ローマ書講解20 万事が益となる

ローマ書講解20

万事が益となる

ローマの信徒への手紙 8:26-30

26 同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。27 人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。29 神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。30 神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。

喜びも悲しみも入り混じって自分を形づくる

 映画「インサイド・ヘッド2」が公開中です。
 世界での興行収入がアニメーション映画史上1位を記録し、日本でもわずか4週間で前作の40億円を上回りました。
 気になりますね。私も見てみたい。
 人気の理由は、今回の作品自体の良さはもちろん、前作の良さからの期待もあるでしょう。
 前作「インサイド・ヘッド」、見たことありますか?名作です。

 見たことない人のためにあらすじを紹介します。
 物語はアメリカのミネソタ州でライリーという女の子が誕生するところから始まります。
 物語の舞台はなんとライリーのインサイド・ヘッド(頭の中)。
 ライリーの頭の中には、生まれてすぐヨロコビという感情が生まれました。
 そしてカナシミも生まれ、ライリーの成長と共にイカリ、ムカムカ、ビビリという感情も生まれてきました。
 この5つの感情はヨロコビをリーダーとして、頭の中の司令部からライリーを幸せにしようと奮闘します。
 そしてライリーが感じたことは思い出ボールとなり、頭の中に保管されます。
 特に、特別な思い出はその人の人格を作り上げます。
 ライリーの場合、特別な思い出はすべてヨロコビの色である黄色。
 そのためライリーはいつも笑顔で家族や友だちを喜ばせるホッケー好きな明るい少女になりました。

 11歳になったライリーはお父さんの仕事の都合で引越さなければならなくなりました。
 トラブル続きで頭の中は大混乱。
 そんな中でカナシミが思い出ボールを触ると、黄色から青に変わっていきます。
 それでもヨロコビは、ライリーに喜びの思い出を作らせようとします。

 新しい学校に転校したライリーは、喜びの思い出を振り返りながら自己紹介をします。
 しかしカナシミが思い出ボールに触ったことで、ライリーは突然泣き出します。
 そして青い特別な思い出が作られ、ライリーに新しい性格が生まれようとしました。
 それを阻止しようとしたヨロコビは、カナシミと共に司令部から長期記憶の保管場所に飛ばされてしまいます。
 そしてライリーの人格は徐々に崩壊していき、感情を感じなくなっていきました。

 ヨロコビは何とかして司令部に帰ろうとしながら、カナシミが足を引っ張っているように感じていました。
 ところが「仲間に励ましてもらった」という特別な思い出ボールを眺めていたとき、その裏に「ホッケーで負けて気落ちしていた」という思い出があったことに気づきます。
 悲しみの思い出があったからこそ生まれた喜びの思い出でした。

 2人が司令部に帰ると、ヨロコビはカナシミに司令を任せます。
 するとライリーは両親に「本当はミネソタが好き」「前の家に帰りたい」と涙ながらに本心を訴えます。
 両親はライリーの思いを受け止め、抱きしめてくれました。
 そのとき喜びと悲しみが入り混じった思い出ボールが作られました。
 こうして喜びも悲しみも、あらゆる感情が混ざり合いながら、ライリーの新しい人格が作られていきました。

 私たちは幸せに生きたいです。
 しかしその人生の中には悲しいこと、腹が立つようなこと、恥ずかしい失敗などがあります。
 そういうマイナスに思える出来事も大事です。
 それも含めて、今の自分を形づくっています。

聖霊のうめき

 そう、人生の中で苦しみは避けられません。
 神の子とされた私たちもキリストと共に苦しみながら、神のかたちに回復されることを心の中でうめき待ち望んでいます。被造物も、神の子たちの栄光に輝く自由にあずかる時を待ち望み、共にうめき苦しんでいます。
 うめいているのはそれだけではありません。同様に聖霊も、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださいます。弱い私たちを助けてくださるのです。

