ビジョンと使命4
あなたの人生は大切
イザヤ書43:1-7
1 ヤコブよ、あなたを創造された主は/イスラエルよ、あなたを造られた主は/今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。2 水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず/炎はあなたに燃えつかない。3 わたしは主、あなたの神/イスラエルの聖なる神、あなたの救い主。わたしはエジプトをあなたの身代金とし/クシュとセバをあなたの代償とする。4 わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛し/あなたの身代わりとして人を与え/国々をあなたの魂の代わりとする。5 恐れるな、わたしはあなたと共にいる。わたしは東からあなたの子孫を連れ帰り/西からあなたを集める。6 北に向かっては、行かせよ、と/南に向かっては、引き止めるな、と言う。わたしの息子たちを遠くから/娘たちを地の果てから連れ帰れ、と言う。7 彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。わたしの栄光のために創造し/形づくり、完成した者。
人が大事
先々週の日曜日から大河ドラマは「青天を衝け」が始まりました。
渋沢栄一が主人公です。2024年から1万円札の肖像になる人です。
今のみずほ銀行の基になる銀行の設立を指導したり、様々な企業の設立に関わったりして日本の商業の発展に貢献しました。
また社会活動にも熱心で、日本赤十字社の設立にも携わり、商業教育や女子教育の発展にも協力しました。
その渋沢栄一はこのような言葉を残しています。
「できるだけ多くの人に、できるだけ多くの幸福を与えるように行動するのが、我々の義務である。」
自分の利益よりも公益を求めました。
実業家や企業は自分たちが豊かになるだけではなく、周りの人を豊かにし、社会全体を豊かにしなければならない。そのような経営の社会的責任を説きました。
自分たちの利益ばかりを追求して労働者を苦しめたり、家族を犠牲にしたりするような経営をしてはいけないのです。
人が大事です。
教会という組織は企業とは違います。企業の経営の仕方をそのまま当てはめることはできません。
しかし教会も人の集まりです。人を大事にする教会でありたいです。
生活の中で果たすべき責任がある
今日は教会のビジョンと使命の4つ目「一人一人の遣わされる生活の現場、この浜松の地で祝福の源となり、神様の栄光を表す」です。
先週までは一致という教会のビジョンについて分かち合いました。
今日と次回は調和というビジョンについて考えていきます。
教会に一致が生まれたらそれで満足というわけにはいきません。
教会はこの社会の中にあります。私たちにはそれぞれの生活があります。私たちの人生には、それぞれの生活の中で果たすべき責任があります。
そこで教会がどうあるべきかが問われます。
「あなた」に向けた神の言葉
今日の本文は預言者イザヤによってイスラエルの救いが約束される場面です。
イザヤの時代から200年ほど後、南ユダ王国はバビロニアによって滅ぼされ、バビロンに捕囚として連れ去られます。それはイスラエルの民が主を捨てたからでした。
しかし主はイスラエルの民を再び約束の地に連れ帰ります。
そこで主はヤコブよ、イスラエルよと名前を呼び、「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し」ていると呼びかけます。
この預言はバビロン捕囚から70年後、ペルシアのキュロス王の時代に実現しました。キュロス王はユダヤ人を解放し、故郷に帰ることを許しました。
またこの預言はイエス・キリストによっても成し遂げられました。
神を捨て、罪の奴隷であった私たちをイエス・キリストは贖い、救い出しました。
私たちもイエス様から名前を呼ばれ、「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し」ていると呼びかけられています。
この預言の言葉は私たちにも語られています。
ここで注目したいのは、イスラエルという集合体ではなく、あなたという個人に向けて呼びかけられていることです。「あなた」と繰り返し言われています。
神はあなたの名前を呼び、あなたは大切な存在だと言うのです。
聖書はイスラエルという共同体、教会という組織の大切さも教えます。
それと同時に、あなた個人の人生も大切だと語ります。
