ローマ書講解1 神が愛し招いた民へ

ローマ書講解1

神が愛し招いた民へ

ローマ書 1:1-7

1 キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、―― 2 この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、3 御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、4 聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。5 わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。6 この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。―― 7 神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

信仰の基礎を固める

 昨年から使徒信条、主の祈り、十戒をテーマに、聖書からのメッセージを語ってきました。これらは三要文と呼ばれ、信仰の基礎になる3つの重要な文章です。
 1年以上、伝えたいテーマを基に聖書のメッセージを語ってきました。ここで以前のように聖書の本文を基にメッセージを語る形に戻りたいと思います。
 それでも私たちの教会は神様からのビジョンを受け取り直し、新たに立ち上がろうとしているところです。
 まだ信仰の基礎を固めていきたいです。
 そこで、これからしばらくの間、ローマの信徒への手紙を読み進めていきます。

 ローマの信徒への手紙は、パウロがローマの教会に宛てて書いた手紙です。
 パウロは西の方へ福音を伝えたいと考えていました。その拠点になるのはローマです。
 ローマの教会はパウロが設立に関わっていません。
 だからパウロは手紙の中で個人的なあいさつと共に、自分が伝えようとしている福音を紹介します。
 「私はこういう者です。これからあなたたちの教会に行って、さらに西へ福音を伝えたいと思っています。福音というのは要するにこういうことですよ。」と。
 こういう背景で書かれたローマの信徒への手紙には、信仰の基礎がまとめられています。

パウロの自己紹介

 まずパウロは自己紹介をします。
 この手紙を差し出したのは私、パウロです。私はキリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となった者です。

キリストの僕

 僕(しもべ)という言葉は奴隷とも訳せる言葉が使われています。
 ローマの市民権を持つパウロは自由な身分で、誰かの奴隷になることはありません。
 しかしパウロは自らを奴隷だと言います。
 奴隷には主人がいます。奴隷は主人が願うことをします。
 パウロの主人はキリストです。キリストの奴隷はキリストが願うことをします。
 パウロは自由な身分でありながら、自ら進んでキリストの奴隷になりました。
 キリストを愛し、キリストのために生きるのだというパウロの思いが伝わってきます。

選び出された

 パウロは神の福音のために選び出されました。
 選んだのはイエス様です。
 パウロは昔、教会を迫害していました。
 ダマスコという町の教会を迫害しに行く途中、復活のキリストに出会います。そして目が見えなくなります。
 主イエスはダマスコのアナニアという弟子を送り、パウロの目を癒させます。
 アナニアはパウロが教会にしてきたことを知っているのでためらいます。
 すると主はこう言いました。

すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。

使徒言行録9:15

 パウロは異邦人や王たちにイエスの名を伝えるために選ばれた。
 アナニアがパウロの上に手を置くと、目からうろこのようなものが落ちて見えるようになりました。
 イエス様の言う通り癒されたことで、パウロがイエス様に選ばれた器であるという言葉も真実であるとわかります。

神に招かれ使徒とされた

 使徒というのは遣わされた者という意味があります。
 イエス・キリストが任命した12人の弟子たちが使徒と呼ばれました。
 彼らは復活の主に出会い、復活の証人として遣わされていきました。
 パウロはその12人に入ってはいませんが、復活の主から特別に使徒として任命されました。
 パウロも他の使徒たちと同様に、命をかけて福音を伝えるために遣わされたのです。

福音の概要

 手紙には差出人と宛先が書かれます。この手紙でも1節に差出人はパウロだと書かれたので、宛先が続くべきです。
 ところが宛先は7節に飛びます。
 2節から6節は、パウロが伝えようとする福音の概要です。

福音は聖書の約束

 福音は「神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するもの」。
 ここで言う聖書は旧約聖書のこと。御子はキリストのことです。
 旧約聖書には救い主の誕生、死、復活などについての約束が書かれています。それがイエス・キリストにおいて成し遂げられました。
 イエス様自身、「聖書はわたしについて証しをするものだ」と言っています。
 パウロは別の手紙で福音をこう要約しています。

3 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、4 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、5 ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。

コリントの信徒への手紙一15:3-5

福音は御子イエスに関すること

 パウロは続けて御子の紹介をします。
 御子は誰の子?
 ダビデの子であり神の子です。
 イエス・キリストは私たちと同じ肉体を持った人間でした。ヨセフとマリアの家庭に生まれます。
 父ヨセフはダビデの家系でした。こうして救い主がダビデの子孫から生まれるという聖書の預言が成就します。
 しかしイエス様はただの人間ではありません。人となられた神です。
 聖霊によって処女マリアのお腹に宿り、生まれてきました。それは私たちを罪から救うためです。
 罪なき神の独り子イエスは私たちの罪を背負い、十字架で死にます。救いは成し遂げられました。
 死んで終わりではありません。聖霊の助けでイエス・キリストは復活し、力ある神の子であることを示しました。

