エゼキエル書講解2
あなたは神が望んだ命
エゼキエル書 2:1-17
1 イスラエルの子らは次のとおりである。ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ゼブルン、2 ダン、ヨセフ、ベニヤミン、ナフタリ、ガド、アシェル。3 ユダの子エル、オナン、シェラの三人は、カナン人バト・シュアを母として生まれた。ユダの長男エルは、主の御旨に背いたので、主は彼の命を絶たれた。4 ユダの嫁タマルはユダの子ペレツとゼラを産んだ。ユダの子は皆で五人であった。5 ペレツの子は、ヘツロン、ハムル。6 ゼラの子は、ジムリ、エタン、ヘマン、カルコル、ダラの五人。7 カルミの子は、アカル。このアカル(災いをもたらす者)は、滅ぼし尽くしてささげるべきことに対して不誠実で、イスラエルに災いをもたらした。8 エタンの子は、アザルヤ。9 ヘツロンに生まれた子は、エラフメエル、ラム、ケルバイ。10 ラムにはアミナダブが生まれ、アミナダブにはナフションが生まれ、彼はユダ族の首長となった。11 ナフションにはサルマが生まれ、サルマにはボアズが生まれ、12 ボアズにはオベドが生まれ、オベドにはエッサイが生まれ、13 エッサイには長男エリアブ、次男アビナダブ、三男シムア、14 四男ネタンエル、五男ラダイ、15 六男オツェム、七男ダビデが生まれた。16 彼らの姉妹は、ツェルヤ、アビガイル。ツェルヤの子は、アブシャイ、ヨアブ、アサエルの三人。17 アビガイルはアマサを産んだ。アマサの父はイシュマエル人イエテルであった。
親から望まれなかった命はある
先週、22歳の女性が逮捕されました。自宅で産まれたばかりの男の子を窓から投げ捨て、放置した殺人未遂の疑いです。赤ちゃんは病院で治療を受けています。
女性は殺すつもりはなかったと言っていますが、投げ捨てたことは認めています。
自分のお腹を痛めて産んだ子どもを投げ捨ててしまう。通常では理解しがたい行動です。
どうしてこうなってしまったのか、詳しく知りたいです。
彼女はなぜ自宅で出産したのか。両親や友人など頼れる人はいなかったのか。そもそも赤ちゃんの父親はどこで何をしていたのか。彼女は妊娠を望んでいたのか。
2020年に警察が摘発した児童虐待事件は2133件で、18歳未満の2172人が被害にあいました。5年間で2倍に増えています。
亡くなった子どもは2019年から7人増えて61人になりました。その内11人が出産直後に死亡しています。
赤ちゃんが生まれた直後に虐待で死なせてしまうとすれば、母親はその子の誕生を喜べない何かがあったということでしょう。
2019年度に人工妊娠中絶は15万6430件でした。妊娠した女性の15.3%が中絶し、出産しないという選択をしています。
母親の体を守るために仕方なく中絶するという場合もありますが、望まない妊娠も多くあったことでしょう。
お腹の中に芽生えた新しい命を喜べないということが、この国だけで何万件もあるのです。
このように母親や父親が望まなかった命はあります。
しかし神が望まない命はありません。
ユダ族の系図
今日はヤコブからダビデまでの系図です。
イスラエルと呼ばれたヤコブには12人の息子たちがいました。この12人の中でヨセフに代えて2人の息子マナセとエフライムを加え、レビを除いた12人によってイスラエルの12部族が形成されます。
その中で最大の勢力に成長したのがユダ族でした。このユダ族を中心に南ユダ王国が築かれ、ユダヤ人となっていきます。
歴代誌はユダヤ人に向けて書かれたので、12部族の中で特にユダ族の系図と、祭司を担うレビ人の系図が記されています。
すべての命は神が望んだ命
ヤコブには4人の奥さんがいました。最初の奥さんはレアでしたが、本命はその妹のラケルでした。ヤコブはラケルを愛し、レアを大事にしませんでした。
それで神様はレアに4人の男の子を続けて与えました。長男ルベン、次男シメオン、三男レビ、四男ユダです。
ルベンは「主が苦しみを顧みる」、シメオンは「疎んじられているのを主が耳にした」、レビは「これからは夫が結びつく」という願望を込めた名前になっています。夫に大事にされなかったレアの悲しみが表れています。しかしここでレアは主に目を向け、四男には「主をほめたたえる」という意味を込めてユダと名付けました。
名前にはこのように親の願いが込められています。
ヤコブの本命であラケルはヨセフとベニヤミンを産みました。ベニヤミンは難産で、出産のときにラケルは死んでしまいます。
ラケルは息を引き取るときに生まれた男の子にベンオニという名前をつけました。ベンはヘブライ語で子どもという意味がありますから、ベンオニはオニの子です。鬼ではありません。オニは苦しみですから、苦しみの子です。ラケルさんは美人だったみたいですけど性格はちょっと…。しかしヤコブはこの子をベニヤミン、右手の子、幸いの子と呼びました。