自分自身がどれほど尊い存在か忘れないでください。
あなたの人生の価値を決めるのは、大企業に勤めているとか偏差値の高い学校に通っているとかいう所属ではありません。どんなプロジェクトを成し遂げたかという成果でも、テストの成績でもありません。運動能力でもありません。年収でもなければ持っている財産でもありません。見た目の美しさでもないし、結婚しているとか子どもがいるとかいうことでもありません。
あなたの人生の価値は、あなたを造られた神様が知っています。
罪の中で自分の価値を見失い、空しいものを追い求めていたあなたを、神様は贖いました。
あなたは代価を払って買い戻された
贖いには代価を払って買い戻すという意味があります。神様はあなたを買い戻すために、どれほどの代金を支払ったのでしょうか。
人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
マルコによる福音書10:45
神は独り子の命を身代金としてささげました。
あの十字架で流された血潮によって、あなたは罪の奴隷から解放され、神のものとされたのです。
あなたは尊い存在
物の価値は、それに対しどれだけの代価を支払えるかによって決まります。
私が着ている服を、代価を払ってまで欲しいと思う人はいないでしょう。
同じ服をBTSが着たらどうでしょう。同じ服でも、ファンの人にとっては代価を払って買い取りたくなるかもしれません。
先日、BTSがDynamiteのミュージックビデオで着ていた衣装がオークションに出されました。それをユーチューバーのヒカキンさんと実業家の前澤友作さんが落札しました。その値段は16万2500ドル。日本円で1700万円にもなります。すごいですね。
BTS「Dynamite」着用衣装、前澤友作氏とHIKAKINが落札 収益金で苦境の音楽業界支援へ
彼らはこの服に、それだけの価値を見出していたということです。
神様はあなたのために独り子を与えました。
あなたは高価で尊い存在だからです。あなたは神に愛されています。
神の栄光を表す人生
そのように尊い存在である私たちは、尊い存在として生きているでしょうか。
自分を大きく見せようとして所属や成績、持ち物、美しさによって外側を飾ろうとしていないでしょうか。あるいは見栄を張ったり嘘をついたりして自分を善良な人間であるかのように思わせてはいないでしょうか。
私たちの人生は、そんな空しいものを追い求めるためにあるのではありません。
神様は人を神のかたちに創造しました。
神のかたちとは、神様のイメージを表す存在ということです。
世界は、神のかたちである私たちを通して、神様がどのようなお方かを知ります。神様の素晴らしさを知ります。
それが神の栄光を表すということです。
ウェストミンスター小教理問答の第1問は、「人のおもな目的は何ですか」です。
答えは「人のおもな目的は、神の栄光を表し、永遠に神を喜ぶことです」。
私たちはそれぞれの生活の場所で、神様がどれほど素晴らしい存在であるかを表していくのです。
ありのままの自分から神の栄光が表れる
どうしてこんな私から神様の素晴らしさが表されるのでしょう。
プロスポーツ選手のように活躍して、ヒーローインタビューで「神様は私の力です」と宣言したり、美しい歌声で神様を賛美したりしなければいけないということでしょうか。
そうできれば、そうしたらいいです。
スポーツや芸術、また勉強で活躍する人が神様を賛美するなら、それは大きな影響力があります。皆さんの中からもそのようにトップレベルの活躍をする人が出てきてほしいと願っています。
しかし私たちが目指すところは、私ではなく神様の栄光です。
だから私たち自身が金や銀のように輝いていなくてもかまいません。ただの土の塵から造られた塊でもいいです。欠けていたりひびが入っていてもいいです。
パウロは言っています。
ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。
コリントの信徒への手紙二4:7
土の器でいい。欠けやひびがあっていい。自分を大きく見せようとしなくていい。善良な人間と思わせなくていい。
むしろその弱さの中から、神様の素晴らしさが表れます。
私たちの生活がうまくいっているとき、神様をたたえましょう。
うまくいかないときも神様は共にいます。主は海の中に道を作り、燃える炉の中でも守るお方です。どんな時も共におられる主をたたえましょう。
自分の弱さや足りなさに打ちひしがれることがあっても、こんな私を愛してくださる主をたたえましょう。
