新年感謝礼拝
わが魂よ主をたたえよ
詩編 103:1-5
1 【ダビデの詩。】わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって/聖なる御名をたたえよ。2 わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。3 主はお前の罪をことごとく赦し/病をすべて癒し 4 命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け 5 長らえる限り良いものに満ち足らせ/鷲のような若さを新たにしてくださる。
主はいつも良いお方
新年明けましておめでとうございます。
今年も皆さん一人一人に神様の恵みが豊かにありますようお祈りします。
私が祈っていることをもう少し正確に言うと、「豊かに注がれている恵みを受け取れるように」です。恵みは確実に豊かにあるんです。
主はいつも良いお方ですから。
これまでもそうでしたし、これからもそうです。
主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない
今年私たちの教会に与えられた年間聖句は詩編103編2節です。
わたしの魂よ、主をたたえよ。
主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
今日はこの詩編103編について最初の5節までを中心にお話をさせていただきます。
全存在で主を賛美する
これはダビデの詩だと伝えられています。
ダビデは「わたしの魂よ、主をたたえよ。」とうたいます。
詩編103編は22節まであるのですが、最後も「わたしの魂よ、主をたたえよ。」で締められています。ですから、この言葉がこの詩のカギになるフレーズだとわかります。
ダビデが誰に向かって「主をたたえよ」と命じているかと言うと、「わたしの魂」です。
皆さん、自分の魂と会話したことはありますか。
そもそも魂とは何でしょう。
元のヘブライ語はネフェシュです。これは人間の本質の部分を表します。肉体としての人間ではなく、その内にある命、人格といった意味です。
要は、口先だけではなく自分の内側から、自分の全存在をもって神を賛美するということです。
主なる神様も、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くしてあなたの神である主を愛しなさいと命じています。
救い主、癒し主、贖い主なる神
またダビデは「主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。」と自分に言い聞かせます。
主の御計らい、主が自分にしてくださったこと。それは何でしょう。
主は罪を赦し、病を癒し、命を墓から贖い出してくださいます。
主は救い主、癒し主、贖い主です。
私たち人間は神に似た者として土の塵で形づくられ、命の息を吹き込まれて生きる者になりました。
そして神様とつながり、神様から任された役割を果たし、神様の素晴らしさを現わすはずでした。
ところが罪を犯して神から離れ、神のかたちは傷つけられてしまっています。
神の傑作品であったものが、むなしい草のような存在になってしまいました。
私たちもそうでしょう。
神様と親しい関係を保っていますか。神様を無視し、背き、忘れてしまうことがよくあります。
皆さんは自分の体が神のかたちであると知っていますか。肉体の弱さの中で無力感を感じたり、怠惰に流されたりしてしまいます。
そうして自分には価値がないと思ってしまいます。
偉大な王ダビデも大きな罪を犯しました。忠実な部下ウリヤの妻と不倫をし、それを隠すためにウリヤを殺しました。このような極悪人が王であっていいはずがありません。
ところが主は、罪を認めて悔い改めたダビデを赦します。
主はわたしたちを罪に応じてあしらわれることなく、わたしたちの悪に従って報いられることもありません。
主は救い主です。
イエス・キリストが私たちの罪のために十字架で死なれました。
イエスを主と信じる信仰によって私たちはキリストにつながり、神の目から見て義と認められます。神様はもう私たちに罪を見ません。
東と西が正反対であるように、私たちは背きの罪から遠ざけられました。
ダビデは神様からの力を得て戦いました。まだ少年だったとき、羊を守るために野獣と戦いました。そして巨人ゴリアテに立ち向かい、イスラエルを敵の手から救いました。
私たちも聖霊の力で強められます。
神のかたちとしての人間性は日ごとに回復されていきます。
私たち一人一人はキリストの体の部分とされ、その存在を通して頭であるキリストの御心を実現していきます。