このようにヤコブの子どもたちだけ見ても父親から大事にされなかったり母親から呪いの名前をつけられたりしています。
息子たちも父親の関心が自分たちではなくラケルの子であるヨセフに偏っているのを感じていました。それで弟のヨセフがエジプトに売られるという事件を起こしてしまいます。
昼のドラマのようです。
ユダの家もドロドロです。
ユダはシュアという女性と結婚し、エル、オナン、シェラが生まれました。エルが成人するとタマルという女性を嫁に迎えました。
しかしエルには主の御心に背くところがありました。それでエルは子どもがいないまま死んでしまいます。
家を継ぐために、当時の風習に従ってタマルはオナンに嫁ぎました。しかしオナンも主の御心に背き、死んでしまいました。
タマルは何も悪くないのですが、息子が2人続けて死んでしまったので、ユダはタマルをシェラに嫁がせるのをためらいました。それで何年もタマルを放置します。
かなりの年月が経ってからユダはタマルの家の近くに行くことになりました。
タマルはユダに会うために変装して待ちます。ユダは変装したタマルを娼婦だと思って、関係を持ってしまいます。こうしてペレツとゼラという双子が生まれます。
ユダ族はユダの姦淫によって生まれた部族ということになります。
ゼラの子孫でカルミの子アカルという人が出てきます。名前の横に「災いをもたらす者」と書いています。悪魔ちゃんみたいな、ストレートな呪いの名前です。
ヨシュア記によればもともとの名前はアカンです。エリコを占領したときに滅ぼし尽くすべきものを自分のものにしてしまったために、次の戦争でイスラエルの敗北を招いてしまいました。
アカンはあかんことをしてしまったのです。
それで災いという意味のアコルにちなんでアカルと呼ばれるようになったのだと思います。
そしてこの系図はダビデまで至ります。ダビデは後にイスラエル王国の王になります。
ダビデはエッサイの7人の息子たちの末っ子でした。
エッサイの息子たちの中に次の王になる人がいるということで、預言者サムエルが訪ねてきました。誰が王になるかはわかりません。
このときダビデは少年だったので、羊の世話をさせられていました。
父からも兄からも注目されていなかった少年に主は油を注ぎ、王にします。
ダビデの従兄弟たちも紹介されています。今日は扱いませんが、この従兄弟たちの間にも後に事件が起こります。
ここまでざっと見てきましたが、この短い系図の中にも父や母から十分に愛されなかったり、結婚外の不適切な関係で生まれたり、その存在が苦しみや災いだと言われたりした人たちが出てきます。
彼らは自分の出生を呪ったかもしれません。私は親が望まなかった命なのだ。私なんて生まれなかった方がよかった、と。
誰も欠けてはならない
この系図では省略されていますが、ダビデの曽祖父ボアズはモアブ人ルツと結婚しています。
ユダヤ人は自分たちがアブラハムの子孫であり、選ばれた民だと信じていました。
しかしその血筋を見ていくと姦淫で生まれた部族です。偉大な王ダビデには異邦人の血が入っています。
そのようなユダ族の中から、ダビデの子孫からイエス・キリストが生まれます。
この祖先の内の誰か一人でも欠けたら、この系図は成立しなくなってしまいます。
もしヨセフとマリアが誕生しなくても、イエス様は地上に来られたでしょうか。
答えはわかりません。
しかし誰一人として欠けていい人、いなくていい人、生まれなかった方がよかった人などいないと私は信じています。
親に投げ捨てられても神は「生きよ」と願う
生まれてすぐに投げ捨てられた男の子の事件を聞いて、私は1つの聖書の言葉を思い出しました。
4 誕生について言えば、お前の生まれた日に、お前のへその緒を切ってくれる者も、水で洗い、油を塗ってくれる者も、塩でこすり、布にくるんでくれる者もいなかった。5 だれもお前に目をかけず、これらのことの一つでも行って、憐れみをかける者はいなかった。お前が生まれた日、お前は嫌われて野に捨てられた。6 しかし、わたしがお前の傍らを通って、お前が自分の血の中でもがいているのを見たとき、わたしは血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言った。血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言ったのだ。
エゼキエル書16:4-6
これはエルサレムに対する預言の言葉なのですが、生まれてすぐ野に捨てられ、血まみれだったエルサレムちゃんに向かって主は、生きよ、生きよと繰り返し願います。
これが神様です。
たとえ親が望まなかった命だったとしても、投げ捨てられたとしても、神はその命を見捨てない。
生きよ、生きよと願っている。
神は誰の死をも喜ばない。
すべての命は、神が望んだ命です。
命は神のもの
しかし聖書を見てみるとノアの洪水やソドムとゴモラ、エジプトの10の災いのように主が人を殺す場面がたくさん出てきます。
