Blog主日説教使徒言行録講解

アンティオキアの信徒への手紙

使徒言行録講解46

アンティオキアの信徒への手紙

使徒言行録15:22-35

22 そこで、使徒たちと長老たちは、教会全体と共に、自分たちの中から人を選んで、パウロやバルナバと一緒にアンティオキアに派遣することを決定した。選ばれたのは、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスで、兄弟たちの中で指導的な立場にいた人たちである。23 使徒たちは、次の手紙を彼らに託した。「使徒と長老たちが兄弟として、アンティオキアとシリア州とキリキア州に住む、異邦人の兄弟たちに挨拶いたします。24 聞くところによると、わたしたちのうちのある者がそちらへ行き、わたしたちから何の指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ動揺させたとのことです。25 それで、人を選び、わたしたちの愛するバルナバとパウロとに同行させて、そちらに派遣することを、わたしたちは満場一致で決定しました。26 このバルナバとパウロは、わたしたちの主イエス・キリストの名のために身を献げている人たちです。27 それで、ユダとシラスを選んで派遣しますが、彼らは同じことを口頭でも説明するでしょう。28 聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。29 すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります。」30 さて、彼ら一同は見送りを受けて出発し、アンティオキアに到着すると、信者全体を集めて手紙を手渡した。31 彼らはそれを読み、励ましに満ちた決定を知って喜んだ。32 ユダとシラスは預言する者でもあったので、いろいろと話をして兄弟たちを励まし力づけ、33 しばらくここに滞在した後、兄弟たちから送別の挨拶を受けて見送られ、自分たちを派遣した人々のところへ帰って行った。35 しかし、パウロとバルナバはアンティオキアにとどまって教え、他の多くの人と一緒に主の言葉の福音を告げ知らせた。

命をつなぐ1本の電話

 先週の水曜日、千葉県松戸市の市役所で、包丁を持っていた男性が逮捕されました。
 彼は特別定額給付金担当室を訪れ、このように言いました。「3、4日ご飯を食べていないので今すぐ10万円が欲しい」
 それに対し職員は、「順番に支払っている。今すぐお渡しはできない」と答えました。そして生活保護制度を案内しました。マニュアル通りの正しい対応でしょう。
 すると男性は「生活保護は受けている。今すぐお金がもらえないならここで死んでやる」と叫び包丁を取り出したそうです。
 3、4日ご飯を食べていないというのは大変なことです。生活保護を受けていても、生活は苦しいです。
 このように生きるか、死ぬか、という瀬戸際に追い詰められている人たちがいます。

 国内のコロナウイルスによる死者は今のところ七百数十人です。これも大変なことではあります。
 しかし毎年、2万人近くの方が自ら命を絶っているということを忘れてはいけません。1年で2万人なら、平均するとこの3ヶ月の間に5000人の方が自死している計算になります。警察庁の発表では2~4月で4500人ですが、突然の失業や人間関係の断絶で、これから増えてくるかもしれません。
 日本に自殺の名所と言われるところがあります。富士山の青木ヶ原樹海、福井県の東尋坊、そして和歌山県の三段壁。
 その三段壁で自殺防止の活動をしている藤藪庸一先生という牧師がいます。昨年、『あなたを諦めない 自殺救済の現場から』という本を出版し、『牧師といのちの崖』という映画も公開されました。
 藤藪先生は三段壁にいのちの電話という電話ボックスを設置しています。電話は24時間365日、藤藪先生につながります。先生はすぐに現場に駆けつけます。自死を願う人に寄り添い、話を聞きます。そして共同生活をしながら社会への復帰を支援します。
 このいのちの電話と警察によって、年間100人ほどの方が保護されているそうです。
 1本の電話で命が守られる人がいます。電話、メール、また手紙を通して、混乱の中にいる人に愛を伝え、励ますことが可能です。

決定事項を伝える

 今日の本文はエルサレム会議の結果がアンティオキア教会に伝えられる場面です。エルサレム教会は決定事項を書面にまとめ、教会のリーダーたちの手で届けさせました。混乱の中にあったアンティオキア教会はこの手紙と、リーダーたちとの交わりによって励まし力づけられました。

