賜物を罪の道具にする

エゼキエル書講解24

賜物を罪の道具にする

エゼキエル書 16:7-22

7 わたしは、野の若草のようにお前を栄えさせた。それでお前は、健やかに育ち、成熟して美しくなり、胸の形も整い、髪も伸びた。だが、お前は裸のままであった。8 その後、わたしがお前の傍らを通ってお前を見たときには、お前は愛される年ごろになっていた。そこでわたしは、衣の裾を広げてお前に掛け、裸を覆った。わたしはお前に誓いを立てて、契約を結び、お前は、わたしのものになった、と主なる神は言われる。9 わたしはお前を水で洗い、血を洗い落とし、油を塗った。10 そして、美しく織った服を着せ、上質の革靴を履かせ、亜麻布を頭にかぶらせ、絹の衣を掛けてやった。11 わたしはまた、装身具をお前につけ、腕には腕輪、首には首飾りをつけた。12 また、鼻に飾りの輪を、耳には耳輪を、頭には美しい冠をかぶらせた。13 こうして、お前は金銀で身を飾り、亜麻布と絹とで美しく織った服を身に着けた。そして小麦粉と蜂蜜と油を食物とした。こうしてお前は非常に美しくなり、女王のようになった。14 その美しさのゆえに、お前の名は国々の間に広まった。わたしがお前を装わせた装いには、少しも欠けるところがなかったからである、と主なる神は言われる。15 それなのに、お前はその美しさを頼みとし、自分の名声のゆえに姦淫を行った。お前は通りかかる者すべてにこびを売り、身をまかせた。16 また、自分の着物の中から選び出して、華やかな床をしつらえ、その上で姦淫を行った。このようなことは、かつてなかったし、これからもあってはならないことだ。17 お前はまた、わたしが与えた金銀の美しい品々を取って男の像を造り、それと姦淫を行った。18 お前は美しく織った服をとってそれらの像に着せ、わたしの油と香をその前に供えた。19 また、お前はわたしが与えた食物、お前を養ってきた小麦粉、油、蜜をその前に供えて、宥めの香りとした、と主なる神は言われる。20 お前はまた、わたしのために産んだお前の息子、娘たちをとり、偶像の食物として供えた。お前の姦淫はまだ足りないのか。21 お前はわたしの子供たちを殺し、火に焼いて偶像にささげた。22 お前は、あらゆる忌まわしいことや姦淫を行っているあいだ、幼いときに裸で血の中をもがいていたことを思い起こさなかった。

職権乱用

 政治の透明性が問われています。
 去年(2017年)から続いている問題ですが、ある私立学園に国有地があまりに安い金額で売却されました。結局理事長が補助金を不正に受給したということで逮捕されました。
 しかし疑問に残ることは多くあります。この理事長は首相(安倍晋三首相・当時)と親しい人物で、首相夫人が小学校の名誉校長になる予定でした。問題発覚当初から、首相夫妻が国有地の不正取引に関わっていたのではないかという報道がされていました。
 今年(2018年)の3月になって、財務省が決算文書を改ざんしていたことが明らかになりました。まだ真相は明らかになっていませんが、国会で首相は真相究明に消極的で、ますます疑問は深まるばかりです。
 さらに防衛省や厚生労働省でも公文書の隠蔽や統計データの不正が明らかになりました。
 もはや政府の何もかも信じられなくなるような状態です。
 もし政治家や官僚が自分の立場を不正に利用しているとしたら大きな問題です。
 与えられた職権や、資金、時間は正しい目的に従って使わなければなりません。
 これは私たちの問題でもあります。私たちは主なる神様から能力、物質、時間など多くの賜物を与えられています。私たちはそれをどのように利用しているでしょうか。賜物を罪の道具にしてしまっていないでしょうか。

神から与えられた良いものを悪用する

 今日の本文は主がエルサレムを一人の娘の成長にたとえ、その罪を指摘する場面です。
 血の中でもがいていたエルサレムちゃんに主は、生きよと命じました。彼女は美しく育ちましたが、裸のままでした。主はご自分の衣の裾で裸を覆います。そして契約を結び、ご自分のものとしました。主は美しい服を着せ、金銀の装身具をつけ、美しく着飾らせました。また小麦粉、蜂蜜、油で養いました。
 ところがエルサレムちゃんは主が与えたよいものを利用し、姦淫しました。彼女がどこから出てきてその美しさを得たのかは思い出すことがありません。
 私たちはこのように主から良いものを与えられていながら、それを罪の道具にしてしまうことがあります。

