さいごの戦い

エゼキエル書講解49

さいごの戦い

エゼキエル書 39:1-10

1 人の子よ、あなたはゴグに向かい預言して言いなさい。主なる神はこう言われる。メシェクとトバルの総首長ゴグよ。わたしはお前に立ち向かう。2 わたしはお前を立ち帰らせ、お前を導いて北の果てから連れ上り、イスラエルの山々に来させる。3 そして、お前の左手から弓を叩き落とし、右手から矢を落とさせる。4 お前とそのすべての軍隊も、共にいる民も、イスラエルの山の上で倒れる。わたしはお前をあらゆる種類の猛禽と野の獣の餌食として与える。5 お前は野の上に倒れる。まことにわたしがこれを語った、と主なる神は言われる。6 わたしは、火をマゴグと海岸地方に安らかに住む者たちに送る。そのとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。7 わたしは、わが民イスラエルの中にわが聖なる名を知らせる。わたしはわが聖なる名を二度と汚させない。そのとき、諸国民はわたしが主であり、イスラエルの中の聖なる者であることを知るようになる。8 このことは到来し、実現する、と主なる神は言われる。それは、わたしが語った日である。9 イスラエルの町々に住む者は出て来て、もろもろの武器、すなわち盾と大盾、弓矢、棍棒、槍を火で燃やす。彼らはそれで七年間火を燃やし続ける。10 彼らは、野から木を取ってくることも、森から薪を集めることもない。彼らは武器で火を燃やすからである。彼らは戦利品を取り返し、略奪されたものを奪い返す、と主なる神は言われる。

何があってもクリスマスは来る

アドベントカレンダー

 クリスマスの装飾をしました。あと1ヶ月でクリスマスです。楽しみですね。
 クリスマスのプレゼントはまだ受け取っていませんが、クリスマスはもう来ています。
 クリスマスの前に苦難が来るかもしれません。年末で仕事が忙しくなるでしょう。学校でテストがあるでしょう。そして冬休みの前に通知表が出ます。家で掃除をしなさいと叱られるかもしれません。
 クリスマスも仕事だったり、学校の成績が悪かったり、掃除が終わらなかったりするとプレゼントを受け取れないのでしょうか。
 いいえ、どんな苦難があっても、生活の中でどんな戦いがあるとしても、クリスマスはもう来ています。
 そして私たちに約束されたクリスマスプレゼントは実現します。何があっても取り消されません。

 私たちの信仰生活も多くの戦いがあります。
 しかし神の国はすでに来ています。
 いまだ完成していませんが、いつかキリストが再び帰って来るとき、すべての約束が実現します。
 信仰の戦いの中でつまずき、倒れる私たちですが、神の愛から私たちを引き離すものはありません。
 必ずさいごの戦いはキリストの勝利で終わります。

マゴグのゴグへの預言

 今日の本文はマゴグのゴグに対する預言です。
 エゼキエル書38章で、ゴグは大軍を率いてイスラエルに戦いを挑みます。
 これはエゼキエルの時代よりずっと先の話のようです。
 捕囚が終わり、イスラエルは平和に暮らしている。しかも多くの民の中から集められた人が住んでいる。
 捕囚から今までの歴史上、イスラエルにこのような時代があったでしょうか。これはまだ実現していない預言です。
 ゴグの名前が聖書で再び出てくるのは黙示録20章です。千年の封印から解放されたサタンは、ゴグとマゴグを惑わし、聖なる者たちに最後の戦いを挑むとあります。
 今日の本文はエゼキエル書の中で特に難しい箇所です。
 簡単に言うと、何があっても神の愛が勝つということです。

神の国はすでに来ている

 まず神の国について知っておく必要があります。

千年王国

 黙示録20章を見ると、聖なる者たちがキリストと共に千年の間統治すると書いてあります。いわゆる千年王国というものです。
 千年王国については大きく分けて3つの解釈がありました。前千年王国説、後千年王国説、無千年王国節です。

 前千年王国説とは、黙示録の文章をそのまま理解する立場です。千年王国前再臨説とも言います。
 まずキリストが空中に現れ、クリスチャンを空中に引き上げます。
 それから苦難の時代が来て、ハルマゲドンと呼ばれる場所でさいごの戦いが起こります。
 その後キリストが地上に再臨し、千年王国を建てます。そして新しい天と新しい地が来ます。

 後千年王国説とは、徐々に地上がキリスト教化されていくという立場です。千年王国後再臨説とも言います。
 千年くらい長い間、教会にとって平和な時代が続く。
 最後に人々が背く時代があって、キリストが再臨する。

 無千年王国説とは、目に見える形での千年王国はないという立場です。
 クリスチャンがキリストと共に統治する時代はすでに来ている。
 神の国は目に見える形ではなく、クリスチャンの間にもう来ている。霊的な戦いも常に存在している。
 終わりの日にサタンは滅ぼされ、新しい天と新しい地が来るという考えです。

