十戒9
【第七戒】 結婚関係を守る
出エジプト記 20:14
姦淫してはならない。
目の前の人を1人の人間として尊重する
私は高校生の時、生徒会活動をしていました。委員会や学校行事の企画運営などの活動です。
特に文化祭は生徒が主体となって行う一大イベントです。
その中にミス・ミスターコンテストという企画がありました。かっこいい人、きれいな人、おもしろい人など、全校生徒にアンケートを取ってランク付けし、1位になった人を文化祭当日に表彰するというものです。ミス美白という項目もありました。
私が高校2年生の時、この企画を生徒会の顧問の先生に話すと「お前らまだこんなことやってんのか」と先生に言われましたが、私には先生の言っている意味がわかりませんでした。
私の同じクラスに、Kちゃんという女の子がいました。彼女は肌が本当に白く、きれいな子でした。バスケ部に所属し運動もでき、男子からも女子からも好かれていました。
そのKちゃんが他の学年からも票を集め、ミス美白に選ばれました。「さすがKちゃんだ」と友だちとして誇らしく思いました。
1位に選ばれた人には、そのことを事前に伝えるということになっています。Kちゃんには同じクラスの私が伝えました。
するとKちゃんは「絶対に嫌だ」と言います。
きっと喜んでくれるだろうと思っていたので意外でした。
でも「Kちゃんは恥ずかしがり屋だからな、本当はうれしいんでしょ」と思い、無理やり了解させてしまいました。
そして文化祭当日、ミス美白の発表でKちゃんの名前が呼ばれました。
全校生徒から歓声が上がります。自分たちのクラスは大盛り上がり。
ところがステージに上げられたKちゃんは泣いていました。
そこでようやく私は、自分たちのしていることが間違っているとわかりました。
Kちゃんは確かに色白できれいです。しかしそれを他の人と比較し、全校生徒の前で見せ物にした。そして私はKちゃんの意思を無視した。
私はKちゃんを1人の人間として尊重していませんでした。
翌年、私たちはミス・ミスターコンテストの廃止を決めました。
社会の基礎となる結婚関係
今日は第七戒「姦淫してはならない。」です。
姦淫というのは、結婚している人が結婚相手ではない人と性的な関係を持つことです。
第七戒は結婚関係、夫婦についての戒めになります。
第五戒は親子関係の戒めでした。誰しも親がいないと生まれてこれないわけですが、生みの親となるには1人の男性と1人の女性が結び合わされなければなりません。だから夫婦は大事です。
この人間社会の基礎に夫婦があります。
結婚関係は神による神秘的な結びつき
聖書で神様は人(アダム)が独りでいるのはよくないと言って、妻エバを与えました。人間に与えられた最初の人間関係が夫婦です。
聖書は人類最初の結婚についてこう言っています。
こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。
創世記2:24
夫婦の間には、一体となるような強い結びつきがあります。心も体も一つに結ばれます。これは偉大な神秘です。
姦淫は結婚関係を壊すもの
姦淫というのは、この結婚関係を破壊する行いです。
神が人に与えた神秘的な結びつきを壊すことです。イエス様は、神が結び合わせたものを人が離してはならないと言いました。
結婚はまた誓約を伴うものです。「病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまであなたを愛します」と神と人の前で誓います。姦淫はこの約束への裏切りです。
そして人間関係の基礎となる夫婦関係が壊れてしまえば、親子関係にも傷が入り、社会が壊れていきます。
結婚関係を守らなければなりません。
結婚関係を壊す思い、言葉、行動
結婚関係を壊すのは姦淫という行いだけではありません。
心で姦淫する
イエス様はこのように言います。
27 「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。28 しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。
マタイによる福音書5:27-28
みだらな思いで他人の妻を見ることは姦淫と同じです。
ここでは他人の妻と訳されていますが、妻でなければいいのでしょうか。独身の女性に情欲を抱くことはいいのでしょうか。そのようなことはありません。
結婚相手以外の人を性的な目で見るなら、既に心の中で姦淫をしています。
実際に肉体の結びつきにならなくても、心は結婚相手から離れていきます。
これは夫たちに向けて語られていますが、独身男性も同じです。
男たちは心が痛みますね。
私自身、この問題は日々戦いの連続です。
また女性もそのような思いを抱くことがあるでしょう。
結婚関係を終わらせる行動、言葉
聖書には「わたしは離婚を憎む」という神様の言葉もあります。
しかし結婚関係を終わらせた方がいい状況もあります。
たとえば姦淫のような浮気、暴力を振るう、財産を浪費するなどの行動。
また暴言、怒鳴り声、常習的なウソ、誠実に話をしないなど言葉によって結婚関係が壊れることもあります。
私たちは日々思いと言葉と行動で罪を犯します。
みだらな思い、言葉、行動によって結婚関係に傷をつけていないか振り返ってみてください。
愛することを決意する
結婚関係を守るには努力が必要です。
一体であったはずの結びつきがほつれていく
結婚は神からの祝福であり、互いに自立した1人の男と1人の女が結び合わされ一つになります。