 パウロはこの主イエス・キリストを伝えています。

神に愛され召されて聖なる者となった人たち

 この手紙は神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ宛てて書かれています。
 ローマに教会が建てられた経緯はよくわかりません。
 ペンテコステの時、ローマから来てエルサレムに滞在していた者もいました。彼らもペトロの説教を聞いてその日に洗礼を受けたかもしれません。
 コリントでパウロと一緒に働いたプリスキラとアキラもローマに戻っていました。
 使徒ペトロや、パウロたちと一緒に宣教旅行に行って逃げ出したマルコもローマに滞在していたと言われています。
 そのような人たちが中心になって教会が建てられていったのでしょう。
 福音はユダヤ人だけでなくギリシア人やローマ人のような異邦人にも救いをもたらしました。

イエスは私たちの主

 パウロはローマのクリスチャンたちに呼びかけます。この方が「私たちの主」イエス・キリストです。
 イエス様はパウロだけの主ではなく、あなたたちの主でもある。
 これは私たちに対する呼びかけでもあります。
 パウロは自ら進んでキリストの奴隷になり、キリストを愛し、キリストのために生きる道を選択しました。
 ではあなたたちはどうするのか。

 かつて私たちは罪の奴隷でした。
 罪に生きる者の報酬は死です。
 イエス・キリストが十字架で血を流し死なれたことで、私たちは救い出されました。自由な神の子とされています。
 この自由を罪の機会にしてはいけません。
 死の道ではなく、命の道を選択するのです。
 イエスは主。
 私たちもキリスト・イエスの僕です。

私たちも神に選ばれた器

 パウロは主イエスによって、異邦人や王たちにイエスの名を伝えるために選ばれました。
 その異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召された私たちもいるのです。
 私たちも神に選ばれた器です。キリストの手にある道具です。

 器にはそれぞれ役割があります。
 平らな皿と茶碗では、盛り付けるものが違いますね。その器に合った料理を載せ、提供します。

 皆がパウロのような働きをするわけではありません。
 それでも私たちはそれぞれの使命をいただいています。
 働きは異なりますが、キリストのために生きる使命という点は共通です。
 イエス様は私たちに、全世界に行ってすべての造られたものに福音を宣べ伝えなさいと命じています。
 私たちもイエスの名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くのです。
 信仰に導くのは神の役割です。私たちが無理やり人を変えることはできません。
 しかし福音を伝えるのは人の役割です。
 私たちも神に選ばれた器。
 それぞれに合った形でイエス様を紹介していきます。

神から来るアイデンティティ

 パウロはローマの信徒たちを「神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち」と呼んでいます。神が愛し招いた聖なる民です。
 自分のことを神に選ばれたとか神に愛されているとか、聖なる者とか言えますか?すごい自信です。
 パウロが使徒だと言うのも、何かライセンスがあるわけではありません。結局は自称みたいなものです。
 それでもパウロは胸を張って使徒を名乗ります。
 それはパウロ自身から出るものではなく、神から来たものだからです。
 神がパウロを選び、使徒に任命した。
 だから自分がどう思うか、かつてのパウロがどうであったかに関係なく、恵みを受けて使徒とされたのです。
 私たちも自分で自分をどう思うかに関係なく、神が愛し招いた聖なる民です。
 聖書がこう語っているからです。

天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。

エフェソの信徒への手紙1:4

 私たちも神が愛し招いた聖なる民です。

信仰に固く立ち福音を伝える

コロッセオ

 ローマは当時の世界を支配したローマ帝国の首都。
 すべての道はローマに通ずとも言われました。
 逆に言うとローマから世界中に出て行くことができます。パウロはこのローマを拠点に、さらに西、スペインの方まで行こうと考えていました。
 ローマ帝国は皇帝を神とし、武力によって勝利を勝ち取り、世界を治めようとしていました。
 その中でクリスチャンたちはイエスを主とし、神の恵みと平和を世界に広めようとしています。
 信仰に固く立ち、福音を恥とせず伝える者が必要です。
 今のこの世界も神ではないものが神のようにあがめられ、力によって世界を支配しようとする者がいます。
 神が愛し招いた聖なる民として、信仰に固く立ち、福音を伝える者が、今必要です。

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