 ちょっと難しいですね。
 私たち長老派教会の標準的な理解は無千年王国節です。
 神の国は目に見える形ではなく、もう来ているんだと覚えておけばいいです。

神の国を建てる

 だから今、すでに、私たちはキリストと共にこの世を治める者になっています。
 私たち自身が王様ではありませんが、王の代理人としてこの世に遣わされています。
 キリストの大使ですね。

 浜松市役所の正面にブラジル領事館があります。
 領事館の中はブラジル本国の法律が適用されます。
 日本の中にありながら、そこにブラジルが来ているわけです。

 同じように私たちが遣わされているところに、神の国が来ます。
 会社に、学校に、家に、この町に。
 そこで私たちは福音を実践していくのです。

 ペトロは、私たち一人一人が生きた石となって、霊的な家を造り上げていくのだと言っています。
 石を積み上げて家を建てようとするとき、途中の石を抜いてしまったらどうでしょうか。ジェンガみたいですね。
 最初は何も影響がないようでも、さらに上に積み重ねようとするとバランスが崩れて倒れてしまいます。
 だから一人一人が、神の国にとってかけがえのない存在です。
 私には何もできないから必要ないなんてことはないです。
 信仰から離れて行ってしまう人もいますが、いなくなってよかったということもないです。
 一人一人を大事にしないなら、その地に積み上げられた神の国はいつか倒れてしまうでしょう。

万人祭司

 もちろん牧師の責任が大きいですが、牧師だけが神の国を建てるわけではありません。
 すべてのクリスチャンが王のような祭司としてこの世を治めるのです。

しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。

ペトロの手紙一2:9

 私たちが神の国を建てるために何をすればいいか。
 あなたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたが広く伝えることです。
 あなたが出会ったキリストを伝えること。キリストの証人となることです。
 言葉で伝えることもいいでしょう。
 しかし態度で伝えることもできます。

 ある牧師の証しを聞きました。
 その方のいとこが、イギリスの神学校で学んでいたそうです。
 彼がイギリスに旅行に行ったとき、いとこの部屋にタダで泊めてもらうことにしました。
 神学校の寮だったので、いとこもその友人もクリスチャンです。
 彼らからキリスト教のことは色々聞かされました。しかし話を聞くだけではよくわかりません。

 そんなある日、朝早くに誰かが歌を歌いながら掃除機をかける音がしました。
 誰だろうと思って見てみると、寮の管理人をしているミセストーマスという婦人でした。
 なぜこんな時間に歌いながら掃除機をかけているのか聞いてみました。
 ミセストーマスは高齢で、体が痛く眠れない日があるそうです。
 「眠れない日は暗闇の中でじっと朝が来るのを待つの。朝が近づいてくると小鳥がキューと鳴いて歌い出すでしょ。すると嬉しくなって、私も小鳥と一緒に歌うの。」
 彼はこの話を聞いて衝撃を受けました。
 彼女は神がいる世界に生きているんだ。私もこのようになりたい。
 こうして信仰に導かれたそうです。

 神の国はすでに来ています。
 私たちの生き方そのものが、ここに神がいると証しすることになります。

サタンの悪あがき

 次に今日の本文の1節2節に『1 人の子よ、あなたはゴグに向かい預言して言いなさい。主なる神はこう言われる。メシェクとトバルの総首長ゴグよ。わたしはお前に立ち向かう。2 わたしはお前を立ち帰らせ、お前を導いて北の果てから連れ上り、イスラエルの山々に来させる。』 とあります。
 私たちには霊的な戦いがあります。

偽キリスト

 C.Sルイスの「ナルニア国物語」は最終巻「さいごの戦い」で完結します。
 年をとったサルが、ライオンの毛皮を拾います。それをロバに被らせました。まるで本物のライオンのようです。
 ナルニア国物語でライオンといえばアスランですね。
 サルはアスランが帰って来たとウソをつき、ナルニア人たちに偽アスランを拝ませました。
 この話は終わりの時代に来る偽キリストがモデルになっています。
 イエス・キリストも預言していますが、終わりの時代には偽キリストが現れて、「私がキリストだ」と言って自分を拝ませようとします。

 今もこのような人が世界中にいます。
 日本でもオウム真理教の松本智津夫が、自分をキリストになぞらえ、自分たちの王国を建てようとしていました。
 彼らはハルマゲドンの戦いが来ると予告し、自分たちで武器を製造していました。
 今年の7月に松本智津夫と幹部12人に死刑が執行されました。
 これでオウム真理教事件が終結したとは言えないでしょう。むしろ教祖の死をきっかけにして、さらに勢いづく危険性もあります。

