罪人のかしらの回心

歴代誌講解72

罪人のかしらの回心

歴代誌下 33:1-17

1 マナセは十二歳で王となり、五十五年間エルサレムで王位にあった。2 彼は主がイスラエル人の前から追い払われた諸国の民の忌むべき慣習に倣い、主の目に悪とされることを行った。3 彼は父ヒゼキヤが取り壊した聖なる高台を再建し、バアルの祭壇を築き、アシェラ像を造った。更に彼は天の万象の前にひれ伏し、これに仕えた。4 主はかつて、「エルサレムにわたしの名をとこしえにとどめる」と言われたが、その主の神殿の中に彼は異教の祭壇を築いた。5 彼はまた、主の神殿の二つの庭に天の万象のための祭壇を築いた。6 彼はベン・ヒノムの谷で自分の子らに火の中を通らせ、占いやまじないを行い、魔術や口寄せ、霊媒を用いるなど、主の目に悪とされることを数々行って主の怒りを招いた。7 彼はまた像、彫像を造り、神殿に置いた。神はその神殿について、かつてダビデとその子ソロモンにこう仰せになった。「わたしはこの神殿に、イスラエルの全部族の中から選んだエルサレムに、とこしえにわたしの名を置く。8 もし彼らがわたしの命じるすべてのこと、モーセによるすべての律法、掟、法を行うよう努めるなら、わたしはあなたたちの先祖のものと定めたこの土地から、二度とイスラエルを移さない。」9 マナセはユダとエルサレムの住民を惑わし、主がイスラエルの人々の前で滅ぼされた諸国の民よりも更に悪い事を行わせた。10 主はマナセとその民に語られたが、彼らはそれに耳を貸さなかった。11 そこで主は、アッシリアの王の将軍たちに彼らを攻めさせられた。彼らはマナセを鉤で捕らえ、一対の青銅の足枷につないでバビロンに引いて行った。12 彼は苦悩の中で自分の神、主に願い、先祖の神の前に深くへりくだり、13 祈り求めた。神はその祈りを聞き入れ、願いをかなえられて、再び彼をエルサレムの自分の王国に戻された。こうしてマナセは主が神であることを知った。14 その後、彼は谷にあるギホンの西側にダビデの町の外壁を築いた。それは魚の門にまで達し、オフェルを囲んだ。壁は非常に高く築き上げられた。彼はユダのすべての砦の町に軍の長を配置した。15 彼は異国の神々と偶像を主の神殿から取り除き、主の神殿の立つ山とエルサレムに築かせたすべての異教の祭壇も同様にして町の外に投げ捨てた。16 そして、主の祭壇を築き、その上に和解と感謝の献げ物をささげ、ユダの人々にイスラエルの神、主に仕えるよう命じた。17 しかし民は、彼らの神、主に対してではあるが、依然として聖なる高台でいけにえをささげていた。

汚れを洗い流す

 昨日は大掃除をしました。協力して早くきれいになりました。ありがとうございました。
 神様が与えてくださった建物ですから、大切に管理していきましょう。

 建物の管理で大事なのは、よく使うことです。
 扉を閉めて人が入らなければワックスはきれいなままかもしれません。
 しかしホコリがたまり、カビが生え、クモが巣を張り、荒れていきます。
 扉を開け人が出入りすれば、湿気がこもったりクモの巣が張ったりするのは防げますが、汚れます。
 使えば使うほど汚れる。それは当たり前です。
 汚れたらまた掃除すればいいです。
 教会の汚れを洗い流すとき、それだけここで人の罪も洗い流されたのだと感謝できます。
 教会の建物をよく使いましょう。

罪人のかしらも救われる

 今日の本文は南ユダ王国14代目マナセ王の話です。
 神に従ったヒゼキヤは南ユダ王国最高の王と言われます。その息子マナセが王になりました。

最悪の王マナセ

 マナセの治世は55年に渡ります。これは南ユダ王国の王の中で最長です。
 これだけの長期に渡り治めのだから父のような良い王であったのだろうと思いたくなります。
 しかし実際は真逆でした。南ユダ王国の歴代の王の中で最悪の王としてマナセは記録されています。

 ヒゼキヤが壊した聖なる高台を再建し、バアルやアシェラの偶像を造ります。そして太陽や月、星などを拝む祭壇を神殿の中に造ります。彼の祖父アハズはベン・ヒノムの谷で子どもをいけにえにし、エルサレムをゲヘナ(地獄)のようにしました。マナセも同じことをします。そして占いやまじない、死者の霊との交信などを行います。
 これらはカナンの先住民が行っていた慣習です。
 申命記18章で神は、これらのことが神の嫌うことであり、これらの忌むべき慣習のゆえに先住民をその地から追い出すと語られています。
 事実、神はイスラエルの民を遣わしてこれらの民を追い出していきました。
 神が忌み嫌うことをし続ける民は、その地から追放される。
 この滅びを招く慣習をマナセは行いました。

