ローマ書講解19 全被造物に及ぶ福音

ローマ書講解19

全被造物に及ぶ福音

ローマの信徒への手紙 8:18-25

18 現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。19 被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。20 被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。21 つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。22 被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。23 被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。24 わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。25 わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。

国々の光とされこの世界でどう生きるか

 8月15日(木)から17日(土)まで東京で行われたJASTAに参加してきました。たくさんの恵みをいただいてきました。
 参加した人だけが祝福を受けるのではなく、私たちが参加できるように後ろで支えてくださった皆さんに同じ祝福があると私は信じています。
 留守を守り、祈りで支えてくださってありがとうございました。

 一時は、無事に開催できるか心配になった時もありました。
 巨大地震が発生するのではないかという恐れ。台風が金曜日から土曜日にかけて関東に接近する。そういった災害からも守られて感謝です。
 しかし地震はいつか来ます。
 台風などによる大雨の被害は毎年日本中で起きています。
 7月25日には山形と秋田で大雨が降り、救助に向かっていた警察官2名がパトカーごと流され殉職するという被害もありました。

 また8月15日は終戦記念日でした。私たちは会場に早めに着いたのですが、館内放送で終戦記念集会の様子が流され、黙祷が呼びかけられていました。
 日本では終戦から79年を迎えることができましたが、世界には今も戦時中の地域があります。
 核兵器の脅威も続いています。

 他にも貧困や飢餓など、この世界には多くの問題があります。
 国々の光とされて遣わされた私たちがこれからどう生きるのか、考えさせられます。

すべての被造物も罪の呪いから解放される

 先週は神の子とされたことについての話でした。
 王族は王族らしく生きるように、神の子は神の子らしく生きる。
 その模範はイエスお兄ちゃん。
 私たちがイエス様に従って歩もうとするなら、その愛の模範に従うことになります。
 そこには苦しみも伴います。

人生は苦しみの連続

 誰かを愛そうとするときに引き受ける苦しみだけではなく、ただクリスチャンであるというだけの理由で迫害される場合もあります。
 それに私たちは生きていく糧を得るために顔に汗を流して労苦しなければならない。
 しかし労苦したものを災害が奪っていく。
 人間同士の争いに悩まされることも多々あります。
 私たちはやがて年老い、病気に悩まされる。そしていつかは死ぬ。
 生きていくこと自体が苦しみです。
 また母親は新しい命を生みだすときに大変な苦しみを負わなければなりません。

苦しみの原因は人間の罪

 なぜ世界はこのような苦しみに覆われているのですか。神が造られた世界になぜこのような問題が起きているのですか。神は造られたすべてのものを見て「極めて良い」と言われたのではありませんか。
 私は反抗期のガキのような人間なので父なる神にそうやって文句を言います。
 しかし聖書を見ると、問題の原因は創造主ではなく私たちにあることがわかります。

17 神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い/取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。18 お前に対して/土は茨とあざみを生えいでさせる/野の草を食べようとするお前に。19 お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」

創世記3:17-19

 人類の代表アダムがやらかしたわけです。
 「お前のゆえに土は呪われるものとなった。」
 この世界が壊れているのは、人間の罪のゆえです。

現在の苦しみ⋘将来の栄光

 その一人の人アダムによって罪が世に入り込みましたが、一人の人イエス・キリストによってすべての人に救いの道が開かれました。
 そして神の子とされた私たちはキリストと共同の相続人となり、キリストと共に栄光を受けます。
 そこでパウロは言います。「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。」
 将来現わされる栄光の素晴らしさに比べれば、現在の苦しみなど気にならなくなってします。
 分数の分子がどんなに大きな数だったとしても、分母が無限大に近づけば限りなく0に近づきますよね。

\[ \lim_{x→\infty} \frac{a}{x} →0 \]

 これをパウロが言うのです。イエス様を信じることによる苦しみを誰よりも経験したパウロが。

福音はすべての被造物に及ぶ

 さて、私たちはイエス・キリストの十字架の死によって罪赦されました。
 死という罪の結果も、キリストの復活が打ち破りました。
 では、人間の罪のゆえに壊れたこの世界はどうなるのでしょう。
 分母が大きくなって0に近づくというのは、分子の大きさに限りがあるという前提での話です。分子も限りなく大きくなってしまったら、どうなるかわかりません。
 この世界の苦しみにも終わりが来なければいけません。
 人間だけでなくすべての造られたものが、罪の呪いから解放されなければならないのです。
 パウロは「福音は信じる者すべてに救いをもたらす神の力」だと言いました。
 それだけではありません。
 福音は全被造物に及ぶのです。

神の子たちによって被造物は回復する

 ああ良かった。いつかこの壊れた世界は終わるんだ。
 生きていくための労苦は終わり、人と人との争いも終わる。痛みや病も癒され、神と共に永遠に生きる。神が極めて良いと言われた世界の美しさが回復する。

神の子たちの役割

 …誰がそれを成し遂げるの?
 私たちは毎日祈りますね。「御国を来らせたまえ/御心の天になるごとく地にもなさせたまえ」と。
 だから神様がやってくれる?

