歴代誌講解19
イスラエル帝国
歴代誌上 18:1-13
1 その後、ダビデはペリシテ人を討って屈服させ、ペリシテ人の手からガトとその周辺の村落を奪った。2 また、モアブを討ち、モアブ人はダビデに隷属し、貢を納めるものとなった。3 ダビデは次に、ハマト地方のツォバの王ハダドエゼルが、ユーフラテスに覇権を確立しようと行動を起こしたとき、彼を討ち、4 戦車一千、騎兵七千、歩兵二万を捕獲し、戦車の馬は、百頭を残して、そのほかはすべて腱を切ってしまった。5 ダマスコのアラム人がツォバの王ハダドエゼルの援軍として参戦したが、ダビデはこのアラム軍二万二千をも討ち、6 ダマスコのアラム人に対して守備隊を置いた。こうしてアラム人もダビデに隷属し、貢を納めるものとなった。主はダビデに、その行く先々で勝利を与えられた。7 ダビデは、ハダドエゼルの家臣がそれぞれ携えていた金の盾を没収してエルサレムに運んだ。8 またダビデは、ハダドエゼルの町ティブハトとクンから大量の青銅を奪い取った。ソロモンはこれを用いて青銅の「海」、柱、青銅の祭具を造った。9 ハマトの王トウは、ダビデがツォバの王ハダドエゼルの軍勢を討ち滅ぼしたと聞き、10 王子ハドラムをダビデ王のもとに遣わして安否を問わせた。トウ自身、ハダドエゼルと交戦中であったので、ハダドエゼルに対するダビデの戦勝を祝って、金、銀、青銅のさまざまな品を贈った。11 ダビデ王はこれらの品々を、すべての異邦の民、すなわちエドム、モアブ、アンモン人、ペリシテ人、アマレクから得た銀や金と共に主のために聖別した。12 ツェルヤの子アブシャイは塩の谷でエドム人一万八千人を討ち殺し、13 エドムに守備隊を置いた。こうして全エドムはダビデに隷属した。主はダビデに、行く先々で勝利を与えられた。
お年寄りの知恵や技術は宝
明日は敬老の日です。お年寄りを大切にしましょうという日です。
年上の方を尊敬するのは当たり前に大切なことです。
しかし年を取ると体が衰え、できないことが増えます。老害と言われ、邪魔者扱いされます。
姥捨て山という物語がありますが、その昔話の中でもお年寄りは邪魔者扱いされていました。
昔々、ある国の殿様が「年老いて働けなくなった者は役に立たないから、山に捨てよ」と命令を出しました。
とても厳しい殿様です。従わなければひどい罰を受けることになります。
その国のある若者も、父親が年を取ったので山に捨てなければならなくなりました。
若者は父親を背負い、山に行きました。山はうっそうとした森に覆われています。若者は森の奥へ奥へと進んでいきます。
進んでいくたびに、後ろでパキ、ポキ、と枝が折れるような音がします。誰かがついてきているのかと思って振り向きますが、誰もいません。
気のせいかと思ってまた進んでいくと、同じ音が聞こえてきます。
もう一度振り向いてみると、折れていたのは足元の枝ではなく、道端に生えている木の枝でした。
背中に背負っていた父親が折ったのです。
どうしてそうするのかと若者が聞くと、父親は「この森は迷いやすい。お前が帰るときの目印だ」と言います。
自分を捨てようとしている息子のために心を配る親の愛に、息子は心を打たれました。そして父親を捨てるのを止め、自宅の床下にかくまうことにしました。
しばらくして、隣の国の殿様が難題を持ちかけ、解けなければ攻め滅ぼすと脅してきました。
その国の役人たちは誰も解けません。このままでは国が滅びます。国中に札を立て、この問題を解いた者には賞金を出すと約束しました。
それを知った若者は父に相談します。父はあっさりと答えを出しました。
若者はその答えを殿様に伝えました。
隣の国の殿様は「この難問を解く知恵者がいるなら、この国を攻めるのは難しいだろう」と言って退却しました。
どうしてこの難問を解けたのかと聞かれた若者は、年老いた父をかくまっており、その父から教えてもらったことを正直に話しました。
お年寄りの知恵によって国が守られたことを知った殿様は、お年寄りを大事にするようになりました。
めでたしめでたし。
年上の方がその長い人生の中で身に着けてきた知恵や技術は宝です。それは多くの苦労を積み重ねる中で磨き上げられた宝です。
主が行く先々で勝利を与える
今日の本文からしばらくイスラエル王国と周辺諸国との戦いの話になります。
ダビデは行く先々で勝利し、周辺諸国を隷属させたり和平を結んだりしました。このような戦いの中で、神殿建設の準備が進められていきます。
ダビデによるイスラエルの帝国時代
神殿を建てるのはダビデの子孫だと神は言いました。
