キリストを王とする

キリストを王とする

マルコによる福音書 11:1-11

1 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。3 もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」4 二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。5 すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。6 二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。7 二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。8 多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。9 そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、/祝福があるように。10 我らの父ダビデの来るべき国に、/祝福があるように。いと高きところにホサナ。」11 こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。

エルサレムでの一週間

 今年のイースターは4月20日です。イエス・キリストの復活を記念して礼拝をささげます。
 その前の日曜日を除く40日間を、受難節(レント)と言います。今年は3月5日から受難節に入っています。
 この受難節をどう過ごすかは自由ですが、私たちの罪のために十字架で死なれたイエス様を覚えながらイースターを備えていきたいと思います。

 そこでこれから、イエス様が十字架につけられるまでどのように過ごされたのかを見ていきます。
 マルコによる福音書では、イエス様がエルサレムに入ってからの様子が日ごとに記録されています。
 まずはエルサレムに入った日の出来事。
 ヨハネはこれが過越祭の5日前だと言います。過越祭は金曜日なので、5日前は日曜日ですね。

王に従う

 人々はイエスがメシアではないかと期待していました。
 目が見えないバルティマイもイエス様を「ダビデの子」と呼びます。ナザレのイエスの噂を聞いて、この方こそ旧約聖書に約束された救い主メシアだと信じたのです。
 弟子たちはメシアであるイエス様がイスラエルの王座に着くと期待しています。それで誰が大臣のイスに座るかケンカしていました。
 そしてついにべタニア村まで来ました。この先のオリーブ山を越えたらエルサレムです。

ロバに乗ってエルサレムに入る

 そこでイエス様は2人の弟子を使いに出して、子ロバを連れて来させました。
 何のために?
 イエス様は『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言わせます。
 何のためかはよくわからないけれど、主イエスが必要としている。
 弟子たちはイエス様の言う通りにしました。

 後で弟子たちは気づいたでしょう。
 これも旧約聖書で約束されたメシアの姿。

9 娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。

ゼカリヤ書9:9
ジェームス・ティソ「エルサレムの通りの行列」

 ここではシオンの丘、エルサレムにイスラエルの王が来る時のことが預言されています。
 そう、メシアはロバに乗ってエルサレムに入るのです。
 イエス・キリストはロバに乗った王様としてエルサレムに入城します。

王の中の王イエス

 王様とはどのような人でしょうか。
 王様は民を治める人です。民を従わせる力を持っています。そして民の生命や財産を脅かす敵と戦います。
 王様も神様がお立てになった権威ですから、人には従う義務があります。
 そして王様は、神を愛し人を愛するためにその力を用いなければなりません。
 しかし現実には、権威を振りかざし人を不当に支配する王もいます。
 ゼカリヤが預言した王は、神に従って勝利を与えられた者であり、高ぶることのない柔和で謙遜なお方です。
 まさに柔和で謙遜なイエス様に当てはまります。

キリスト招きに従いささげる

 王様には従わなければなりません。
 主が必要とされている。皆さんは王であるイエス様の招きに従うことができますか。
 納税の義務があるから税金を払えと言われても、嫌ですよね。
 でも支払った税金が社会のために、人を生かすために用いられているとわかれば、抵抗は少なくなります。
 イエス様は強制的に取り上げたりはしません。私たちは自ら喜んでイエス様にささげます。
 イエス様が私たちのささげたものを清めて用いてくださるからです。
 たとえ5つのパンと2匹の魚しかなくても、イエス様にささげるなら5000人以上を満腹にできます。
 何より、イエス様はまず私たちのためにすべてをささげてくださいました。
 天の栄光を捨てて人になり、十字架で命をもささげてくださった。その血によって私たちは生かされています。
 イエス様がまず私たちを愛してくださった事実を思えば、喜んで手放すことができるのではないでしょうか。

偉大な王イエスに委ねる

 私たちには自分の思いや計画があります。
 そしてそれを成し遂げるために人を動かそうとする支配欲があります。
 自分が王様になって人を従わせたいのです。

 先日息子の卒園式がありました。
 カトリックのミッション系保育園です。例年、卒園記念品で聖書が贈られていました。
 しかし今年は聖書ではなく、聖書がよくわかるような本にしたそうです。
 私はこれでも福音派の牧師ですから、「ミッション系の保育園なら聖書だろ!」という思いがあります。
 でも私は、自分の思いと違うことで感謝しました。
 教会でも卒園記念品を用意していたので、それと被ると困るからです。

 もし自分の思いを握り続けるなら、自分の思い通りにならないことで腹を立てます。
 そして自分の思い通りに人を動かそうとします。
 そのような自分の思いや計画も、王であるイエス様に委ねてください。
 主が必要とされている。
 自分よりもはるかに偉大な王であるイエス様の思い、計画に従うのです。