病など肉体の弱さを感じることはありますが、人間の弱さの中でこそ神の力は現わされるのです。
主は癒し主です。
少年だったダビデは父エッサイからも気にしてもらえない末っ子でした。しかし神はダビデに目を留め、イスラエルの王としました。
父がその子を憐れむように、主は主を畏れる人を憐れんでくださいます。
罪の奴隷とされ、むなしい草のように価値を失っていた私たち。
しかし神は独り子イエス・キリストの血で私たちを贖い出しました。
私たちは神のもの。神の目から見て高価で尊い宝物、天の父に愛されている子どもです。
私たちの人生の中で主が救い主、癒し主、贖い主として成してくださった御業を忘れないでください。
そして全存在をもって主を賛美するのです。
自分の魂に言い聞かせる
恵みを忘れさせるものがある
ダビデが「わたしの魂よ、主をたたえよ。」と自分の魂に命じるのは理由があります。
神様の恵みをすぐに忘れてしまうからです。
悪魔は私たちを神から引き離そうとささやきます。
この世の富や楽しみに目がくらんで神が見えなくなります。富も楽しみも神が与えてくださった良い物ですが、気をつけないと偶像化します。
そしてまた自分の弱さの中で空しい思いに支配されます。
そうすると、これまでいただいた神の恵みがわからなくなります。
むしろ過去の苦しみや痛みが再び自分を傷つけます。
今も注がれている恵みも見えません。目の前に大きな問題が立ちはだかっているかのように圧倒されます。
そして将来に対する恐れや不安に支配されます。
神に注目する
私たちが注目すべきは神です。
信仰の創始者、完成者であるイエスから目を離さないでください。
神に注目するなら、主がこれまでにしてくださった恵みが見えてきます。私たちの目は開かれ、目の前の問題よりはるかに大きな主が自分を見守っていることに気づきます。
主は昨日も今日も永遠に変わることのないお方です。
だからこれから先も主の恵みが豊かにあると確信できます。
主はいつも良いお方です。
恵みと慈しみは近くにあるが自分からは見えない
ダビデは詩編23編で、主は羊飼いだと歌います。
主が羊飼いとして養ってくださるので、何も欠けることはありません。
恵みと慈しみは私たちの頭に被せられた冠のように離れることなく、追いかけてきます。
天の父なる神様は最善の時に最善のものを与えてくださいます。
時に試練をお与えになることがありますが、それは神様に愛されている証拠です。
4節の「冠」、また詩編23編の「追いかけてくる」という表現。
冠は頭の上にあり、追いかけてくるものは背後にあります。
どちらもすぐ側にあるのに視界に入りません。
だから目の前のことや自分のことばかり見ていると、神様の恵みはいつまでも見えてきません。
むしろ見えてくるのは目の前の問題、自分の弱さ醜さ傷ばかりです。
自分ばかりを見ようとしないでください。そこに希望はありません。
目を上げてください。そばにいる助け主、聖霊様が教えてくれます。
ほら、ここに冠があるよ。背後に恵みが追いかけてきているよ。
そのために、自分ばかりを見て落ち込んでいる魂に命じます。
「わたしの魂よ、主をたたえよ。」
鷲のような若さ
確かに私たちの人生には多くの問題があり、悩み悲しみがあります。主が良い方だなんて到底思えないような理不尽な苦しみを与えられるときもあります。
それでも主なる神様から目を離さないでください。
主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上ります。走っても弱ることなく、歩いても疲れることがありません。
鷲などの猛禽類は換羽といって、毎年羽が生え変わります。
一気に変わるわけではなく、数ヶ月かけて徐々に生え変わっていきます。
復活の主につながった私たちも新たにされます。
古いものは過ぎ去り、新しく創造された者になります。
その変化はすぐにはわかりません。
しかし日々確実に、栄光から栄光へとキリストに似た者に変えられていきます。
いつまで過去の痛みや苦しみに心を支配されているのですか。
いつまで目の前の問題やこの世の楽しみに振り回されているのですか。
いつまで自分の弱さばかり見ているのですか。
主を見上げてください。
主はいつも良いお方です。これまでも、これからも。
自分の魂に言い聞かせてください。「わたしの魂よ、主をたたえよ。」
2026年、目を上げて主が私たちに用意してくださっている恵みを受け取ることができますように。祝福をお祈りします。





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