この町には神の民が大勢いる

使徒言行録講解54

この町には神の民が大勢いる

使徒言行録18:1-11

1 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。2 ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、3 職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。5 シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。6 しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」7 パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。8 会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。9 ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。10 わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」11 パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。

独りはつらいよ

 コロナウイルスによる自粛生活は私たちの体にも心にも影響を与えていると思います。
 感染への恐れ。仕事や学校、生活の変化。今まで大切にしていたことができなくなる。人との出会いが制限される。難しい決断をしなければならなかったり、オンラインなど新しい環境への変化を求められたりしてプレッシャーを感じる。経済的に苦しむ人も多くいます。
 緊急事態宣言が解除されて、様々な活動が再開してきました。再び感染者が増えてきていますが、もう同じ基準で自粛要請は出せないでしょう。
 自粛生活の苦しさを嫌というほど味わったからです。

 社会とのつながりが少なくなり、孤立する人も多くなったと思います。
 今まで人間関係にわずらわしさを感じていた人は、職場や学校から離れて楽になったということもあるかもしれません。
 しかし自分の求める社会的なつながりが得られなくなり、孤独を感じる人も少なくないでしょう。
 孤独は私たちの健康にも影響を与えます。
 睡眠や食事の乱れやホルモンバランスの変化によって病気のリスクが高くなります。
 独りじゃないと思えることは、私たちにとって大切なことです。

コリントへ

第2次伝道旅行 コリントへ

 パウロはシラスとテモテを待ちながら、アテネのアレオパゴスでイエスの十字架と復活について福音を語りました。しかし復活なんてと嘲笑われました。アテネでは数人しか信じる人が起こされませんでした。
 そこでパウロはアカイア州の州都であったコリントに移動し、そこで福音を伝えながらパウロとシラスを待つことにしました。
 コリントはギリシア本土とペロポネソス半島の境にあって戦略的に重要な土地であり、南北の陸路と東西の海路が交わる交通の要衝でした。
 特に東の港ケンクレアイと西の港レカイオンとの距離は8㎞しかなく、小アジア、シリア、エジプトからの物資とイタリア、シチリア、スペインからの物資が行き交っていました。小さな船は陸にあげて運ばれました。このコリントを通らなければ、船は320㎞も遠回りをしなければなりません。
 一時はローマとの戦争で破壊されましたが、ユリウス・カエサルによって再建されました。総督も置かれ、最盛期には自由民20万人と奴隷50万人が住む大都市だったようです。
 ユダヤ人も多く住んでいました。
 このコリントにはもう1つ特徴があります。
 当時、「コリント化する」という動詞がありました。この言葉の意味は、「不道徳を行う」ということです。
 コリントにあるアクロコリントという山の山頂にはアフロディテの神殿がありました。神殿には神殿娼婦と神殿男娼がいて、性的な交わりをすることで女神を礼拝していました。
 こうしてみだらなことが町の中で蔓延していました。
 このような地で福音を伝えるのは困難なことだったでしょう。
 シラスとテモテはまだ来ません。パウロは1人で宣教活動を始めなければなりませんでした。

テントメーカーズ

 しかしパウロは孤独ではありませんでした。アキラとプリスキラという仲間に出会います。
 シラスとテモテがマケドニア州の教会から援助物資を持って来るはずです。しかしまだ届きません。それでパウロは、仕事をしながら宣教をする必要がありました。
 パウロはテント造りの訓練を受けており、テサロニケでもそのように働きながら宣教していました。
 アキラはガラテヤの北にあるポントス州の出身で、ローマに住んでいました。ローマには早くから福音が伝えられていました。アキラは妻プリスキラと共にクリスチャンになっていました。
 やはりローマでもユダヤ人とクリスチャンの間で衝突がありました。それで皇帝クラウディウスは、ユダヤ人をローマから強制退去させました。
 アキラとプリスキラはコリントに移り住み、テント造りをして生活していました。パウロは彼らの家に住み込んで働きながら、安息日ごとに会堂で神の力、知恵であるキリストを宣べ伝えました。

助け手を送ってください

 主は助け手を送ってくださいます。
 天地創造でよいものを造られた主が、唯一よくないと言われたのは何でしたか。人が独りでいることです。
 イエス・キリストは全知全能の神ご自身でありながら、弟子を呼び集めました。その目的の一つ目は、そばに置くためです。
 12弟子を集める前、イエス様はこう言いました。

37 そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。38 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」

