暗闇に向かう中で絶えないともし火

歴代誌講解57

暗闇に向かう中で絶えないともし火

歴代誌下 21:5-20

5 ヨラムは三十二歳で王となり、八年間エルサレムで王位にあった。6 彼はアハブの娘を妻としていたので、アハブの家が行ったように、イスラエルの王たちの道を歩み、主の目に悪とされることを行った。7 しかし主は、ダビデと結んだ契約のゆえに、ダビデの家を滅ぼそうとはされなかった。主は、ダビデとその子孫に絶えずともし火を与えると約束されたからである。8 ヨラムの治世に、エドムがユダに反旗を翻してその支配から脱し、自分たちの王を立てた。9 ヨラムは将軍たちと共に全戦車隊を率いて進み、夜襲を試みて、自分を包囲するエドム兵とその戦車隊の長たちを打ち破った。10 だが、エドムはユダに反旗を翻してその支配から脱し、今日に至っている。そのころ、同時にリブナがユダに反旗を翻してその支配から脱した。ヨラムが先祖の神、主を捨てたからである。11 ヨラムはユダの山々に聖なる高台を造り、エルサレムの住民に淫行を行わせ、ユダの人々を堕落させた。12 次のような一通の手紙が預言者エリヤから彼のもとに届いた。「あなたの父祖ダビデの神、主はこう言われる。『あなたは父ヨシャファトの道、ユダの王アサの道を歩まず、13 イスラエルの諸王の道を歩み、アハブの家が淫行を行わせたように、ユダとエルサレムの住民に淫行を行わせ、またあなたの父の家の者、あなたよりも優れた兄弟たちを殺した。14 それゆえ、主は大きな災いをもって、あなたの民、あなたの子たち、妻たち、すべての財産を打つ。15 またあなた自身、悪質な内臓の病にかかり、それが日に日に重くなり、ついに内臓が外に出るようになる。』」16 主は、クシュ人の近くに住んでいたペリシテ人とアラブ人のヨラムに対する敵意をあおられた。17 彼らはユダに攻め上って突き進み、王宮で見つかったすべての財宝と、王子や王妃たちを奪い去った。そのため、ヨラムには最年少の子ヨアハズしか残されなかった。18 その後、主は彼の腹を不治の病で打たれた。19 来る日も来る日も苦しみ、二年ばかり後には、その病のために内臓が出るようになり、彼はひどい苦しみにあえぎながら死んだ。民は、その先祖のために火をたいたようには、彼のために火をたくことをしなかった。20 彼は三十二歳で王となり、八年間エルサレムで王位にあったが、惜しまれることなく、世を去った。その遺体はダビデの町に葬られたが、王の墓には納められなかった。

その場を明るく元気にする存在

 ここに集まった人の間で互いに挨拶を交わし、相手からどれだけの元気をもらったか5段階で評価してください。
 悩みも吹っ飛ぶくらい元気をもらえたら5、特に何も感じなければ3、挨拶した相手は何か悩みを抱えているんじゃないかと心配にさせられたら1という具合に。

 どのような人と挨拶した時に評価が高かったでしょうか。
 上辺ではなく心を込めて挨拶してくれた人、笑顔の人、名前を呼んでくれた人など。
 そのような人は、合計点も高いです。周りに元気を与えられる人は、実は周りの人からたくさんの元気をもらえる人でもあります。
 だからそういう人がいると、その場が明るく元気になります。太陽のような存在です。

暗闇が増していく中でも神は見捨てない

 今日の本文は逆に暗い話。
 南ユダ王国5代目、ヨラム王の話です。
 ヨラムはヨシャファトの長男です。

民を堕落させたヨラム王

 善王として知られるヨシャファトですが、神に敵対するアハブ王と行動を共にしたという問題がありました。ヨシャファトは神様と相談することなく、勝手に同盟を結びました。この北イスラエル王国オムリ王朝との関りが、南ユダ王国ダビデ王朝の危機を招きます。ヨシャファトだけでなく、その子や孫の世代にまで影響が及ぶのです。
 ヨラムの妻はアハブの娘アタルヤです。アタルヤはアハブとイゼベルの娘ですから両親の影響を強く受けています。
 ヨラムは父よりも妻からの影響を強く受け、主を捨ててバアルの祭壇を築いてしまいました。
 ヨラムは民にも偶像崇拝をさせ、ユダの人々を堕落させました。

