悔いのない最期

悔いのない最期

ルカによる福音書 2:25-32

25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。27 シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。31 これは万民のために整えてくださった救いで、32 異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」

大晦日

 今日は大晦日。2023年最後の日です。
 最後といっても人間が作った暦の上の話なので、いつも通り時間は流れ、いつも通り明日が来て、いつものように太陽が昇ります。地球が太陽の周りをまわりました。ただそれだけのこと。あまり特別な意味を持たせたり騒いだりし過ぎないようにしたいという冷めた思いもあります。
 それでも節目を祝うことは大事ですね。
 ありがとう2023年!
 ようこそ2024年!

 新しい年を迎える心の準備は出来ていますか。今年やり残したことはありませんか。今年立てた計画や目標は成し遂げられましたか。未練を残さず2023年を終えられたらいいですね。

神を待ち望む

 今日の本文はクリスマスの少し後の出来事です。

悔いのない最期を迎えたシメオン

 イエス様が産まれてからマリアは、律法に定められた期間、休みました。そして律法に定められた献げものをするために、神殿に行きます。ヨセフとマリアは貧しかったので、鳩をささげることにしました。
 彼らが神殿に入ると、シメオンというおじいちゃんが近づいてきます。そして赤ちゃんイエスを抱っこさせてもらうと、「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。」と言って神を賛美します。「もう安心して死ねる」ということですね。それを聞いてヨセフとマリアは驚いた、という話です。
 シメオンは悔いのない最期を迎えました。

メシアを待ち望んだシメオン

 このシメオンについて、聖書にこうあります。「この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。」
 彼はイスラエルの回復を待ち望んでいました。そしてメシアが現れるのを待っていたのです。
 この時代には非常に珍しいことですが、聖霊が彼にとどまっていました。そして聖霊は彼に「メシアに会うまでは死なない」と告げていたのです。
 シメオンが何歳だったか、何年待っていたかわかりませんが、来る日も来る日もメシアを待ち続けました。
 「メシアさん来るかな。…来ないな。」
 「今日も来なかったな。」
 「メシアはいつ来るんじゃろか…。」
 もしかすると奥さんや友だちはみな先に逝ってしまったかもしれません。
 そうなると「死なない」というのは祝福ではなく呪いのように感じます。

赤ちゃんイエスがメシアだと気づいた

 「ああ、また目が覚めた。まだ死ねないのか。」
 そう感じていたかどうかはわかりませんが、ある日シメオンはどうしても神殿に行かなければならないと感じました。
 シメオンが神殿の境内に入ったところに、ヨセフとマリアも入ってきました。
 聖書は唐突に、シメオンが幼子を腕に抱いたとあります。
 まだ生後1ヶ月ちょっとくらいです。首もすわっていません。そんな赤ちゃんをいきなり見ず知らずのおじいちゃんに抱っこさせる親がいますか。
 おそらくシメオンの方から声をかけて、ひとしきり会話をした後、赤ちゃんを抱っこしてもよろしいですかと。
 それでシメオンは神を賛美します。
 この流れを見ると、シメオンは一目見てこの子がメシアだとわかったようです。
 もし手当たり次第に親子連れに声をかけていたなら、不審者として出入禁止になります。

待ち望む者は見出す

 シメオンはなぜこの赤ちゃんがメシアだとわかったのでしょう。
 何か奇跡を起こしたわけではありません。
 ユダヤ人の王としての風格や華やかさがあったわけではありません。
 鳩を連れて来るしかできなかった、貧しい夫婦と赤ちゃんです。
 それでもシメオンはわかりました。
 彼が来る日も来る日もメシアを待ち望んでいたからです。

 誰かを想い続けていると、その人を見出します。
 運動会のように同じ服を着た同じ背格好の子どもたちがたくさんいても、自分の子どもがどこにいるか見つけられますね。
 私は宮﨑あおいさん推しなのですが、テレビのコマーシャルなどに出演していると「あっ、宮﨑あおい!」とわかります。ナレーションなどの声だけでも「あおいちゃんの声や!」となります。
 メシアを待ち望んでいたシメオンは、赤ちゃんイエスを一目見ただけで、この子が救い主であるとわかりました。