マタイによる福音書9:37-38

  私たちには共に働く人が必要だということを、主はよく知っています。

 日本のクリスチャン人口は1%にもなりません。しかも多くの人は自分がクリスチャンだとわざわざ言いません。だから教会の外でクリスチャンに会うことはほとんどありません。
 職場の中、学校の中でクリスチャンは自分しかいない、と思える状況になることも多いでしょう。
 すると何が起こりますか。
 日曜日は教会で神の子として生活しても、月曜日から金曜日までは神の子であることを忘れてしまいます。
 霊の火は消えかけ、生ぬるくなり、サタンの餌食になります。
 パウロでさえ、コリントに行ったとき、衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安だったと手紙の中で振り返っています。
 だから生活の中で信仰の交わりが必要です。
 平日も、職場で学校で家庭で共に祈り、共に御言葉を分かち合う友が必要です。
 教会で平日に行う集会もあります。
 LINEのようなSNSも活用してください。
 特に日曜日にも顔を合わせない人のことを覚えていてください。教会に来る人ばかりに注目してしまいがちですが、教会に来られない人こそ忘れてはいけません。
 それでももし孤独だと思ったら、祈り求めてください。
 意外と近くにクリスチャンが見つかるかもしれないし、身近な人がクリスチャンになるかもしれません。

恐れるな 語り続けよ 黙っているな

 シラスとテモテがマケドニア州から援助物資を持って到着すると、パウロは御言葉を語ることに専念しました。
 やはりユダヤ人からの反発もありましたが、パウロは服の塵を払い落し、異邦人の方に行くと宣言します。
 それでティティオ・ユストという人の家に拠点を移します。彼は異邦人のクリスチャンだったようです。
 パウロは異邦人の方に行くと宣言したわけですから、異邦人の家に拠点を移すのは理にかなっています。
 ところがその家はあまりいい立地ではない気がします。会堂の隣だったのです。ユダヤ人が集まる会堂の隣で福音を語れば、また反発されたり、テサロニケのヤソンの家のように襲撃されたりするかもしれません。
 それでもパウロは、あえて会堂の隣の家を選び、福音を語り続けました。
 すると何が起こったでしょう。
 会堂長のクリスポが一家をあげて主を信じたのです。身近な意外な人が救われました。
 こうしてコリントの多くの人がクリスチャンになり、コリント教会は重要な教会の1つに成長していきました。
 パウロは1年半という長い期間、コリントに滞在しました。

 コリントは不道徳に満ち溢れており、ユダヤ人からの反発もありました。そこで宣教するのは簡単なことではないはずです。
 それでも1年半続けられたのは、主からの励ましがあったからです。
 ある夜、主は幻の中でパウロにこう語りました。
「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
 私たちは決して孤独ではありません。
 インマヌエルの神、主が共にいます。

恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える。

イザヤ書41:10

  敵が多くいても、主が支えてくださいます。
 預言者エリヤは女王イゼベルに命を狙われ、逃げ出しました。主の預言者はエリヤただ1人だけ残っています。バアルの預言者との対決には勝ちましたが、もう燃え尽きました。もう十分、死んでもいい。そう思うエリヤを主は休ませ、食べさせ、使命を与えて立ち上がらせます。そこで主が最後に語った約束がこれです。

しかし、わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である。」

列王記上19:18

  あなたは決して独りじゃない、この国に7000人の神の民が残っている、と主は励まします。
 この町にも神の民が大勢います。
 恐れるな。語り続けよ。黙っているな。

あなたは独りじゃない

 この独りじゃないというのはとても大事なことです。
 私が教会に行き始めた頃、周りは韓国系の方ばかりでした。
 韓国人の宣教師、韓国人の会社員、韓国人の留学生。中国人の方もいましたが、朝鮮族の方。
 私のような日本人の学生も時々来ましたが、続けて来る人はあまりいません。
 同じ大学の後輩でとても真面目な男の子も続けてきていませんでしたが、まだイエス様を信じていませんでした。
 ちょっと寂しさがありました。
 そんな中で続けて教会に通うことができたのは、1人の姉妹の存在でした。
 彼女は私より1年ほど前から教会に通っており、洗礼も受けていました。賛美の奉仕などもしていました。内気でコミュニケーションは上手な方ではありません。リーダーにはならない感じです。
 しかしその姉妹が毎週教会に来ていたので、ああ日本人の私もここにいていいんだと思えました。

 私がここにいる。それで安心するクリスチャンがいます。
 あなたがこの教会にいることで、私もここにいていいんだと思える人がいるでしょう。
 あなたが職場や学校でクリスチャンとして生きるとき、ここにもクリスチャンがいたのだと安心する人がいます。
 この町に神の民が大勢いるのだとわかれば、恐れず、福音を語り続けることができるでしょう。
 私たちは、決して独りではありません。

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