神との契約

 まず今日の本文の7節8節で『7 わたしは、野の若草のようにお前を栄えさせた。それでお前は、健やかに育ち、成熟して美しくなり、胸の形も整い、髪も伸びた。だが、お前は裸のままであった。8 その後、わたしがお前の傍らを通ってお前を見たときには、お前は愛される年ごろになっていた。そこでわたしは、衣の裾を広げてお前に掛け、裸を覆った。わたしはお前に誓いを立てて、契約を結び、お前は、わたしのものになった、と主なる神は言われる。』 とあります。
 私たちは神のものです。

裸を覆う

 主はエルサレムを一人の娘にたとえています。
 血の中でもがいていたエルサレムちゃんのところに主が来てくださり、目を留め、生きよと繰り返して言われました。エルサレムちゃんは野の若草のように育ちました。
 春になって植物が勢いよく成長しているのを見ることができます。先週は花びらで一杯だった桜の木も、今週は緑の葉っぱで一杯になっています。そのようにエルサレムちゃんは生命力に満ち溢れて成長していきました。
 しかし彼女は裸でした。

ミケランジェロ「原罪と楽園追放」

 裸とはどういう状態でしょうか。ありのままの姿です。私たちは裸で生まれてきます。
 アダムとエバも裸の状態で造られました。創造されたとき、彼らは裸であることを何とも思っていませんでした。
 ところが罪を犯した結果、裸であることを恥ずかしいと感じるようになりました。
 裸であることは変わっていません。変わったのは神様との関係です。
 罪人である私たちは、ありのままではいられない、恥ずかしい存在です。不完全な存在です。神様との関係を回復し、足りないところを覆ってもらわなければなりません。

 主はエルサレムちゃんのところに再び来て、ご自身の衣の裾で覆ってくださいました。
 主は私たちを義の衣で覆ってくださいます。それは神様との正しい関係を意味します。

誓いを立てる

 主はエルサレムちゃんに誓いを立て、契約を結んでくださいました。それはエルサレムの必要を満たし、生かすという誓いです。
 契約というのは一方的に結ばれるものではありません。双方が義務を負います。
 神がエルサレムちゃんに対して誓いを立てたなら、エルサレムちゃんも神に対して約束しなければなりません。
 それは、神から与えられたもの、与えられた命をどのように用いるかという約束です。
 どのように用いるべきでしょうか。神が与えてくださった目的に従って、正しく使うことです。

 与えられたものは与えられた人のものですから、どう使うかはその人の自由です。しかし与えた人に損失を与えるような使い方は許されません。
 国民から選挙で選ばれた政治家は、その立場を国民の有益のために使うべきでしょう。自分のお友だちのためにその立場を利用してもいいのでしょうか。
 親から生活のため、勉強のために送られた仕送りを酒やパチンコのために使っていいのでしょうか。
 会社には有給休暇という制度があります。年に数日、決まった休み以外に休みの日を取ることができます。
 以前私が働いていた職場で、これを不正に利用した先輩がいました。その先輩は娘の結婚式を理由に、有休を取りました。ところがそれが嘘だったということが明らかになりました。娘の結婚式ではなく、趣味の登山に行っていたのです。会社から与えられた福利厚生の機会を不正に利用してはいけません。
 なぜそれが明らかになったかというと、その先輩は山で滑落し、亡くなってしまったのです。何とも言えない悲しさがありました。

 私たちは主なる神様から賜物を与えられています。これをどう用いるかは自由です。
 しかし与えられた自由を嘘をついて利用してはいけません。
 その嘘が明らかになったとき、何とも言えない悲しみがあります。
 私たちの賜物の使い方は神様を喜ばすものでしょうか。それとも神様を悲しませるものになっていないでしょうか。

神のものとして生きる

 主はエルサレムちゃんを、私のものだと言われます。
 ユダヤでは男性が女性を衣で覆うというのは、プロポーズを意味しています。
 私たちは主のものです。キリストの血によって買い取られました。キリストの花嫁です。
 二人がひとつになるように、キリストと教会には神秘的な結びつきがあります。
 私たち一人一人はキリストの体として結び合わされています。
 体は頭の意思に完全に従うとき、本当に自由です。
 ぶどうの木と枝がしっかりと結び合わされているように、私たちが主の御心に完全に従うとき、私たちは本当に自由です。
 日々、祈りと御言葉で神様と正しい関係をもって歩むとき、本当に命に満ち溢れた人生になります。

