歴代誌講解63
主は私の力
歴代誌下 26:3-21
3 ウジヤは十六歳で王となり、五十二年間エルサレムで王位にあった。その母は名をエコルヤといい、エルサレムの出身であった。4 彼は、父アマツヤが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行った。5 神を畏れ敬うことを諭したゼカルヤが生きている間は、彼も主を求めるように努めた。彼が主を求めている間、神は彼を繁栄させられた。6 彼は出て行ってペリシテ人と戦い、ガトの城壁、ヤブネの城壁、アシュドドの城壁を破壊し、アシュドドをはじめペリシテ人の地方に幾つかの町を建てた。7 神は彼を助け、ペリシテ人のみならずグル・バアルに住むアラブ人やメウニム人にも立ち向かわせられた。8 アンモン人もウジヤに貢ぎ物を献上した。ウジヤの勢いはこの上もなく増大し、その名声はエジプトに近い地方にまで届いた。9 ウジヤはエルサレムの角の門、谷の門、城壁の角に塔を築き、補強した。10 彼はまた荒れ野にも多くの塔を築き、井戸を掘った。シェフェラや平地には多数の家畜が飼われ、山地や肥沃な地には農夫やぶどう作りがいた。ウジヤが農耕を愛したからである。11 ウジヤは戦いに備えて訓練された軍隊を持っていた。それは書記官エイエル、官吏マアセヤによる名簿に従って部隊に配属され、王の高官ハナンヤの指揮下に置かれていた。12 勇士である家長の総数は二千六百人、13 その配下に、戦いに強い三十万七千五百人の軍隊があり、王の助けとなって敵に立ち向かった。14 ウジヤは全軍のために盾、槍、兜、鎧、弓、投石用の石を準備した。15 彼はまたエルサレムで技術者により考案された装置を造り、塔や城壁の角の上に置いて、矢や大きな石を放てるようにした。ウジヤは、神の驚くべき助けを得て勢力ある者となり、その名声は遠くにまで及んだ。16 ところが、彼は勢力を増すとともに思い上がって堕落し、自分の神、主に背いた。彼は主の神殿に入り、香の祭壇の上で香をたこうとした。17 祭司アザルヤは主の勇敢な祭司八十人と共に後から入り、18 ウジヤ王の前に立ちはだかって言った。「ウジヤよ、あなたは主に香をたくことができない。香をたくのは聖別されたアロンの子孫、祭司である。この聖所から出て行きなさい。あなたは主に背いたのだ。主なる神からそのような栄誉を受ける資格はあなたにはない。」19 香をたこうとして香炉を手にしていたウジヤは怒り始めたが、祭司たちに怒りをぶつけている間に重い皮膚病がその額に現れた。それは主の神殿の中にいた祭司たちの目の前、香の祭壇の前の出来事だった。20 祭司長アザルヤと祭司たちは皆彼の方を向いて、その額に重い皮膚病ができているのを認め、直ちに去らせた。彼自身も急いで出て行った。主が彼を打たれたからである。21 ウジヤ王は死ぬ日までその重い皮膚病に悩まされ、重い皮膚病のために隔離された家に住んだ。主の神殿に近づくことを禁じられたからである。その子ヨタムが王宮を取りしきり、国の民を治めた。
人に繁栄も破滅も与える科学技術
科学技術は私たちの生活を豊かにします。
私たちがこうして明るく涼しい室内で礼拝をささげることができるのも、オンラインで礼拝をささげることができるのも、科学技術のおかげです。
今年の春に田植えをしてきましたが、農業も科学技術の塊だと改めて感じました。
現代社会は科学技術によって支えられています。
しかし科学技術は時に私たちの生活を破滅させます。
およそ100年前、アルバート・アインシュタインはE=mc^2という公式を導き出しました。
粒子の静止座標におけるエネルギーが質量と光の速度の積で表せるということです。
これをうまく使えば、少しの物質から莫大なエネルギーを取り出すことができます。
仮に質量1㎏の物質をすべてエネルギーに変えるとしたら、21.5MtのTNT火薬に相当します。
原子力発電所ではウラン原子の核分裂によって発生するエネルギーを使ってタービンを回し、発電しています。少量の資源から大量の電気を生み出すことができます。
しかし原子力発電が安全ではないことを私たちはよく知っています。
そして核分裂によって生じる莫大なエネルギーが広島と長崎を破壊したことを忘れてはいけません。
アメリカで核兵器開発チームのリーダーを務めたロバート・オッペンハイマーは、世界初の原爆実験を成功させます。
オッペンハイマーは使えば世界を滅ぼすような兵器を見せつけて戦争を無意味にしようとしていましたが、その破壊力を目の当たりにしても通常兵器と同じように扱ってしまったと絶望していた、と伝えられています。
ソ連との冷戦で核開発競争が進むと、オッペンハイマーは核兵器への反対運動を起こします。しかし共産主義者とのつながりを疑われ、公職を追放されました。
