人の手で造ったものは神ではない

使徒言行録講解57

人の手で造ったものは神ではない

使徒言行録19:23-32

23 そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった。24 そのいきさつは次のとおりである。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。25 彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、26 諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。27 これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」28 これを聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだした。29 そして、町中が混乱してしまった。彼らは、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって野外劇場になだれ込んだ。30 パウロは群衆の中へ入っていこうとしたが、弟子たちはそうさせなかった。31 他方、パウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たちも、パウロに使いをやって、劇場に入らないようにと頼んだ。32 さて、群衆はあれやこれやとわめき立てた。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった。

せかいでいちばんつよい国

デビッド・マッキー作、
なかがわちひろ訳
『せかいでいちばんつよい国』
(光村教育図書)

 先日、長男と一緒に図書館に行って、デビッド・マッキーという人の書いた「せかいでいちばんつよい国」という絵本を見つけました。
 世界一とか、最強とか、男の子なら誰もがあこがれる言葉ではないでしょうか。
 長男も一番速いとか一番強いという言葉が大好きです。
 皆さんもきっと「せかいでいちばんつよい国」がどんな国か気になると思いますので、内容を紹介します。

 昔、大きな国がありました。(もちろんフィクションです)
 その国の兵隊たちはとても強く、大砲まで持っていました。
 大統領は世界中に兵隊を派遣しました。どの国の兵隊も歯が立たず、滅ぼされてしまいました。
 最後に、1つの国だけが残りました。あまりにも小さくて、相手にしなかったのです。
 1つだけ残しておくのも嫌なので、戦争をしに行きました。
 ところがその国には、兵隊がいませんでした。
 兵隊がいないから、戦争ができません。
 小さな国の人たちは、大きな国の大統領と兵隊たちをお客さんのように扱いました。大統領には一番大きな家を与え、兵隊たちは自分たちの家に泊めてあげました。
 兵隊たちはやることがないから、小さな国の人たちと一緒に仕事をしました。小さな国の歌を歌い、躍り、遊び、冗談を聞いて笑いました。そして小さな国のおいしい食事をいただきました。
 そうこうしていると兵隊たちの士気が下がるので、大統領は今いる部隊を送り返し、新しい部隊に交代させました。
 すると新しい部隊も同じように小さな国の人たちと仲良くしだしました。
 こんな小さな国にたくさんの兵隊はいらないと考えた大統領は、見張りの兵を何人か残して、他の兵隊たちと一緒に国に帰りました。
 大統領が帰った後、残った兵隊たちはどうしたでしょう。
 軍服を脱ぎ、畑に出ていきました。
 大統領は自分の国に帰ると、大きな戦勝パレードをしました。
 これで世界は統一され、平和になりました。
 ところが何か様子が変です。国の中では小さな国の遊びや料理が流行っています。
 「まあいいだろう、どうせ征服した国から奪い取ってきたものだ。」
 家に帰ると、息子が歌を歌ってと言ってきました。
 大統領は心に思い浮かぶ歌を次々に歌いました。
 その歌はどれも、小さな国の歌でした。

 このような話です。
 さて、せかいでいちばんつよい国とは、どのような国でしょうか。

 人は軍事力や経済力が国の強さだと考えます。
 今年は戦後75年。今日8月9日は長崎に原子爆弾が落とされて75年の日です。
 この非人道的な恐ろしい大量破壊兵器は、アメリカとソ連(今のロシア)が競うようにたくさん作られました。
 今は、核弾頭の数は減ってきています。しかし小型でより使いやすい核兵器を開発している国もあります。
 唯一の被爆国である日本は、この世界に向けて、核兵器の廃絶を訴え続ける責任があります。
 間違った強さを追い求めてはいけません。
 それなのにこの国も、核の傘に依存しています。核兵器禁止条約にも参加していません。
 そしてアジアの国々を侵略し多くの人を苦しめた歴史を忘れようとしています。
 かつて軍事力によって強い国を目指した小さな国は、戦争はしないと憲法で誓いました。その平和憲法を大事にしていたとき、この小さな国は、本当にせかいでいちばんつよい国だったと思うのです。この国の人には誰も手を出しませんでした。世界中のどの国とも仲よくできました。
 しかしその小さな国が、再び戦争のできる普通の国を目指したことで、つよさを見失いました。
 この世が与えるつよさを手放し、神が与える本当のつよさを求めていきたいと願います。

エフェソでの騒動

 パウロはエフェソで2年以上滞在しました。
 それでもなお宣教の情熱は変わりません。
 パウロの目はローマに、さらにスペインにまで向いています。
 でもすぐにはローマに行きません。まずはエルサレム教会への献金をマケドニア州やアカイア州の教会から集めます。
 そのためにまずテモテとエラストをマケドニア州に派遣しました。

エフェソのアルテミス

 その頃、エフェソで騒動が起きました。
 エフェソでは、アルテミスという豊かさを象徴する女神が崇拝されていました。
 古代の世界七不思議にも数えられる、立派な神殿がありました。 隕石を彫って造った女神像が祭られていたようです。
 アルテミスはギリシア神話にも出てきますが、エフェソのアルテミスは少し違います。アジアのキュベレーという女神信仰と混ざっていたようです。
 それでアジア州の多くの人たちに信仰されていました。
 神殿の模型などもよく売られていました。