アダムはエバを「わたしの骨の骨、わたしの肉の肉」と言います。クセの強いプロポーズですが、一つの体だということです。
しかしそこに罪が入りました。
禁断の木の実を食べたのかと問われたアダムは「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました」と言います。
まさに責任転嫁。
一体であったはずのエバは、ただの近くにいる女になってしまいました。
結婚関係は放っておくと壊れる
私たちの結婚関係も、放っておくと壊れていきます。
時間が経てば熟成していくワインのようなものではなく、毎日手入れしなければ腐ってしまうぬか漬けのようなものです。
妻や夫を大事にしていますか。
仕事優先、趣味優先、あるいは子どもを優先して結婚関係を放っておくなら、取り返しのつかないことになります。
信仰者として神を最優先にするべきです。イエス様はキリストの弟子の条件として父、母、妻、子供、兄弟、姉妹、更に自分の命よりもイエス様に従うことを優先しなさいと言います。
それでも宗教活動で家庭をないがしろにすることは神の御心ではありません。
自分の家庭を治めることを知らない者に、どうして神の教会の世話ができるでしょうか。
恋の魔力ではなく愛そうとする意志で結婚関係を守る
結婚が努力して守るべき大変な関係なら、結婚しようと思わなくなるかもしれません。
それで天使たちは青年たちに恋という魔法をかけます。
この魔法にかかった人は相手が魅力的に見えます。
そして魅力的な彼、彼女にふさわしい者になろうと努力させます。
恋の魔法は強力で、鼻の高いクレオパトラに恋した男たちが戦争を起こしたほどです。人類の歴史を揺り動かすほどの恋の力。
そして恋におちた二人は結婚してしまいます。
ところがこの魔法には時間制限があります。
結婚する頃には魔法が解け、相手の真実の姿が見えてきます。自分も努力しなくなります。
それで恋が冷めたとか言って新しい恋を探す愚か者もいます。
結婚関係は恋の魔力に流されるのではなく、自らの意思をもって築き上げていきます。
それが愛です。
相手の欠けが見えてくる。病気にもなるし年老いていく。
それでもこの結婚は「病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまであなたを愛します」と神と人の前で誓った。
だから相手を愛そうという意思によって、結婚関係を守ります。
神が愛を示した
神は愛です。愛は神から出ます。
神様がまず私たちに愛の模範を示してくださいました。
しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。
ローマの信徒への手紙5:8
独り子を与えるほどの愛です。
私たちは神様に愛されるのにふさわしい者ではありませんでした。神に背いて生きてきた罪人でした。
それにも関わらず、神様は私たちを愛することを決意なさったのです。
花婿イエスを待ち望む花嫁
聖書は教会を花嫁だと言います。イエス様が花婿です。
今はイエス様が迎えに来られるまで準備を整えているところです。
今までたくさんの苦労があったけれど、ついにこの時が来た。
最高にきれいな自分をイエス様にささげたい。
そのような思いになりませんか。
神を愛することを決意してください。
そして目の前の愛すべき人を愛すると決意してください。
相手を1人の人間として尊重することを学ぶ
第七戒は結婚している人だけの戒めではありません。まだ結婚していない人も守るべきことがあります。
婚前交渉
この世において結婚の前に性的な関係を持つことは珍しいことではありません。
しかしそのような関係は互いを傷つける結果に終わります。
愛する人にそのような情欲を抱いたとき、あるいは相手からそのような関係を求められた時、よく考えてみてください。
私は本当に相手を愛しているのだろうか。
あなたは本当に私を愛しているの?
本当にこの存在を愛しているというのなら、肉体の関係を結婚するまで大切に守ることもできるんじゃないの?
それとも本当はこの存在を愛しているのではなく、性欲を満たす肉体を求めているだけなんじゃないの?
異性との健全な付き合い方を学ぶ
こういうことを言うと、性そのものが悪いもののように感じられるかもしれません。
本来は良いものです。産めよ、増えよ、地に満ちよと神様が祝福されました。
それが結婚関係の外に向かうと問題なのです。
だからあまり恋愛を敬遠しないでください。
むしろ青年たちは恋愛をするべきです。
異性との健全な付き合い方を学んでください。
たくさんの人と付き合って別れてとか結婚する前に同棲してとかいう意味ではありません。
相手を1人の人間として愛することを学んでほしいのです。
それができるのが教会です。
同性異性関係なく、相手を大切な存在として尊重する。
それができない自分の愛のなさ、罪に涙する。
情欲を抱いて異性を見てしまう誘惑に、同性の仲間たちで共に戦う。
そして弱い私たちを赦してくださるイエス様の愛を受け取るのです。
独身の人生もある
すべての人が結婚に召されているわけではなく、独身の賜物が与えられた人もいます。
だから青年たちに対してあまり結婚へのプレッシャーを与えないように気をつけてください。
結婚関係から社会へ祝福が流れる
相手を1人の人間として愛することを学んだ男女が一つに結ばれるなら、そこに愛のある家庭が築かれます。
そして祝福が夫婦から親子へ、そして遣わされる職場、学校、地域に広がっていきます。
結婚関係を守るなら、社会全体がより良くなっていきます。