使徒言行録講解51
世界中を騒がせる者たち
使徒言行録17:1-9
1 パウロとシラスは、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった。2 パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、3 「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。4 それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。5 しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ、広場にたむろしているならず者を何人か抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した。6 しかし、二人が見つからなかったので、ヤソンと数人の兄弟を町の当局者たちのところへ引き立てて行って、大声で言った。「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。7 ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています。」8 これを聞いた群衆と町の当局者たちは動揺した。9 当局者たちは、ヤソンやほかの者たちから保証金を取ったうえで彼らを釈放した。
美濃ミッション事件
日本のプロテスタント教会の中に美濃ミッションというグループがあります。
およそ100年前にセディ・リー・ワイドナー宣教師が岐阜県大垣市で伝道活動を開始しました。美濃ミッションは聖書信仰に立ち、神社参拝などの日本の風習は偶像崇拝であると教えていました。
当時、日本の学校では学校行事として神社参拝が行われていました。政府は、国家神道は宗教ではないため、神社参拝は政教分離や信教の自由に反しないと主張していました。
1929年9月、大垣市の小学校も第二時限終了後に常葉神社の祭礼に出かけました。美濃ミッションの教会員であった桑名トヨは、早退を願い出ました。理由を問われたトヨは、「神社参拝だから」と答えました。教師はこれを認めず、神社参拝を強要しました。
このことが新聞で報道され、美濃ミッション設立者のワイドナーを「その態度は反国家的、かつ国民思想破壊の憂いあり」とする記事が掲載されました。
さらに1933年6月、大垣市の小学6年生は伊勢神宮への参拝旅行を計画していました。美濃ミッション教会員の児童は、「真の神を信じる者として、神社は偶像であるから、信仰上絶対に参拝できない」と言い、旅行への不参加を表明しました。
このことが再び報道されると、美濃ミッションへの激しい迫害が起こりました。学校の教師と保護者が協力し、美濃ミッションの教会員を学校から追放しました。政治家や軍人の中からも美濃ミッションを追い出そうという声が上がりました。教会員が暴行を受ける事件もありましたが、警察は傍観するだけでした。
キリスト教界の中からも、キリスト教と国体思想は何ら違反しないものであり、迷惑だという声が上がりました。
それでも美濃ミッションは自分たちの信仰の立場を妥協することはありませんでした。美濃ミッションから全国のクリスチャンに向け、信教の自由の危機であると呼びかけた文書は、多くの反響を呼びました。しかし残念ながらキリスト教界全体の流れは大政翼賛であり、国体思想に妥協していくことになります。
1940年に施行された宗教団体法により、キリスト教界は国家神道の下に置かれることになります。そして教会が戦争に加担するようになっていきます。
そのような流れの中で、美濃ミッションの中には「我々日本人の天皇や国家に対する熱く燃える思いは、外人のあなたには解らない」と抗議する人もいました。それに対しワイドナーは「あなたのその熱情を、あなたのために命を与えてくださったイエス様に対して第一に持ってください」と答えました。
この美濃ミッション事件のように、クリスチャンが社会の中で問題を起こすことはよくあります。美濃ミッションの場合は、キリスト教界からも迷惑だと言われました。
クリスチャンは世界中を騒がせる者たちです。
日本では特に、他人に迷惑をかけてはいけないと教えられます。
私たちは騒ぎを起こさないように、大人しくしているべきでしょうか。
テサロニケへ
フィリピの牢から釈放されたパウロとシラスは、リディアの家に行って兄弟姉妹を励ましました。そしてテモテを連れ、次の町に向けて出発します。ルカはしばらくフィリピに留まっていたようです。
パウロたちはエグナティア街道という道を通り、西へ向かいます。アンフィポリスとアポロニアを経由してテサロニケに着きました。マケドニア州の州都です。
テサロニケは自由都市で、民会という議会のようなものがあり、7~8人の役人によって治められていました。
ユダヤ人も多く住んでいて、会堂もありました。
パウロはこれまでの戦略に従い、会堂にいる人たちに向けて福音を語りました。その中にはユダヤ人だけでなく、ギリシア人もいました。それを3週間続けました。
ヤソンという人の家に滞在し、夜も昼も働きながら宣教しました。フィリピ教会からの支援物資もありました。
その結果、数人のユダヤ人と多くのギリシア人、さらにかなりの数の上流階級に属する婦人たちがイエス様を信じました。
これは聖書の引用という方法がよかったというのもあるでしょう。しかしそれだけではなく、力と、聖霊と、強い確信とによるものです。
テサロニケでの宣教は順調に進んでいました。しかしこうして教会が影響力を増していくと、ユダヤ人から妬みを持たれることになります。