神が着飾らせる

 また今日の本文の9節から14節に『9 わたしはお前を水で洗い、血を洗い落とし、油を塗った。10 そして、美しく織った服を着せ、上質の革靴を履かせ、亜麻布を頭にかぶらせ、絹の衣を掛けてやった。11 わたしはまた、装身具をお前につけ、腕には腕輪、首には首飾りをつけた。12 また、鼻に飾りの輪を、耳には耳輪を、頭には美しい冠をかぶらせた。13 こうして、お前は金銀で身を飾り、亜麻布と絹とで美しく織った服を身に着けた。そして小麦粉と蜂蜜と油を食物とした。こうしてお前は非常に美しくなり、女王のようになった。14 その美しさのゆえに、お前の名は国々の間に広まった。わたしがお前を装わせた装いには、少しも欠けるところがなかったからである、と主なる神は言われる。』 とあります。
 主が私たちに与えてくださるものは欠けるところがありません。

美しく着飾る

 主はエルサレムちゃんをご自分のものとしてどのように愛してくださったのでしょうか。
 水で洗い、血を洗い流し、油を塗ってくださいました。スベスベのきれいな肌になります。そして美しく織った服を着せ、上質の革靴を履かせ、亜麻布を頭にかぶらせ、絹の衣を掛けました。さらに腕、首、鼻、耳、頭に金銀の装身具をつけさせます。お姫様のように美しく着飾りました。主ご自身が着飾ってくださったのです。

野の花(ヤマユリ)

 かつてソロモン王も美しく着飾っていたと思われます。彼のファッションについて記録はありません。莫大な財産を持っていたので、人々の前に立つときは豪華な衣装を着ていたことでしょう。しかしあくまでもそれは人が作った美しさです。
 野の花を見てください。美しいです。お金をかけて化粧をしなくても着飾らなくても美しいです。神が装ってくださるからです。
 人間が作る芸術作品は、自然からアイデアを得ているものが多いです。
 ファッションもそうです。草花をデザインとして利用したり、鳥の羽、動物の毛皮を利用したりします。
 大阪のおばちゃんたちは虎の顔がついた服を着ます。
 建築や工業でも自然の美しさを真似しているに過ぎません。
 神が私たちを着飾ってくださいます。

豊かに養う

ホットク

 また主はエルサレムちゃんを小麦粉と蜂蜜と油で養います。
 何ができるでしょうか。ホットクのようなものができそうです。
 着ている服の豊かさに比べると食べ物は寂しい感じがします。肉も食べたいなという気になりますが、これは収穫の豊かさを表しています。
 主は私たちの必要をご存じで、十分に満たしてくださいます。食べきれずに腐らせて無駄にすることはありません。
 世界には食べ物がなく飢え死にする人がいます。一方で日本では食べ物が有り余り、大量に捨てられています。日本で捨てられる分だけでも適切に分配できれば、世界中の人を食べさせることができると言われています。
 浜松市はフェアトレードタウンに認定され、文化芸術大学もアジアで唯一のフェアトレード大学に認定されました。公正な取引によって、恵みを分かち合っていきたいです。

欠けるところがない

 まず大事なことは主なる神様との関係です。
 何を着ようか何を食べようかと思い悩む必要はないのです。主が与えてくださるものは欠けるところがありません。
 私たちは主に養われる羊の群れです。羊飼いである主が与えてくださるものは何も欠けるところがありません。
 羊飼いである主を信頼するとき、その豊かさを味わうことができます。

霊的姦淫

 最後に今日の本文の15節から22節で『15 それなのに、お前はその美しさを頼みとし、自分の名声のゆえに姦淫を行った。お前は通りかかる者すべてにこびを売り、身をまかせた。16 また、自分の着物の中から選び出して、華やかな床をしつらえ、その上で姦淫を行った。このようなことは、かつてなかったし、これからもあってはならないことだ。17 お前はまた、わたしが与えた金銀の美しい品々を取って男の像を造り、それと姦淫を行った。18 お前は美しく織った服をとってそれらの像に着せ、わたしの油と香をその前に供えた。19 また、お前はわたしが与えた食物、お前を養ってきた小麦粉、油、蜜をその前に供えて、宥めの香りとした、と主なる神は言われる。20 お前はまた、わたしのために産んだお前の息子、娘たちをとり、偶像の食物として供えた。お前の姦淫はまだ足りないのか。21 お前はわたしの子供たちを殺し、火に焼いて偶像にささげた。22 お前は、あらゆる忌まわしいことや姦淫を行っているあいだ、幼いときに裸で血の中をもがいていたことを思い起こさなかった。』 とあります。
 私たちは主から与えられたものを使って罪を犯します。

