新年感謝礼拝
歴代誌講解31
すべては神のもの
歴代誌上 29:10-20
10 ダビデは全会衆の前で主をたたえて言った。「わたしたちの父祖イスラエルの神、主よ、あなたは世々とこしえにほめたたえられますように。11 偉大さ、力、光輝、威光、栄光は、主よ、あなたのもの。まことに天と地にあるすべてのものはあなたのもの。主よ、国もあなたのもの。あなたはすべてのものの上に頭として高く立っておられる。12 富と栄光は御前にあり、あなたは万物を支配しておられる。勢いと力は御手の中にあり、またその御手をもっていかなるものでも大いなる者、力ある者となさることができる。13 わたしたちの神よ、今こそわたしたちはあなたに感謝し、輝かしい御名を賛美します。14 このような寄進ができるとしても、わたしなど果たして何者でしょう、わたしの民など何者でしょう。すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません。15 わたしたちは、わたしたちの先祖が皆そうであったように、あなたの御前では寄留民にすぎず、移住者にすぎません。この地上におけるわたしたちの人生は影のようなもので、希望はありません。16 わたしたちの神、主よ、わたしたちがあなたの聖なる御名のために神殿を築こうとして準備したこの大量のものは、すべて御手によるもの、すべてはあなたのものです。17 わたしの神よ、わたしはあなたが人の心を調べ、正しいものを喜ばれることを知っています。わたしは正しい心をもってこのすべてのものを寄進いたしました。また今、ここにいるあなたの民が寄進するのを、わたしは喜びながら見ました。18 わたしたちの先祖アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、これをあなたの民の心の思い計ることとしてとこしえに御心に留め、民の心を確かにあなたに向かうものとしてください。19 わが子ソロモンに全き心を与え、あなたの戒めと定めと掟を守って何事も行うようにし、わたしが準備した宮を築かせてください。」20 こうしてダビデが全会衆に、「あなたたちの神、主をほめたたえよ」と言うと、会衆は皆、先祖の神、主をほめたたえ、主の御前と王の前にひざまずいて拝した。
偉大で無力な人間
2022年最初の日曜日を迎えました。コロナウイルスの世界的流行が始まってから2回目の正月です。
この2年間に、生活の様々な面が変わったと思います。
特に人と人との接触を避けるための技術が生活の様々な面に入ってきました。
買い物をするときにセルフレジや電子マネーのように、店員さんとお金のやり取りをしない決済方法が増えました。様々なお店で持ち帰りや宅配が利用できるようになりました。会議がリモートになったり、礼拝がライブ配信されるようになりました。
3年前には想像できなかったほど、生活が急激に変化しています。また2021年には、民間人が宇宙旅行に行けるようになりました。今は大富豪だけしか利用できませんが、技術の開発が続けばもっと身近なものになるでしょう。
人間の知恵や力はなんと素晴らしいのだろうと驚かされます。
その一方で気候変動、パンデミック、貧困や差別といった世界的問題、より生存に関わる問題については有効な解決策を見出すことができていません。
人間の無力さや愚かさも思わされます。
人間とは何者なのでしょう。人間の知恵や力はどこから来るのでしょうか。
すべてを所有する神
今日の本文はダビデの祈りです。
神殿建築のための準備が整いました。民が自ら進んでささげた大量の資材を前にし、ダビデは祈らずにはいられませんでした。
国も力も栄えもすべて神のもの
ダビデは10節で、まず神を賛美します。
11節前半ですべてが神のものだと告白します。
11節後半から12節前半にかけて神の支配について語ります。
12節後半で神が人に力と栄光を与えることが語られ、
13節で再び神を賛美します。
サンドイッチのような構造になっています。
その中心にあるのは、主がすべての上に立つ主権者であるという告白です。
国も力も栄えも限りなく主よ、あなたのものです。
この告白は私たちが日ごとに祈る主の祈りの結びの言葉につながっています。
ダビデのこの祈りは、祈りの模範とも言えます。
イエス様もゲツセマネの祈りで、すべてが父なる神様のものだと告白しました。語った言葉も栄光もすべてです。
神から与えられた言葉を語り、神の栄光を人々の前で現したのです。
あらゆるものが神から分け与えられている
この神の主権を認めるなら、私たちに足りないもの、できないことはありません。
すべてを所有しておられる神様が、それを分け与えてくださるのだから。
私の神は、ご自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスにあって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。
フィリピの信徒への手紙4:19
すべてを所有する神にあって、私には何も欠けることがなく、すべてが可能だと言うことができます。
足りないこともできないこともない
昨年末、18歳以下の子どものいる家庭に給付金が支給されました。地上の国も必要なものを分け与えてくれます。
しかし地上の国はお金を配りすぎると経済が破綻してしまうので、限度があります。
神様はどうでしょうか。神様が人に富や力を分け与えすぎて破綻してしまうということはありません。
神様は天にある無尽蔵の富から、私たちに必要なものを分け与えます。
だから必要なものがあれば神様に大胆に求めていいのです。
神様がすべてを所有しておられると認めるならば、足りないこともできないこともありません。
この神様を信頼して祈ってみてください。
神の恵みなしには生きられない
ダビデと民たちはこの神様を信頼し、神殿建築の準備という大事業を成し遂げました。民が自ら進んでささげたことによって成し遂げられました。