ユダヤ人たちは広場にたむろしているならず者たちを抱き込み、暴動を起こさせました。パウロたちを捕らえて民会に訴え、町を混乱させた責任をパウロたちに取らせようと狙っていたようです。
パウロたちがいると思ってヤソンの家を襲いますが、パウロたちがいなかったためヤソンと数人の兄弟たちを捕らえました。
そしてこのように訴えます。「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています。」
クリスチャンはトラブルメーカー
パウロたちは「世界中を騒がせてきた連中」と呼ばれています。
確かにパウロは行く先々で問題を起こしています。リストラでは暴動にあって石で打ち殺されそうになっていますし、フィリピでも訴えられて逮捕されました。
それ以前にクリスチャンたちはエルサレムで宣教を禁じられたり、大迫害を引き起こしたりしています。
もっとさかのぼれば、イエスは群衆から嘲られ鞭打たれ、十字架で死にました。イエスのせいでエルサレムは大騒ぎです。
また北イスラエルではバアル信仰が浸透していましたが、エリヤはバアルの預言者と対立しました。
現代でもクリスチャンの価値観がこの世の価値観と衝突することがあります。信教の自由や性的少数者の問題などがそうでしょう。大人しく社会に従っていれば、問題は起こらないわけです。
神社参拝していれば美濃ミッション事件は起こらなかった。日曜日に仕事や部活に行けば、人間は猿から進化したと思えば、葬式で焼香をあげれば、天皇バンザイと言っていれば信教の自由で悩まない。
エリヤもバアル崇拝すれば、パウロが宣教に行かなければ、ペトロとヨハネがイエスの名で語るのをやめていれば、イエスがメシアとして働かずに大工をしていれば、世界はもっと平和だったのではないか…。
果たしてそうでしょうか?
誰が世界を騒がせているか
多くの人は世界中を騒がせる者ではなく、平和を造る者でありたいと願うでしょう。私たちの主は平和の神であり、私たちがいつも喜んでいることを神は願っています。
ところがイエスはこのように言いました。
「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
マタイによる福音書10:34
イエスが来たのは、平和ではなく剣をもたらすためだと言ったのです。
これは家族や友人との対立、反社会的な行動、戦争を勧めているわけではありません。
私たちがイエスに従おうとするとき、従わない人たちとの間で対立が起こるのは当然なのです。
家族を愛するべきだし、この世の権威に従うことは大事なことです。
今日は父の日。ぜひ皆さんの家庭でお父さんへの感謝を表してあげてください。
しかしあくまで主に結ばれているものとして、家族を愛するのです。この世の権威が神への愛、隣人への愛に背かせようとするなら、抵抗する必要があります。
この対立を恐れて平和、平和と言うなら、この世を支配する悪霊の思うつぼです。
そんな平和は奴隷の平和です。見ることも聞くことも話すことのできない偶像に支配され、価値のない者になっていきます。教会はキリストではなく国家に利用され、キリストの体は死んでしまいます。
そんなことがあり得るのか?
実際にあります。75年前までこの国の教会はキリストではなく天皇を崇拝し、戦争に加担したのです。
そうなる前に、私たちは御言葉の剣を持って戦う必要があります。
北イスラエルでバアル信仰が浸透する中、ただ一人エリヤは主への信仰を守り抜きました。せっかく国の99.9%がバアルを信仰しているのに、たった一人が反対している。国の安定を乱す迷惑行為でしょう。
アハブ王はエリヤに会ったとき、「お前か、イスラエルを煩わす者よ」と言いました。
それに対しエリヤはこう答えます。
エリヤは言った。「わたしではなく、主の戒めを捨て、バアルに従っているあなたとあなたの父の家こそ、イスラエルを煩わしている。
列王記上18:18
誰が平和の神に背き、この世界中に騒ぎを起こしているのか。
神に背く、この世ではありませんか。
平和の主に従う
テサロニケの人たちが特に動揺したのは、『イエスという別の王がいる』という言葉です。ローマ皇帝への反逆と見られるかもしれません。パウロたちをテサロニケから追放することを条件に、ヤソンたちは保釈金を払って釈放されました。
このような出来事の後ですから、テサロニケの教会がどうなるのか気になるところです。騒ぎを起こさないように、イエスは主であると告白することをやめてしまえば、教会は死にます。
ところがテサロニケ教会はマケドニア州だけでなくコリントのあるアカイア州でも信仰の模範となるほど主に従う教会となりました。
パウロはコリント滞在中にテモテをテサロニケに派遣しました。そしてテモテからテサロニケの人たちの信仰と愛について聞き、喜んで手紙を書きました。
パウロはこう書きます。
あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。
テサロニケの信徒への手紙一1:3
私たちが王の王、主の主であるキリストに信仰をもって従おうとするとき、神への愛、隣人への愛から労苦しなければならないこともあるでしょう。
それは家族や社会との対立を引き起こすこともあるかもしれません。
その中でもキリストは、平和を与えてくださいます。
それは世が与える平和とは違います。世界が洪水に飲み込まれても箱舟の中に平安があったように、キリストに対する希望を持って忍耐することができます。
この信仰、希望、愛はいつまでも残ります。
だから恐れず、主イエス・キリストに従っていきましょう。