歴代誌講解12
一致を喜び祝う
歴代誌上 12:39-41
39 このすべての戦陣に臨める戦士たちが、全き心をもってヘブロンに集まり、ダビデを全イスラエルの王とした。イスラエルの他の人々も皆、ダビデを王位につけることに同意した。40 彼らはそこで三日間ダビデと共に、兄弟たちの調えてくれたものを食べたり飲んだりしながら過ごした。41 彼らに近い人々も、イサカル、ゼブルン、ナフタリに至るまで、小麦粉やいちじくの菓子、干しぶどう、ぶどう酒やオリーブ油、牛や羊の肉など多くの食料を、ろばやらくだ、らばや牛に積んで運んで来た。イスラエル中が喜び祝った。
Faster, Higher, Stronger, Together
古代ギリシアにはアテネやスパルタといった都市国家があり、互いに争っていました。しかし4年に一度、戦争をやめて集まりました。ゼウスの聖地であるオリンピア地方で祭りをするためです。
オリンピア祭典競技と呼ばれたその祭りでは、「美にして善なること」を重んじ、正々堂々と身体的な技を競い合いました。より速く(Faster)、より高く(Higher)、より強く(Stronger)を目指します。これがいわゆる古代オリンピックです。
この人間性を高め平和を実現するために、スポーツが役に立ちます。
このようなオリンピックの精神を受け継いで近代オリンピックが開催されるようになりました。
オリンピックは自分の国が金メダルをいくつ獲得できるかという競争ではないし、金もうけをする場所でもないし、政治に利用されてもいけません。
先週23日から東京オリンピックが開幕しました。5色の異なる色の輪が重なり合うオリンピックの旗の下に、世界中の205の国と地域、組織、難民選手団が集いました。
スポーツを通して、日本から世界に平和と一致と喜びのメッセージを発信する機会になればと願います。
全イスラエルが1人の王を喜ぶ
今日の本文はダビデ王の就任の祭典が行われた場面です。イスラエルの各部族の戦士たちが集まりダビデを王として従うことを決意しました。そして3日間に渡ってパーティーを行いました。
イスラエルには13の部族があります。ヤコブには12人の息子たちがいます。その息子たちそれぞれが部族を形成していきました。ただしヨセフは2人の息子マナセとエフライムに別れて部族を形成しました。レビ族は神に仕える部族になり、残りの12部族がカナン地方の各地に住みました。
王が立てられるまで、イスラエルの人たちはそれぞれ自分の目に正しいと思うことに従っていました。ですから部族同士で争うこともありました。
サウルが王になってしばらく一致しましたが、サウル王が死ぬとユダ族と他の部族で再び争いが生じました。
7年半経って、ようやくダビデが全イスラエルの王になります。
エルサレムを首都にするまで、ダビデはヘブロンにいました。そこにイスラエル各部族の戦士たちが集まりました。レビ族からも集まっています。
彼らは全き心をもって集まりました。
全き心というのはわかりにくいですが、真心とも訳される言葉です。彼らは裏表のない心で、ダビデを王にしました。
またその場に集まっていない、イスラエルの他の人々もダビデを王にすることに同意しました。
神によって集められた多様な人々
少し前の個所を見てみると、ベニヤミンとユダの人々がダビデのもとに来たことが記されています。
ベニヤミンはサウルと同じ部族です。ユダはダビデの部族ですが、同じ部族でもダビデに背を向ける人々はいました。
ですからダビデは彼のことを信用しません。
すると聖霊がアマサイという人に降り、預言しました。
すると霊が三十人隊の頭アマサイに降った。「ダビデよ、わたしたちはあなたのもの。エッサイの子よ、あなたの味方です。平和がありますように。あなたに平和、あなたを助ける者に平和。あなたの神こそ、あなたを助ける者。」ダビデは彼らを受け入れ、部隊の頭とした。
歴代誌上12:19
神ご自身がダビデに平和と助けを約束しています。そして神が、ダビデを助ける人たちを呼び集めます。
この預言を受けてダビデは彼らをリーダーとして採用しました。
毎日のようにこのような助ける者たちが加わったので、ヘブロンにはついに神の陣営のような大きな陣営ができました。
キリストにあって多様な人が1つにされる
私たちはそれぞれ違います。
それぞれ自分の目に正しいと思うことに従えばどうなりますか。自分さえよければそれでいい。他の人を傷つけても関係ない。恐ろしい社会になります。
しかしそれぞれ違うものが、1つになることもできます。
私たちの神は私たちが1つになることを願っています。それは三位一体の神ご自身のように、愛の絆で結び合わされることで可能になります。
聖書は教会をキリストの体と表現します。キリストを頭として、体の各部分が一致します。
キリストに従うとき喜びが満たされる
またキリストは私たちをぶどうの枝にたとえました。キリストがぶどうの木で、私たちはその枝です。枝は木につながっています。そ
のように私たちはキリストにつながっていなければなりません。
9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。10 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。11 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。