神からの答えを見出す

 みなさんが今年立てた計画や目標はどうなりましたか。一度振り返ってみてください。
 その計画や目標のために祈ってきましたか。
 私はこうしたい、このようになりたいという自分の思いを神様に打ち明けてきた。来る日も来る日もその計画について思い巡らし、祈った人はわかります。
 人は計画を立てるけれども、それを実現させるのは主です。
 主がどのように成し遂げてくださったかを見ます。
 もしかすると自分が想定したのとは全く違う形かもしれません。
 それでも神様の最適な時に神様の最善の方法で成し遂げられたと信じられます。
 たとえ成し遂げられなくても、待ったり手放したりできます。
 祈り、神様からの答えを待ち望むなら、後悔はありません。

自分の思いを超えた救いを見る

 シメオンは悔いのない最期を迎えられるのは「わたしはこの目であなたの救いを見たから」だと言います。
 シメオンが見たのは何ですか。
 赤ちゃんです。
 救いなど見ていません。
 特別なことはありません。赤ちゃんが立って歩いたりしゃべったりしたわけでもありません。
 赤ちゃんというのは周りの人に世話をしてもらわないと生きていけない、最弱クラスの人間です。
 その笑顔に癒されることはあっても、病を癒すこともローマの支配を打ち破ることもできません。

信仰の目で見る

 シメオンがわかったのは、この赤ちゃんがメシアであるということです。
 しかしメシアとしての実際の働きは30年、十字架の死と復活によって救いが成し遂げられるまでは33年待たなければなりません。
 それでもシメオンは、この目で救いを見たと言います。
 メシアを待ち望んでいた彼には、メシアが来た時点で、その救いは始まったも同然でした。

 明日から浜松市の区が変更になります。これまでの7区から3区になります。
 ここ中区も中央区の一部になり、住所が変わります。
 年賀状を出した方の中には、自分の住所を新しい住所で書いた方もいると思います。
 書いた時点ではまだ今の住所のままですね。
 しかしもう2024年1月1日が来ようとしています。
 まだ区の再編は成し遂げられていないけれど、始まったも同然です。
 だからまだ見ぬ事実を確認し、信仰を持って新しい住所で年賀状を出したのですね。大げさすぎますかね?

 正しく信仰あついシメオンは、信仰の目で救いを見ました。

シメオンの思いを超えた救いの預言

 シメオンの続く言葉には驚かされます。
 「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」
 シメオンが待ち望んでいたのはイスラエルの慰めです。ローマの支配から解放され、ダビデの子が王となってイスラエルを永遠に治める。そして世界中に散らされたイスラエルの民がシオンの丘に帰って来る。そのようなイスラエルの回復です。
 ユダヤの人々は、割礼を受けた自分たちこそ選ばれた神の民であり、割礼のない異邦人は神と関係ない民だと考えていました。
 それなのにシメオンは、メシアの誕生が万民の救い、異邦人を照らす光になると言っています。
 聖霊によって預言を語ったのでしょう。
 シメオンが待ち望んでいたものをはるかに超えた救いの預言です。

後悔するのは自分の思いを手放せないから

 私たちはなぜ後悔し、未練を残し、過去を引きずるのでしょうか。
 自分の思いを握り続けているからではないでしょうか。
 私はこうしたかった。私はこういうことをするはずだった。

 では自分の計画を成し遂げられたら満足できるのでしょうか。ほしいものを手に入れられたら後悔しないのでしょうか。
 コヘレトの言葉の著者は、実際にやってみました。
 その結果は、空の空、すべては空しいということでした。

 たとえ自分の思いが成し遂げられなくても、ヨブのようにすべてを失っても、後悔しない人生があります。
 それは主イエス・キリストと出会う人生です。

 イエス様こそ自分の思いを手放し、すべてを失って十字架で死にました。
 しかしその口から出たのは後悔ではなく、「成し遂げられた」という言葉。救いという神の計画の成就の宣言でした。

 イエス様に出会ったなら、もう後悔はありません。
 自分の思いを素直に神に打ち明けつつ「御心が行われますように」と委ねられます。
 自分の思いよりはるかに素晴らしい神様の御心が成し遂げられるのを見ます。
 主は与え主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。どんなときも主を賛美できます。
 世の宝も富も、人からの称賛も、キリストには代えられません。
 そしてイエス様に出会った人が、世の光となり、救いのよい知らせを地の果てまで伝えていきます。

 主を見上げ、2023年を感謝で締めくくり、イエス様と共に歩む2024年を迎えましょう。

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