神の栄光を輝かし続けるための補給基地
私たちが生活の現場で神様の栄光を表し続けるためには、ベースキャンプが必要です。
ライトを輝かし続けるためには、充電が必要です。
そのために私たちには信仰の共同体が与えられています。
イスラエルの民は集まることを大事にしていました。
バビロン捕囚などをきっかけにして、民は東へ、西へ、北へ、南へ、そして地の果てへと散らされていきました。それを主は呼び集めます。
祭りのときにはエルサレムに集まって礼拝をささげていました。
その礼拝の様子を思い浮かべ、巡礼者たちはこのように賛美しながらエルサレムに上りました。
1 【都に上る歌。ダビデの詩。】見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。2 かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り/衣の襟に垂れるアロンのひげに滴り 3 ヘルモンにおく露のように/シオンの山々に滴り落ちる。シオンで、主は布告された/祝福と、とこしえの命を。
詩編133:1-3
集まって礼拝するところに、主の命の祝福が油のように流れます。
主は私たちも呼び集めます。東から、西から、北から、南から、そして地の果てからも呼び集めます。
エルサレムまで行かなくていいです。私たちには教会があります。
教会での礼拝や交わりで、私たちは恵みを補給します。
オンラインという形もありますが、共に礼拝し交わることで恵みを補給するという点は変わりません。
そして再び生活の現場へと遣わされていきます。
恵みを補給するために教会を使う
大事なのは、私たちがそれぞれの人生を生きるために教会があるということです。教会という組織のために私たちがいるのではありません。
私たちは洗礼を受け、教会に所属します。教会では礼拝や奉仕、献金などの教会員の義務があります。教会を建て上げるために、仕えることが求められます。
しかしそれは教会の一面に過ぎません。教会員には仕える義務と同時に、恵みを受ける権利があります。
義務の面を強調して、礼拝出席は絶対!日曜日は仕事も部活も禁止!奉仕のために土曜から日曜の夜までささげよ!献金は義務!収入の十分の一は税金だ!となるとどうでしょう。
教会という組織は大きくなるでしょう。いつも人がいてにぎやかになって、人をひきつけるでしょう。働く人もたくさんいるので、色々な活動ができます。資金もあるので建物を大きくしたり広報に力を入れたりすることもできるでしょう。
そういう教会のいい面もあるので、否定はしません。
しかし私たちの教会が目指すところはそこではありません。
私たちには義務もありますが、権利があります。恵みを受ける権利です。
恵みを受けるために、教会を使ってください。
恵みを受けて生活の現場に遣わされていく
毎週日曜日の礼拝。ここに命の祝福が注がれています。それを受け取って生活の現場に出ていきます。
恵みを慕い求めてください。飢え渇く心で主を求めてください。
神様はあなたの名前を呼んでいます。その声が聞こえますか。あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ、という天のお父さんの声が聞こえますか。
賛美と祈りの中で主と語りましょう。
神と隣人への愛を奉仕で表してください。
献金という形で応答することもいいでしょう。
そして神様からの祝福を受け、この世界に出ていくのです。
恵みを受け取るのは日曜日だけでは不十分です。
ライトを省エネモードにして少ししか輝かさなければ、1週間でも持つかもしれません。
しかしライトの出力を上げて広く明るく輝かせようとすれば、電池を早く消費します。
平日も聖書を読んだり祈ったりして恵みを補給することが大事です。
信仰の友や家族と一緒に恵みの時を持つことも大事です。平日も互いに連絡を取り合いましょう。
教会を気軽に集まる場所、遊ぶ場所として利用してもいいです。一緒にジュビロの試合を観戦しよう!とかでもいいです。
また、牧師も利用してください。聖書を学ばせてください。試験がありますから祈ってください。試合があるから、出張や旅行があるから祈ってください。癒しのために祈ってください。子どもをキャンプや集会に参加させたいから送迎してください。皆さんが恵みを受け取るためなら、喜んで使ってもらいます。
皆さんが恵みを受け、それぞれの遣わされる生活の現場、この浜松の地で祝福の源となり、神様の栄光を表していくことを願います。