぞれ名前を与えられています。
名前によって、他の誰とも違う自分という存在を認識します。
そして相手の名前を知ることで、関係を深めていきます。
今日は第三戒「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。」です。
神様の名前を正しく用い、神様との関係を深めることが求められています。
神様の名前
名前によって他と区別された存在になる
名前は大事です。名前が付けられることで、他のものとは区別された存在になります。
虹の絵を描くとき、日本では7色で描かれることが多いです。しかし他の国では6色や5色で描かれることがあります。
実際の虹は、はっきり何色と分けることができません。それぞれの文化で色をどう区別しているかによって、虹の見え方も変わってきます。
日本人が虹を見たときに7色に見えるのは、日本語で色を表す名前が多いことも影響しているでしょう。
白って200色あんねん。
余談ですが、全国に指名手配されていた桐島聡容疑者が見つかったというニュースがありました。
約49年間逃亡生活を続けていました。
末期がんで入院している男性が桐島聡だと名乗り、「最期は本名で迎えたい」と話したとのことです。
もし本人だとしたら、49年もウソの名前で生きてきて、ようやく本当の名前を明かすことができた。
名前の大切さを考えさせられるニュースでした。
神が人にご自身の名前を知らせた
ところで、神様に名前は必要でしょうか。
たくさんの神々がいるなら、アマテラスとかゼウスとかニギハヤミコハクヌシとか名前があった方がいいでしょう。
しかし神は唯一です。区別する必要などありません。
ところがその神様がご自身の名前を人間に知らせました。
神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」
出エジプト記3:14
「わたしはある」ヘブライ語では「ヤハウェ」という言葉だったと考えられています。これが神様の名前です。
名前を知るところから関係が始まる
神様はなぜ人に名前を知らせたのでしょう。
名前には区別することの他に、関係を築くという役割もあります。
皆さんはお互いの名前を知っていますか。名前も知らないで仲良くなることはできませんね。
また余談ですが、私が大学でお世話になった先生がよく言っていました。「数学と友だちになりなさい」と。
数学をやっていると新しい概念や新しい定理に出会います。
最初は得体の知れない存在に思えます。
そこでまず名前を覚えてあげる。そうか、君の名前はイプシロンデルタ論法と言うんだね。
すると次に出会ったときに、やあイプシロンデルタじゃないか。また会ったね。となる。
これを繰り返すと、行くぞイプシロンデルタ!キミにきめた!
共に戦う戦友、あるいは困ったときに助けてくれる友になるというわけです。
名前を知るところから関係が始まります。
神は人に名前を呼んでほしい
神様も人に名前を知らせ、その名を呼ばれることを求めています。
それは私たちと親密な関係を築きたいからではないでしょうか。
神様はその名を呼ぶ者に特別な約束をしています。
2 主はこう言われる。創造者、主、すべてを形づくり、確かにされる方。その御名は主。3 「わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる。
エレミヤ書33:2-3
そして主の御名を呼ぶ者は皆、救われるのです。
間違った神の名の呼び方
ところが第三戒は、主の名をみだりに唱えるなと言います。
名前を呼んでほしいのかい。呼んでほしくないのかい。どっちなんだい!
これは神様の名前の間違った呼び方があるということです。
神を利用しようとする
湯婆婆は名前を奪うことで相手を支配しました。
西遊記の金角銀角も、名前を呼ばれて返事した者をひょうたんに閉じ込めました。
名前を呼ぶことで相手を支配できるという考えがあります。
エデンの園でアダムが生き物に名前をつけたのも、そういう意図があったのかもしれません。
使徒言行録ではエフェソの祈祷師たちが「パウロが宣べ伝えているイエスによって」悪霊に命令しようとしました。
このように神様の名前を自分の利益のために使う人もいます。
軽々しく使う
名前をバカにされたことがある人はいますか?すごく嫌な気分になりますね。
私たちは神様の名前を軽々しく使ってしまうことがあります。
英語圏の映画で若者が「JESUS!!」と吐き捨てるように言うことがあります。良くない使い方です。
日本では何にでも神を付けます。
スポーツの神、マンガの神、トイレの神。神業とか神回とか、軽々しく神という言葉を使ってしまっています。
神の名の権威を借りる
権威がある人の名前を利用することもあります。
自分の言葉で語るより、「かつてキング牧師がこう言った」と言った方が説得力がある感じがします。
「天地神明に誓って、私はやっていません!」
「神はこう言われた!」
このように自分の主張を正しく感じさせるために神様の名前を利用してしまうことがあります。
このような間違った神様の名前の呼び方があります。
神様との関係を深める
主への畏れを持って神の名を呼ぶ
第三戒は「みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。」と警告します。
どのような呼び方が正しく、どのような呼び方が間違っているのか、人には区別が難しいことがあります。
しかし主はその心を見抜きます。主は罰せずにはおきません。
だから神様への畏れをもって、神様の名前を呼ばなければなりません。
恐れすぎて神の名がわからなくなった
ユダヤ人はこれを過度に恐れました。
軽々しく神様の名前を口にしてはいけない。だから聖書を読むとき、自分は神様の名前を口にするのにふさわしいだろうか悩みます。
それでヤハウェを表す単語が出たらそのまま読むのではなく、主という意味のアドナイと読み替えていました。
これがずっと続いたので、とうとう神様の名前の正しい発音がわからなくなってしまいました。
神様の名前はヤハウェかもしれないし、エホバかもしれません。それとは全然違う発音かもしれません。
これでは神様の名前を正しく呼ぶことができないではありませんか。
神を親しく呼んだイエス様
そんなユダヤ人にとって、イエス様の発言は衝撃でした。
イエス様は神様のことを父と呼びました。
そして「私と父とは一つである」とまで言ったのです。
祈りの中で「アバ(お父ちゃん)」とも呼んでいます。
神様のことをお父ちゃんとなれなれしく呼ぶなんて、あり得ないことでした。それでユダヤ人はイエス様が神様を冒涜していると考え、十字架で殺します。
しかし実際にイエス様は神の子であり、三位一体の神です。何も問題ありません。
聖霊によってアッバ父よと呼ぶ
神様は人と親しい関係を築くことを願い、ご自身の名前を知らせたのではないかと言いました。
親しい関係を築くとき、名前を呼ぶことばかりがその方法ではありません。
たとえば親と仲良くしようと思ったとき、名前を呼びますか?「としおさん、まさこさん」と。いや、そこは「父さん、母さん」あるいは「じいじ、ばあば」でいいですよ。
神様と親しい関係を築くときも、名前を呼ぶだけでなく、主とか父なる神様とか他の呼び方もできます。
神の子とされた私たちも、聖霊によって神様を「アッバ、父よ」と親しく呼ぶことができます。
あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。
ローマの信徒への手紙8:15
名前、称号、性質、御言葉、御業を用いて関係を深める
神様というとどのような言葉が思い浮かびますか。
イエスという名前、キリストや主という称号、愛や正義という性質、創造、摂理、十字架、復活などの御業。
色々な言葉が思い浮かびますね。それは神様との親しい関係が始まっている証拠です。
なかなか思い浮かばないとしたら、なお深くイエス様のことを知ることを求めてください。
神様の御名、称号、性質、御言葉や御業、これらのものを正しく用いながら、神様との親しい関係を深めていきましょう。
私たちの名を呼ぶ神様は、私たちからその名を呼ばれ、互いに関係を深めることを願っています。
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