十戒10
【第八戒】 豊かな生活を守る
出エジプト記 20:15
盗んではならない。
財産についての戒め
今日は第八戒「盗んではならない。」です。
盗むとは、他の人のものを不当に自分のものにしてしまうことです。
財産についての戒めです。
財産を持つのは悪いこと?
財産、お金の問題には敏感になりやすいです。
政治家の人たちが裏金をもらっていたとか、詐欺グループが何百万、何千万円もだまし取ったとかいうニュースには注目が集まります。
この世で起こるトラブルの多くは財産に関係していると言えるかもしれません。
宗教とお金の問題もあります。宗教団体が高い壺や印鑑を売りつけたり、献金を強要したりする。宗教にはまったら財産を奪われ人生が破滅すると思う人もいます。
教会も贖宥状を売って金もうけをした時代がありました。
イエス様も「祈りの家を強盗の巣にしている」と神殿で商売をしている人たちにブチ切れたことがありましたね。
イエス様は他にも「神と富とに仕えることはできない。」「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」と言いました。
私たちが財産を持つこと、商売をして金もうけをすることは悪いことなのでしょうか。
財産は神からの祝福
旧約聖書を見ると、アブラハムやヨブに対して神様が祝福として財産を与えています。
だから財産を持つこと自体は祝福です。
イエス様もタラントンのたとえの中で、主人から預かった財産で商売をしてもうけた人を称賛していますし、貯蓄することも勧めています。
このたとえは資産運用の話ではないのですが、私たちが仕事をしてお金を稼ぐこと、財産を増やすこと自体は良いことです。
そうして豊かな生活を送れるように祈り求めることもいいでしょう。
そこで自分の財産ばかりを見ていると危険です。
神を見失うだけでなく、気づかないうちに他人の財産を盗んでしまうかもしれません。
私たちは自分と周りの人の豊かな生活を守るべきです。
世界を豊かにしていく
働いて正当な収入を得る
私たちは自分の豊かな生活を守るべきです。
まずは自分の手で働いて正当な収入を得ることです。
盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。
エフェソの信徒への手紙4:28
働いて収入を得る。その生活によって、盗む生き方から離れることができます。
仕事で世界をより良くする
ここには労苦して、というハードルがありますね。仕事は苦しい労働です。顔に汗を流してパンを得るために苦しみます。
そうするよりは楽して大金を得ようと、安易な気持ちで危険なアルバイトに応募してしまう人もいます。
しかし仕事は本来、神からの祝福です。
それが罪のために、苦しい労働になってしまったのです。
ここでいきなりの聖書クイズ!
これは皆さん絶対に正解します。
2つの選択肢のうち、どちらかを選んでください。
問題:アダムの職業は農家である。
「イエスか」「ノーか」。
正解は、農家!
皆さん正解しましたね。
創世記の2章を見ると天地創造のとき、耕す人がおらず木も草も生えていませんでした。
そこで神様はアダムに仕事を与えます。
主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。
創世記2:15
すると様々な草木が生えてきました。
天地創造は神様の手で完成していますが、神様は人に役割を与えて世界を発展させます。
私たちが仕事をすることで、世界に祝福が広がり、より良くなっていくのです。
神を愛し隣人を愛し利潤を生む
脱穀している牛に口籠を掛けてはならない。
働く者が報酬を得るのは当然の権利です。
神様から与えられた仕事に励み、利潤を得ます。
その利潤は仕事によって世界が祝福された結果です。
仕事は隣人愛の実践でもあります。だから利潤は隣人愛の結果だとも言えます。
そうして利潤を追求するようになります。
このようなプロテスタントの倫理が資本主義の精神を生み出していったことを、経済学者マックス・ウェーバーが解き明かしました。
豊かな生き方
自分で働いて得た収入は自分のものです。それをどう使うかは自由です。
しかしダビデが祈ったように、すべては神様のものです。
富も、王の地位も、ダビデが自分で勝ち取ったのではなく、神様から与えられたもの。
だから喜んでささげることができます。
私たちも神様からいただいた恵みを流すことが大事です。
土に埋めたりタンスに隠したりして腐らせないで、活用してください。
豊かな人とはどのような人でしょうか。
年収が多い人ですか。銀行の預金残高が多い人ですか。
どんなに収入が多くても、貯金があっても、それを他の人のため、社会のために使わないなら、ただのケチです。
よく使う人ことができる人こそ、本当に豊かな人です。
経済活動で世界を豊かにする
富を使うことで、社会がより豊かになっていきます。
たとえば、Aさんが100円を持っているとします。
Bさんはおにぎりを持っています。
AさんとBさんの間には100円分の資産しかありません。
Aさんはおにぎりが欲しいと思い、Bさんに100円を払っておにぎりを買いました。
するとBさんは100円を持っており、Aさんは100円分の価値があるおにぎりを持っています。
AさんとBさんの間の資産は200円分に増えました。
すごく雑な説明ですが、このようにお金を使うこと、経済活動をすることで世界の富を増やしていくことができます。
