歴代誌講解21
重すぎる王冠
歴代誌上 20:1-3
1 年が改まり、王たちが出陣する時期になった。ヨアブは軍隊を率いてアンモン人の地を荒らし、ラバに来てこれを包囲した。しかしダビデ自身はエルサレムにとどまっていた。ヨアブはラバを攻略し、破壊した。2 ダビデはその王の冠を王の頭から奪い取った。それは一キカルの金で作られ、宝石で飾られていた。これはダビデの頭を飾ることになった。ダビデがこの町から奪い去った戦利品はおびただしかった。3 そこにいた人々を引き出し、のこぎり、鉄のつるはし、斧を持たせて働かせた。また、アンモン人のほかの町々もすべてこのようにした。それからダビデと兵士は皆、エルサレムに凱旋した。
キングには品位が求められる
横綱白鵬が引退しました。
モンゴルのウランバートル出身で、父親はモンゴル相撲の横綱、メキシコ五輪レスリング銀メダリスト。相撲を学ぶために15歳で日本に来ました。
弟子入りしてから3年後、19歳1か月の若さで幕内力士になりました。
幕内力士というのは相撲のランキング上位42人で、一番上のカテゴリーになります。
その3年後には横綱に昇進。
幕内として歴代1位の通算1093勝。最高連勝記録は歴代1位タイの63連勝。相撲は年間6場所行われますが、史上初の6場所全勝優勝を果たすなど、様々な記録を残しました。
近年はヒザを痛めたことや新型コロナウイルスの影響で休場が増えました。そんな中で迎えた今年の7月場所では全勝優勝を果たし、横綱としての強さを見せました。
年齢は36歳。私と同じです。36歳なんて常に体のどこかが痛いですからね。それでトップアスリートであり続けるのですから、まさに相撲界のキングです。
サッカーには54歳で現役のキングもいますね。
キングであり続けるのは大変なことです。ただ強くあればいいということではありません。
影響力がありますから、品位が求められます。
白鵬も相手を威嚇するような態度、張り手、勝った後のガッツポーズなどが横綱としての品位に欠けると批判されてきました。
高い地位には重い責任が伴います。
何かを得たと思うときこそへりくだる
今日はアンモンとの決戦、ラバ包囲戦です。
イスラエルを侮辱したアンモンに、ダビデ王は将軍ヨアブを送りました。ヨアブたちは援軍のアラム軍を退け、アンモン軍も逃げ去りました。
またダビデ王はツォバの王ハダドエゼルの配下にあったアラム軍も打ち破りました。
イスラエルの周辺の敵はアンモンだけになりました。そのアンモンとの戦いも、首都ラバを陥落させれば終わりです。
ダビデはヨアブを送り、ラバを包囲させました。ラバが陥落するのは時間の問題です。
歴代誌の著者はヨアブが簡単にラバを攻略したかのように書いていますが、実はこのラバ包囲戦の間に、重大な事件が起きていました。
春を楽しんでいたダビデ
「年が改まり、王たちが出陣する時期になった」とあります。これは春の収穫の後です。
穀物の収穫は国を治めるために大切なことですから、戦争をしている場合ではありません。ユダヤのカレンダーでは1年が春分の日のあたりから始まります。大麦の収穫は過越し祭の頃に始まるので、ラバ包囲戦が始まったのはこの時期でしょう。今のカレンダーで言うと4月頃です。春ですね。
ダビデ自身も人生の春のような時期を過ごしていました。
神の箱をエルサレムに運び、神が家を建てるという約束も受け、周囲の敵もほぼ制圧しました。
ダビデはイスラエル帝国の帝王のような地位に君臨していました。
優秀で信頼の置ける部下もいます。ダビデ自身が出陣しなくても、ヨアブがアンモンを倒してくれます。
命がけのラバ包囲戦
しかし包囲戦というのは野戦とは違う難しさがあります。
城壁で囲まれた都市を攻略するためには、城門を打ち破らなければなりません。しかし城門に近づけば、城壁の上にいる敵から狙い撃ちにされます。
ヨアブたちは命がけで戦いに臨んでいました。
優雅にお散歩をしているダビデ
その間ダビデは何をしていたのでしょう。
サムエル記によれば、ダビデは昼寝をし、夕方に起きて王宮の屋上を散歩していました。
さすが王様。優雅です。
散歩していると、1人の美しい女性がシャワーを浴びているのが見えました。
彼女はウリヤの妻バト・シェバです。
ウリヤはダビデの勇士の1人にも数えられる有能な部下でした。もちろんラバ包囲戦に参加し、命がけで戦い続けています。
ダビデはそれを知りつつ、バト・シェバを王宮に呼び出しました。そして関係を持ってしまいます。
不倫と殺人
事件は続きます。
バト・シェバは妊娠してしまいました。
ダビデは事件がバレるのを恐れ、ウリヤを呼び戻しました。そして家に帰って休むように言いました。
ウリヤが家でバト・シェバと夫婦の関係を持てば、妊娠をごまかせます。
ところがウリヤは家に帰らず、他の家臣と共に王宮の入口で寝ました。
なぜ帰らないのかと聞かれたウリヤはこう答えました。
ウリヤはダビデに答えた。「神の箱も、イスラエルもユダも仮小屋に宿り、わたしの主人ヨアブも主君の家臣たちも野営していますのに、わたしだけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にしたりできるでしょうか。あなたは確かに生きておられます。わたしには、そのようなことはできません。」
