ローマ書講解39
すべての民は賛美せよ
ローマの信徒への手紙 15:7-13
7 だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。 8 わたしは言う。キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、 9 異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです。 「そのため、わたしは異邦人の中であなたをたたえ、 あなたの名をほめ歌おう」 と書いてあるとおりです。 10 また、 「異邦人よ、主の民と共に喜べ」 と言われ、 11 更に、 「すべての異邦人よ、主をたたえよ。 すべての民は主を賛美せよ」 と言われています。 12 また、イザヤはこう言っています。 「エッサイの根から芽が現れ、 異邦人を治めるために立ち上がる。 異邦人は彼に望みをかける。」 13 希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。
応援歌
今日は浜松シティマラソンが行われています。浜松市役所から航空自衛隊の基地で折り返し四ツ池公園までの21㎞、ハーフマラソンです。
ハーフとはいえ、21㎞も走るのは苦しいことです。
苦しい競争を最後まで走り抜くために、周りの応援は大事ですね。
応援歌を歌うこともあります。
皆さんはどんな応援歌に励まされますか。
私はZARDの「負けないで」ですね。
「負けないで もう少し最後まで 走り抜けて」
どんな苦しい競争も希望をもって走り続けようという気になります。
先週は、私たちはあらゆる違いを超えて心と声をそろえて父なる神を賛美するという話をしました。
それはまるで競技場を走る競技者のよう。共にキリストを見上げる過去の信仰の先輩たちが、私たちを応援してくれています。
そこでも応援歌が私たちを励まします。
共に主を賛美するとき、この世がどんなに苦しくても希望をもって走り続けることができます。
私たちは賛美の輪に招かれている
互いに受け入れ合う
私たちは一人一人違っています。力の強さ、富の豊かさ、信仰の表現も違っています。
そこで強い人には弱い人の弱さを担う責任があると言いました。
そうして神の御心を行い、キリストの体として共に成長していきます。
それはキリストが私たちを受け入れてくださったからです。
キリストは私たちを救うために十字架で死なれ、復活された。
キリストの血で買い取られ神のものとされた人を、信仰の強い人の自由な振る舞いで滅ぼしてはいけません。
しかしいつも強い人が配慮するばかりであれば、信仰の表現の自由さは失われてしまいます。
私たちはただ恵みにより信仰によって神に受け入れられ、救われたのです。行いは関係ありません。
だから行いを気にする信仰の弱い人も、「ああ、あの人はそういう信仰なんだ。あの人も神に受け入れられているんだ。」と理解してください。
そうして信仰の表現の豊かさの中で共に神の素晴らしさをたたえることができます。
キリストは仕える者になり神の真実が現わされた
イエス・キリストは神ご自身でありながら、天の栄光を捨てて私たちと同じ人間になりました。
全知全能の力を自分の満足に使うことは一切なく、ただ神の御心を行い人々を生かすために仕えました。
律法の要求をすべて満たし、十字架の死に至るまで父なる神に従います。
キリストがこうしてへりくだり仕える者になったことで、旧約聖書の約束は実現していきました。
神の言葉はそのまま現実になるという神の真実さが示されたのです。
先祖たちに対する約束は確かなものとされた
神はアブラハムを選び、約束をしました。
それは、アブラハムから大いなる国民が生まれ、神が与える地に住み、すべての民の祝福の源になるという約束です。神の民が生まれ、神の国がこの地に臨み、世界は祝福されます。
神の民であるべきイスラエルは神に背き続けていましたが、イエス・キリストの十字架の死と復活によって神と和解しました。
神の国はすでにこの世に来ています。
先祖たちに対する約束は確かなものとされました。
異邦人も神を賛美する
そして神の民は祝福の源になり、世界は祝福されます。
神の民のしるしとして割礼を受けた人々だけでなく、割礼のない異邦人も救いに招かれたのです。
血筋によってではなく、信仰によってアブラハムの子とされます。私たち異邦人も神の民とされました。
神を知らずに生きてきた私たちを神は深く憐れみ、養子にしてくださった。
私たちは神をアバ父と呼び、その恵みと憐みをほめたたえるのです。
これも聖書の約束の実現でした。
パウロは3つの聖句を引用しています。
最初はサムエル記下22章50節。「異邦の国々の中で私は主を賛美します。主は油注がれた者をいつまでも慈しんでくださいます。」というダビデの預言的な賛美の一節です。
次は申命記32章43節。神の民イスラエルを見て「異邦の国々は主の民と共に喜びの声を上げよ」とモーセは呼びかけます。
3つ目は詩編117編1節。「すべての国よ、主を賛美せよ。」とうたいます。
何だか同じようなことが言われているような感じもしますが、なぜパウロは3つも引用したのでしょう。
それは律法、預言、詩歌という旧約聖書を構成する3つのカテゴリーから引用することで、異邦人も神を賛美するということが聖書全体の約束であると気付かせるためだったかもしれません。
また順番に注目してみると、まず主を賛美しているのはダビデです。神の民が賛美するのであって、異邦人は賛美していない。
しかしそんな神の民の姿を見て、異邦人も賛美に加わるよう招かれます。
そして異邦人も含めたすべての民が主を賛美します。