捕囚の予告

 当然神様の怒りを招きます。
 神はダビデとソロモンに、エルサレムと神殿にわたしの名を置き、この地からイスラエルを移すことはしないと約束していました。
 神の約束は変わることがありません。
 しかし人間の方から神に背き、約束を手放してしまいます。
 そうすると神が約束を実現しようとしても、人はそれを受け取れません。

 神はソロモンにこう警告していました。

19 もしあなたたちが背を向け、わたしの授けた掟と戒めを捨て、他の神々のもとに行って仕え、それにひれ伏すなら、20 わたしは与えた土地から彼らを抜き取り、わたしの名のために聖別したこの神殿もわたしの前から投げ捨てる。こうしてそれは諸国民の中で物笑いと嘲りの的となる。

歴代誌下7:19-20

 マナセがしていたことはまさにこれです。
 神を捨て、神との約束を手放した。
 だから神はマナセと民を抜き取り、投げ捨てようとします。
 後に起こる捕囚の予告です。

悔い改めの機会を拒み続ける

 だとしたら55年という長期政権は矛盾のように感じられます。
 なぜ神はこのようなひどい王を55年も王位につかせていたのか。なぜ早く投げ捨ててしまわなかったのか。
 神が何もしなかったわけではありません。主は預言者たちを遣わし、マナセと民に警告します。
 最悪の王だけれど、悔い改めて立ち返ることを願い、その機会を与えるのです。
 しかし彼らは預言者たちを通して語られる神の声に耳を貸しませんでした。

 これがおそらく50年近く続きます。
 いったい何人の預言者が遣わされ、何度神の言葉が語られたのでしょう。マナセは無視し拒み続けます。
 預言者の中には処刑された人もいたでしょう。
 その間に何人の子どもがいけにえにされたのでしょう。

マナセのバビロン捕囚

 ついに決定的な事件が起こります。
 同じく神に背き続けた北イスラエルは、神がアッシリアを遣わして滅ぼしました。
 神はまたアッシリアを用います。

アッシュールバニパルの獅子狩り

 当時のアッシリア王はアッシュールバニパル。エジプトのテーベまで侵攻して支配地を拡大し、ニネベに世界初の図書館を建てるなどアッシリア最高の繁栄を築いた王です。
 当時アッシリアはバビロンを属国としており、アッシュールバニパルの兄がバビロン王についていました。
 バビロン王は、弟の方がアッシリア王であることに不満を抱き、反乱を起こします。
 南ユダなど周辺諸国はアッシリアから税を課せられていました。マナセはバビロン王の反乱に応じ、アッシリアに反逆します。
 しかしアッシュールバニパルはこれを鎮圧。兄を処刑し、バビロンを完全に支配下に置きます。
 そして将軍を送ってマナセを捕え、バビロンに連れて行きます。マナセのバビロン捕囚です。

マナセの回心

 ついに神の裁きが下った。マナセはやはり最悪の王だった。
 で終わりではありません。
 12節13節に驚くべきことが書いてあります。
 「12 彼は苦悩の中で自分の神、主に願い、先祖の神の前に深くへりくだり、13 祈り求めた。神はその祈りを聞き入れ、願いをかなえられて、再び彼をエルサレムの自分の王国に戻された。こうしてマナセは主が神であることを知った。」
 マナセは神の前に深くへりくだり、祈りました。
 すると神はその祈りを聞き入れ、王座に復帰させました。
 主こそ神であることを知ったマナセはエルサレムの城壁を拡大。神殿から偶像を捨て去るなど、父ヒゼキヤがしたようなことを行いました。
 そしてユダの人々にイスラエルの神、主に仕えるよう命じました。
 最悪の王だったあのマナセが変えられました。罪人のかしらが回心したのです。

教会の敵だったサウロを変えた神の恵み

二コラ・ベルナール・レピシエ

 罪人のかしらといえばサウロが思い浮かびます。
 サウロは教会の迫害者でした。イエス様を信じる人を男女問わず牢に入れました。殉教者ステファノの殺害にも関与ています。まさに教会の敵でした。
 彼がダマスコの信徒たちを迫害しに行く途中、天からの光で目が見えなくなります。
 そこで主の声を聞き、イエスが主であると知ります。
 目からうろこのようなものが落ちて再び目が見えるようになった彼はパウロと名を変えます。そして世界に福音を伝える器として用いられることになります。