王は民を救い繁栄を与える

 人々はイエス様を歓迎しました。
 多くの人が自分の服を道に敷き、他の人は葉の付いた枝を切って来て道に敷きました。カーペットを敷くように王であるイエス様が通る道を準備したのです。
 そして「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。」と叫びます。
 これは詩編にも記録された歌の一部です。

25 どうか主よ、わたしたちに救いを。どうか主よ、わたしたちに栄えを。26 祝福あれ、主の御名によって来る人に。わたしたちは主の家からあなたたちを祝福する。

詩編118:25-26

 民を救い繁栄を与えてくださる王として、人々はイエス様を迎えています。

イエスは神の民の人生を最善に導く

 私たちもイエス様をそのような王として迎えているでしょうか。
 王様は民を治めます。民が豊かに生活できるようにしなければなりません。
 もし王が民の生活を顧みないなら、国は荒れ果てていきます。
 歴史を見ても、どのような王や指導者が立つかによって国が繁栄することもあれば荒廃することもあるということがわかります。
 現代も、一国のリーダーが変われば良くも悪くも世界情勢に大きな影響を与えるということを見ることができます。

 私たちもイエス様を王として迎え入れるなら、その統治を受けます。
 イエス様は私たちの生活を祝福し、命を豊かに与えてくださいます。
 イエス様が自分の人生を最善へと導いてくださると信じるのです。

災難のような状況もキリストの手の中にある

 先週私は教団の会議があって長崎に行きました。
 九州に行ったついでに大分の実家にも寄りました。
 両親と色々話をしている中で、私が去年もう40歳になったという話になりました。
 そしたら母親が「こうちゃんもう40になったん。そしたら厄除けせんといかん。」と言ってきました。
 私はよく知らないのですが、昭和59年生まれの男性は今年が厄年だそうです。

 まあ確かに災難はあります。
 長崎から大分の実家に行くのに、午後の高速バスで行くつもりでした。これに乗れば夕方着いて、夕食を一緒に食べられるという計画です。
 その前に、長崎にある友人の教会に寄りました。
 高速バスはJR長崎駅前から出ている。友人の教会もJRの駅に近かったので良かったです。
 しかし調べてみたら、その最寄駅から長崎行の電車が1時間に1本しかないのです。
 間に合うように出たつもりでしたが、おしゃべりしたり写真撮ったりしているうちに乗り遅れてしまいました。
 慌ててタクシーを呼びましたが、もうバスの発車時刻には間に合いません。
 そこでタクシーの運転手さんが機転を利かせてくれて、高速バスの次の停留所に送ってくれました。おかげで予定していた高速バスに乗ることができました。

 電車やバスに乗り遅れるという災難があり、タクシー代も痛い出費でした。
 ああ、やっぱり厄年だな。
 しかしこの災難の中でも私は神様に感謝しました。

 タクシーで送ってもらいながら、運転手さんと色々話しました。
 「高速バスでどちらまで行くんですか?」
 「大分の別府までです。」
 「ああ、別府ですか。実は私の妹も別府の方なんですよ。日出っていう町なんですけどね。」
 「え、日出ですか!私の実家も日出で、これから帰るところなんですよ。」
 なんと電車に乗り遅れてたまたま呼んだタクシーの運転手が、日出という小さな町と縁のある方でした。
 偶然ではない、神様の導きを感じました。

 私たちの人生には失敗や逆境があります。
 そのすべても王であるイエス様が治めています。
 そして最善へと導こうとしています。
 だから神を愛する人、神の国の民のために、神様は万事を益としてくださいます。

王は民のために戦う

 また王様は敵と戦います。
 私たちにも敵がいます。
 それは、人を神から引き離そうとする敵です。

人を神から引き離す敵との戦い

 エルサレムに入ったイエス様は神殿に入り、辺りを見回しました。
 この日はそれで終わります。
 イエス様は神殿に集まる人々の様子をよく見ていました。人々は何をしているのか。どのような話をしているのか。
 そこで、人を神から引き離そうとする敵を見極めました。
 そして一週間、その敵と戦われます。
 究極の敵である罪と死との戦いが、エルサレムで始まるのです。

 イエス・キリストの十字架の死によってあらゆる敵は打ち倒されました。
 サタンの王国は打ち倒され、神の国が既に来ています。
 復活の主にはあらゆる名に勝る名が与えられています。
 私たちもイエス・キリストを王の王、主の主として受け入れてください。
 このお方は、私たちの家庭でも学校でも職場でも王の王、主の主です。
 そして私たちの心の中でも王の王、主の主です。
 自分が王であろうとする心を手放し、このお方に従ってください、イエス様は私たちの人生を最善へと導く王です。

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