イースター礼拝

鍵を開けよ

ヨハネによる福音書 20:19-23

19 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。20 そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。21 イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」22 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。23 だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

扉を開くキーワード

マックスフィールド・パリッシュ『アリババ』

 昔々、ペルシアの国(今のイラン)にアリババという男がいました。
 彼が山で薪を集めていると、40人の盗賊たちが洞穴の中に宝物を隠そうとしているのを見つけました。
 洞穴の入口には大きな岩が置かれています。盗賊のボスが「開けゴマ」と言うと、岩の扉が開きました。盗賊たちが洞穴に入ると、岩の扉は閉まりました。
 しばらく待っているとまた岩の扉が開き、盗賊たちが出て来ました。そして岩の扉は閉まります。
 盗賊たちが立ち去った後、アリババも「開けゴマ」とキーワードを唱えます。すると岩の扉が開きました。
 アリババは洞穴の中から金貨の袋を持ち帰り、大金持ちになりました。

 今はイラン情勢を巡って世界で混乱が続いています。ペルシア湾は閉ざされ、原油を積んだタンカーが足止めされています。
 今後燃料費が上がり、様々な物の値段が上がり、食費も上がっていくことでしょう。
 この状況を打ち破り平和への扉が開かれてほしいです。
 その鍵は断じて暴力ではありません。ゴマもたぶん違います。

キリストに心を開く

 今日はイースター礼拝。
 イエス・キリストは金曜日に十字架につけられて死に、墓に葬られました。墓の入口には大きな岩が置かれました。
 それから3日目、日曜日の朝。マグダラのマリアたちが墓に香料を塗りに行くと、岩の扉が開けられています。アリババの仕業ではありません。
 彼女たちは弟子たちのところに行って知らせました。ペトロとヨハネが走って来て、墓が空になっていることを確かめます。
 彼らが帰った後、マグダラのマリアは復活のイエス様に出会いました。
 彼女は弟子たちにイエス様の復活を伝えます。しかし復活など到底信じられる話ではありません。

恐れて鍵をかけ閉じこもる

 弟子たちはこのとき、エルサレムに滞在しています。最後の晩餐をした2階に広間のある家でしょうか。
 これからどうしよう。イエス様は死んでしまった。
 ガリラヤに帰ろうか。エマオ村に帰っていった弟子たちもいる。
 しかし今は危険だ。外に出れば見つかる。
 そしてイエスの弟子だとわかれば、どんな目にあうかわからない。
 ペトロは既に3回も「あんな男は知らない」と否認しています。
 それで弟子たちはユダヤ人を恐れ、家の戸に鍵をかけて閉じこもっていました。外からは誰も入ることができません。

あなたがたに平和があるように

 ところが弟子たちがいる部屋にイエス様が来て、真ん中に立ちました。
 一体どこから入って来たのでしょう。鍵をかけているので、外からは入って来られない。では誰かが変装しているのか。
 イエス様は「あなたがたに平和があるように」と言われます。
 聞き覚えのあるこの声、間違いなくイエス様です。
 そしてイエス様は手とわき腹を見せました。
 その手には釘の跡があります。十字架につけられたときの傷跡です。
 わき腹には槍の跡があります。ローマの兵士が刺したものです。伝承ではロンギヌスという兵士とされています。彼はイエス様の死を確認するために槍で刺しました。下の方から心臓めがけて一突き。するとわき腹に刺さりますね。
 処刑のプロである彼らが確認したので、イエス様は確かに死にました。墓にも葬られました。
 しかし今、イエス様は生きている。弟子たちの目の前にいる。
 弟子たちの心は喜びに満ちあふれました。

完全な愛は恐れを締め出す

 私たちは恐れを抱くとき、自分を守るために鍵をかけます。
 泥棒に入られないように家の戸に鍵をかけ、金庫にも鍵をかける。
 自分の心を守るために、心の扉に鍵をかけることもあります。
 鍵をかけることは、大切なものを守るために必要なことです。