 パウロは弟子のテモテにこう書き残しています。

「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。

テモテへの手紙一1:15

 パウロは自分のことを罪人のかしらだと言います。
 このような罪人のかしらでさえも神は救ってくださる。
 パウロの存在が、この驚くばかりの神の恵み深さを証ししています。

驚くばかりの恵み

ジョン・ニュートン

 罪人のかしらでさえも救うイエス・キリストに、救えない人などいません。
 賛美歌「Amazing Grace」(驚くばかりの)を作詞したジョン・ニュートンは奴隷商人でした。
 アフリカ大陸で捕まえた人をイギリスで奴隷として売ります。人を人と思わない罪人のかしらでした。
 ある日彼が乗っていた船が嵐にあい、死にかけます。
 自分のような罪深い人間を神は助けてくれないだろうと思いましたが、奇跡的に助かりました。
 こうしてイエス・キリストを信じるようになります。

悔い改めるのに遅すぎることはない

 このような罪人のかしらが、神の驚くばかりの恵みによって回心するという出来事は教会の歴史の中で何度も繰り返されてきました。
 マナセは捕囚にあい、サウロは目が見えなくなり、ジョン・ニュートンは嵐で死にかけました。
 彼らは追い詰められてようやく主こそ神であると知りました。
 そこまで追いつめられる前に回心した方がいいですよね。マナセには50年間神の言葉が語られ、チャンスが与えられていました。
 しかしこれが人間です。
 神様が何度も何度も機会を与えてくださっているのに、それを拒み続ける罪人です。
 もちろん早く悔い改めた方がいいのですが、最悪追い詰められてから悔い改めるのでもいいです。
 死の間際に悔い改めても。
 遅すぎることはありません。

死刑執行中の極悪人の救い

 イエス様と一緒に2人の強盗が十字架につけられていました。
 彼らは十字架刑になるほどの罪人です。よほどの極悪人でなければ、あの悲惨な刑罰を受けることはありません。罪人のかしらたちです。
 彼らのうちの1人は十字架上でもイエス様をののしります。
 もう一方の罪人はそれをたしなめて言います。「オレたちは自分がしたことの当然の報いを受けている。しかしこの方は何も悪いことをしていないのに十字架につけられている」

42 そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。43 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

ルカ23:42-43

 十字架刑になるほどの罪人のかしらが、死刑が執行されているその最中にイエスに信仰の告白をしました。
 するとイエス様は、あなたは今日わたしと一緒にパラダイスにいると、救いを宣言なさいました。
 遅すぎることはありません。
 どんな人生を歩んできた罪人のからだとしても、イエスを主と信じるなら救われます。
 これが神様の恵みです。

救いのために祈り続ける

 そこで私たちは思います。ああ、神様は恵み深いお方だ。それならあの罪人も、あの極悪人も神様が救ってくれたらいいな。
 世界には今も人を人と思わないマナセのような指導者もいます。
 神様に不可能はありません。祈り続けてください。いつか時が来て、あの罪人のかしらも救われる日が来るでしょう。

この恵みを自分のものとして受け取る

 しかし罪人のかしらはあいつだ、と思っている間は神様の恵みが本当にはわかっていません。
 パウロは「わたしは、その罪人の中で最たる者です」と言いました。
 パウロがこの手紙を書いたのは晩年です。世界中に福音を伝え、教会を建ててきました。たくさんの手紙を書いて各地の信徒たちを励ましました。そのうちのいくつかは聖書に納められ、現在に至るまで教会に多大なよい影響を与えてきました。
 そのパウロが自分を罪人のかしらだと言います。

 今日の本文の17節で「しかし民は、彼らの神、主に対してではあるが、依然として聖なる高台でいけにえをささげていた。」 とあります。
 マナセは回心し、ユダの人々が主に仕えるようにしました。
 表面上は主に礼拝をささげているように見えますが、彼らは相変わらず自分勝手な礼拝をささげていました。本当の意味で悔い改めきれてはいませんでした。
 私たちも表面上は悔い改めているように見えても、心の中で罪人のかしらはあいつだと思っていませんか。
 自分こそが罪人のかしらだった気づくとき、このような罪人を救うためにイエス様が来てくださったという驚くべき恵みが自分のものになります。

 今一度私たちは自分自身を見つめ直す必要があります。
 誰のためにイエス様は来られたのだろう。誰のためにイエス様は十字架で死なれたのだろう。誰に命を与えるためにイエス様は復活してくださったのだろう。
 ああ、私もマナセと同じだ。サウロと同じだ。
 「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実です。
 罪人のかしらを救うために来られたイエス様の恵みを、自分のものとして受け取ることを願います。

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