ローマ書講解33
平和を作るキリスト者
ローマの信徒への手紙 12:14-21
14 あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。15 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。16 互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。17 だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。18 できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。19 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。20 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」21 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。
人間らしさ
ドラえもんの映画に「海底鬼岩城」という作品があります。
夏休みにのび太くんたちが海に行くか山に行くかケンカになりましたが、ドラえもんの提案で海の中の山に行くことにします。
そこで登場したのが22世紀の水陸両用バギー。時速800㎞で走ることができ、未来の最先端の人工知能を搭載しています。
人間の命令をよく理解し応答します。2人乗りなのに5人乗ろうとしたら、ちゃんと警告を出します。
でもしずかちゃんが「バギーちゃん、おねがい」と言うとみんな乗せてくれました。
高い所を恐がりますし、怖くて四次元ポケットの中に隠れるなど人間のような面があります。
のび太くんたちは海底で楽しくピクニックをしますが、そこで海底人のエルに出会います。
哺乳類が海に適応してクジラやアザラシになったように、はるか昔に海に住むようになった人類がいたという設定です。
彼らは地上の人類が戦争ばかりしているのを見てきました。またゴミを捨てるなどして海を荒らしています。それで海底人は地上人を警戒していました。
のび太くんたちは海底人の存在を隠すために処刑されそうになります。
しかしエルが危険にあったとき、ジャイアンたちが自らの危険を顧みずに助けてくれました。
そのように危険に陥っている人を見殺しにすることができないという人間らしい心を見て、のび太くんたちを弁護します。
海底にも国家があります。
エルたちはムー連邦。そしてアトランティスという敵対国家がかつてありました。
アトランティスは核兵器を所有していましたが、核実験の失敗で滅亡します。
しかしアトランティスの首都「鬼岩城」には核兵器と、それを制御するコンピューター「ポセイドン」が残っています。
ポセイドンが海底火山の活動を敵の攻撃と勘違いし、核兵器を発射して世界を滅亡させる危険がありました。
そこでムーの首相は神に祈りをささげます。海底人も祈るんですね。
この映画には人間らしく生きるとはどういうことかを考えさせられる場面があります。
人の幸せを願う
呪ってはいけない
先週は愛に生きることを学びました。偽りの愛ではなく、真実の愛を実践する。その模範はイエス様。
そこで敵を愛するという大きな課題にぶつかります。
イエス様はこう命じました。
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
マタイによる福音書5:44
自分を苦しめるような者のために祈りなさいと。
真夜中にわら人形を作って五寸釘を打ち込みますか。
そういう祈りはダメです。
誰かを呪うこと、誰かの不幸を願うようなことを祈ってはいけません。
他社の業績が悪化するように。競争相手が事故にあうように。大好きなあの人が今付き合っている人と別れますように。あいつ嫌い。いなくなれ。
私たちの心にそういう思いがあると、それは態度や行動に表れ、口から出てきます。
あるいは悪霊に付け込まれます。
そして本当に相手に不幸が訪れることがあります。
いなくなれと思った相手が本当にこの世からいなくなったら、あなたは幸せですか。
祝福を祈る
神様は私たちの幸せを願っています。
神の民を祝福し、世界の祝福の源にします。
私たちが祈るべきは呪いではなく、祝福です。
イエス様は自分を十字架につけた者たちの前でこう祈りました。
そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」
ルカによる福音書23:34a
何の罪もないイエス・キリストを不当な裁判にかけ、嘲り、鞭打ち、十字架につけた人々。そんなやつらには天から火が降るようにと祈りたくなるかもしれません。
しかしイエス様は彼らの赦しを祈りました。
喜ぶ人と共に喜び泣く人と泣く
私たちはこのキリストの愛を受け、罪赦されました。
聖霊によってキリストに結ばれ、互いに一つの体の部分とされています。
互いに相手を尊敬の目で見て、優れた者と思うことが求められます。
人と比較し優劣をつけようとすれば、自分より優れた人を蹴落として自分が上に行きたいと、誰かを呪いたい思いになるかもしれません。幸せな人を見て妬み、誰かの不幸を願うかもしれません。
しかし互いに一つの体の部分として見たらどうでしょう。
おいしいごはんを食べたとき、心地よい音楽を聞いたとき、それを感じるのは舌や耳の一部分です。
しかし体全体が喜びを感じます。
私たちは互いに体の部分なので、人の幸せを自分の幸せとして喜ぶことができます。
喜びは分かち合われ、倍増していきます。
体の中にバイキンが入ってくると熱が出ます。
バイキンに感染しているのは体の中の一部分ですが、体全体が戦うのです。
私たちは互いに体の部分なので、人の痛みを自分の痛みとして悲しむことができます。
悲しみは分かち合われ、半減していきます。
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣くのです。
喜びも悲しみも人として大切な感情
海底鬼岩城で、しずかちゃんがバギーちゃんに貝殻をプレゼントする場面があります。
バギーは喜びますが、「自分がバギーであることが悲しい」と言います。
そのときバギーのヘッドライトの付近から液体が流れ出ました。
涙のように。
「泣いているの?」としずかちゃんは聞きますが、バギーは「いいえ、ただの油漏れ」と言って顔をそむけます。
感情というのは非常に人間的です。
イエス様も喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きました。怒りや恐れを感じることもありました。
神様ご自身も感情をお持ちです。
神に似せて造られた人間として、互いに喜びも悲しみも分かち合いながら、相手の幸せを願う者でありたいです。
すべての人と平和に暮らす
パウロは「互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。」と言います。
愛は自慢せず高ぶらない。
神の愛に生きる姿勢がここでも語られています。
豊かな人生のためにどういう人と関わるか
どういう生き方をするかというのを考えるなら、どういう人たちと交流するのかということも考える必要が出てきます。
人は互いに関わりながら生きているので、付き合う人々の生き方から影響を受けます。
自分の年収は、普段付き合う友人たちの平均年収に近づくと言われます。
それなら年収が多い人、社会的に成功している人たちとだけ付き合おうか。
そうやって年収に注目して付き合う人を選べば、確かにそういう人たちに似ていきます。
お金を愛する人、富を偶像とする人のようになっていくのです。
限られた世界の中で生きようとすると、その世界の価値観に影響されます。
閉ざされた部屋の中で、一つの声が反響して聞こえてくることがあります。あたかも他の皆もそう言っているかのように感じられる。
エコーチェンバーという現象です。
すると、ある価値観、ある思想が偏ったものであっても、正しいものであるかのように感じられます。
だから私たちは健全に生きるために、多様な人たちと関わる必要があります。
時には自分と違う人たちとも付き合う。そうすると視野が広がり、より豊かな人生を歩めます。
悪に悪を返さない
さきほど感情の話をしました。すべての感情は神から来たものです。そこに善し悪しはありません。
しかし怒りや憎しみは強い力を持っています。
それを抱き続けると、私たちの心は怒りや憎しみに支配されてしまいます。
そして自分に悪いことをした相手に、もっと悪いことをして復讐しようとする。
復讐された相手は、されたままではいられない。復讐し返す。やられたらやり返す。倍返しだ!