どう祈るかを知らない弱さ

 私たちは弱いです。
 色々な弱さがありますが、ここでは「どう祈るべきかを知らない」という弱さです。
 いや、祈り自体は誰でもできます。日本の皆さんも正月や七夕で祈ります。昔から雨乞いの祈りとかしてきました。
 今年の夏がめちゃくちゃ暑かったので、浜松市博物館で雨乞いの展示をしました。
 その直後に全国で大雨の被害が出ました。
 ただの偶然ですけど、博物館はすぐに展示を取り止めました。

 「願いが届きすぎたようで」 浜松市博物館、「雨乞い」展示後に天候大荒れ?「急ぎ撤収します!」

 私はユーモアがあって面白いと思いますが、中には「龍神様が祈りを聞いてくださった」と思う人もいるでしょう。
 「どう祈るべきかを知らない」というのは、誰に何を祈るかという内容の部分です。

祈りの中で神の御心に適う者に変えられていく

 私たちは天の父なる神様に祈るということは知っています。
 しかし内容はどうですか。
 私の欲しいものが手に入るように。私のしたいことができるように。私の嫌なことから避けられるように。自分中心の祈りばかりになっていないでしょうか。
 もちろんそういう祈りがダメだとは言いません。
 ただし、それは赤ちゃんのような祈りです。
 祈りの目的は自分の願いを神に叶えさせることではありません。神の御心と一致することです。

 そこで聖霊は私たちのために執り成します。
 聖霊なる神様は三位一体のお方ですから、もちろん父なる神様の思いを知っています。
 それで祈りの中で、聖霊は私たちの祈りの方向性を変えていきます。
 自分中心の祈りから、家族のこと、友だちのことまで祈れるようになります。まるで自分のことしか見えていなかった子が周りの人のことを考えるようになっていくように。
 学校のことや社会のこと、世界の問題のために祈り、やがて人々の救いのため、そのために自分に何ができるかを求めるようになります。
 そして御名があがめられるようにと、神を求める祈りになっていきます。
 祈りの中で「神様、あれをしてください、これをしてください」と神を変えようとしないでください。
 祈りによって私たちの方が、神の御心に適う者に変えられていくのです。

共にうめく助け主

 また私たちには、本当に苦しみうめいているときに祈りの言葉さえ出て来ないという弱さもあります。
 そのようなときに聖霊は言葉にならないうめきをもって執り成してくださいます。
 イエス様は聖霊を助け主だと言いました。キリストの霊が私たちのそばにいて助けてくださる。
 ラザロの墓の前で涙を流されたお方は、私たちが悲しみに暮れるとき、共に涙を流してくださいます。
 愛する弟子に裏切られ嘲られ鞭打たれ墓に葬られたお方は、私たちがどんな低く暗く寂しいところにいても共にいて見捨てません。
 そして死の力を打ち破り復活されたお方は、私たちに再び立ち上がる力をくださいます。
 この聖霊による祈りの助けを受け取ってください。

マイナスと思えることを神はプラスに変える

神を愛する者たち

 26節も大事なのでぜひ覚えておいてもらいたいですが、28節も大事です。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」
 これは神を愛する人たちへの約束。

 神を愛していますか?
 私たちは口では神を愛すると言いますが、そうでないときもあります。
 人の心を見抜く神は、私たちが神を愛していないのを見て、この約束を果たしてくださらないこともあるでしょうか。

 神を愛する者たちとはつまり、ご計画に従って召された者たち。
 それは天地創造の前から神に愛され選ばれた私たちのことです。

天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。

エフェソの信徒への手紙1:4

 私たちが神を愛したのではなく、神がまず私たちを愛してくださいました。
 かつて私たちが罪人であったときにキリストが十字架で死んでくださったことにより、神は私たちへの愛を示してくださいました。
 その神の愛を受け取り、私たちも神を愛する者に変えられていきます。
 だからこの約束は私たち皆に有効です。