後年、オッペンハイマーは古代インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』の中にある「我は死神なり、世界の破壊者なり」を引用し、核兵器の開発を先導したことへの後悔を告白しています。
科学技術は正しく使えば私たちの力になります。
しかし間違った使い方をすれば、私たちを世界の破壊者にします。
何が私たちの力でしょう。
主こそ私たちの力、私たちの救いです。
高ぶって神を忘れる
今日の本文は南ユダ王国9代目ウジヤ王の話です。列王記のアザルヤ王と同一人物です。
ウジヤという名はヘブライ語で「主は私の力」という意味があります。
ウジヤは16歳で王になり52年という長い間、南ユダ王国を治めました。しかし晩年は息子ヨタムと共同で治めたと考えられます。また父アマツヤが北イスラエルの捕虜になったときに王になったという説もあります。
神の驚くべき助けによる繁栄
このウジヤ王の時代に南ユダ王国は繁栄しました。
西の宿敵ペリシテの主要都市を攻略し、その名声は南のエジプトに近い方まで届きました。東のアンモンからは貢ぎ物が贈られます。北のアッシリアの記録にもアザルヤの名があります。このアザルヤがウジヤ王と同一人物かは断定できませんが、ウジヤ王は南ユダ王国の東西南北に名が知られるほどの名君だったわけです。
その統治は国内の繁栄をもたらします。
アマツヤの時代に破壊された城壁を再建し、門や塔を築いて防衛力を上げました。
また兵器も整えています。技術者が開発した装置によって塔や城壁の上から安全に矢や石を放てるようにしました。
ウジヤは農耕を愛し、井戸を掘り、家畜を増やし、農業を支援しました。
国内が平安だった様子が伝わってきます。
これらは神の驚くべき助けによるものです。
その助けを得られたのは、ウジヤがゼカルヤという預言者の諭しに従って主を求めたからです。
高ぶって神に背く
ところが16節以降、ウジヤは堕落していきます。
「彼は勢力を増すとともに思い上がって堕落し、自分の神、主に背いた」とあります。
ウジヤは神殿に入り、祭壇の上で香を焚こうとしました。
神殿の庭にも祭壇があり、ソロモン王などもそこでいけにえをささげていました。しかし神殿の中には、祭司とレビ人の一部だけしか入れません。
そこで祭司アザルヤが来て言います。「香をたくのは聖別されたアロンの子孫、祭司である。この聖所から出て行きなさい。」
ウジヤはこれを聞くと怒りました。「うるせー、オレに指図するな!」という感じでしょうか。
ウジヤが祭司たちに怒りをぶつけている間に、ウジヤの額に重い皮膚病の症状が表れました。これは律法の規定により隔離の対象になります。
ウジヤ王は王の身分でありながら隔離され、死ぬまで重い皮膚病に悩まされます。亡くなった後も感染が広がることを恐れ、王の墓ではなく近くの野に葬られました。
富や力が神から来ていることを忘れてはならない
ウジヤ王は科学技術を用いて防衛を強化し農業を支援し国を豊かにしました。それを実現させる力がどこから来たかを間違えてはいけません。
12 あなたが食べて満足し、立派な家を建てて住み、13 牛や羊が殖え、銀や金が増し、財産が豊かになって、14a 心おごり、あなたの神、主を忘れることのないようにしなさい。
申命記8:12-14a
神様は祝福として、乳と蜜の流れる良い地を与えてくださいました。そこで食べて満足し、立派な家に住み、家畜も財産も増えていきます。
そのとき神を忘れることがないようにしなさいと警告されています。
科学技術も神様が人に与えた祝福です。人は技術や知識を身に着け、生活を豊かにしてきました。
しかし人間はその科学技術を用いてバベルの塔を建てることもできてしまいます。
そうならないように注意しなければなりません。
私たちに与えられている富や力は神様から与えられたものです。
高ぶったまま礼拝はできない
ウジヤ王の失敗は、間違った礼拝をささげようとしたことです。
ウジヤは神殿で神様を礼拝しようとしていました。しかし間違った礼拝のささげ方があります。
イスラエルの民がエジプトを脱出した時、大祭司アロンの息子たちが間違った香をささげようとして亡くなりました。彼らも主なる神様に礼拝をささげようとしましたが、そのささげ方を間違いました。
神と民の間に立って香を焚くのはアロンの子孫である祭司の役割です。王の役割ではありません。
私たちも思い上がって、自分にはできる、自分は知っていると勘違いしてしまいます。
そして高い所に立ったまま礼拝をささげようとするなら、神を無視して自分勝手な礼拝になってしまいます。
神から離れ役に立たないものになる
