主の祈り8
悪から救ってください
ヨハネによる福音書 17:14-15
14 わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです。15 わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。
罪との戦い
今日は主の祈りの8回目。主の祈りの第6の願い「我らをこころみにあわせず 悪より救いいだしたまえ」についてです。
前回は罪の赦しについて学びました。私たちの罪はイエス・キリストの十字架の恵みによって赦されました。罪の奴隷ではなく神の子とされています。繰り返し罪を犯してしまいますが、父なる神は赦してくださいます。
何度でも赦してもらえるわけですが、いつまでも同じ罪を犯し続けるわけにはいきません。罪と戦う必要があります。
サタン・世・肉との戦い
戦いには相手がいます。罪と戦うというとき、相手は何でしょう。
罪は神から離れている状態ですから、罪そのものではなく、罪に招くものと戦わなければなりません。
何が私たちを神から引き離すのでしょう。
それはサタンと世と肉です。
サタンとの戦い
今日の本文で彼らとあるのは、イエス様を信じた人たちのことです。
私たちが罪の奴隷だったときはサタンの支配下にありました。
しかしイエス様を信じた私たちは神のものとされています。
サタンが支配するこの世から、神のものへと所属が変わりました。
だから攻撃を受けます。
サタンは様々なかたちで私たちを罪に誘います。
ある時は賢いヘビのように私たちをそそのかします。神様の言葉をねじ曲げ、神様に疑いを起こさせます。
ほえたける獅子のように狙うこともあります。群れから離れた羊や幼い羊が狙われています。兄弟姉妹との交わりから離れている人は要注意です。そのような人や信仰に入ったばかりの人のためにも祈りましょう。
またある時は光の天使のように近づいてきます。物事が上手くいって人からほめられるようなとき、私たちは油断して神の恵みを忘れます。
世との戦い
サタンの支配下にあるこの世も私たちを神から引き離します。
茨の地に落ちた種のように、この世のものが私たちを覆いふさぎます。
仕事や勉強、将来への不安、人間関係など、この世の心配事で頭がいっぱいになります。
お金など財産はこの世で生きていくために必要なものです。しかしこの富が主人になってしまうこともあります。
この世には楽しみや喜びがあります。それは良いものですが、楽しいことに心を奪われてしまうこともあります。楽しいイベントがある日曜日に教会なんか行っている場合ではありません。
そうすると神のことを考えられなくなります。
肉体的な弱さとの戦い
また肉体的な弱さもあります。
イエス様はゲツセマネの園で祈る時、ペトロ、ヨハネ、ヤコブの3人に目を覚ましていなさいと言いました。ところが彼らは寝てしまいました。
イエス様は彼らに言います。
誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」
マルコによる福音書14:38
神様は愛する人に眠りを与えます。健康に生きるために眠ることは大事です。
食欲や性欲も神様からの祝福です。
しかしこれら肉体の望むことばかりに従うとどうなるでしょう。
睡眠欲に従えば布団を愛するナマケモノになります。
食欲に従えば映画「千と千尋の神隠し」の千尋の両親のようにケモノになります。
性欲を制御できなければケダモノです。
このような獣は聖霊の導きには従えません。
エサウは1杯のスープのために神様からの祝福を軽んじてしまいました。食欲に従えば神様なんてどうでもよくなります。
イエス様を見上げて戦い抜く
信仰生活は常にこれらとの戦いです。悩ましいですね。
イエス様を信じてこんなに悩まなければならないなら、イエス様を信じない方がよかったと思うかもしれません。
信仰を捨てて再び罪の奴隷になり、世を愛し、肉の望みに正直になれば、罪と戦わなくていいでしょう。
しかしその行き着く先は永遠の滅びだったのです。
そこから私たちを救い出すために、イエス様はすべてを捨ててこの世に来られ人間として私たちと同じように戦いを経験し勝利しました。
十字架の死と復活によって、罪との戦いの最終的な結末はイエス様の勝利で確定しています。
だから振り返らずイエス様を見上げて走り続けましょう。
1 こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、2 信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。
ヘブライ人への手紙12:1-2
戦う力は神から来る
神の武具
イエス様を信じてすぐに天に上げてもらえたら戦わずに済みます。
しかし神は私たちを世から取り去ることはせず、この世で戦うことを求めました。
私たちを通して神の御心をこの地で成し遂げ、神の国を建て上げていくためです。
だからこの戦いの責任は神にあります。
神は私たちに戦う力を与えてくださいます。
神の武具を身に着け、その偉大な力によって悪魔の策略に対抗して立つのです。
神の武具は真理の帯、正義の胸当て、福音を告げる靴、信仰の盾、救いの兜。そして御言葉の剣です。
どんなに武装しても寝ていては意味がありません。
目を覚まして祈るのです。
人の力では悪と戦えない
主の祈りでは「こころみにあわせず」(誘惑にあわせないでください)と祈っています。
イエス様も誘惑を受けましたから、人間に誘惑は避けられません。
イエス様は誘惑のすべてを御言葉で退けました。だから私たちも誘惑が来た時に御言葉の剣でバッサバッサと斬り捨てたらいいですね。信仰の呼吸 壱の型「人はパンだけで生きるのではなく」!
しかし誘惑との戦いは簡単ではありません。
違法薬物の事件で捕まった有名人がテレビの前で謝罪しても、実刑を受けても、同じ過ちを繰り返してしまうことがあります。
人間の意思の力では誘惑に勝てません。誘惑するものから距離を置く必要があります。
そして共に誘惑と戦う仲間と支え合う必要があります。
だから誘惑に打ち勝たれたイエス様に、誘惑にあわせないでくださいと祈ります。
イエス様が祈っている
イスカリオテのユダはサタンの誘惑にあい、イエス様を裏切りました。
ユダが出て行った後、ペトロは「死んでもイエス様のことを知らないなんて言わない」と誓いました。
その数時間後、3回も「あんな男は知らない」と言ってしまいました。
ペトロも誘惑にあい、負けてしまったのです。
それでも復活のイエス様に出会い、立ち直りました。
イエス様はペトロのためにこう祈っていました。
しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
ルカによる福音書22:32
誘惑に負けることがあっても、イエス様はそこから立ち直らせてくださいます。
ユダは立ち直ることができませんでした。イエス様のもとに帰らなかったからです。
今日の本文もイエス様の祈りです。
イエス様は今も天で私たちのために祈ってくれています。
だから私たちは何度でも立ち上がることができます。
私たちを神から引き離せるものはない
この戦いはイエス様が帰って来るまで、あるいは私たちの地上の人生が終わるまで続きます。大変ですね。
それでも私たちは走り抜きます。
どんな敵が私たちを神から離そうとしても、決して引き離すことはできません。
37 しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。38 わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、39 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。
ローマの信徒への手紙8:37-39
この希望を持って信仰の戦いを主と共に戦い抜きましょう。