クリスマス礼拝

わがこころ主をあがめ

ルカによる福音書 1:46-55

46 そこで、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、47 わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。48 身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、49 力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、50 その憐れみは代々に限りなく、/主を畏れる者に及びます。51 主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、52 権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、53 飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。54 その僕イスラエルを受け入れて、/憐れみをお忘れになりません、55 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、/アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」

 メリークリスマス!
 今日はクリスマス礼拝です。救い主イエス・キリストがこの地上にお生まれになったことを記念して礼拝をささげます。

主を畏れる者に及ぶ神の限りない憐れみ

 先週は受胎告知の話をしました。
 マリアに天使ガブリエルが現れ、聖霊によって赤ちゃんを身ごもったと知らされます。
 マリアは「そんなことある?」と思ったけれど、ガブリエルは「神にできないことは何一つない。だって親戚のエリサベトおばさんだって妊娠しただろ?」と言いました。それでマリアはエリサベトおばさんに会いに行くことにします。
 マリアが挨拶すると、エリサベトおばさんのお腹の子が踊りました。
 このとき妊娠6ヶ月です。お腹の赤ちゃんは5ヶ月目くらいから耳が聞こえるそうです。
 聖霊に満たされたエリサベトはマリアとイエス様を祝福します。

マニフィカト

 この出来事はマリアに確信を与えたでしょう。
 夢や幻ではなかった。本当に救い主が自分のお腹に宿った。
 それでマリアが賛美したのが今日の本文です。
 「わたしの魂は主をあがめ」
 ラテン語ではMagnificat anima mea Dominum.
 この最初の言葉から、マニフィカトと呼ばれるマリアの賛歌です。

神の恵みを受け取った幸い

 マリアは「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。」と歌います。
 ガリラヤのナザレという田舎に住む10代の少女。当時の社会では誰からも注目されない小さな存在。神様のために働く資格があるとは思えません。
 そんな自分に神様が目を留め、救い主を身ごもるという重要な役割を任せてくださった。
 だから「今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう」
 私はいつの時代の誰から見ても幸せな者。
 神様の恵みを受け取ったからこそ出てくる喜びです。

信仰で恵みを受け取る

 マリアは、神様を畏れる者に神様の憐れみがいつまでも注がれると言います。
 ここに重要な秘訣があります。
 神様はすべての人を愛しています。一人一人に目を留めています。
 しかしその恵みを受け取るには、私たちの心の姿勢が問われます。
 神様を偉大な方として認めていれば、豊かな恵みを受け取れます。
 神様に何の期待もしてないなら、目の前に恵みがあっても受け取れません。

 今日私は皆さんにプレゼントを用意しました。
 中身は見えませんが、食べ物が入っています。
 受け取るかどうかは皆さんの自由です。
 私のことを信用していない人は、得体の知れない食べ物なんか受け取れるかと拒みますよね。
 信仰ある人だけが美味しいものを口にできます。

 神様を偉大な方として認めるなら、自分に対する神様の限りない愛を受け取れます。

神に注目する

 マリアは続けて「主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。」と歌います。
 高ぶる者を低くし、へりくだる者を高く上げる。
 豊かな者には何もなく、飢えた人に良い物を満たす。
 これはアブラハムとその子孫、神の民に対する永遠の約束です。

高ぶる者は低くされる

 これは権力を持つな、富を持つなという意味ではないし、貧困が清いということでもありません。神様を信じる者の人生に起こる逆転です。
 この世の権威は神様が立てます。だから権力は神様から来ます。
 しかし権力を持つと、人は自分が王であるかのように、神であるかのように振る舞います。
 そうして自分には力がある、富があると思い上がっていると、人生は破滅に向かいます。
 自分は主のはしためだと認め、与えられた力や富が神様からの恵みと信じるなら、神様の祝福を豊かに受け取れます。心の貧しい人は幸いです。

神の恵みを心に迎える用意はあるか

 皆さんは神様の恵みを心に迎える用意はありますか。
 イエス・キリストは皆さんの心の扉を叩いています。

見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。

黙示録3:20

 「もしもし、あなたの心の部屋は空いていますか?」

 クリスマスのこの時期、この御言葉を読むと思い出される福音書の記事があります。
 マリアとヨセフがベツレヘムに行った時のことです。
 旅先でマリアに陣痛が来ました。
 ヨセフは安全に産める部屋を探します。
 「すみません、部屋はありませんか?」
 「うちはもういっぱいだ。よそへ行ってくれ。」
 「赤ちゃんが産まれそうなんです。」
 しかし部屋を提供してくれる人はおらず、家畜のいるところに入って出産。そして生まれた子を布にくるんで飼葉桶に寝かせます。
 これが救い主の誕生です。
 救い主が戸の外に来ているのに、迎え入れる人はいませんでした。

何を拡大して見ているのか

 皆さんの心の部屋は空いていますか?何がその心に満ちていますか?
 仕事の忙しさ、学校のテスト、不安や恐れ、世の楽しみ、人間関係の悩み、劣等感。
 そのような思いで心がいっぱいになると、神様の恵みを受け取れません。
 自分の心に命じてください。「わたしの魂よ、主をあがめよ」

 マリアの賛歌にもある「あがめる」という言葉、ラテン語のmagnificatには拡大する、大きくするという意味があります。英語のmagnifyの語源です。元のギリシア語も同じような意味です。神様を拡大する。神様の偉大さを認めるということです。
 それは虫眼鏡を当てて観察するようなイメージです。
 皆さんの心はどこに注目していますか。
 人生の問題や自分の弱さに注目すると、問題がより大きく感じられます。
 目を上げて神様に注目してください。神様を拡大してみてください。
 目の前の問題よりはるかに大きな神様が、このちっぽけな自分に目を注いでくださっていることがわかるでしょう。
 あなたを罪から救うために来られたイエス・キリストが愛の手を差し伸べています。

 このクリスマス。神様からのプレゼントがあなたに届いています。
 神様を信頼し、心の扉を開いてください。
 神様を偉大な方として認め、イエス・キリストをあなたの心に迎え入れてください。
 クリスマスの喜びが皆さんの心に満ちあふれることを願います。

カテゴリー: BlogChristmas主日説教

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