アンティオキア教会の混乱

 教会はエルサレムから始まりました。そしてユダヤ全土へ広がり、サマリアやシリアの方に伝わっていきました。こうしてシリア州の州都であるアンティオキアにも教会が誕生しました。
 アンティオキア教会では多くの異邦人も信仰に入りました。このアンティオキアで初めてクリスチャンと呼ばれるようになるなど、初代教会の中で中心的な教会の1つとして成長していきます。
 しかしあくまで教会の中心はエルサレム教会でした。そのエルサレムのあるユダヤから人々が来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ救われない」と教えました。
 中央から来た人々の教えですから、権威があります。本場の教えです。日本人の牧師があれこれ言うより、欧米人の牧師が話した方がソレっぽいでしょう。
 しかしこれは自分たちが聞き、体験している福音とは違いました。それでアンティオキア教会の人々には混乱が生じてしまいました。

アンティオキアの信徒への手紙

 このような経緯でエルサレム会議が開かれ、異邦人もただ信仰によって救われるということが確認されました。
 この会議の決定事項を、アンティオキアの信徒たちに伝える必要があります。それで使徒と長老たちは手紙を書いて送りました。
 聖書風に名前をつけるとすれば、「アンティオキアの信徒への手紙」です。
 手紙はまず挨拶から始まります。使徒と長老たちから、異邦人の兄弟たちへ。使徒のいるエルサレム教会が指導的立場にあることが確認されていますが、アンティオキアの人たちも主にある兄弟と呼ばれています。あらゆる違いを超えて、すべてのクリスチャンは共に神の子とされています。
 そしてアンティオキアの兄弟姉妹を騒がせ動揺させた問題について話します。混乱させる教えをした人たちは、エルサレム教会から正式に派遣された人たちではありませんでした。そこで、正確に福音を伝えるために、正式な使者を派遣します。彼らをバルナバとパウロに同行させます。バルナバとパウロは主イエス・キリストの名のために献身している人たちです。この二人に同行する使者は、使徒と長老たちが満場一致で賛成した、信用できる人たちです。だから彼らの教えを信用してください。ということが語られます。
 そしてユダヤ人クリスチャンとの共存のために4つのことだけ守ってくださいという決定事項が伝えられます。この決定はただの教会の決定ではなく、教会の頭であるキリストの霊、聖霊による決定であると言います。
 その後にまた挨拶で終わっています。

丁寧に伝える

 とても丁寧な内容ですね。
 伝える内容は同じでも、伝え方によって受け取り方も変わってきます。
 アンティオキア教会の人たちは、ユダヤから来た人たちの教えに惑わされていました。この手紙も同じユダヤから来ているわけです。信頼できるものなのか、疑わしくなってしまいます。
 そこでまずユダヤ人も異邦人も主にある兄弟だと伝え、壁を取り除きます。
 そして聖霊と教会の正式な決定を、信用できる人たちの手で届けるということを伝えます。
 このような内容だったのでアンティオキア教会の人たちは励ましを受け、喜びました。

 ただ要件を伝えるだけという方法もあります。
 「割礼は受けなくていい、以上。」
 「10万円を支給する、申請書を提出せよ。」
 シンプルで分かりやすいです。
 しかし3、4日何も食べていなくて生きるか死ぬかの瀬戸際に追い詰められた人に必要なのは、このような言葉ではありません。この苦しみに、寄り添って欲しいのです。

 イエス様はナインという町で、やもめの一人息子の葬式に遭遇します。ちょうど棺が運び出されるところでした。
 イエス様はこの息子を生き返らせます。それだけでも素晴らしいことです。
 でもまずイエス様は、この母親を見るのです。
 シングルマザーとなり、すべての愛を注いで育ててきた一人息子が亡くなった。どれほどの悲しみでしょう。
 もう神から見捨てられたような、絶望の谷底にいたのかもしれません。
 しかし神は決して見捨てていませんでした。
 イエスは母親の悲しみを受け止めます。
 そして憐れに思い、「もう泣かなくてもよい」と言うのです。
 この一言があったので、その場に居合わせた人たちは「神はその民を心にかけてくださった」と言いました。

喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。

ローマの信徒への手紙12:15

 相手の悲しみや苦しみを受け止めて、丁寧な言葉を発信していきましょう。

聖徒の交わり

 エルサレム教会から派遣された使者は、バルサバと呼ばれるユダと、シラスの2人でした。彼らはエルサレム教会のリーダーで、預言の賜物がありました。
 ユダについて詳しいことはわかりませんが、シラスは新約聖書で度々出てきます。
 シラスはパウロの第2次伝道旅行に同行しました。
 フィリピの町ではパウロと共に鞭で打たれ、投獄されてしまいます。しかし真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌を歌っていると地震が起こり、牢の戸が開き、鎖が外れました。そして看守とその家族が信仰に入るという出来事が起こります。
 翌朝、高官から釈放が命じられます。そのときパウロは、「ローマ帝国の市民権を持つわたしたち」と言っています。パウロだけでなくシラスもローマ市民だったようです。この時代、ローマ市民というのは特権階級です。
 シラスというのはアラム語の名前で、ラテン語ではシルワノと言います。
 パウロはコリント滞在中にテサロニケの信徒に手紙を書いていますが、その挨拶には「パウロ、シルワノ、テモテから」とあります。
 またペトロは「忠実な兄弟と認めているシルワノによって」手紙を書いたと言います。
 アンティオキアとテサロニケの信徒への手紙、そしてペトロの手紙に名を連ねていることから、もしかするとシラスは書記のような立場だったのかもしれません。
 実際のところはわかりませんが、エルサレム教会の中で重要な立場だったことは間違いありません。
 そのシラスより先に名前が出てくるユダも、シラスに負けず劣らず優秀な人物だったのでしょう。
 エルサレム教会はこのような重要な人を、惜しげもなく送り出します。
 ユダとシラスはしばらくするとまたエルサレムに帰りますが、兄弟姉妹は彼らとの交わりで励まされ、力づけられました。

 聖徒の交わりというのはとても大事なものです。
 使徒信条にも告白されています。
 初代教会はこれを熱心にしていました。
 これはイエス様にも通じることです。罪人たちとパーティーをし、大酒飲みの大食漢と言われるほどでした。
 また神の国は宴会にたとえられます。
 皆さんも交わりの中で、神の国を体験したことがあるのではないでしょうか。たとえ他教会の兄弟姉妹でも、何だかずっと前から知り合いだったような、親近感を感じる。色々な世代の多国籍の人が一緒に食事をする中で、イエス様の臨在を感じる。
 そう、交わりも聖霊の働きであり、キリスト教信仰の大切な部分です。

 ところがこの3ヶ月、私たちは集まって交わることができなくなっています。食事はずっとできていません。飢え渇いてきますね。
 交わりしたい!一緒に遊びたい!一緒にごはん食べたい!クリスチャンとして当然感じる飢え渇きです。
 これはキリスト教信仰の大切な部分ですから、しなくていい、できなくても仕方がないと切り捨てられるものではありません。
 無理に集まるわけにもいきません。イスラム教はこの時期ラマダンで、日没後にイフタールという食事会をします。ごく一部の信者さんですが、外出禁止なのにパーティーをしてしまって、感染が広がってしまったということもあるそうです。
 ではどうすればいいのか。
 初代教会の兄弟姉妹は、離れていても手紙という手段で交わりをしたのです。新約聖書にこれほど手紙が出てくるというのは、教会が手紙というツールを駆使して交わりを大事にしていたということです。
 現代は技術の進歩によって、電話、Eメール、SNS、テレビ電話など様々な形で交わりをすることができます。これらのツールも主が与えてくださいました。ちょっと前までテレビ電話や国際電話をするのは大変なことでした。今はアプリを使い無料で外国の家族とビデオ通話ができます。
 先週は大学生の方のアイデアで、子どもたちとオンラインでゲームをしました。面白かったです。1時間じゃ足りなくて、1時間半にしてももっと遊びたい!今週もまたやります。
 交わりに対する飢え渇きは、クリスチャンだけではなく、人間なら誰もが感じるものです。人は独りで生きていけないのです。
 誰かと話がしたい、遊びたい、ごはん食べたいと願っている人はたくさんいます。
 そのような飢え渇きを感じているあなたの友だちに、電話やメールで愛を伝えていきましょう。
 もちろん、直接会えればそれが一番いいです。ヨハネもこのように書いています。

あなたがたに書くことはまだいろいろありますが、紙とインクで書こうとは思いません。わたしたちの喜びが満ちあふれるように、あなたがたのところに行って親しく話し合いたいものです。

ヨハネの手紙二 12

 親しく話し合って喜びで満ちあふれたい!
 順調にいけば、来週は会堂での礼拝を再開します。昼食の提供はまだお休みです。
 もうしばらくの辛抱です。それまで電話やメールを用いながら、交わりを維持していきましょう。

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