ダビデ王とイスラエル国民は立派なことをしたわけですが、ダビデは祈りの中でこう言います。
「このような寄進ができるとしても、わたしなど果たして何者でしょう、わたしの民など何者でしょう。すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません。わたしたちは、わたしたちの先祖が皆そうであったように、あなたの御前では寄留民にすぎず、移住者にすぎません。この地上におけるわたしたちの人生は影のようなもので、希望はありません。」
私など何者だろう。イスラエルの国民が何者だと言うのか。さまよい、影のように過ぎ去っていくだけ。希望を持てない。
人間の現実はそのようなものです。
空しく過ぎ去る地上の人生
過ぎ去った一年を振り返ってみても、あっという間の一年でした。
何かを成し遂げたとしても、地上の人生が終わればやがて過ぎ去り、忘れ去られていきます。
空しい、空しい、すべては空しい。
旅人のように過ぎ去り、実体のない影のように消え去るだけ。
人生がこの地上で終わってしまうだけならば、そこには何の希望も見出せません。
やがて来る死を待つだけなら、この苦しみの世界から早く楽になりたい。
子どもたちにまで人生の苦しみを味わわせたくない。
そうして親が子どもと共に死を選ぶ一家心中の事件が年末にいくつかニュースになりました。
それぞれの家庭に何があったのか詳しい事情はわかりませんが、このような人生なら新しい年になっても希望がない、子どもたちを苦しい世界に残したくはない、そのように思わせられる何かがあったのかもしれません。
この空しい人間の現実の中で、私たちに何ができるのでしょうか。
人が何をしても空しい。人の力ではどうしようもない問題があります。
神様の助けがなければ、この世界に希望はないのです。
神の恵みによって成し遂げられる
ダビデはこの人間の現実の中で、神様がすべての必要を満たしてくださっていると告白します。
すべて神様から来ています。人の手で成し遂げられたかのように見える神殿建築の準備も、神様から来たものです。
王様になったことも、戦いに勝利し帝国を築き上げたことも、神様の恵み。
そもそも自分が生まれ、生かされていること自体が神様の恵み。
神様の恵みなしに、私たちは何者でもありません。
初めから終わりまで神の恵み
私たちがこの地上に生を受け、今日まで生かされてきたことは主の恵みです。2022年を迎えられたのも主の恵みです。今日という日を迎え、礼拝をささげることができるのも主の恵みです。
私たちが成し遂げたと思ったことも神から、神様の恵みから来ています。
あなたがたの間で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までにその業を完成してくださると、私は確信しています。
フィリピの信徒への手紙1:6
神様の恵み、イエス・キリストの恵みで始まった善い業は、イエス・キリストの恵みで完成へ導かれます。
初めから終わりまで神様の恵みです。
神無しに何の希望もない人間ですが、初めから終わりまで導くイエス・キリストの恵みによって、希望を持って生きることができます。
人の心も治める神
ダビデは人間の心さえも神様から来ていると言います。
神は人の心を調べられます。そしてソロモンに全き心を与えることができるのは神様です。
信仰も神から与えられる
私たちはイエス・キリストを信じて礼拝をささげます。キリストによってすべて満たされ、希望を持って生きることができます。
それに対し、世の人はイエス様を知らず、希望なく生きている。
ああ、イエス様を知らないかわいそうな人たち。
そのように誇ることができるでしょうか。
私たちがイエス様を信じることができたのもただ恵みです。
あなたがたは恵みにより、信仰を通して救われたのです。それは、あなたがたの力によるのではなく、神の賜物です。
エフェソの信徒への手紙2:8
私たちの救いは恵みにより信仰によって神から与えられました。
神への信仰さえも神から来ているのです。
いつも悪いことを思い計る心を神に向けさせる
神は人の心も考えも知っており、それを清くすることもできます。
18節でダビデは、民が自ら進んでささげたことは民の心の「思い計ること」だと言っています。
創世記6章5節にも同じ言葉が出てきます。それは、人間の「思い計ること」はいつも悪いことだという文章の中に出てきます。聖書の言う現実ですね。人の心はいつも悪いことを思い計っているのです。
しかし神はその心さえも造り変えます。
民の心の「思い計ること」を神に向けさせることができます。
問題解決の鍵は神にある
世界的な問題はなぜ解決できないのでしょう。これは人間の手の及ばない絶望的な問題なのでしょうか。
例えば貧困があります。世界には1日1.9ドル未満で生活する貧困層の人が7億人以上います。世界中の人を所有する総資産の順に並べたとき、下から50%の人の資産を合わせても、世界の総資産の1%に届かない。
その一方で上位1%の人が世界の総資産の半分近くを所有しているというデータもあります。
今この瞬間にも食べるものがなく命を落とす子どもたちがいます。
どうしたらいいのでしょう。
単純に富を公平に分配すればいいです。
しかし多くの富、食料、ワクチンがお金のある豊かな国に集められ、それが届かない国があります。
知恵があり権力もある優秀な人たちがそういうことをします。
なぜそういう悪い思いばかりが出てきてしまうのでしょう。他の人を見捨て、虐げ、利用し、自分だけ生き残ろうとする人間の心があります。
神様はその人間の心さえも変えることができます。
すべては神様のものです。
国も力も栄光も。私たちの命も能力も時間も、そして心も神様のものであり、神様から与えられています。
神様の主権を認め、神様に生かされている者としての人生を歩んでいくことを願います。