もし自宅の玄関を破られたら
ネヘミヤ書 2:17-18, 3:28-31
2:17 やがてわたしは彼らに言った。「御覧のとおり、わたしたちは不幸の中であえいでいる。エルサレムは荒廃し、城門は焼け落ちたままだ。エルサレムの城壁を建て直そうではないか。そうすれば、もう恥ずかしいことはない。」18 神の御手が恵み深くわたしを守り、王がわたしに言ってくれた言葉を彼らに告げると、彼らは「早速、建築に取りかかろう」と応じ、この良い企てに奮い立った。
3:28 馬の門の上からは、祭司たちがそれぞれ自分の家の前を補強し、29 続いて、イメルの子ツァドクが自分の家の前を補強した。続いて、東の門の守衛シェカンヤの子シェマヤが補強し、30 続いて、シェレムヤの子ハナンヤとツァラフの六男ハヌンが第二の部分を補強した。続いて、ベレクヤの子メシュラムが自分の収納庫の前を補強し、31 続いて、鋳物師マルキヤがミフカドの門の前にある神殿の使用人と商人の家まで、また城壁の突端の階上まで補強した。
無関心になってはいけない
昨年2月24日、ロシアのプーチン大統領はウクライナ東部に住むロシア系住民の保護などを名目に特別軍事作戦を宣言。ロシア軍はウクライナの北、東、南から侵攻を開始しました。
北部から侵攻した部隊は首都キーウにも迫りました。対するウクライナ軍は西側諸国から兵器の提供を受け応戦。ロシア軍はキーウ制圧を断念し、北部から撤退しました。
キーウ近郊のブチャではロシア軍によって民間人が虐殺されていたことが明らかになりました。
5月には東部の要衝マリウポリが激しい戦闘の末、陥落しました。
9月、プーチン大統領は掌握した南東部4州のロシアへの併合を宣言。
その後もウクライナは反転攻勢に出て領土を奪還しようとしています。
2月24日で戦争開始から一年が経ちました。ウクライナのゼレンスキー大統領は領土奪還を果たすまで停戦には応じないと話しており、戦争はまだ長引きそうです。
ロシアの軍事侵攻に衝撃を受けた方は多くいると思います。
教会でも平和のための祈りをささげ、避難民の支援のために献金をささげました。
しかし時間が経つにつれ、私たちの関心は薄れます。
今も戦争は続き、国内外に非難する人が多くいます。浜松市もウクライナからの避難民を受け入れています。
今でも祈りと支援が必要なのに、募金することはなくなり、祈ることを忘れ、無関心になっていく。
これは仕方のないことです。
5か月前の台風のことも忘れます。20日前のトルコ・シリアでの地震はまだ覚えていますが、1ヶ月後も覚えているかはわかりません。
そうして忘れていかないと、私たちの心は壊れてしまいます。忘れることも神様の恵みです。
それでも1年とか5年とか節目には思い出し、関心を持ってください。今でも祈りと支援を必要とする人たちがいます。
自分と無関係な遠い外国の話だと思わないでください。
まして「いつまで騒いでいるんだ。どこかで妥協して和解しろ」などと考えてはいけません。
もしあなたの自宅の玄関が地震や台風など災害で壊されたら放っておきますか。
まるで家が丸裸にされたような気分になるでしょう。安心して暮らせません。
玄関を泥棒に壊されたらどうですか。
泥棒を追い出し奪われたものを取り返すまで戦い続けるのではないでしょうか。
世界で起きる悲惨な出来事は、私たちが住むこの世界の問題なのです。
これは私たちの世界の問題
今日の本文はエルサレムの城壁を再建する場面です。
エルサレムはバビロンに征服され、神殿は崩され城壁も破壊されました。
その70年後、帰還した民によって神殿は再建されます。BC516年のことです。
今日の本文はそれよりずっと後、BC445年のことです。神殿再建から71年。捕囚から帰還して100年近く経っています。
地位も安定も捨て問題解決へ向かうネヘミヤ
ユダヤ人ネヘミヤは王様にお酒をつぐ係でした。
王様の食べ物や飲み物に毒を入れられたら大変です。王様から信頼されている人にしかできない、側近中の側近ということです。
ネヘミヤはペルシアの首都スサで高い身分につき、安定した生活を送っていました。
そんなネヘミヤが自分の立場や安定した生活を捨て、エルサレムに来ます。
それはあるニュースを聞いたからです。そのニュースとは、エルサレムの城壁が破れたままになっているということ。
ネヘミヤは何日も嘆いて断食し神に祈りました。
もし浜松城の石垣が崩れていたら、皆さんは断食して祈りますか。そこまではしないでしょう。
この城壁というのは町を覆う囲いです。城壁がなければ簡単に敵に攻められます。だから城壁が壊れたままでは、民は安心して暮らせません。
