主の祈り4
神の統治を待ち望む
マルコによる福音書 1:14-15
14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、15 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
今日は主の祈りの4回目です。
主の祈りの第2の願い「御国を来らせたまえ」を見ていきます。
御国というのは神様の国のことです。
神様の国とはどのようなところか。それは神様が治めるところです。
聖書では神の国とか天の国とかいう言い方もされます。
聖書を見ていくと、神様が治める神の国はすでにあったのだと思えてきます。
それはエデンの園です。神様が造られた非常に良い世界がそこにあり、人は神様の支配の下で暮らしていました。
完全な神の国があったのです。
サタンの王国
ところが人は神様の支配に背きます。
その罪の結果、この世界は壊れてしまいました。そして人はエデンの園から追放されます。
壊れたこの世界を支配しているのは、サタンです。パウロはこのように言います。
この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。
エフェソの信徒への手紙2:2
この世界は不従順な者たちの内に今も働く霊、すなわち悪霊に支配されています。「サタンの王国」です。
神の国を待ち望んだ旧約時代
この世界の統治者の座は、神様からサタンに移ってしまいました。
人間は罪の奴隷にされています。
神の国がサタンの王国に侵略されたようなイメージです。
神様はサタンとの戦争に敗北してしまったのでしょうか。
人間が罪の奴隷になったのは神様が負けたからではなく、人間が神に背いたからです。
神様はそのような人間を見捨ててしまったのでしょうか。
そうではありません。
サタンの王国の中でもイスラエルを通して示された神の国
旧約聖書を見ていくと、神様の治める国のイメージを見ることができます。
神様はご自分の民イスラエルを選び出しました。その民に神様は守るべき法を与えました。そして約束の地カナンに連れて行きました。
神の国民がいて、神が主権者として治め、神が与えた地があります。
国民、主権、領土という国の三要素がそろっています。
サタンの王国の中にあって、神様はイスラエルの民を通してこの地に神の国を建て上げようとしました。
しかしイスラエルの民は繰り返し神様に背きます。
神様は預言者を送り、祭司や士師や王を立てますが、神の国は実現しませんでした。
やがて国が滅び、外国の支配を受ける中で、イスラエルの民は来るべき神の国を待ち望むようになりました。
そして洗礼者ヨハネが現れて、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と宣言しました。
待ち望んでいた神の国が近づいています。
時は満ち神の国は近づいた
ところがそのヨハネはヘロデ王によって捕らえられてしまいます。
それでも神の国は止まりません。
ヨハネから洗礼を受けたイエス様は、こう言って働きを始めました。
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」
神の国は既に来ている
時は満ちました。
待ち望んでいたその時がついに来ました。
神の国がいよいよ来たのです。
神様が治めるところが神の国。神様ご自身が人となってこの世界に住みました。
そしてイエス様は十字架の死と復活によってサタンの支配を打ち破ります。
罪の奴隷であった私たちをご自分の命の代価で買い取り、神の民にしてくださいます。
イエス様が来たことで、神様の恵みの統治は回復しています。
神の国は既に来ているのです。
恵みの王国
神の国はどこにありますか。
ここは日本です。
バチカンが神の国でしょうか。
世界地図のどこを探しても神の国という国はありません。
イエス様は言いました。
『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。
ルカによる福音書17:21
実体はなくても、神の国は私たちの間にあります。
イエス様が治めておられるところが神の国です。
イエス様に従う一人一人のところに神の国が来ています。
教会という組織も神に従う人々の集まりですから、神の国であると言えるでしょう。
日本の中に建てられていますが、ここに神の国が来ています。
神の国の大使館やテーマパークのようなものです。
夢の国は千葉県にありますが、夢の国です。
一歩中に入ると、ここが日本の千葉県であることを忘れ、夢の国の世界に浸れます。
教会も神の国の雰囲気を味わえる場所であってほしいです。
また私たちが遣わされるところも神の国になります。皆さんの家庭、職場、学校が神の国になります。
皆さんを通してイエス様の愛が伝えられるとき、この町も神の国になります。
先週は岐阜で日本伝道会議がありました。
日本中の福音派の教会から人が集まりました。月曜日にはこどもフェスティバルを行いました。
初めて顔を合わせる人々がキリストにあって一致し、こどもたちが自由に楽しむその場は、まさに神の国という雰囲気があります。
イエス様の恵みによって統治された神の国。
これを「恵みの王国」と言います。
御国を来らせたまえ
恵みの王国が来ています。神の国は既に来ているのです。
それなのにイエス様は、「御国を来らせたまえ」と祈りなさいと教えました。
それは、神の国は既に来ているけれど、いまだ完成していないからです。
この世界は相変わらず罪と悲惨に満ちています。
教会が神の国だなんて冗談でしょ。こんなに問題だらけの場所が神の国だなんて。
私たちは罪の奴隷ではなくなったけれど、繰り返し罪を犯してしまう弱さを持っています。イエス様に治められているとは感じられません。
だから私たちは3つの願いを込めて、「御国を来らせたまえ」と祈ります。
サタンの王国が滅亡し、恵みの王国が前進し、栄光の王国が到来することです。
サタンの王国が滅亡するように
イエス様の十字架の死と復活により、サタンの支配は打ち破られました。
イエス様の勝利は確定していますが、まだサタンの支配は続いています。
阪神のアレが決まっても、まだプロ野球の試合が続くのと同じようなことです。
やがてイエス様が帰って来て、最後の戦いが行われます。そこでサタンの支配が完全に打ち破られます。
一刻も早く決着がついてサタンの王国が滅亡するように祈ります。
恵みの王国が前進するように
決着がついているということは、後は消化試合です。負けても最終的な勝敗は変わりません。
だからと言って負け続けていいわけではありません。
サタンの王国を退け、恵みの王国を拡大していく必要があります。
私たちの心の中でも肉の欲と霊の欲の葛藤があります。自分自身の心をイエス様に明け渡していって、治めていただきましょう。
そして私たちを通して、恵みの王国が広がっていきます。
ここが恵みの王国の最前線です。
ここから私たちは世に遣わされていきます。戦いの最前線に派遣されるのです。
イエス様の愛に生きる私たちを通して、福音を伝える私たちを通して、イエス様が治める領域が広げられていきます。
栄光の王国が到来するように
世の終わりに神の国は完成します。栄光の王国の到来です。
あらゆる問題が解決されます。古いものは過ぎ去り、死も涙も嘆きも労苦もない世界が来ます。
それがいつになるかはわかりません。
イエス様は御国の福音が全世界に宣べ伝えられてから終わりが来ると言いました。
「御国を来らせたまえ」という祈りは、ただ祈るだけでなく、神の国の完成へと行動を起こさせます。
福音を伝える私たちを通して、神の国は完成に向かって行きます。
神様の支配を待ち望み、祈りましょう。神の国を建て上げていきましょう。