Blog主日説教使徒言行録講解

ダビデの幕屋を建て直す

使徒言行録講解45

ダビデの幕屋を建て直す

使徒言行録15:7-21

7 議論を重ねた後、ペトロが立って彼らに言った。「兄弟たち、ご存じのとおり、ずっと以前に、神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました。それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。8 人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。9 また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。10 それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。11 わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」12 すると全会衆は静かになり、バルナバとパウロが、自分たちを通して神が異邦人の間で行われた、あらゆるしるしと不思議な業について話すのを聞いていた。13 二人が話を終えると、ヤコブが答えた。「兄弟たち、聞いてください。14 神が初めに心を配られ、異邦人の中から御自分の名を信じる民を選び出そうとなさった次第については、シメオンが話してくれました。15 預言者たちの言ったことも、これと一致しています。次のように書いてあるとおりです。16 『「その後、わたしは戻って来て、/倒れたダビデの幕屋を建て直す。その破壊された所を建て直して、/元どおりにする。17-18 それは、人々のうちの残った者や、/わたしの名で呼ばれる異邦人が皆、/主を求めるようになるためだ。」昔から知らされていたことを行う主は、/こう言われる。』19 それで、わたしはこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません。20 ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです。21 モーセの律法は、昔からどの町にも告げ知らせる人がいて、安息日ごとに会堂で読まれているからです。」

エルサレム会議

 今日の本文はエルサレム会議の概要です。
 異邦人も割礼などの律法を守るべきかということを協議するために、使徒たちと長老たちが集められました。アンティオキア教会からパウロとバルナバたちもエルサレムに行きました。
 おそらく、ペトロとアンティオキア教会の人たちは律法を守らなくていいと主張したのに対し、イエスの弟ヤコブを始めとしたエルサレム教会の人たちは律法を守るべきと主張したのではないかと思います。
 これは初代教会を2つに分裂させてしまうような大問題でした。
 しかし議論を重ね、ペトロ、バルナバ、パウロの話を聞いてエルサレム教会の人々は考えを変えました。そして御言葉を確認した上で、教会として一致した答えを出しました。

共に話し合う中で最善へ導かれる

 初代教会は問題が発生したとき、話し合いを重ねて解決しました。自由な雰囲気の中で、活発に議論が交わされていたようです。
 ユダヤ主義者たちは「異邦人も律法を守るべきだ」と主張していました。彼らは割礼のような律法の行いは神に受け入れられるために重要だと考えていました。
 それに対しペトロは、異邦人が福音を聞いてイエスを信じ、聖霊を受けたことを話しました。これは10章に記録されているコルネリウスの出来事で、ペトロが実際に経験したことです。割礼のない異邦人が聖霊を受けたことで、彼らも神に受け入れられたことが証明されています。それは神が、外面的な違いではなく心をご覧になっているということです。
 大事なのは律法の行いではなく、イエスの十字架の死と復活の恵みを信じるかどうかです。
 これを聞くと、それまで活発に意見をしていた人たちは静かになりました。
 神の民はこうあるべきだというユダヤ人の伝統も、現実に神がなされた事実の前では空しい話です。
 続けてバルナバとパウロが、第1次伝道旅行での経験を話しました。彼らも多くの異邦人が信仰に入り主を賛美するのを体験してきました。そこには奇跡が伴っていました。
 これを聞いてヤコブも、それに賛成する話をしています。

 このヤコブはイエス様の弟です。
 ヨセフとマリアの間にはヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンという男の子と、何人かの女の子が与えられました。
 イエス様はマリアのお腹に聖霊によってみごもりましたが、ヨセフとマリアの長男として、弟や妹たちと一緒に育ちました。ヤコブは次男ということになります。
 イエス様の公の働きが始まると、兄貴がおかしくなったと思って心配し、連れ帰ろうとしたこともあります。イエス様が仮庵祭の前にガリラヤにいると、「兄貴はメシアなんだろ、こんな田舎でコソコソやってないで、ユダヤに行ってデカいことやってこいよ」ということを言いました。イエス様のことを全く理解できませんでした。
 しかし転機が訪れます。復活のイエス様がヤコブにも現れます(コリントの信徒への手紙一 15:7 参照)。そこで信じるようになったようです。
 使徒ヤコブが殉教した頃には、教会の主要なリーダーの1人になっていました。
 ヤコブは手紙も書いています。行いがなければ信仰は死んでいるという言葉があるように、信仰だけでなく行いも重視した手紙です。
 ヤコブは元々、行いを重視するユダヤ主義者だったのかもしれません。とすると、異邦人も律法を守るべきと主張していたのに、ペトロたちの話を聞いて考えを変えたということになります。
 自分と異なる意見に耳を傾け、考えを変えることができるというのはとても大切なことです。

