ローマ書講解29
神の秘められた計画
ローマの信徒への手紙 11:25-36
25 兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように、次のような秘められた計画をぜひ知ってもらいたい。すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、26 こうして全イスラエルが救われるということです。次のように書いてあるとおりです。「救う方がシオンから来て、/ヤコブから不信心を遠ざける。27 これこそ、わたしが、彼らの罪を取り除くときに、/彼らと結ぶわたしの契約である。」28 福音について言えば、イスラエル人は、あなたがたのために神に敵対していますが、神の選びについて言えば、先祖たちのお陰で神に愛されています。29 神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。30 あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順によって憐れみを受けています。31 それと同じように、彼らも、今はあなたがたが受けた憐れみによって不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今憐れみを受けるためなのです。32 神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです。33 ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。34 「いったいだれが主の心を知っていたであろうか。だれが主の相談相手であっただろうか。35 だれがまず主に与えて、/その報いを受けるであろうか。」36 すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。
ミステリー作品
ミステリー作家 辻村深月さんの「かがみの孤城」。アニメーション映画にもなっています。
主人公は中学1年生の安西こころさん。いじめが原因で学校に行けなくなりました。フリースクールを紹介されましたが、そこにも通えていません。
ある日、こころさんの部屋の鏡が光り出し、吸い込まれます。そこはオオカミのお面をつけた少女がいる絶海の孤城。そして6人の中学生に出会います。
彼らもこころさんと同じ中学校に通うはずだったけれど、事情があって行けていないことがわかります。
彼らとなら互いに助け合えるのではないかと思いますが…。
ミステリー作品には様々な謎が出てきます。事件に巻き込まれ、悲劇が起こることもあります。
しかし読み進めて行くと、さりげなく描かれていたことが重要な伏線になっていたり、悲劇だと思われた出来事が幸福な結末につながっていたりします。
「かがみの孤城」を読み終わったとき、感動して涙せずにはいられませんでした。
そしてこういう素敵な物語を提供してくれて、「辻村さんありがとう」と感謝がわいてきました。
神の脚本
英語のミステリーの語源は、ギリシア語ミュステーリオンです。口や目を閉ざすという言葉から派生し、秘められたもの、隠されたものを意味します。
今日の本文にある「秘められた計画」もミュステーリオンです。
聖書におけるミュステーリオンは、神の永遠の計画の中で隠されてはいるが、やがて聖霊の働きによって明らかにされる真理という意味で使われています。特にキリストによる救いの計画を意味しています。
神の救いの計画
神の秘められた計画は神秘です。聖霊が明らかにしてくれるまでは誰にもわかりません。どんなに賢い人にも理解できません。
パウロだって理解してはいません。
しかしローマ書でパウロがここまで語ってきたことをまとめると、何が言えるのか。
「一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、こうして全イスラエルが救われる」。これが神の秘められた計画です。
今はユダヤ人が頑なになって神に背いているが、それは一時的なもの。異邦人に福音が伝えられ、救われていく。それを見たユダヤ人が妬み、神に立ち帰ってくる。こうして全イスラエル、神の民全体が救われるのだ。
ここでパウロは異邦人全体とか全イスラエルという表現を使っています。異邦人の救いが満ちる。すべてのイスラエルが救われる。
しかし100%全ての人が救われるということではないでしょう。
誰でも救われるなら深い悲しみや痛みを感じる必要はありませんから。
誰でも救われるわけではなく、ただイエスを主と信じる信仰で救われる。この福音を拒む人がいます。
それでも、どんな人にも救いの可能性は残されている。
誰が救われるかは神の一方的な選びであり、秘められた計画ですから。
聖書の約束
パウロはただの個人的意見を言っているのではありません。聖書の約束に根拠があります。
「救う方がシオンから来て、ヤコブから不信心を遠ざける。」これはイザヤ書59章20-21節からの引用です。
ヘブライ語聖書だと少しニュアンスが違いますが、パウロはギリシア語の七十人訳聖書からの引用で、救い主が来て不信心を遠ざけるということを強調しています。
これだけだとちょっとこじつけのような感じもしてしまいますが、イエス様自身がこう言っています。
しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。
マルコによる福音書13:10
これは世の終わりについて語った言葉です。
世の終わりが来る前に、福音は世界のあらゆる民に伝えられる。
つまり神の救いの計画は、異邦人にも福音が伝えられなければ進みません。
もちろんユダヤ人にも福音が伝えられる。
そして救い主イエス様が帰ってきます。
