すべてが生きる

創立16周年感謝礼拝

エゼキエル書講解53

すべてが生きる

エゼキエル書 47:7-12

7 わたしが戻って来ると、川岸には、こちら側にもあちら側にも、非常に多くの木が生えていた。8 彼はわたしに言った。「これらの水は東の地域へ流れ、アラバに下り、海、すなわち汚れた海に入って行く。すると、その水はきれいになる。9 川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。10 漁師たちは岸辺に立ち、エン・ゲディからエン・エグライムに至るまで、網を広げて干す所とする。そこの魚は、いろいろな種類に増え、大海の魚のように非常に多くなる。11 しかし、その沢と沼はきれいにならず、塩を取ることができる。12 川のほとり、その岸には、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が大きくなり、葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実をつける。水が聖所から流れ出るからである。その果実は食用となり、葉は薬用となる。」

神はなぜこの地に教会を建て今日まで守られたのか

ヨハン浜松キリスト教会外観

 今日は教会の創立16周年感謝礼拝です。2006年に厳善一牧師、権彦真伝道師夫妻により開拓されてから16年になりました。
 教会はギリシア語でエクレシアと言います。呼び集められた人たちという意味です。
 教会はまさしく人の集まりです。多くの人の祈りと奉仕に支えられて教会が守られてきました。
 それは教会のメンバーだけでなく、この地域の人たちの支えによるものでもあります。
 神様が私たちをここに呼び集めてくださった。そして神様がここに教会の建物を与えてくださった。
 それは何のために?
 この地に教会が存在する意義を今一度考えたいと思います。

死の世界を命の世界に変えるために流れる水

 今日の本文はエゼキエルが神殿から流れる水によってすべてが生きるという幻を見る場面です。
 祭壇から湧き出た水は神殿の東へ流れ、やがて大きな川になります。
 アラバというのはヨルダン渓谷を含むくぼ地のことです。そこでヨルダン川と合流するのでしょう。ヨルダン川は南のさらに低地に下っていきます。そこには湖があります。死海です。

死の世界に命があふれる

死海

 死海は海抜-430mと地表で最も低い場所にあり、死海から流れ出る川はありません。気温も高いため、ヨルダン川などから流れ込んだ水は蒸発し、塩分などのミネラルが残ります。そうして塩分濃度30%という高濃度の塩湖が形成されました。
 このような環境はほぼすべての生き物に不向きで、死んでしまいます。
 ロトの奥さんが塩の柱にされたと言われる場所も死海周辺にあります。
 まさに死の海です。

 ところがその死海に神殿からの水が流れ込むと、水がきれいになると言われます。あらゆる生き物が生き返ります。
 しかし塩が取れないと人間は困ってしまいます。それで一部分では塩が取れるようになっています。
 また川のほとりにある木は毎月実をつけ、葉は薬になると言います。
 死の世界だったところが、命に満ちあふれる世界に変えられます。

極めて良かったこの世界

 神殿は神様がいる場所を象徴します。
 ゼカリヤ書14章でも同じような預言が語られますが、そこでは神殿のあるエルサレムから流れる水が東だけでなく西にも流れます。そして周囲を潤していく様子が描かれます。
 神様が治めるところを中心に川が流れ出て、あらゆる生物が生きる。
 このイメージを聖書の最初と最後にも見ることができます。

 聖書の最初、創世記で神様はエデンの園を造りました。

9 主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。10 エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。

創世記2:9-10
ピーテル・パウル・ルーベンスとヤン・ブリューゲル(父)「楽園のアダムとイヴ」

 エデンの園はまさしく命に満ちあふれる場所でした。
 そこには川が流れ、善悪を知る木と命の木がありました。
 人は初め、そこに住んでいたのです。
 神が「極めて良い」と言われた世界がそこにありました。

現実は罪に満ちる死の世界

 ところが今私たちが生きているこの世界は極めて良い世界でしょうか。
 病気が私たちを苦しめ、突然の災害に襲われ、人と人とが争う。
 生きているだけで経済的な負担が重くのしかかり、パンを得るために労働しなければならない。
 生きる望みを失い、自らの命を絶つ人たちがいます。
 孤独に死ぬことに耐えられず無関係の他人を巻き込んで死ぬ人もいます。
 ここは死の世界です。

罪に満ちる世界に生きる人間に命を得させたい

 創世記は、人が罪を犯したためにエデンの園を追放されたのだと言います。
 その追放された方角が東です。エデンの東は罪に満ちる死の世界です。
 神殿から東に水が流れるのは、ただ地形がそうなっているからではなく、魚のためでもなく、人のためです。
 罪に満ちるこの世界に住む私たちに命を得させるために、神殿から水が流れ出します。

