十戒5
主の名をみだりに唱えるな
出エジプト記20:7
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
名前は大事
第三戒は「あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主はみ名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう」です。神様の名前を正しい心で用いなさいという戒めです。
名前はとても大事なものです。
「わたしは、ダニエル・ブレイク」という映画を観ました。
大工として誠実に働いてきたダニエル・ブレイクは心臓の病気を患い、仕事を失いました。国からの手当を申請しようとしますが、複雑な制度が立ちはだかります。ダニエルは助けを求めますが、お役所の人はマニュアル通りの対応で取り合ってくれません。そこで問われるのは人間の尊厳です。ダニエルは訴えます。「わたしは、ダニエル・ブレイク。一人の人間だ」と。
私たちには名前が与えられています。人間A、人間Bではありません。一人一人、違った名前が付けられています。
ですから名前を知ることで、他の人とは区別された、一人の人間を知ることになります。
そして名前を呼んでもらうと、一人の人間として扱われている感じがします。
だから誰かと親密な関係を築きたいなら、名前を知り、名前で呼ぶことはとても大切なことです。
名前を通して親密な関係を築きたい
主なる神様に名前があるというのは不思議な感じがします。主は唯一だからです。他と区別する必要はありません。
それでも主は、モーセにご自分の名を知らせました。
神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」
出エジプト記3:14
「わたしはある」ヘブライ語では「ヤハウェ」という言葉だったと考えられています。これが神様のお名前です。イスラエルの民は「ヤハウェ」と呼ぶことを避け、「アドナイ(主)」と呼びました。
それはやはり、イスラエルとの親密な関係を築きたいからです。主は私たちの名を呼び、そしてご自身の名を呼んでほしいと願っています。
2 主はこう言われる。創造者、主、すべてを形づくり、確かにされる方。その御名は主。3 「わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる。
エレミヤ書33:2-3
名前の呼び方には注意が必要
しかし名前の呼び方には気をつけなければなりません。
たとえばアディダスというブランドがありますが、観光地などに行くと「アジデス」というロゴが入ったTシャツが売られていたりします。
力がある名前を利用したり、名前を冗談で使ったりするわけです。
神様の名前も気をつけて使わなければなりません。占いやおまじないのようなものに主の名を使ってはいけません。
エフェソでユダヤ人の祈祷師が、「パウロが宣べ伝えているイエスによって」悪霊に命令しようとしたことがありました。主イエスのお名前を自分の利益のために利用しようとしたわけです。彼は悪霊に襲われ、裸にされてしまいました。
子どもたちが「どちらにしようかな、天の神様の言う通り…。」と言って選んだりすることがあります。神様の名前を自分の利益のために利用することがないようにしたいです。
また私のような人の言葉より、「子曰く(孔子はこう言った)」とか言った方が正しいことのように聞こえます。
「主はこう言われる!」とか「神様の名前にかけて誓います」とか言うと、何でも本当のことのように聞こえてしまいます。
自分の言葉を正しく見せるために神様の名前を借りてはいけません。
神様の名前を冗談に使うこともあるかもしれません。
日本語だと何でも神と言ってしまいますね。スポーツの神様とか映画の神様とか、神ってるとか。
軽々しく何でも神にしてしまわないように気をつけたいです。
主への畏れをもって名前を呼ぶ
第三戒で主は、「主はみ名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう」と警告しています。
主の御名を正しく用いているかどうかは、人間には判断が難しいことがあります。
しかし主はその心をご覧になり、必ず正しく裁きます。
だから主への畏れを持って、正しい心で主の御名を呼ばなければなりません。
主の名を呼ぶことを恐れたユダヤ人
ユダヤ人はこれを過度に恐れました。ヤハウェと口に出すこと自体を恐れました。
しかし聖書の朗読も命じられています。読むために口に出すことは避けられません。
それで聖書の中でヤハウェを表す「YHWH」という語が出てきたら、アドナイ(主)と読み替えていました。
これがずっと続いたので、やがて「YHWH」の正しい読み方さえ分からなくなってしまったほどです。
主を父と呼んだイエス
そんなユダヤ人にとって、イエスの言葉は衝撃でした。
イエスは主のことを父と呼び、「わたしと父とは一つである」とまで言ったのです。
ユダヤ人は、イエスが神を冒涜していると思いました。
しかしイエス様は実際に神の子であり、三位一体の神ご自身です。だから何も問題はありません。
聖霊によってアッバ父よと呼ぶ
そもそも、神様ご自身が、私たちに名前を教えてくださったのです。そして、名前を呼べと言っています。それは私たちと親しい交わりを持ちたいからです。
だから神の子とされた私たちも、主を父と呼ぶことが許されています。
あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。
ローマの信徒への手紙8:15
父というのは代名詞であって、名前ではありません。
でも主をお父さんと呼ぶことができたら、神様を身近に感じられませんか?
このように、名前以外にも神様と親しい関係を持つことができるように、神様が与えてくださったものがあります。
主という称号もそうだし、父なる神とか創造主、愛の神とかいう性質を表す言葉もそうですね。また御言葉もそうです。
これらのものも正しく用いながら、主の御名を呼び求める神の民でありたいと願います。