 しかし必要以上に恐れを抱くとき、私たちは扉の内側にこもって何もできなくなります。
 周りの人が泥棒のように思えて、人と関わることができなくなります。

 そんな私たちの心にイエス様が来てくださいます。
 「あなたがたに平和があるように」と私たちのために祈っているイエス様の声を聞いてください。
 私たちを、命をかけて愛する羊飼いの声を聞くのです。
 イエス・キリストの十字架で示された神の愛を受け取ってください。
 その手とわき腹の傷跡が愛のしるしです。
 神の愛を知るとき、私たちは恐れから解放されます。

愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。

ヨハネの手紙一4:18

 閉ざされた扉の鍵を開け、イエス様を心に迎え入れてください。

外に出て他者と関係を築く

 イエス様は続けて言いました。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」
 遣わすということは、ここから出て行くということですね。恐れず、鍵を開けて一歩外へ進み出る。
 また遣わすということは、役割があるということです。外に出て、イエス様から任された役割を果たすのです。
 その役割というのは、イエス様が遣わされた役割に似たものです。

キリストの受肉

 イエス様はどのように遣わされてきたのでしょうか。

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

ヨハネによる福音書1:14

 言はイエス様。神であるイエス様が人間になって私たちの間に住んでくださいました。
 そして神様がどのようなお方か、神の愛をその生涯を通して示してくださいました。

人間関係の中へ遣わされている

 私たちもそのように遣わされているとすれば、私たちもまた人々の間で生活し、神の愛を示していくことが求められていると言えます。
 私たちは様々な人間関係の中で生きていますね。家庭があり、職場があり、学校があり、友だちがいて、近所の人がいる。
 そこに、イエス様から遣わされているのです。
 そこで神の愛を実践することが求められています。
 私たちは他者と共に生きることが求められているのです。

互いに助け合う

 私も教会に留まっていないで外に出ないといけないですね。
 外を歩いていたら政治家さんのポスターが貼ってありました。「日本列島を強く豊かに!」力強くていいですね。
 あるポスターに「依存より国力!」とありました。
 資源に乏しい日本は海外からの輸入に頼らざるを得ません。しかし海外に依存していると、何かあったときに困ります。だから国力を上げて、強く豊かな国にしようと。
 ある程度はいいと思いますが、私は互いに依存しあう関係がいいと思います。
 強く豊かな人は、自分だけで生きていけると高ぶりがちです。そして弱く貧しい人を踏みにじります。
 一人では生きていけない弱さがあるからこそ、互いに平和に生きようとするわけです。
 国と国との関係も、互いに助け合い弱さを補っていくことが平和を維持する上で大切だと思います。
 鍵を開けて外に出て行き、他者との関係を築いていきましょう。

天国の鍵を開く

聖霊を受けなさい

 しかし弟子たちはすぐ外に出て行ったのではありません。しばらくエルサレムに留まります。
 それは聖霊を受ける必要があったからです。
 イエス様は弟子たちに息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい」と言います。
 人が神の息吹で生きるものになったように、私たちは聖霊の力によって本当に生きるものになります。
 神に造られた者として、本当の自分を生きることができます。

他者と共に生きるところに神の国が現れる

 聖霊を受けた弟子たちにイエス様が求めたのは、罪を赦すこと。
 これが教会に求められていることです。

わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

マタイによる福音書16:19

 教会には天国の門を開く鍵があります。神の国をこの地に解き放つのです。

 神の国とは、神様が治めるところ。そこは他者と共に生きるところです。

 神と人というのは、完全に別の存在です。聖い神と罪ある人間の間には深い断絶があります。
 神と人は完全な他者であるのに、神が人になって人の間に住みました。
 先ほど他者との関係を築くという話をしました。
 その他者というのは身近な人だけではなく、自分と違う存在も含まれます。
 そのような自分と異なる他者と共に生きるところに、神の国が現れます。

 私たちは自分と違う人、よく知らない人に恐れを抱きます。自分たちの平和を脅かす敵のように思えるかもしれません。実際に誰かから被害を受けることもある。
 その敵のように思える人を赦し、その人の祝福を祈ってください。
 愛を実践するとき、その相手はもはや敵ではなくなります。愛によって敵は滅び去るのです。
 私たちが他者と共に生きる時、平和が実現していきます。
 平和への扉を開くキーワードがあるとすれば、それは「愛」でしょう。

カテゴリー: BlogEaster主日説教

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