聖書全体を通して、神は私たちを賛美の輪に加わるよう招いています。
それは罪によって壊れた人間性が回復し、人の生きる本来の目的を見出すことでもあります。
後の世代のために/このことは書き記されねばならない。「主を賛美するために民は創造された。」
詩編102:19
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浜松にはヤマハがあります。世界的な楽器メーカーです。カワイやローランドもあります。
そこで浜松市は音楽の街だと宣伝しています。
国際ピアノコンクールも開催され、浜松のランドマークであるアクトタワーはハーモニカの形をしています。
音楽のジャンルは色々あります。表現は自由です。
その自由の中で、私は賛美をうたっていきたい。
神の栄光のためにキリストが私たちを受け入れてくださった。だから私はこの口で神の素晴らしさをたたえたい。
きれいな歌声でないのは申し訳ありませんが、こんな私の賛美も受け入れていただけたら感謝です。
そして周りの人たちも賛美の輪に加わるように招き、一緒に賛美したい。
浜松よ、主を賛美せよ。
この街がただの音楽の街ではなく、賛美の街になることを願っています。
賛美の力に励まされ走り続ける
賛美には力があります。
私たちが賛美をささげるのは、気分がいい時だけではありません。
苦難や問題の中でも賛美します。
先ほどのダビデの詩も詩編102編も、命の危機のような苦難の中でうたった詩です。
私たちがどんなに苦しい状況に置かれているとしても、神は賛美を受けるのにふさわしい方。神はイスラエルの賛美の中に住んでいます。
イスラエルが敵の前で神を賛美すれば、敵は打ち破られました。
パウロとシラスが牢の中で主を賛美すれば、牢の戸は開かれ、看守とその家族が救われました。
希望が見えない状況で来られる救い主
パウロはもう1つ聖句を引用しています。これはイザヤ書11章10節からの引用です。
エッサイはダビデのお父さんの名前です。エッサイから生まれたダビデの家系を、木にたとえています。
ダビデの子孫である王たちがイスラエルを、南ユダ王国を治めてきました。
ところが敵に侵略され、国は滅亡。王はいなくなります。ダビデの王家は絶たれたので、もう切り株しか残っていません。それがエッサイの根です。
もう終わり。希望が見えない。
そんな状況で、エッサイの根から芽が出ます。
ダビデの子孫から生まれる新しい王がイスラエルを建て直し、異邦人も彼に望みを置くと言うのです。
これはメシア預言の一つ。平和の王子であるイエス様について言っています。
前の部分にはこうあります。
6 狼は小羊と共に宿り/豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち/小さい子供がそれらを導く。7 牛も熊も共に草をはみ/その子らは共に伏し/獅子も牛もひとしく干し草を食らう。8 乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ/幼子は蝮の巣に手を入れる。9 わたしの聖なる山においては/何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように/大地は主を知る知識で満たされる。
イザヤ書11:6-9
狼と小羊が共に住む、神の国の到来です。
大地は主を知る知識で満たされ、誰も害を加えず滅ぼされない。
すべてが生きる世界が来ると約束されています。
福音は世界を変える
福音は世界を変えます。
世界は人の罪のために壊れていますが、福音に生きる神の子たちによって滅びへの隷属から解放され、神の国へ変えられていきます。
この福音は神が聖書の中で約束したもので、御子に関するものです。
御子はダビデの子孫から生まれ、私たちの罪のために十字架で死に、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められました。
この方が、私たちの主イエス・キリストです。
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この福音を受け取った私たちには果たすべき責任があります。
それは勝利の良い知らせを伝える伝令のように、福音を伝えることです。
私は福音を恥としない。
福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。
神は希望の源
良い知らせを伝える者の足はなんと美しいことか。
私たちも福音を伝えるようにと招かれています。
しかし現実を見てみれば、それは簡単なことではありません。
私たちがイエス様を信じて生きようとすると、必ずこの世と摩擦が生まれます。
家族の中でも対立が生まれるかもしれません。
職場で不利益を受けるかもしれない。
そんな時でも神を賛美してください。
信仰の先輩たちも天使たちも共に神を賛美し、私たちを応援しています。
負けないで、もう少し。最後まで走り抜けて。
どんなに離れていても祈りでつながっています。心はそばにいます。
負けないで、ほらそこにゴールは近づいてる。
イエス様を見上げてください。そうすれば信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とで私たちは満たされます。
聖霊が共にいて、私たちの心を希望で満たしてくださる。
そして父なる神様のあたたかく見つめる瞳を感じてください。
賛美しつつこの街の人々に福音をのべ伝え、この街の人々と共に主を賛美しましょう。
そして世界に呼びかけるのです。
浜松よ、主を賛美せよ。
すべての民よ、主を賛美せよ。