 主の祈りの解説で学んだことを思い出してください。
 神様は人を通して働きます。
 この地で神の御心を行い、神の国を拡大させるのは私たちです。神の子に委ねられています。

 人を造られた神は、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。」と命じました。
 またイエス様は「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」と命じています。
 世界の美しさを回復し平和を実現するのは神の子たちの役割です。
 パウロもこう言います。「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。」

壊れた被造物には回復の希望がある

 パウロは被造物の現在の状態として「虚無に服している」「滅びへの隷属」という表現を使っています。どうしようもなく壊れているという感じですね。
 でも被造物には希望があると言います。

 壊れた状態にしたのは誰ですか。
 原因は人間にあるけれど、壊したのは神ですね。
 神様が極めて良く造ったものを自ら壊した。
 神様がそれを放っておくと思いますか。

 たとえば親子で「ゲームは何時まで」と約束したとします。
 でも子どもは親の言うことを聞かず、ゲームを止めなかった。
 親は怒ってゲーム機の電源コードを取り上げてしまった。
 これではゲーム機があっても遊べません。
 壊れた状態。虚無です。そしていつか捨てられてしまうという滅びへの隷属。
 しかし親は、子どもが反省したなら電源コードを返してくれますよね。そうですよね。

 だから被造物も、神の意志によって壊されたなら、いつか本来の状態に回復される。
 人が神のもとに立ち帰るなら、被造物も神の子どもたちの栄光に輝く自由にあずかれるという希望を持っています。

世界を耕し豊かに発展させる

 神の子たち。天のお父さんの言うことに従ってください。
 虚無に服している被造物を本来の美しさに回復させてください。

 神は地を従わせよと命じたわけですが、これは人間が好き勝手にしていいということではありません。
 その後のエデンの園での様子を見ると、人が大地を耕すことで様々な草木が生えてきたことがわかります。
 神は人が世界を耕し、豊かに発展させることを願っています。

 人間の好き勝手な行動によって荒れ果ててしまった自然を回復させることが必要です。
 人間の行動で自然環境が破壊され、様々な動植物が地球上から姿を消しました。
 石油などの化石燃料を使い続けることで空気中の二酸化炭素濃度が上がっています。これが世界の気温が上昇している原因の一つだと言われています。
 今年の夏の熱さは本当に災害級です。
 では人間が活動を止めれば自然は回復するのかというと、そうでもありません。
 人間が手を加えないと、自然は荒れていきます。

 今回のJASTAの会場の横には大きな森がありました。
 しかしこの森、自然にあったものではありません。人が造り、人が手入れして管理された森です。
 そこで人間が憩うこともでき、動植物も暮らしています。
 私はJASTAの会場でタマムシを見ました。虹色に輝く美しい昆虫です。
 浜松でも見たことがありません。
 おそらく隣の森から飛んできたのでしょう。
 だから人と自然が共存していくためには、ある程度人間が手を加える必要があるのです。

平和を作ることも神の子の役割

 戦争など人間の争いは、この地球を人間が住みづらい環境に変えてしまいます。
 ミサイルで町は廃墟となり、大地には地雷が埋められる。
 もし核兵器が再び使われるようなことがあれば、この地球は人が住むことのできない場所になってしまうかもしれません。

 キリストの十字架によってあらゆる隔ての壁は壊されました。
 まず身近なところから人々と和解し、様々な違いを超えて平和を造り上げていきましょう。
 イエス様は「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」と言いました。
 平和を作ることも神の子たちの役割です。

目に見えないものを望む

神の国の完成

 被造物はそのような希望を抱き、うめきながら待っています。
 私たちも神に造られたものとして、神のかたち、神の最高傑作品としての自分が回復されることを待ち望んでいます。
 心の中でうめきながら。

 うめくのは苦しいからですね。
 この世界の壊れた現状を見て苦しい。
 また自分自身が生きていくことも苦しい。

 しかし栄光に輝く将来が約束されています。
 暗闇に覆われたようなこの世界に終わりのラッパが鳴り渡るとき、主イエス・キリストが帰ってきます。
 すると最初のものは過ぎ去り、新しい天と新しい地が来ます。
 先に眠りについた人たちも目覚め、私たちは花嫁として花婿イエス・キリストを迎えます。
 私たちは神と永遠に共に住み、夕べになっても光がある常世の朝が来ます。
 苦しみは終わりです。

ミケランジェロ「最後の審判」

3 そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、4 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」

ヨハネの黙示録21:3-4

 死も悲しみも嘆きも労苦もない。
 神の国の完成です。

見えないものを望むからこそ希望

 目の前の現実を見れば、そのようなものは空しい希望だと思われるかもしれません。
 この壊れた世界が良くなる兆しなんてどこにも見えない。
 そうです。
 見えるものを望むのは希望ではありません。
 見えないものを望むからこそ希望なのです。
 望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することが信仰です。
 信仰によって救われた私たちは神の愛を受け取り、希望をいただきました。

 確かに苦難はあります。
 その苦難が忍耐を生み、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを知っているでしょう。
 この希望は失望に終わらない。
 なぜなら聖霊によって神の愛が心に注がれているからです。

 神の子とされた私たちは、すべての造られたものに福音を宣べ伝えることが命じられています。
 管理者として世界をより豊かに発展させ、平和を実現していきましょう。
 この地に神の国を建て上げていくのは、私たちです。
 目の前の現実に目を奪われないでください。
 主を見上げ、忍耐して待ち望むのです。

 

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