それはまるで家の玄関が壊れているような状態です。
ネヘミヤにとっては、実家の玄関が壊れているようなもの。他人事ではありません。
だからネヘミヤは地位も安定も捨て、エルサレムに来たのです。
キリストを知って地位も安定も捨てたパウロ
パウロは血統書付きのヘブライ人でした。ファリサイ派に属し、ガマリエル教授のもとで最高峰の神学を学びます。律法の行いに関しては非の打ちどころがなく、信仰の熱心さではキリスト教徒を迫害するほどでした。
人々から称賛されるこれらすべてを、パウロはゴミのようだと表現します。
そして宣教の旅に出、危険を承知でローマに向かい、ヨーロッパの西の果てスペインを目指します。
パウロはなぜそこまでして自分の地位も安定も捨て、無関係の他人に福音を伝え続けたのでしょう。
それはイエス・キリストの十字架と復活を知ってしまったからです。
人のためすべてを捨てたキリスト
イエス様こそ無関係の他人のために地位も安定も捨てて来られた方です。
キリストは初めから存在する神であり、天ですべての栄光を持っておられました。
一方人間は、自分の意思で神に背き、滅びへと向かって行きました。神様は何度も預言者たちを遣わしますが、人間は拒み続けます。
そこで神様は、人間が自ら選択したことだから仕方ない、と諦めはしませんでした。
ついに独り子イエス・キリストを遣わしたのです。
6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
フィリピの信徒への手紙2:6-8
神であるキリストが人間になりました。
しかもすべてを捨て無になって、家畜小屋で無力な赤ちゃんとして生まれます。
そして人を罪から救うために裏切られ嘲られ鞭打たれ十字架で死にます。墓に葬られたイエス様は3日目に復活します。
罪の中で死んでいた私たちを新しい命で生かすために、イエス様はすべてを捨てて来られました。
神様にとって私たちは愛する子ども、神の子。イエス様は私たちを神の家族として愛しています。
だからパウロは、他人のことにも注意を払いなさいと勧めます。
同じ人間が経験している問題
私たちは王様の側近ではないし、パウロほど立派な経歴ではないかもしれません。それでも日本という先進国で暮らすことができています。
この世界で起きる様々な事件や災害のニュースを聞くと、本当に同じ世界の出来事だろうかと驚かされることもあります。平和な日本では考えられないような危険と隣り合わせの社会があります。
別の世界の話だ。私には関係ないと切り捨てないでください。
私たちと同じ世界で同じ人間が経験している罪と悲惨です。
すべての人が現地に行って援助ができるわけではありませんが、自分にできる範囲で祈ったり手を差し伸べたりしてください。
もちろん自分の問題と他人の問題の境界線を引くことも大事で、自分の心を守るために忘れることや悲惨なニュースを見聞きしないようにすることも必要です。
ただし無関心にはならないでください。
私たちが住むこの世界は、私たち人間の罪のために壊れています。
イエス様が家族として愛された子たちが苦しんでいます。
これは私たちと同じ神の家族の問題、あなたの神の家の前が壊れています。
あなたの目の前の困った人に手を差し伸べる
民も自分が関わるべき問題に気づかされた
エルサレムに来たネヘミヤは荒廃した状況を実際に目にし、城壁の前に人々を集めました。
そして「エルサレムの城壁を建て直そうではないか。」と呼びかけます。
ネヘミヤはこれから目指すところを指し示しました。ビジョンを語りました。
すると人々は「早速、建築に取りかかろう」と応え、奮い立ちました。
ネヘミヤは「神の御手が恵み深くわたしを守」ってくれたと語ります。
神様からのビジョンを共有するとき、神様が人々の心を奮い立たせます。そして心合わせて神様のプロジェクトに加わる人々を起こします。
人々は城壁が崩れたままの生活を100年以上送ってきました。だからそれが当たり前で、問題だと思わなかったかもしれません。
神様からのビジョンが語られたとき、彼らは問題があることに気づかされました。そして目の前の問題に自分たちが関わるべきだと自覚したのでした。
自分の関心のある分野から始める
人々は役割分担をし、城壁を再建していきます。
まず大祭司は仲間の祭司と共に羊の門を修復しました。
羊の門は神殿の北にあり、いけにえとしてささげられる羊を通すための門でした。
礼拝を最優先したという面もありますし、祭司たちが日常使っていて関心が高かったという面があるでしょう。