 マタイによる福音書や黙示録を見ると、偽キリストは多くの不思議な業やしるしを行うと言われています。
 私たちはそのような神秘的な体験、超自然的な感覚を経験すると、正常な判断ができなくなります。
 奇跡の全てが聖霊の働きとは言えません。悪霊も同じようなことをします。
 目に見えるものに惑わされてはなりません。
 私たちがよって立つべきところは、神の言葉だけです。

天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」

マタイによる福音書23:35

地上の権威

 今日の本文でゴグはメシェクとトバルの総首長だとあります。
 メシェクとトバルは現在のトルコの南部にあたる地域です。
 38章ではペルシアやアフリカの国もゴグに味方するとあります。
 イスラエルの周辺の国々が連合するということです。

 黙示録でもこのように地上の権威が連合して主に立ち向かう話が出てきます。
 666という数字に象徴された獣が現れ、獣の像を拝ませる。この獣の刻印が押された人でなければ物を売ることも買うこともできなくなる。
 大変ですね。どうやって生きていきましょうか。
 ここも解釈が難しい箇所ですが、私たちが生きていく上で権力やお金というものはとても大事です。
 しかし権力や富を追い求め、堕落してしまうということも多くあります。

 日産のカルロス・ゴーン会長が逮捕されました。
 経営危機に陥っていた日産にルノーから派遣され、数年で立ち直した名経営者として知られていました。
 ところが日産グループの中で大きな権力を握り、報酬をごまかすようになってしまいました。
 権力や富というのは簡単に人を堕落させてしまいます。

霊的戦い

 こうして地上にあるものが私たちを神から引き離そうとします。
 霊的戦いはいつもあります。
 いつも経験するでしょう。
 いつも忙しく、聖書を読んだり祈ったりする時間がない。
 礼拝休みたい。礼拝でいただいた恵みも、すぐに忘れてしまう。
 大事なときに体調が悪くなる。
 つまらないことで教会の中でケンカする。
 あるいは、普段の生活に満足していて、神を求める必要性を感じない。
 そして私たちは簡単に恵みを手放してしまいます。

 だから私たちは神の武具を身に付けなければなりません。

12 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。13 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。

エフェソの信徒への手紙6:12-13

 それは真理の帯、正義の胸当て、平和の福音を告げる履物、信仰の盾、救いの兜、そして霊の剣、つまり神の言葉です。
 それに祈りも必要です。
 サタンは目に見えるもので私たちを誘惑しますが、御言葉に固く立つなら揺り動かされることがありません。

神の完全な勝利

 最後に今日の本文の3節から10節に『3 そして、お前の左手から弓を叩き落とし、右手から矢を落とさせる。4 お前とそのすべての軍隊も、共にいる民も、イスラエルの山の上で倒れる。わたしはお前をあらゆる種類の猛禽と野の獣の餌食として与える。5 お前は野の上に倒れる。まことにわたしがこれを語った、と主なる神は言われる。6 わたしは、火をマゴグと海岸地方に安らかに住む者たちに送る。そのとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。7 わたしは、わが民イスラエルの中にわが聖なる名を知らせる。わたしはわが聖なる名を二度と汚させない。そのとき、諸国民はわたしが主であり、イスラエルの中の聖なる者であることを知るようになる。8 このことは到来し、実現する、と主なる神は言われる。それは、わたしが語った日である。9 イスラエルの町々に住む者は出て来て、もろもろの武器、すなわち盾と大盾、弓矢、棍棒、槍を火で燃やす。彼らはそれで七年間火を燃やし続ける。10 彼らは、野から木を取ってくることも、森から薪を集めることもない。彼らは武器で火を燃やすからである。彼らは戦利品を取り返し、略奪されたものを奪い返す、と主なる神は言われる。』 とあります。

天からの火

 主はマゴグと海岸地方に住む者に火を送ると言います。
 黙示録では天から火が降ります。
 エリヤがバアルの預言者と対決したとき、天からの火がエリヤのいけにえを焼き尽くしました。
 これは主こそ神であるという決定的なしるしになりました。
 霊的戦いはこれで決着します。
 神の勝利で終わるのです。

武器はいらない

 もう戦いは必要ありません。
 イスラエルの人々は武器を燃やします。
 イザヤは幻の中で見ました。

3 多くの民が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから/御言葉はエルサレムから出る。4 主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。

イザヤ書2:3-4

 鋤や鎌は耕す道具です。
 人間はエデンの園を耕す役割が主から与えられていました。
 エデンは神ご自身が治め、神の民が住むところ。まさしく神の国の原型です。
 神の民は武器を手放し、神の国を開拓していくのです。

すべてが贖われる

 最後は神の勝利で終わります。
 今私たちが生きていく上で、色々な戦いがあります。
 負けることもあるでしょう。
 しかしどんなものも私たちを神の愛から引き離すことはできません。
 主に期待しましょう。
 私たちは主にあって、圧倒的な勝利者です。

 神の国はもう来ています。
 霊的な戦いはあります。
 御言葉に固く立ち、共に神の国を建て上げていく私たちになることを願います。

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