それでも神殿建設はダビデにとって大きな目標になりました。自分の手で建てられなくても、その準備はしたい。
神殿を建てるには多くの木や石などの資材が必要です。お金もかかります。また、多くの人手も必要です。
そのような事業に集中するためには、国が平和でなければできません。
まずダビデは宿敵ペリシテと戦い、ガトと周辺の村落を占領しました。これでイスラエルの西側の敵はいなくなりました。ティルスとは同盟を結んでいます。
さらに東のモアブとも戦い、これを隷属させました。アンモンとは友好関係がありました。
次にダビデはツォバの王ハダドエゼルと衝突しました。ツォバはダマスコの北の地域です。アラム人の王になります。アラムはハダドエゼルの時代に領土を拡大し、ユーフラテス川上流の地域をも支配しました。ダビデはこのユーフラテス川流域も狙っていました。そこでユーフラテスの覇権を巡ってダビデとハダドエゼルが衝突しました。ダビデはこの強敵にも勝利し、援軍として参戦したダマスコのアラム人たちも退けました。ダビデはアラムに守備隊を置き、隷属させました。
さらに北にあるハマトの王は王子を遣わし、ダビデに戦勝祝いの挨拶をしました。ハマトはイスラエルと戦う意志がないということを表しています。これで北の守りも整いました。
さらにヨアブの弟アブシャイの率いる部隊がエドムと戦い、守備隊を置いて隷属させました。これで南も安泰です。
イスラエルは東西南北すべての敵に勝利し、周辺諸国を支配下に置きました。
大げさな言い方になりますが、イスラエル帝国とも呼べるような時代が到来しました。
戦いは避けられない
ダビデはこのように敵を打ち破り、イスラエル国内を平和に治められる状況を作りました。
その理由として、「主はダビデに、行く先々で勝利を与えられた。」という言葉が繰り返し出てきます。これらの戦いにおける勝利は神によって与えられました。
戦争というのは残酷なものです。歴代誌では省略されていますが、サムエル記を見るとダビデはモアブに対して残酷な仕打ちをしています。たくさんの悲劇がありました。
神殿を建てる準備のために神がそのような悲劇を許したというのは、受け入れがたいものがあります。
旧約聖書にはたくさんの戦いが記録されています。
聖書全体を見れば、神が戦争を肯定していないことは明らかです。
しかし避けられない戦いもあります。
愛することが本当の勝利
私たちの人生でもたくさんの戦いを経験します。
スポーツや受験などの競争を経験します。
人間関係においても戦いを経験します。夫婦でも戦うことがあるし、毎朝のように親子で戦ったという人もいるでしょう。愛すべき家族が敵に見えてきます。
そしてクリスチャンには霊的戦いが待っています。
戦いの最中には混乱があるばかりで、平和などないように思われます。
しかし戦いの経験を積んでいく中で、大事なことを学んでいきます。それは、主が戦ってくださるということです。
自分の力で自分の願った結果を得ようとするのではなく、神の側に立つことを選ぶのです。
自分が正しく相手が間違っているなどと思わないでください。正しいのは神様です。
主に依り頼むなら、その偉大な力で強くされます。
勝利は自分の願いが成し遂げられることではありません。
敵がいなくなれば勝利です。
敵だと思っていた相手を愛することができたなら、敵はいなくなります。
愛すること。それが本当の勝利です。
そうは言ってもサタンまでは愛せません。霊的戦いは続きますが、主が既に勝利しました。その神の愛に留まるなら、私たちは圧倒的な勝利者だとわかります。
そのように戦いの中で信仰が熟練していきます。
あなたの行く先々で勝利が与えられる
イスラエルの帝国時代はダビデとソロモンの時代だけでした。
しかし神の支配は永遠に続きます。そしてユーフラテスに留まらず、神の国は拡大していきます。
王の王、主の主が行く先々で勝利を与えられるからです。
9 娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。10 わたしはエフライムから戦車を/エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ/諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ/大河から地の果てにまで及ぶ。
ゼカリヤ書9:9-10
この預言はイエス・キリストによって成就しています。平和の主キリストによって地の果てまで平和が実現します。
愛に生きるとき、敵はいなくなり、平和が作られていきます。
あなたは今どのような戦いを経験していますか。