エフェソのアルテミス神殿

 ところがエフェソにパウロが来て、「手で造ったものなどは神ではない」と言っています。
 これでは神殿の模型が売れなくなってしまいます。
 そう思った銀細工師のデメトリオがパウロを非難し、 騒ぎを起こしました。
 デメトリオは同業者の不安をあおり、エフェソの人たちの愛国心を駆り立てました。
 「これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」
 すると人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだしました。
 怒った群衆は他の人々を巻き込んでいきます。

エフェソの野外劇場

 そしてパウロの同行者ガイオとアリスタルコを捕らえ、野外劇場になだれ込みました。
 群衆はあれやこれやとわめき立て、集会は混乱するばかりです。大多数の人は何のために集まっているかもわかっていませんでした。
結局、町の書記官が群衆をなだめ、集会は解散させられました。

人が集まるとさらけ出される人間の本性

 野外劇場で行われた集会は無秩序なものでした。
 群衆を扇動したデメトリオも、騒ぎを起こしただけで、その後どうしたかったかわかりません。
 何のために集まっているのか?自分たちは何をしているのか?その核心部分を見失ってしまいます。
 これは人間が陥りやすい罠の1つです。
 私たちもお祭りとか人が集まっているところに行くと、どこに向かうかわからないけど人の流れに流されて行って、何のためかわからないけど周りの人と同じことをしてしまうということがないでしょうか。
 何も考えずに、うぇーい!!となってしまいます。
 そして人間の本性がむき出しになります。

 私が中学生の時、同じ部活の友だちが学校を休んだので、帰りに何人かでその友だちの家に寄って行ったことがありました。
 最初は、お見舞いに行くつもりだったと思います。しかし集団でワイワイ話しながら帰っているうちに、どうせサボったんだろうという話になりました。
 友だちの家に着いて、チャイムを鳴らしました。しかし友だちは出てきません。留守かもしれないし、体が大変で寝込んでいるかもしれません。
 そんなことは一切考えず、何度もチャイムを鳴らしました。そして大声で名前を呼んだり騒いだりしました。
 結局友だちには会えず、解散しました。
 次の日、学校の先生に呼び出されました。
 周りの家から苦情が入っていたようです。
 驚きました。
 自分たちは、そんな迷惑なことをしていたなど全く思っていなかったのです。

 人が集まるとき、人間の欲望や暴力性、罪性がむき出しになることがあります。
 シンアルの地に集まった人々は天まで届く塔を建てようとし、バベルの塔を建設しました。神は言葉を混乱させ、人々を世界中に散らしました。
 祭司長たちに扇動された群衆は、イエスを十字架につけろ!と何度も叫び、嘲りました。
 自分たちが神に背き、罪なき神の独り子を殺しているなど全く思いもしません。
 それは私たちが間違ったものに従っているからです。

9 偶像を形づくる者は皆、無力で/彼らが慕うものも役に立たない。彼ら自身が証人だ。見ることも、知ることもなく、恥を受ける。10 無力な神を造り/役に立たない偶像を鋳る者はすべて 11 その仲間と共に恥を受ける。職人も皆、人間にすぎず/皆集まって立ち、恐れ、恥を受ける。

イザヤ書44:9-11

 見ることも聞くことも話すこともできない無力な偶像を作り、それを慕う者は、同じように目も耳も閉ざされ、その口からは汚いものが出るばかりです。
 偶像とはエフェソの女神像とか神殿の模型とかだけではありません。
 この世の力や富のように、神ではないものを頼りとするなら、それは偶像となります。

神の手で集められたエクレシア

 野外劇場で行われた集会という言葉には、エクレシア(ἐκκλησία)というギリシア語が使われています。
 聖書の中でエクレシアは、別の意味でも使われています。
 教会です。
 ですから教会のもともとの意味は、集められた人たちということになります。
 でも人が集まったらどうなりますか?罪性がむき出しになります。
 教会でもそういうことがあるでしょう。教会でも人間のみにくさに直面して、嫌な思いをすることはあります。
 しかしただの集会と教会には、決定的な違いがあります。
 それは神の臨在です。
 教会はすべてにおいてすべてを満たしている神の、満ちている場です。
 その神様はどのようなお方でしょうか。

神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。

Ⅰコリント14:33a

 ペンテコステの日、聖霊が降って教会が誕生しました。その時、人々は他の国々の言葉で神様の素晴らしさを語りました。バベルの塔の事件で散らされた人々を、神は再び呼び集めようとしています。
 人々はキリストにつながり、一つのキリストの体の部分にされます。
 共に神の子となり、あらゆる違いを超えて一つの神の家族となります。
 教会を人の手で造ってはいけません。
 人の手で造ったものは神ではありません。神の教会は人の手で造られるのではありません。
 教会は神様が立てます。
 人々は教会に来て、キリストにつながり、本当の人になる。
 目が開かれ、耳が開かれ、その口からは愛をもって真理を語ります。
 私たちは何のために集まっているのでしょうか。何をしようとしているのでしょうか。
 教会で、人の主な目的を見出します。
 それは神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。
 そのような教会を共に建て上げていくことを願います。

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