私たちも神の脚本に名が記されている
ミステリー作品には伏線が隠されています。さりげなく描かれた場面、ただの脇役だと思っていた人が、謎を解き明かす上で重要な役割を担っていたりします。
「かがみの孤城」では冒頭に出てきたフリースクールの先生が重要人物だったりします。映画版では宮﨑あおいさんが声優を務めていたので、ただの脇役ではないことは明らかでしたが。
私たちは神の秘められた計画の中を歩んでいます。
神が書いた脚本の中の登場人物です。
ルターとかザビエルみたいな主要人物ではないかもしれません。
しかし異邦人全体が救われるという神のシナリオを進めるために、私たちが救われることも必要なプロセスでした。私たちの存在なしに、神の救いの計画は完成しないのです。
そして神様は、私たちに役割を与えています。
ただのエキストラではありません。神の脚本に名前が記され、役割が用意されています。
神の救いの計画のために、神の国の前進のために、神様はあなたを必要としています。
具体的な役割が何かはわかりません。神秘です。やがて明らかになる時が来ます。
神様の御心を祈り求めつつ、今与えられている役割に励んでいきましょう。
神のどんでん返し
神が選びと愛するとの決意は取り消されない
イスラエルは、今は神に敵対していますが、神に愛されています。
それは神が先祖アブラハムを選び、愛することを決意されたからです。
パウロは「神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。」と言います。
ここで言う賜物は恵みの賜物。
私たち人間は神様に背くことがありますが、神様が選び愛すると決意されたなら、それは取り消されることがありません。やがて神に立ち帰り、神の愛を受け取る時が来るのです。
私たちだってそうだったではありませんか。
神の憐れみを知るために不従順な時期を通る
神様はすべての人を不従順の状態に閉じ込めます。
それはすべての人が神の憐れみを受けられるようにするためです。
パウロは別の手紙の中でこうも言っています。
しかし、聖書はすべてのものを罪の支配下に閉じ込めたのです。それは、神の約束が、イエス・キリストへの信仰によって、信じる人々に与えられるようになるためでした。
ガラテヤの信徒への手紙3:22
私たちが不従順になり、神に背く。聖書はその私たちの罪を指摘する。そしてキリストのもとに導きます。
自分の罪深さを知れば知るほど、神の愛の大きさがわかります。
はらわたがよじれるほど心に深い痛みを覚えながら私たちを愛された神の愛を知ります。
独り子を与えてくださったその愛がわかるのです。
だから神の憐れみを受けるために、不従順な時期を通ることは必要なプロセスだと言えます。
信仰の迷い悩みさえも益となる
私たちも信仰生活の中で迷い、疑い、背くこともあるでしょう。
できれば右にも左にもそれず、ただ真っすぐに神に従って歩みたい。しかしそうできないのが人間です。
そして神は、こんな私たちを愛しておられる。
だから安心して迷え、疑え、悩め。
もしかすると神の愛がわからなくなり、教会という人間の集まりから離れたくなることもあるかもしれません。神に背いて道を外れ、祝福を逃して痛い目にあうこともあるでしょう。
それでも大丈夫。
私たちが神から離れても、神は私たちから離れない。どこまでもイエス様が共に歩んでくださる。
イエス様は死んで墓に葬られました。どんな低く暗く冷たいところであっても、イエス様は共にいます。
泣く者と共に泣いてくださる方がいることを知ります。
この愛を知るなら、神の憐れみに出会ったなら、私たちは変わります。
神の大きな計画の中で、罪人の頭が偉大な宣教者に変わる。
悲劇が幸福な結末につながる。
神の秘められた計画の中で、そのような大どんでん返しが起こります。
神をほめたたえずにはいられない
そういう伏線回収とかどんでん返しは、見ていて気持ちがいいです。
人間が書いた脚本でもそうです。
事実は小説より奇なり。
この世界を造られた神の脚本は、私たちの想像を絶します。
ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。
この世界の創造主をほめたたえずにはいられなくなります。
誰も神の計画を理解し尽くすことはできません。
誰も神の基準に到達できるも者はいません。
その世界に入らなければ本当の感動は味わえない
この素晴らしさは、外から眺めていてもわかりません。
小説のあらすじや映画の予告編を見て、興味はわく。
でもその世界に入り込んでみなければ、本当の感動は味わえません。
さあ、取って読みなさい。来て見なさい。
神の計画に加わってください。
神の国の民として生きてみてください。
キリストの体、神の家族の交わりに加わってください。
神の国建設のためにあなたが必要です。
キリストの手となり足となり、神の御心をこの地で行う。
その時、神の脚本の本当の素晴らしさがわかってきます。
栄光が神に永遠にありますように
やがて私たちは見ます。
この世界が神によって創造された美しい世界であるということを。
そして人の罪によって壊れてもなお、神の憐れみによって保たれている。独り子を与えるほどに神はこの世界を愛している。
そしてキリストによる救いの計画が前進し、すべての造られたものに福音が宣べ伝えられ、世界は主を知る知識で満たされる。すべての舌がイエスは主であると告白する時が来ます。
この神を見上げるとき、私たちは神をほめたたえずにはいられない。神の素晴らしさを語らずにはいられない。
この世で誇り頼ってきたものがゴミのようにつまらないものだったと気付く。
神の前に進み出て、自らをささげずにはいられなくなる。礼拝せずにはいられなくなります。
そして神の前に進み出て賛美します。
栄光が神に永遠にありますように、アーメン。