誰かと競争しているなら、その人を蹴落とすべき敵ではなく、互いを高め合うライバルだと思ってください。
人間関係の戦いにおいても、相手を愛する対象として見てください。相手が変わるのを待つのではなく、まずあなたが愛を実践するのです。
霊的戦いにおいては、神の武具によって悪魔の策略に対抗するのです。
神の愛に留まるなら、主はあなたに、行く先々で勝利を与えられます。
苦悩の中で生まれる宝
そうは言っても、愛することは難しいです。敵を愛しなさいと、教会で何度も教えられてきました。しかし愛せないのです。
では、愛することが勝利だとしたら、愛せなかったら敗北なのでしょうか。だとしたら、毎日負け続けていると思わされる人が多いのではないでしょうか。
そうではありません。愛せなくても敗北ではない。愛することができないその葛藤の中でもその経験が宝になっていきます。
戦って得られた財宝が礼拝の道具になる
ダビデは戦いを繰り返し、たくさんの金銀財宝を得ました。ハダドエゼルに勝利したときは金の盾を没収し、大量の青銅を奪い取りました。ハマトの王からは戦勝祝いとして金、銀、青銅が贈られました。
ダビデはこれらの財物を神殿建築の材料にしました。後に「ソロモンはこれを用いて青銅の「海」、柱、青銅の祭具を造った」と記録された通りです。
ダビデが戦って得た聖堂は、礼拝の道具に作り変えられました。
苦しみの期間を通ってキリストのしるしが現わされる
戦いの経験は苦しいものです。その苦しみの経験の中で磨かれ熟成される宝があります。宝が生み出されるために、戦いの期間が必要だとも言えます。
イエス様はあえて時間をかけたことがありました。
ある日イエス様は「主よ、あなたが愛している者が病気です」と知らせを受けました。べタニア村のラザロが病気で死にそうになっています。
イエス様はそれを聞いても同じところに2日間留まりました。
それから出発しましたが、べタニアに着いたときにはラザロはもう死んでいました。
遅れて来たイエス様にマルタは言いました。「主よ、もしここにいてくれたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに…。」
本当です。イエス様はもっと早く来るべきでした。
むしろイエス様は、遠くにいる人の病気も癒せます。ラザロの病気を聞いてすぐに、一言命じればよかったではありませんか。
それなのにイエス様はあえて同じところに2日間留まりました。
結局ラザロは死んでしまい、葬られ、その体は腐ってニオイを放ち始めています。
イエス様はその苦しみの期間、死んで葬られ、腐敗していく期間を経て、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫びます。
そのとき人々は、キリストのしるしを目撃しました。
試練によって磨かれる信仰
私たちの人生の中でも、神様はあえてこのような苦しみの期間を通らせます。
そこで私たちは磨かれ、熟成されていきます。
6 それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、7 あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。
ペトロの手紙一1:6-7
私たちはしばらくの間、試練に悩まされ苦しまなければならない時があります。
私たちの信仰はその中で磨かれ熟成されていきます。
その信仰は金よりもはるかに尊い宝になります。
もがきながら宝が形づくられる
真珠という宝石があります。
この宝石はどこで採れるのでしょうか。
一般的に宝石は石ですから、地面の下にあります。
しかし真珠は、貝から採れます。貝のお腹の中で作られるのです。
アコヤ貝などの貝の体内に異物が入ったときに、貝殻を作る膜も一緒に入り込んでしまうことがあります。その異物を核として貝殻の成分が積み重なっていくことで、真珠が作られていきます。
元は異物です。体内に異物が入ったら苦しいですよね。ですから真珠というのは、貝の苦しみの中で生み出される宝石です。
私たちの人生の中でも試練や苦しみを経験します。その試練や苦しみの中で生まれる宝があります。
愛そうという意思はあっても愛する力がない。そういう自分の愛のなさにもがくとき、私たちの内に宝が作られていきます。
今週も私たちの人生の中には毎日戦いがあることでしょう。戦いは避けられません。
しかしその戦いの中で神の愛を受け取り、愛に生きる決心をしましょう。
そうするとき、私たちの信仰は磨かれていきます。