与えられたものを偶像にささげる

 エルサレムちゃんは主から与えられたものをどのように用いたのでしょうか。
 美しい服を寝床に敷き、通りかかる男を招いて姦淫しました。それだけでは飽き足らず、金銀の装身具を溶かして男の像を作り、それと姦淫しました。また小麦粉、蜂蜜、油を宥めの香りとして偶像にささげました。
 これはイスラエルが犯した罪を表しています。
 主はイスラエルを祝福し、大きな王国としました。そこで人々は通りかかるもの、外国の神々を輸入しました。そして神々の像を建て、拝みました。そのような偶像崇拝をしていました。そして外国と同盟を結びました。これは外国の神の力を求めたということでもあります。
 エルサレムちゃんが使った服も金銀も、主が与えたものです。それを他の男と姦淫するために使うとしたら、とんでもない裏切りです。
 イスラエルが偶像崇拝するために使った金銀も、主がイスラエルを祝福して与えてくださったものです。
 イスラエルは神の賜物を罪の道具にしたのです。
 私たちは主から与えられた時間、物質、能力をどのように用いているでしょうか。
 ただ自分の欲望を満たすため、偶像に貢ぐために使っているとしたらとんでもない裏切りです。

子どもを殺す

 さらにエルサレムちゃんは息子、娘たちを火に焼いて偶像にささげました。
 「わたしのために産んだお前の息子、娘たち」とあります。この子たちは主のために与えられた子たちです。彼らは成長し、次世代の信仰者になるべき子どもたちです。しかしエルサレムチャンはその子たちを偶像にささげてしまいました。
 カナンの宗教では、自分の子どもをいけにえとしてささげることが最大限の献身になると考えられていました。
 主はそのようないけにえを喜ぶでしょうか。

6 何をもって、わたしは主の御前に出で/いと高き神にぬかずくべきか。焼き尽くす献げ物として/当歳の子牛をもって御前に出るべきか。7 主は喜ばれるだろうか/幾千の雄羊、幾万の油の流れを。わが咎を償うために長子を/自分の罪のために胎の実をささげるべきか。8 人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである。

ミカ書6:6-8

 主が願っているのは自分の子どもをいけにえにすることではなく、主と共に歩むことです。
 ですから次世代の若者たちや子どもたちを滅びへ向かわせてはいけません。むしろ主と共に歩むことができるように育てるのです。

 私たちは次世代の若者たちや子どもたちにどのように接しているでしょうか。
 若者たちはこの世界に絶望し、自ら命を絶ってしまう人たちも多くいます。
 若者たちが滅びへ、火の中へ向かうのを放っておいてはいけません。
 福音を聞いた私たちは、これを次の世代に伝えなければなりません。
 私たちが見聞きした情報も、神から与えられた賜物です。
 これを若者たちや子どもたちを生かすために用いましょう。

どこから出たか思い出せ

 エルサレムちゃんは自分がどこから出てきたか思いう起こすことがありませんでした。
 血の中でもがいていた彼女に神が生きよと言ってくださったので、彼女は生かされています。
 主があらゆる良いものを与えてくださったので、彼女は美しく着飾ることができました。
 私たちは自分がどこから落ちたかを思い出すとき、正しい道に立ち帰ることができます。
 罪の中でもがいていた私たちに神が目を留め、生きよと言ってくださいました。
 独り子イエスを与え、私たちを救い出してくださいました。
 私たちが持っているものは、主が与えてくださったものです。それを思い出すとき、与えられたものを正しく用いることができます。

だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。もし悔い改めなければ、わたしはあなたのところへ行って、あなたの燭台をその場所から取りのけてしまおう。

黙示録2:5

 神から与えられたものを間違って使っていたなら、神の言葉に立ち返りましょう。神様との正しい関係に立ち返るのです。
 そのとき私たちは賜物の使い方を見出します。
 与えられた時間、物質、能力、情報を神の栄光をあらわすために用いる人生へ変えられるのです。

 私たちは神なしには生きられない存在です。
 神は私たちの必要を充分に満たしてくださいます。
 与えられたものを神の栄光のために用いる私たちになることを願います。

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