すると4倍、8倍、16倍と復讐がエスカレートしていきます。
相手を滅ぼすまで終わりません。
相手だけではない。その家族を、一族を、その町を、民族を、国を亡ぼすまでいきます。
こうして人間の歴史の中で戦争が繰り返されてきました。
国の間で、民族の間で、何世代にも渡って憎しみ合っています。
いつか核戦争で人類を滅ぼすところまで行くかもしれません。
怒りや憎しみは私たちの人間性を失わせ、人間を滅ぼします。
平和に暮らせない人もいる
どこかでこの憎しみの連鎖を断ち切り、人間が平和に暮らす道を目指さなくてはいけません。
パウロも「すべての人と平和に暮らしなさい」と命じています。
ただし、「できれば」「せめてあなたがたは」と条件が付いています。
できない事情があることをパウロもよく知っています。パウロにだってできません。
神の助けが必要です。
私たちはどういう人と平和に暮らすことができないのでしょうか。
それは私たちの人間性を失わせようとする人とです。
私たちを奴隷のように支配しようとする人がいます。物のように扱い、搾取する。自由に考え行動することができなくする。
あるいは暴力や脅迫など、危害を加える恐れがある人。
そのような人とは距離を置いてください。
先週も言いましたが、隣人を愛する前に自分を大事にしてください。
善によって悪に勝つ
愛する人たち。すでにあなたを支配し危害を加える人がいたとしても、復讐をしてはいけません。
申命記で神は「復讐はわたしのすること、わたしが報復する」と約束しています。
私たちがやらなくても、神が戦ってくださいます。
それでは私たちは自分に危害を加えるような人がいたとき、どうしたらいいのでしょう。
放っておけと?
いいえ、敵に対してすることがあります。
21 あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。渇いているなら水を飲ませよ。22 こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。そして主があなたに報いられる。
箴言25:21-22
敵はパンや水を与えられる資格などありません。パンや水を与えたら、元気になってもっと激しくやられるかもしれない。
いや、パンや水を与えたら相手の頭に炭火を置くとある。
そうか、神が天から火を…。
聖書全体を見れば、そうではないことがわかりますね。敵を呪ってはいけません。
燃える炭火を頭の上に置くとは、相手を悔い改めに導くことです。
神の炭火は人の罪を焼き、消し去ることができます。
恵みを受け取ったら、人は自らの罪を悟って神の前にへりくだるのです。
これを実際にやったのがエリシャです。
北イスラエルを何度も攻めたアラム軍がサマリアに連れて来られました。
王は復讐の機会と見て彼らを殺そうとしましたが、エリシャは彼らのためにパーティーを開きます。
こんなに良くしてもらった相手に、同じ釜の飯を食った友に、剣を向けることができますか。
これでしばらくアラムは攻めて来なくなりました。
敵が敵でなくなったのです。
敵を滅ぼす最強の武器
敵がいるなら、敵を滅ぼしたい。
それで人は様々な兵器を開発してきました。
しかし怒りや憎しみが動機では、敵は無くならず、むしろ次々と現れます。
敵を滅ぼす最強の武器は、愛です。
海底鬼岩城のラスボス「ポセイドン」。
剣や銃で立ち向かおうとしますが、皆やられてしまいます。
倒れたドラえもんの上でしずかちゃんは泣きます。
そんなしずかちゃんを守るために、バギーちゃんが立ち上がります。
そして驚くべき愛の行動で、ポセイドンを倒しました。
どのように倒したかは、映画を観てのお楽しみ。
愛によって、世界の平和が守られました。
平和を作るキリスト者になる
私たちは神の敵であったにも関わらず、神に愛された。
この恵みを受けたのだから、私たちも恵みを分け与えるべきです。
神と和解した者は、人との和解のための使者として遣わされます。福音という和解の言葉が委ねられています。
この福音を携え、この地上に平和を作ること。それが神に作られた者としての、神の子としての、本当に人間らしい生き方です。
平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。
マタイによる福音書5:9
いつかすべての人が平和に暮らす時が来ることを願います。地上人も、海底人も。
私たちは平和を作るキリスト者です。