神を無視したウジヤは隔離されました。
名君として国を治める力と智恵を持っていました。しかし隔離生活ではそれを発揮することができません。まだインターネットの技術がない時代ですから。
そこで息子のヨタムが代わりに国を治めました。
私たちも高ぶると神様を無視し、神様との関係が壊れてしまいます。エデンの東に隔離され、関係が断絶した状態になります。
イエス様はルカによる福音書15章でなくした銀貨のたとえを話しています。
ある女性がドラクメ銀貨10枚を持っていましたが、その内の1枚をなくしてしまいました。
銀貨は家のどこかにあります。まだこの女性のものです。
しかし彼女の手元にないなら、使えません。銀貨は役に立たないもの、意味のないものになっています。
彼女はこのたった1枚の銀貨を見つけ出すために家中を探し回ります。
私たちも自分には力がある、知恵があると高ぶって神様から離れてしまうと、役に立たない者になってしまいます。
そのような私たちを探して救うために、イエス様が来てくださいました。
イエス・キリストに出会って存在価値を取り戻す
イエス様につながるとき、私たちは本当の礼拝者になることができます。
自分の力で礼拝をささげるのではありません。神様が今日ここに呼び集めてくださったので、私たちはここで礼拝をささげることができます。
神様が技術と環境を与えてくださったのでオンラインで礼拝できます。
聖霊様が働いてくださるので私たちは祈り賛美し、神の言葉を聞くことができます。
私たちがささげる礼拝がつたないものでも、神様はそれを喜んで受け取ってくださいます。
礼拝をささげられることは主の恵みです。
イエス様につながるとき、土の器である私たちでさえも神様の栄光を現わすことができるようになります。
自分の本来の存在価値を発揮することができるようになります。
自分の罪を知り「主は私の力」と知る
このウジヤ王についてはイザヤ書にも記録があります。
イザヤが預言者として神様に呼ばれたときのことがイザヤ書6章に記されています。
それはウジヤ王が死んだ年のことでした。
ウジヤ王が死んだ年に召命を受けたイザヤ
イザヤは幻の中で、主が高く天にある御座に座し、その周りをセラフィムという天使が飛び交っているのを見ました。セラフィムは「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」と賛美していました。
ウジヤ王はバベルの塔を築くかのように自分を高く上げました。
しかし高く天にある御座に座しているのは、聖なる万軍の主です。
この幻を見た時にイザヤは、聖なる主の前で自分が空っぽで欠けだらけ傷だらけであることに気づかされました。
罪深く汚れた唇の民の中に住む私が主の栄光を見てしまった。私は滅ぼされる。
するとセラフィムの1人が祭壇から炭火を持ってきてイザヤの唇に当て、言い
ました。
「見よ、これがあなたの唇に触れたのであなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」
そのとき主の声が聞こえました。
「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」
この汚れた世界に、高ぶり神から離れた人々のところに、誰が行くのか。
これを聞いたイザヤは答えます。
「はい、わたしがここにいます!わたしを遣わしてください!」
イザヤは自分は死ぬべき存在で何もできないと思っていました。
そのイザヤが神に代わって行くと立候補しています。
何があったのでしょう。
燃える炭火がイザヤの罪を焼き滅ぼしたのです。
欠けがあるから隠せない神の栄光
私たちにもこの出会いが必要です。
自分を高い所に置いてはいけません。自分は欠けだらけ傷だらけの土の器であることを知る必要があります。
この罪深い自分の罪を取り去るために、焼き清めるために、イエス様があの十字架で死んで復活してくださいました。
私たちは相変わらず土の器なのだけれど、穴があるから欠けがあるからこそ、その中にある宝を隠すことができません。
だからイエス様と出会うとき、「わたしがここにいます!わたしを遣わしてください!」と言えるようになります。
ウジヤのように高ぶって神様から離れ、役に立たない者になっていた私たちです。
イエス様は私たちと出会いたいと願っています。イエス様と出会う時、私たちは礼拝者になり、このような自分だからこそ現わせる神の素晴らしさがあるのだと知るようになります。
神様は今日私たちにも問います。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」
「わたしがここにいます!わたしを遣わしてください!」
主は私の力です。