キリストに似た者にする神の計画の中で

 万事が益となるというのは、すべてのことがプラスに変わるということ。そのために聖霊なる神様が共に働いてくださいます。
 ただし、このプラスというのは私たちの観点でのプラスではありません。何でもかんでも自分にとってプラスの結果になるなどということはありません。
 「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。」とあるように、神は私たちをキリストに似た者にしようと計画しています。その計画の中での益です。

 私たちの人生の中には、マイナスと思えるような出来事があります。
 恥ずかしい失敗、また取り返しのつかない過ちなど、人間の罪深さを経験する。
 病など肉体の弱さを経験する。
 また台風や地震などの災害がある。今日は関東大震災が起こった日。防災の日ですね。ここでもそのような悲惨な災害が起きてもおかしくありません。

 しかし苦しみは苦しみで終わらない。悲しみは悲しみで終わりません。
 それがどのようにプラスに変わるのか。それは神の大きなご計画の中で行われることですから、人が軽々しく言えることではありません。
 悲しみの中にいる人に「神様は万事を益としてくださいます。」なんて言ってはいけません。今現在悲しんでいるのですから、虚しい信仰的な言葉で悲しみを覆い隠そうとしないでください。
 泣きたいときは泣いていいです。苦しいときは助けを求めてください。

神はマイナスをプラスに変えてきた

 神様が目の前の苦しみをどのように万事を益にするかはわからない。
 しかし聖書を見れば、この約束が真実だとわかります。
 兄たちがヨセフを売ったことでヨセフは総理大臣になり、家族や多くの人が救われました。神は人の悪も善に変えます。
 パウロは肉体の弱さがありました。しかしその弱さの中で神の力強さを知りました。弱さの中でも神の恵みは十分あります。
 私たちはイエス・キリストを十字架につけて殺しました。しかし私たちの殺人によって救いは成し遂げられました。
 最終的に、神の御心だけが実現します。
 このことを、私たちは知っています。

 私自身も大学受験などで挫折を経験したことが救いに導かれるきっかけになりました。
 学校の先生をしているときに自分の愛のなさや無力さを感じ、教員をやめて牧師の道に進みました。
 ケガをして健康も財産も失ったときに本当に神様に養われ生かされていることを経験しました。
 私たちはこのようにマイナスと思えるような出来事の中で、神が共に働きながら、神の子として成長成熟していくことを経験します。

栄光をお与えになった

 神様は言います。「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。」
 私たちはキリストに似た者に変えられていきます。それはキリストが一番上のお兄ちゃんになるため。
 私たちはこのキリスト兄貴を見上げながら、その模範に従う者になっていきます。
 そしてすべての名に勝るキリストの名があがめられます。私たちはもう自分の栄光を求めず、神の栄光を求める者になっていきます。

栄光から栄光へキリストに似た者に造り変えられる

 神には計画があります。
 その計画の中で予定されていた者たちを呼び出し、聖霊の働きでキリストへの信仰を与えてくださいました。信仰さえも神の恵みです。
 その信仰によって私たちは義と認められました。
 そして義とされた者たちに神は栄光をお与えになりました。
 私たちは聖霊の働きによって栄光から栄光へと、キリストに似た者に造り変えられていきます。

確実な将来の約束

 一つ気になる点があります。
 「栄光をお与えになった」過去形で書かれています。
 私たちは栄光の存在になりましたか。もうキリストに似た者になったのですか。

 まだです。
 将来イエス様が帰って来るときに成し遂げられます。
 まだ成し遂げられていないのに「栄光をお与えになった」と言われているのは、これが確実な約束だからです。
 電車がホームに来ようとしていたら「電車が来た」と言いますね。まだ停車しドアが開いていなくても。
 だから私たちが栄光に変えられることは確実な約束です。

 私たちが悲しみや苦しみなど人生でマイナスと思える経験をするときも、聖霊は共にいて言葉にならないうめきをもって助けてくださいます。
 そして私たちをキリストに似た者に造り変えます。
 この神の約束があります。
 神様の大きな計画があります。
 だからどのような苦しみを通らされるとしても、神様を信頼してください。
 神様は万事を益とします。 

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