王が主を捨てたために国が荒れる

 このヨラムの治世で南ユダ王国は悲惨な時代を迎えます。
 今日の本文の前、2~4節を見ると、ヨラムは6人兄弟の長男でした。ヨシャファトはそれぞれに領地と財産を分け与えていました。王座を受け継ぐのは長男のヨラムですが、弟たちも力を持っています。そこでヨラムは弟たちを自ら剣にかけて殺します。兄弟さえ信用できない時代です。
 またヨラムの治世にエドムが反旗を翻し、自分たちの王を立てました。そしてヨラムはエドム軍に包囲されます。ヨラムは夜に戦車隊を率いて奇襲をかけて包囲を脱しましたが、南ユダとエドムとの対立は続きます。
 さらにリブナという、ペリシテとの国境に面した町がペリシテに寝返りました。
 なぜこのような状況になったのでしょう。
 聖書は「ヨラムが先祖の神、主を捨てたからである」とその理由を説明しています。

エリヤの手紙

ホセ・デ・リベーラ「エリヤ」

 神を捨て、南ユダ王国を悲惨な状況に陥れたヨラムを神は放っておきません。
 一通の手紙が届きました。
 なんと預言者エリヤからの手紙です。
 エリヤは北イスラエル王国アハブ王の時代に活躍した預言者で、主に列王記にその言動が記されています。カルメル山ではバアルの預言者450人に1人で立ち向かい、天からの火で勝利しました。
 新約聖書にもイエス様の変貌の山で、預言者の代表的な立ち位置で登場します。
 エリヤはイザヤたちのような預言書を残していません。しかしここには唯一、エリヤが書いた手紙が記録されています。「エリヤの手紙」です。
 手紙にはヨラムがヨシャファトやアサ王の道を歩まず、北イスラエルと同じ道を歩み、民に偶像崇拝をさせ、兄弟を殺した罪が指摘されています。そして民、子どもたち、財産が奪われる。王自身も内臓の病気で苦しむという災いの警告が記されています。

神からも見捨てられたかのような状況

 大預言者エリヤからこのような手紙が来たら恐ろしいです。
 それでもヨラムは手紙を無視し悔い改めません。
 その結果、ペリシテとアラブ人の連合軍がエルサレムに侵攻し、王宮の財宝が奪われ、王妃や王子たちが連れ去られました。
 息子たちの内、最年少の子ヨアハズ(アハズヤ)だけが残されます。
 そして警告された通り、ヨラムは内臓の病気になります。
 日に日に悪化し、ついに内臓が出てしまったとあります。どのような病気だったか詳しくわかりませんが、胃腸から出血があったのでしょうか。
 ヨラムはひどい苦しみにあえぎながら死んでいきます。

 アサ王も晩年は病気になりました。それでも民はアサ王の死を悲しみ、香を焚いて盛大な国葬を行いました。
 ところがヨラム王に対して民は香を焚かず、葬式をあげませんでした。
 民も、ヨラムが神を捨てたとわかっています。それで誰からも惜しまれずヨラムは死にました。
 悲しい最後です。

 ヨシャファトの時代の繁栄からたった8年で国は悲惨な状況に陥りました。
 民の生活も日に日に悪化し、暗闇が増していきます。
 民は、自分たちも神から見捨てられたのではないかと思ったかもしれません。

神に立ち帰り生きることを願っている

 私たちも自分が暗闇の中にいるように感じるかもしれません。もう神から見捨てられたのではないか。
 しかし神は人を見捨てません。

31 主は、決して/あなたをいつまでも捨て置かれはしない。32 主の慈しみは深く/懲らしめても、また憐れんでくださる。33 人の子らを苦しめ悩ますことがあっても/それが御心なのではない。

哀歌3:31-33

 苦しみ悩むことがあっても、それは神が意図した結果ではありません。
 神はあなたをいつまでも放っておくことはせず、決して見捨てません。
 神から離れて懲らしめられることはあるでしょう。しかし懲らしめるのは、神に立ち帰って欲しいからです。
 罪を離れ、神に立ち帰って生きることを神は願っています。