祭司たちは自分の職業と関連がある羊の門だけでなく、馬の門からミフカドの門まで、北東部の城壁を修復しました。
ここは彼らの自宅や倉庫の前に当たります。自分たちの身近なところを修復しました。
彼らが自分たちの生活の場を修復していったことで、城壁の再建は52日で完了します。
それまで100年間崩れたままだった城壁がわずか52日で修復されました。
神様が見せてくださる問題は何か
私たちは今、教会のビジョンを神様から受け取ろうとしています。
神様からのビジョンを受け取ったら、それを語り合いましょう。
そのとき聖霊は人々の心を動かし、共に働く人を起こします。
ある人は海外で活動するビジョンを受け取るでしょう。遠い国に出て行き、現地の人に福音を伝える宣教師。また医療や教育など現地の人々の生活や開発を援助する働き。
そのような働きを聞いて祈り支援する人々が起こされる。
教会にとって、このような人々を送り出す宣教のビジョンも必要です。
同時に、教会が建てられたこの地におけるビジョンも求めてください。神様はこの地で何をしておられようとしているのか。
そのためにこの地域の課題のために目を向けることも大事です。
この町の人々はどのような問題を抱えているのだろうか。
見えてくる課題には、自分の関心事が反映されます。自分の普段の生活や職業など。
それでいいです。関心も技能もないのに海外に行って人を助けようとしたって、何もできません。
まず自分の目の前にある城壁から修復していくのです。
城壁の破れを直す者
あなたの自宅の玄関が破れています。あなたの家の前で問題が発生しています。
神様はあなたを用い、城壁の破れを直させようとしています。
他の誰でもなく、あなたが手を差し伸べるべき問題があります。
あなたの目の前にある、この社会の問題は何ですか。
イザヤ書で神様はこう言います。
10 飢えている人に心を配り/苦しめられている人の願いを満たすなら/あなたの光は、闇の中に輝き出で/あなたを包む闇は、真昼のようになる。11 主は常にあなたを導き/焼けつく地であなたの渇きをいやし/骨に力を与えてくださる。あなたは潤された園、水の涸れない泉となる。12 人々はあなたの古い廃虚を築き直し/あなたは代々の礎を据え直す。人はあなたを「城壁の破れを直す者」と呼び/「道を直して、人を再び住まわせる者」と呼ぶ。
イザヤ書58:10-12
虐げられている人、飢えている人、貧しい人がいます。
このような苦しめられている人々に関心を持ち、できることをしてください。
そのとき、あなたの前にある城壁が修復されます。
自分を愛するように隣人を愛する
イエス様は貧しい人に食べさせ渇いた人に飲ませ、旅人に部屋を貸し、裸の人に服を着せ、病気の人を見舞い、牢にいる人を訪ねるとき、それはわたしにしてくれたことだと言います。
他の人にした小さな行いが、イエス様にしたことになる。
だからこの社会の中で苦しむ小さな人は、もはや他人ではありません。私たちにとって彼らは神様が愛する子どもであり、小さなイエス様です。
あなたはイエス様を愛しますか。
それならあなたの隣人を愛してください。
パウロはこう言います。
26 一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。27 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
コリントの信徒への手紙一12:26-27
私たちは共に一つのキリストの体。
この社会で誰かが苦しんでいるなら、イエス様も共に苦しんでいます。
その苦しみはキリストの体全体で分け合います。
キリストの体の部分であるあなたも、泣く人と共に泣くのです。
また喜びも共に分かち合うことができます。
自分を愛するように、あなたの隣人を愛してください。
生活の中で実践していくとき、あなたの家の前の城壁が修復されます。
すると100年、200年、あるいは数千年変わらなかった問題も解決されていきます。
あなたはどこから破れを直していくか
世界で起きる問題に関心を持ってください。
あなたの周りにいる人々に関心を持ってください。
この町には多くのお年寄りが住んでいます。学生もいます。一人暮らしの方々がいます。子育て中の親子がいます。外国籍の人たちがいます。貧しく暮らす人たちがいます。
私たちが暮らすこの世界の状況。そこに何らかの困難を抱えた人がいるなら、それはこの町の問題です。
あなたの家の玄関が破れています。
イエス様の十字架の死と復活を受け取ったあなたは、どこからこの破れを直していきますか。