ヨハネによる福音書15:9-11
キリストにつながることはキリストに従うこと。
そのとき、私たちは喜びで満たされます。
異なる意見を隠さず、全き心で
私たちはキリストにあって1つです。ここに集まっている人たちも、ここに集まれない人たちも、キリストを頭として一致しています。
この一致において大事なのは、多様性を認め合うことです。人は皆、違いがあります。その違いを無視したり排除したりしてはいけません。
考えが違ってもいいです。異なる意見を言っていいです。
オリンピックに賛成してもいいし、反対してもいい。ワクチンに賛成してもいいし、反対してもいい。
反対意見を隠して、表面上は賛成のふりをして裏では反対しているというのは一致ではありません。
それでは全き心で従うことができず、裏にため込んだ思いはいつか爆発します。
自分の意見を大事にしてください。他の人と違う考えを恥ずかしいと思わないでください。違うと思ったら、声をあげてください。
そして自分と違う意見に耳を傾けてください。
その多様性を大事にしつつ共にキリストに従うとき、私たちは喜びで満たされます。
王との新しい関係を喜び祝う
ダビデを王とした戦士たちは、3日間パーティーをしました。内容は、飲むことと食べることです。
このパーティーのためにイスラエルの人たちは互いに助け合いました。最初はヘブロンなどユダ族の人たちが食材を提供したでしょう。
そこに各部族の戦士たちが集まっていますから、彼らは自分たちの地元の食材を持ってこさせました。
ユダ族の領土はイスラエルの最も南にありますが、北のガリラヤ地方にあるイサカル、ゼブルン、ナフタリの各部族からも食材が提供されました。
こうしてイスラエル中が喜び祝いました。
神との新しい関係を祝う食事
新しい王が立てられるとき、パーティーが行われます。
それは神と人間の間でも行われます。
エジプトを脱出したイスラエルの民がシナイ山で契約を結んだとき、神様はモーセとアロン、長老たちを招待しました。
そのとき、驚くべきことが起こります。
神はイスラエルの民の代表者たちに向かって手を伸ばされなかったので、彼らは神を見て、食べ、また飲んだ。
出エジプト記24:11
彼らは神さまを見て、飲み食いしました。
エジプトの奴隷から、神の民とされた人々は、神とともにパーティーを開いて喜び祝ったのでした。
イエス様が帰って来る時、私たちもパーティーに招かれることになります。それまで同じようなパーティーは他に例がありません。
1つあげるとしたら、それは最後の晩餐です。
これはパーティーとは言い難いものですが、罪の奴隷であった私たちを、神の子とする新しい契約の食事でした。
神は私たちの帰りを喜ぶ
神様は繰り返し私たちをパーティーに招いています。
放蕩息子が帰ってきたとき、お父さんがパーティーを開いたように、神様は私たちが帰って来るのを喜びます。
毎週の礼拝がそのような喜びの祝いです。
捕囚から帰って来た民たちの礼拝もそうでした。
彼らは更に言った。「行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」
ネヘミヤ記8:10
礼拝の度に私たちは神さまのところに帰って来ます。
御言葉を聞き自分の罪を悟らされ、嘆き悲しむこともあります。それでも神のところに帰ってきたことを喜び祝いましょう。
貧しい人にも分け合って一緒に祝おう。
それは一致の時となり、平和の時となり、喜びの時になります。
礼拝は喜びの時です。そして主を喜ぶことが力の源になります。礼拝を喜び祝うことで、新しい一週間を歩み出す力を得ます。
自分の罪を見つめて神に立ち返れ
今は一緒に食事ができません。集まることにも抵抗を感じることもあります。人と人との距離が広がり、分断されていきます。互いに争うことを止められません。
パンデミックによって一時的に争いが収まったかのように見えました。しかしワクチンが流通してパンデミックを抑え込むと、また争います。
ある国では自分たちのグループにワクチンを2回打ったら、敵対するグループにミサイルを撃ち込みました。
人間とはなんと醜い存在でしょうか。
このような私たちを、神様は招いています。帰って来ることを求めています。
神に立ち返ることを悔い改めと言います。今一度、自分の罪を見つめて神様に立ち返りましょう。
オリンピックの関係者の不祥事が続きました。ミュージシャンが過去にひどいいじめをして、それを自慢するような記事が雑誌に載っていたことがわかりました。絵本作家の数々の問題も報道されましたた。演出に関わったコメディアンの問題発言も明らかになりました。
過去の過ちを掘り返せばきりがありません。人間は皆罪人なので、問題を起こさない人はいません。
もちろん問題は問題として扱わなければなりません。問題ある言葉や行動に対しては、それはダメだと言わなければならないし、問題を起こした人がその責任を負わなければなりません。それが過去のことでも、やってしまったことの責任は残ります。
しかし大事なのは悔い改めです。
問題を起こした悪い人間ということで終わりません。神様のところに帰って来るならば、その人は変わります。
神様は招いています。
神のもとに集まり、キリストを頭としてつながるなら、一致を喜び祝うことができます。