 会議をするというのは教会の伝統でもあります。このエルサレム会議に始まり、ニカイア公会議、コンスタンティノポリス公会議、カルケドン公会議、ウェストミンスター会議などが開かれてきました。教会の代表者たちが集まり、重大な問題について話し合うのです。
 教会はキリストの体として一致することが大事です。しかし意見が合わないことはよくあります。それは別々の人間なのだから、当たり前のことです。別々の意見を互いに議論していく中で、答えを出していきます。
 自由な雰囲気の中で自分の考えを言うこと。そして他人の意見に耳を傾けることは大事です。それで教会は一致します。
 ちゃんと話し合わないと、小さな問題でも教会がバラバラになってしまうこともあります。
 イエス様自身、問題があれば話し合いなさいと言っています。まずは問題の当事者と1対1で。それで解決しなければ2~3人で。それで解決しないなら教会の問題として扱う。そしてこのように言います。

二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」

マタイによる福音書18:20

私たちの教会もこの会議という伝統の上に立っています。共に話し合い、この地に教会を建て上げていきます。色々な意見があっていいです。話し合う中で、私たちの間におられるイエス様が最善な道へ導いてくださいます。

御言葉の土台の上に立つ

 ヤコブはシモン・ペトロの話を受け、神が異邦人の中からご自分の名を信じる民を選んだと言います。
 それまでのユダヤ人の一般的な理解では、ユダヤ人と異邦人は明確に区別されていました。ユダヤ人こそ選ばれた神の民であり、割礼のない異邦人は犬のような存在だと。
 しかし神は人を分け隔てしないことが、ペトロたちの話で明らかになりました。今や神の民の中にはユダヤ人だけでなく異邦人も含まれるのです。
 ヤコブはアモス書の言葉を引用して、その主張を裏付けています。「その後、わたしは戻って来て、/倒れたダビデの幕屋を建て直す。その破壊された所を建て直して、/元どおりにする。それは、人々のうちの残った者や、/わたしの名で呼ばれる異邦人が皆、/主を求めるようになるためだ。」このような言葉は旧約聖書の他の箇所にも見ることができます。

その日、多くの国々は主に帰依して/わたしの民となり/わたしはあなたのただ中に住まう。こうして、あなたは万軍の主がわたしを/あなたに遣わされたことを知るようになる。

ゼカリヤ書2:11

 多くの国々が神の民となる。それはダビデの幕屋を建て直すためです。
 ダビデの幕屋とは何でしょう。それは新しい礼拝の場所としての教会を指していると考えられます。ユダヤ人も異邦人も共に集い、教会を建て上げていくのです。
 それで律法の行いは救いの条件とならないことが確認されました。

 私たちはダビデの幕屋、教会をこの地に建て上げています。
 個人個人の経験とか、教会の伝統ももちろん大事です。しかし私たちが土台とするべきは、御言葉です。
 キリストがかなめ石であり、使徒や預言者という土台の上に教会は建てられています。
 聖書を無視して個人の経験を大事にしていけば、オカルト集団になってしまいます。聖書を無視して教会の伝統を大事にしていけば、形は立派だけど中身のない宗教になってしまいます。
 聖書に基づき、ビジョンを定め、話し合い、教会を共に建て上げていくことが大事です。
 私たちの教会のビジョンは何ですか?一致・調和・宣教。まず一人一人が神様と親密な関係を築く一致から始まり、教会、生活の場、この世界へと祝福を流していきます。聖書を読み、祈ることが一番の基礎です。
 今年の年間聖句は?見よ、新しいことを行う(イザヤ書 43:19)。私たちは新しく創造された者。神様は私たちを通して荒野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせようとしています。
 毎週こうして御言葉から教えられることは、一週間の生活を始める上で欠かせません。1日を御言葉と祈りから始めることも大事です。
 イエス様は山上の説教の最後にこのように言いました。

24 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。25 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。

マタイによる福音書7:24-25

 堅固な土台の上に、ダビデの幕屋、教会を建て上げていきましょう。

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