悪魔が直接人を殺したのはヨブの子どもたちくらいです。
誰の死をも喜ばないと言いつつ、最も多くの人を死なせている神様。壮大な矛盾があります。
イエス様もイスカリオテのユダに対して、「人の子を裏切るものは不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」と言っています。
ほら、生まれなかった方がいい人もいるじゃないか。私もそうだ。私は災いをもたらす者だ。私なんていない方がいいんだと思いたくなる人もいるかもしれません。
確かに神は多くの人を死なせました。
殺人はいけないことです。他人の命も、自分の命も、人が勝手に取り上げてはいけません。
それは、命は神様のものだからです。
神は命を与える方です。そして命を取り上げるのも、神の主権の中で行われます。
二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。
マタイによる福音書10:29
一羽の雀さえも、天の父の許しがなければ地に落ちることはありません。
逆に言えば、死んでしまったのは神様がそれを許したからです。死もまた神様の計画の内です。
しかし神様は死を喜びません。死んでよかったなんて神は言いません。
人間の罪によって壊れた世界に、死が入り込んでしまった。だから不本意ながら、すべての命はいつか死にます。
そして神の計画の中で、命を与え、命を取り上げます。神の計画は災いではなく、平和の計画です。
神は生きることを願いつつも、死を与えることがある。その死の悲しみにおいて、神は一緒に涙を流します。
そして神は死を滅ぼし、永遠の命を与えるために独り子イエス・キリストを十字架で死なせ復活させたのです。
生まれなかった方がいい人なんていない
イエス様はイスカリオテのユダに対して「生まれなかった方がよかった」と言いましたが、ユダの裏切りがなければ救いの業も完了しなかったでしょう。
ユダの裏切りを知りつつ、それを神の計画のために許さなければならなかったイエス様は、どれほど悲しかったことでしょう。
イエス様はユダに、思い直すチャンスを何度も与えています。裏切りを知っているよ。でも私はあなたを愛しているよ。だから帰っておいで、と。
ユダは罪のない人の血を売り渡してしまったことを後悔しましたが、イエス様のもとには帰ってきませんでした。
そして自ら命を絶ってしまいます。
ペトロもイエス様を裏切りました。しかし彼は復活のイエス様に出会って変えられます。
私たちも罪を犯します。御心に背きます。イエス様を裏切ります。
そこで大事なのは、イエス様のもとに帰ることです。
自分の罪、愚かさ、醜さにもだえ、私は災いだ、死んだ方がいいと思いたくなる時が来るかもしれません。
でも自ら命を取ろうとしないでください。命は神様のものです。
本当に死んだ方がいいと思うなら、神様に聞いてみてください。神様、私が死んだ方がいいなら、この命を取り上げてください、と。
神はあなたを見捨てない
先週の日曜日の夜にこんな夢を見ました。学校のような建物の中に女の子が捕らえられていて、そこから助け出すという夢です。その女の子はどこかで会ったことがあるような気がしますが、はっきり思い出せません。
この夢がとても心に引っ掛かりました。
浜松で15歳の女の子が亡くなってしまった事件があったのが大きいと思います。旭川で14歳の女の子が凍死してしまった事件も関係あるかもしれません。どちらも学校でイジメの被害にあっていました。
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イジメと彼女たちの死と関係があるかはわかりません。しかし若者たちが死にたくなるような現実があるのは事実です。
その問題は学校の中や家庭の中にあったり、SNSのようなインターネットの中にあったりします。
私にはこの夢がマケドニア人の幻に思えてなりませんでした。救いを求める声です。
死にたくなる現実がある。
しかしあなたは神が望んだ命。
家族や友だちから見捨てられたように思えても、神はあなたを見捨てない。
14 シオンは言う。主はわたしを見捨てられた/わたしの主はわたしを忘れられた、と。15 女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも/わたしがあなたを忘れることは決してない。16 見よ、わたしはあなたを/わたしの手のひらに刻みつける。あなたの城壁は常にわたしの前にある。
イザヤ書49:14-16
あなたは神の手のひらに刻み付けられている。
十字架の痛みをもって、神はあなたを忘れない。
若者たちにそのような希望を与えることができるのは、親や学校の先生だけではありません。
親でも先生でもない大人の存在が、若者たちを安心させます。
あなたは神が望んだ命。そのことをこの街の、この国の若者たちに伝えていきましょう。