十戒の要約

十戒1

十戒の要約

マルコによる福音書12:29-31

29 イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。30 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』31 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」

神に対する義務と人に対する義務

 今日から十戒の学びに入っていきます。
 神様が人間に求めている義務があります。それは啓示された御心に従うことです。
 啓示された御心として、まず与えられたのが道徳律法です。
 道徳律法を要約したものが十戒です。
 ですから十戒を通して、私たちが人間としてどう生きるべきかを学ぶことができます。
 その中には神に対する義務と、人に対する義務が含まれています。
 まずは十戒をさらに要約する2つの掟についてです。

律法の中心には愛がある

 旧約聖書の中には様々な律法が記されています。613項目もあると言われます。私は、数えたことはありません。数えたことありますか?戒めの数なんて数えたくありませんね。とにかくたくさんあります。
 ある時、律法の専門家がイエス様に「最も重要な掟は何ですか」と尋ねました。それに対しイエス様が答えたのが、今日の本文です。
 1つ目は

4 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。5 あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。

申命記6:4-5

です。
 それと同様に大事な2つ目は、

自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。

レビ記19:18b

です。
 どちらも愛しなさいと命じられています。ですから道徳の中心には愛があります。
 パウロも言っています。

愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。

ローマの信徒への手紙13:10

 律法の中心にある愛という価値観を忘れてはいけません。
 社会の中にも様々な規則があります。身近なものでは交通ルールがあります。赤信号では止まるとか、制限速度を守るとか。
 なぜそれらの規則を守るのでしょうか。
 とにかく国が定めた規則だから?守らなければ罰金を支払わなければならないから?
 確かにそういう面もありますが、根底にあるのは自分と他の人の命を守るためです。
 その精神を理解していなければ、他の人を裁いたり、誰も見ていないなら違反してもいいなどという間違いを犯してしまいます。
 律法の中心は愛です。
 だから私たちの生活や行動は愛に基づくものであるべきです。

神への愛と人への愛は切り離せない

 最も重要な掟には、神への愛と人への愛が含まれます。この2つは切り離すことができません。
 私たちが神を愛するなら、人をも愛するべきです。
 私たちが誰かを愛するとき、その相手が大事にするものも大事にするようになります。相手の好きな食べ物を一緒に食べたり、趣味を一緒に楽しんだりします。
 神様は人を愛しています。だから私たちが神を愛するなら、神様が愛しているあの人のこともこの人のことも尊重するのです。
 そもそも目に見えない神を愛すると言いながら目の前にいる人を愛さないなら、そんな愛は幻想です。

 また、私たちが人を愛するなら、神をも愛するべきです。
 人への愛は、神を愛することがなければ完成しないからです。
 人の素晴らしさは、人が神のかたちに造られたところから来ています。
 愛するからと言って、相手を束縛したり暴力を振るったりしてはいけません。人間の尊厳を傷つけるような言動は愛ではありません。
 その人間の尊厳はどこから来ているのか。それはやはり人が神のかたちに造られたところからです。
 私たちが正しく人を愛するためには、神への愛が必要です。

 だから私たちは神を愛し、人を愛するよう努めなければなりません。

要求されている愛の基準

 最も重要な掟の中には、愛の基準が要求されています。
 申命記によれば、神への愛は「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして」愛するように求められています。霊、魂、体、自分の存在のすべてをかけて愛しなさいということです。
 それは、神様ご自身が存在のすべてをかけて私たちを愛してくださっているからです。

わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。

ヨハネの手紙一4:10

 まず神が全存在をかけて私たちを愛してくださいました。
 だから私たちは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして神を愛します。

 人への愛はレビ記によれば「自分自身を愛するように」隣人を愛しなさいと求められています。自分を愛するように、他の人を愛するのです。
 それは自分の好きなことを相手に強要するということではありません。あいつが俺だったらこれが好きなはずだ、ではなく私が彼だったら何を喜ぶだろうか、ということです。
 そのためには相手と同じ目線に立つ必要があります。
 これも神が模範を示してくださいました。神の子イエスは天の御座を捨て、人になりました。
 私たちと同じように試練を経験し、泣く人と共に泣き、喜ぶ人と共に喜びました。
 だから私たちはイエス様を模範とし、隣人を愛するのです。

愛は人からでなく神から出るもの

 このように愛するよう努力しなければならない!と言われたらどうですか?無理でしょう。このような愛は、私たちの内にはないのです。
 十戒を要約したこの2つの掟さえ守ることができません。これから十戒を学ぶたびに、私たちはこの現実を突きつけられます。
 目を背けてはいけません。
 自分の愛のなさ、弱さを認めて、赦しを求める必要があります。
 そしてこのような罪人のためにイエス様が十字架で死なれ復活されたことを思い起こすのです。
 イエス様の愛を受け取るところから、私たちの愛が始まります。

愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。

ヨハネの手紙一4:7

 神は愛です。愛は神から出ます。
 神の愛を受け取り、愛する者へと変えられていきましょう。

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