教会を通しクリスチャンを通して命の川を流す

 神殿は神がいる場所の象徴。
 イエス・キリストは神ご自身でありながら人間となって私たちの間に住みました。
 だから神殿はイエス・キリストを象徴していると言えます。

 神殿から水が湧き出るところは祭壇です。いけにえの動物がほふられ、血を流し、焼かれる場所です。
 罪の世界から私たちを救い出すために神の子羊イエスが十字架で死なれ、復活しました。
 神殿から流れる水はイエス・キリストが与える命の水です。

イエスを信じる人から命の川が流れ出す

 イエス・キリストはこのように言いました。

37 祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」

ヨハネによる福音書7:37-38

 この水は聖霊を意味します。
 だからイエス・キリストを信じて聖霊を受けた私たちもまた神殿であり、私たちの内から命の水が川となって流れ出るのです。

呪われるものが何一つない新天新地

 神様が治めるところを中心に川が流れ出て、あらゆる生物が生きる。
 このイメージが聖書の最後、黙示録にも出てきます。

1 天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように光り輝く命の水の川を私に見せた。2 川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実を実らせる。その木の葉は諸国の民の病を癒やす。

ヨハネの黙示録22:1-2

 これは新しい天と新しい地における都の姿です。
 父なる神と小羊イエスがおられるこの都に、もはや神殿は必要ありません。
 神と小羊の玉座から流れ出る命の川の両岸には命の木があり、毎月実をつけ、葉は薬になります。
 呪われるものは何一つなく、死も悲しみも嘆きも労苦もない世界です。

神の民の協力により建設される神の国

 最初のエデンの園と共通する部分がありますが、自然豊かな園ではなく人工的に整備された都になっています。
 神はエデンの園において人間に、耕す役割を与えていました。
 神が造られた極めて良い世界に人間が手を加えることで発展していくのです。そして園が都になっていく。
 だから神の国を完成させるために、人間の存在が必要不可欠です。
 しかし罪ある人間に神の国の建設はできません。
 そこで罪赦された人々、神の民の協力が必要です。
 罪に満ちるこの世界に命の川を流し命に満ちる場所に作り変えるのは、クリスチャンの使命、教会の使命です。

いのちの水を流す使命を忘れた教会

トム・ハーパー:原作、中村吉基:訳、望月麻生:絵「いのちの水」(新教出版社)

 トム・ハーパー著「いのちの水」という本があります。
 旅人を潤すいのちの水がありました。人々はこの水を飲んで力を得ていました。
 大切なこの水を守ろうとして、人々は記念碑を立て、壁で囲います。ある人々を水から遠ざけることもしました。
 そして水の管理の仕方を巡って人間同士が争うようになります。
 やがていのちの水は誰も飲めないものになってしまいました。

 これは教会に対するメッセージでもあります。
 私たちにはいのちの水が与えられている。しかしその水を教会が独占していないか。壁を作り、人々を遠ざけていないか。

神はこの地を祝福したい

 ここに教会が建てられた意義は何でしょう。
 神様はここにも神の国を臨ませたい。ここにも命の川を流したいのです。
 私たちをここに呼び集め、この地を祝福したいと神は願っています。
 そしてここから私たちを派遣し、それぞれの生活の場所で私たちを祝福の源にしたいと願っています。
 私たちの存在を通して、私たちの周りの家族、友人、同僚が変えられていきます。
 私たちの存在が死の世界を命の世界に変えます。

 水は低いところに下っていきます。そして地表で最も低く死の世界である死海にまで下ります。
 私たちが行きたくないと感じる場所、関わりたくないと思える人々にこそ、命の水が必要です。
 誰かが水を流さなければならない。そして求める人には拒んではいけません。

 この町はどうでしょう。孤独の中にいる人はいませんか。悲しみや労苦の中にいる人はいませんか。
 この地域を祝福することも教会の存在意義です。

 知り合いの牧師が参議院議員選挙に比例区から立候補することになりました。この先生を支持するかどうかはもちろん皆さんの判断に委ねますが、国政の場所にまで出て行って神の国をこの地にもたらしたいというその献身は素晴らしいと思います。

恵みを受け続ける

 私たちの存在が罪に満ちるこの世界を命に満ちる場所に作り変えます。私たちが何かをすることによってではなく、存在そのものによって祝福が流れます。
 そのために必要なことは、私たち自身が神様の恵みを受け続けることです。そうすると恵みはあふれ流れていきます。

1 いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず 2 主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。3 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。

詩編1:1-3

 御言葉から祈りから神の言葉を聞き、出て行ってください。
 私たちの存在が祝福の源になり、私たちが入るところも出るところも、命にあふれる場所になります。

 16周年を迎えて新たに歩み出すこの教会を通して、ここから遣わされていく私たち一人一人を通して、すべてが生きるのです。

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