しかし無計画にお金を使ってしまうと自分の生活が苦しくなります。
蓄えておくことも大事です。将来の自分や子どもたちのために投資をするのです。
ささげることで豊かな生活を守る
経済活動によって世界全体の富が増えていきます。
しかし仕事はそれぞれ違いますし、収入も違います。年収500万円の人と年収1000万円の人とでは、1年間の収入が2倍も違います。
当然、格差が生まれます。
経済学の研究により、経済活動による富の増え方より、格差の広がりの方が大きいことがわかっています。
格差が広がっていけば、一部の富豪は遊んで暮らせる富を築き、その他大勢はその日生きるのも必死の生活になります。
盗まなければ生きていけないような生活困窮者を生み出してしまいます。
だから多くを与えられた人は、それをささげる責任があります。
税金をちゃんと払ったり、募金や寄付をするのです。
こうしてささげられたものが、社会の中で弱い立場、苦しい状況に置かれた人たちを助けることになります。
イースターの日にはチャリティコンサートをして能登に送る予定です。ご協力いただければ感謝です。
自分の手で働くことが難しい人は、公的な支援や他の人々との支え合いで生活できます。
ささげることで、社会全体の豊かな生活が守られるのです。
神様はこう求めています。
施すべき相手に善行を拒むな/あなたの手にその力があるなら。
箴言3:27
喜んでささげる者に神様は天の窓を開いて祝福を注ぎ、惜しまず種を蒔く者に豊かな収穫を与えると約束しています。
自分の豊かな生活を守るために労苦して正当な収入を得る。これが他の人の豊かな生活を生み出すことにつながります。
盗みは人生を破滅させる
第八戒が禁じる盗みは、自分の生活を向上させる努力を止めてしまうところから出てきます。
自分の手で労苦して収入を得るのは大変。それよりあり余るほど持っている人から奪えばいい。
しかし不当な方法で得た富は一時的なものです。泡のようにすぐに消えてしまいます。
そして本来の持ち主に返さなければならなくなります。
盗みは豊かな生活につながらないばかりか、自分の生活を破滅させます。
盗まれた人も生活を壊されます。
財産を奪われ、計画を壊され、希望さえも失ってしまうかもしれません。
盗みは自分だけでなく他の人の人生を破滅させる罪です。
人の物質、時間、力を盗む
盗みは、お金などの物質だけが対象ではありません。
この盗みという言葉には、人を誘拐して奴隷にするというニュアンスもあったようです。
他の人を利用すること自体が盗みです。
人の時間を盗むこともあります。
遅刻して待たせるなど、自分勝手な行動で相手を振り回してしまう。
時間というのは取り戻すことができない財産ですね。命の一部だとも言えます。
誰かがあなたのために時間を使ってくれたのなら、それはその人自身のかけがえのない人生の一部をささげてくれたこと。まさしく愛の行動であることを忘れないでください。
相手の自由を盗んでしまうこともあります。
私たちの中には人を支配したい欲があります。それで何としかして相手を自分の望む通りに動かそうとします。
罪の奴隷であった私たちを救い出してくださった神は、私たちの自由を守ります。
人の行動や選択の自由を奪ってはいけません。
自分の富ばかりを見てはいけない
自己中心的な考えが、私たちを盗みに誘います。
自分の富ばかりを見ていると、神を見失い、人を利用します。
イエス様の弟子の中で財産の管理を任せられていたのはイスカリオテのユダでした。
ヨハネは、彼が盗人だったと証言しています。財布の中身をごまかしていたようです。
べタニア村でマリアが300万円もするナルドの香油をイエス様に注いだとき、ユダは無駄遣いだと怒りました。売れば300万円になる。それで貧しい人たちに施しができるではないかと。
しかしユダの本心は、貧しい人のことなど考えていません。
お金のことばかり考えているのです。
だから惜しまずささげたマリアの豊かさがわかりません。
主であるイエス・キリストへの献身がわかりません。
結局ユダはイエス様を銀貨30枚で売ってしまいます。
自分の持っているものばかりを見ていると、私たちは富の奴隷になります。
そして神を捨てます。
イエス・キリストを金で売る者になってしまいます。
誰も神と富とに仕えることはできないのです。
周りの人への配慮
目を上げてください。
富そのものではなく、それを与えてくださった神様を見上げるのです。
仕事も富も、神様から与えられたものです。
私たちの周りの人も神様が与えてくださった尊い存在です。彼らの富も時間も能力も尊重しなければなりません。
目の前の人を誠実に愛するのです。
パウロは勧めます。
3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
フィリピの信徒への手紙2:3-4
自分のことばかりを考えていないで、周りの人に配慮してください。
その究極の模範はイエス様です。
イエス様は天の御座を捨てて人となり、十字架で死なれました。すべてをささげ尽くしました。
それは羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためです。
イエス様から与えられた豊かな人生を生き、自分と他人の豊かな生活を守っていきましょう。
そうして愛に基づく神の国がこの地に建てられていきます。