サムエル記下11:11
ウリヤは本物のイスラエルの勇士でした。
ところがダビデはこの勇士を、自分の立場を脅かす敵とみなしました。
そして戦場に送り返すと、ウリヤを最前線に置き去りにして死なせろと命令を出しました。
ヨアブは王の言う通りにし、ウリヤは戦死しました。
ダビデがウリヤを殺したも同然です。ダビデにとって最大の過ちと言っていい事件です。
人は称賛によって試される
人生には春のような時期が巡ってきます。
それまでの忍耐と努力が報われ、花が咲き、実を結ぶ時期です。すべてが上手くいきます。
自分が人生の王座についたかのように思えてきます。
このように順調なとき、人からほめられるときこそ、私たちは試されます。
銀にはるつぼ、金には炉。人は称賛によって試される。
箴言27:21
どれほど多くの人が、富や名誉を手にした後に問題を起こし、倒れてきたことでしょうか。
へりくだった王の王
イエス様に3年半の間従った弟子たちは、すべてが上手くいっているように思いました。
行く先々で多くの人に囲まれ、たくさんの病人を癒しました。弟子たちがイエスの名で命じれば、悪霊を追い出すこともできました。
エルサレムへ向かうイエス様は、きっとイスラエルの王座につくのだろう。
ヤコブとヨハネは、自分たちなら天から火を降らすこともできると思っていました。
イエス様が王様なら、自分たちは右大臣と左大臣だ。
そしてイエス様に、自分たちをあなたの右と左に座らせてくださいと願いました。
そんな彼らに、イエス様は本当の王の姿を教えます。
43 しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、44 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。45 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
マルコによる福音書10:43-45
王は他人を利用する人ではなく、他人を生かす人です。仲間が苦しんでいるときに自分の人生を楽しむ人ではなく、共に苦しみを分け合う人です。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざがあるように、自分が何かを得たと思っているときこそ、へりくだる必要があります。
すべての人に仕え、十字架でご自分の命をささげて私たちを救い出したイエス様こそ、王の王、主の主です。
王としての責任は1人では負えない
ダビデは預言者ナタンの指摘で自分の罪を認め、悔い改めました。
その後、長期戦になっていたラバ包囲戦はヨアブの攻撃で決着がつきました。
最後にダビデ自身が出陣し、ラバは陥落しました。
そしてアンモンの王の頭から冠を奪い取りました。
重すぎて1人では被れない王冠
その冠は1キカルの金で作られ、宝石で飾られていたとあります。
1キカルは約34.2㎏です。重すぎます。
頭の上に荷物を載せて運ぶという運搬方法がありますね。
体重の20%までであれば、荷物を効率よく運べるのだそうです。
だからダビデ王の体重が170㎏以上あれば、この王冠も被れます。
白鵬の体重が151㎏ですから、ダビデが横綱以上の巨漢であれば、ということです。さすがにそれはないでしょう。
普段は被らなかったはずですが、一応戴冠式は行ったようです。
重すぎる王冠ですから、仲間の支えが必要だったことでしょう。
神はあなたの頭にも王冠を被せる
自分は王ではないし、人生が上手くいっているわけではない。王冠を被るわけがないし、人からほめられることもない。そのように思う人もいるかもしれません。
しかし神はあなたをそのように見ていません。
神はあなたを全世界の祝福の源とし、王、また祭司とされたのです。
あなたには世界を祝福する責任があります。
そんな責任、重すぎて負いきれません。あなたの頭にも1キカルの王冠が被せられているのです。
へりくだる人に支え合う仲間がついてくる
この重すぎる王冠は仲間の支えが必要です。
それはヨアブのようにあなたと共に戦ってくれる仲間。ウリヤのように苦しみを分け合ってくれる友。そしてナタンのようにあなたの間違いをまっすぐに指摘してくれる人です。
そういう仲間を大切にしないなら、私たちは倒れます。
あなた自身も、仲間に助けを求められる人、悲しみや喜びを表現できる人、素直にごめんなさいと言える人であるなら、仲間はついてきます。その姿は謙遜だからです。
間違えてもごめんなさいと言わず常に無表情な指導者たちを見習ってはいけません。
神の素晴らしさを輝かせることがあなたの責任
聖書の中で謙遜な人と言えば、洗礼者ヨハネです。
彼はイエス様を見てこう言いました。
あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」
ヨハネによる福音書3:30
ヨハネは人々から尊敬される働きをしました。
しかし彼は自分を低くし、他の人を高めました。何より、イエス様、神様を高めました。
人生の王座につくべきは神様です。イエス様こそ王の王、主の主です。
神様の素晴らしさを表すこと、それが私たちの生き方です。
仲間と共に支え合い、神様の栄光を表していくのです。
神こそ賛美を受けるのにふさわしいお方です。