人々の内で輝く光

 悲惨な状況が続き、暗闇が増していきます。
 しかし神は南ユダの民を、ダビデ王朝を見捨てたわけではありません。
 7節に「しかし主は、ダビデと結んだ契約のゆえに、ダビデの家を滅ぼそうとはされなかった。主は、ダビデとその子孫に絶えずともし火を与えると約束されたからである。」とあります。
 神様がダビデ王朝のためにともし続ける火がありました。

常夜灯

 ともし火を絶やさないというのは出エジプトの時代から続いてきました。
 幕屋の中には聖所という部屋があり、聖所には常夜灯が置かれていました。

臨在の幕屋にある掟の箱を隔てる垂れ幕の手前に備え付けさせなさい。アロンは主の御前に、夕暮れから朝まで絶やすことなく火をともしておく。これは代々にわたってあなたたちの守るべき不変の定めである。

レビ記24:3

 夜の間中、聖所ではともし火がともされていました。祭司たちが毎晩管理し、消さないように守っていました。
 外がどんなに暗闇だったとしても、輝き続ける光がありました。

暗闇の中に光が来ている

 出口の見えない長いトンネルを走っていて、遠くの方にかすかに外の光が見えてきたらほっとします。
 どんなに長いトンネルでも、いつか出口にたどり着きます。
 どんなに夜が長く感じられても、いつか朝が来ます。
 しかし私たちに本当に必要なのは、いつか来るであろう光ではありません。
 今この暗闇の中で共にある光です。

 その光はすでに来ています。

光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。

ヨハネの福音書1:5 新改訳2017

 闇がどんなに深くても、それに打ち勝つ光がすでに来ています。
 それはイエス・キリストです。
 今日の本文でも、主がダビデとその子孫に絶えずともし火を与えると約束しています。
 この約束が代々受け継がれ、最終的にともし火そのもの、光そのものが来てくれました。
 ダビデの子として生まれたイエス・キリストです。

光が人を力づける

 光があれば力を得ることができます。

目に光を与えるものは心をも喜ばせ/良い知らせは骨を潤す。

箴言15:30

 最初に挨拶をしてもらいましたが、笑顔のように目に光を与えるものは心を喜ばせますね。名前を呼んでくれたり、声をかけてもらえたりすると体も力がわいてきます。
 イエス様を見上げる時、私たちはその御顔の光を受けます。そしてイエス様は最上の良い知らせ、福音を私たちに与えてくれました。

イエス様に出会うと喜ばずにいられない

 イエス様は十字架で死なれ墓に葬られましたが、3日目に復活し今も生きておられます。
 イエス様は天に上げられましたが、私たちには聖霊が与えられています。
 この聖霊が私たちの内に住んでいます。
 だから私たちの内に光があります。
 私たちの内に喜びがあります。

 パウロは繰り返し、喜びなさいと私たちに命じます。

16 いつも喜んでいなさい。17 絶えず祈りなさい。18 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。19 “霊”の火を消してはいけません。

テサロニケの信徒への手紙一5:16-19

 クリスチャンにだって喜べないこと、祈れない状況、感謝できない出来事は山ほどあります。
 しかしイエス様に出会ったときに私たちは喜ばずにはいられなくなります。祈らずにはいられない。感謝せずにいられなくなります。
 パウロは「霊の火を消してはいけません」と言います。
 それは絶えずイエス・キリストに出会い続け、キリストから油を受け続けなさいということです。キリストとは油注がれた者という意味です。

 今、喜びを失っている人はいますか。祈れない人はいますか。感謝より不平不満があふれてくる人はいますか。
 もう一度イエス様に出会い直してください。

私たちは暗闇の中で輝く世の光

 この世の暗闇はこれからも増すでしょう。
 夜明け前が一番暗いと言います。
 イエス様が帰って来ると、夕べがあっても光がある世界になります。完全な夜明けです。暗闇はなくなります。
 しかしその前に闇は深まっていきます。
 困難な状況は悪化していくでしょう。
 しかし暗闇が深まれば深まるほど、星が良く見えます。光ははっきりと輝きます。暗闇と光との違いがはっきりしていくのです。
 そして人々は気づきます。
 この人たちは何かが違う。ここには暗闇の中で絶えないともし火がある。この人たちの顔を見たら喜びが得られる。この人たちの声を聞いたら元気になる。
 それは私たちが世の光だからです。
 人々は私たちを通して本当の光、イエス・キリストに出会います。

 暗闇が増すこの時代の中で、私たちは聖霊の火を絶やさず光を放つ者になるのです。

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