新年感謝礼拝
人生のガイドライン
箴言 29:18
幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである。
夢
明けましておめでとうございます。新しい年を礼拝で始められ感謝します。
皆さんは年末年始をどのように過ごしますか。子どもたちは昨日、ドラえもんを見ていました。
昨日の内容ではないですが、以前「予知夢アメ」という話がありました。予知夢アメというアメをなめて寝ると、これから起こることを夢で見られるという夢のような道具です。のび太くんが早速アメをなめて速攻で昼寝をすると、宇宙人が地球に侵略してくるという夢を見ました。この人類の危機に、夢見るのび太くんが立ち向かうという話です。
夢は時に大事なことを気づかせてくれます。
日本では初夢の内容でその1年がいい年になるかどうか占う風習がありますが、私たちは神様が見させてくださる夢に従って歩んでいきたいです。
神が夢を通して語られることもある
聖書には神様が夢の中で語られる話がいくつかあります。
ヨセフはファラオの夢を解き明かし、エジプトの総理大臣になりました。子どもの頃に見た夢が実現し、家族を飢饉から救います。
ダニエルはネブカドネザル大王の夢を言い当てて解釈し、バビロンの高官になりました。
新約聖書ではナザレのヨセフが夢の中で天使の声を聞きます。
夢は神様が語られる1つの方法でした。
今も神様は私たちに夢を見させ、導こうとしています。
ただしすべての夢が神様からのサインというわけではありません。たとえば夢の中で宇宙人が地球に侵略してきても慌てる必要はありません。「あなたが再臨のメシアだ」というお告げを受けても、それはただの夢です。教祖様になってはいけません。
その夢が聖書とズレていないか確認する必要があります。
あくまで聖書が私たちの人生のガイドラインです。
神が見せてくださる夢
今日の本文には「幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである。」とあります。
この幻という言葉は、他の翻訳では預言とも訳されています。神様が見せてくださる幻です。
その神様からの言葉を人生のガイドラインとして歩むことの幸いを語っています。
人生を導く夢
もし幻がなければどうなるでしょう。
ペトロがヤッファで幻を見ました。天から布が降りてきて、その中に様々な動物が入っています。それまで汚れているとされていた動物も入っています。ブタやウナギなどでしょうか。そして「神が清めた物を清くないと言ってはいけない」と天からの声が聞こえました。
この幻を見た後、異邦人コルネリウスの家に招かれます。律法では異邦人の家に行くことは禁じられています。しかし幻で見たことに従い、ペトロはコルネリウスに会います。
そしてコルネリウスとその家族はイエス様を信じて洗礼を受け、聖霊が彼らに降りました。
この幻がなければ、ペトロはコルネリウスの家に行かなかったかもしれません。異邦人が救われることはなく、キリスト教会はユダヤ人だけのものになっていたかもしれません。それに、クリスチャンは今でも豚肉やウナギを食べられなかったかもしれません。
ペトロが幻を見て従ったおかげで、私たちはイエス様に出会い、おいしいものを食べられます。
またヨセフが子どもの頃に見た夢を覚えていなければ、兄に売られ、冤罪で牢に入れられ、絶望して生きることを諦めていたかもしれません。
夢があったので、ヨセフはどん底の状態でも神様と共に歩むことができました。
夢、幻は私たちの人生を導き、命を与えます。
世代を超えて成し遂げられる夢
夢には1世代で終わらない壮大なものもあります。
主はアブラハムに言いました。
14 主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。15 見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。16 あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。17 さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」
創世記13:14-17
これは寝ている間に見る夢ではなく、神様が見せる壮大な景色としての夢です。
神様が見える限りの土地と大地の砂粒のような子孫を与えると約束しました。
この十数年後、約束の子イサクが生まれます。そしてアブラハムが所有した土地はヘブロンのサラの墓だけ。夢に見た景色にはほど遠いです。
後にモーセは約200万人の民を率いてエジプトを脱出します。
モーセはピスガの山頂で約束の地を見渡します。しかしモーセは入れません。
ヨシュアたちの世代になって約束の地を受け継ぎます。
このように神がアブラハムに見せた壮大な夢があり、子孫に受け継がれて徐々に実現していきました。
神が見せた夢は神が成し遂げる
私はこの創世記の言葉に感動しました。
静岡市に住んでいた時です。グランシップという、ノアの箱舟のような形をした施設を見て、ここでクリスチャンの集会ができたらいいなと夢見ました。
この地を与えてくださいと、グランシップの前の広場を縦横に歩きまわりました。そしてヨシュアがエリコの要塞を回ったように、グランシップの周りを回って祈りました。
しかし私がグランシップでイベントを行うことなく、引越してしまいました。
それから数年経って、ラブソナタ静岡が行われるという案内がありました。
会場を見たら、グランシップ。夢に見たグランシップでのクリスチャンの集会です。
私は参加しただけでしたが、夢の実現を見ました。
自分1人では夢のまた夢の話です。
それでも神様が与えてくださった夢は、神様が成し遂げます。
共に夢を見よう
イエス・キリストも人間として夢を見たでしょう。きっと壮大な夢を見ていたと思います。
ヨハネによる福音書17章でイエス様は「わたしたちが一つであるように、すべての人を一つにしてください」と祈りました。三位一体の愛の交わりの中に全人類を巻き込むという壮大な夢です。
その後イエス様はすべての人を生かすために十字架で死なれ復活されます。
神の国の夢を共に見る
それで終わりではありません。夢の実現を、イエス様は弟子たちに託します。
あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
使徒言行録1:8
イエス様が見た夢の続きが、私たちに託されています。
聖霊を受けた人たちが、イエス様が見た夢の続きを見ます。
この夢を共に成し遂げようと、私たちは招かれています。
エゼキエルやヨハネが見た幻もあります。
エゼキエルは新しい神殿の幻を見ました。神殿から命の川が流れ、すべてが生きるという幻です。
ヨハネは新しい天と新しい地が下るのを見ました。もはや死はなく悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去り神の国が完成する幻を見ました。
神の国完成の夢は私たちにも語られています。
その夢を実現させるために神様のプロジェクトに共に加わりましょう。
この神の約束、神が見せてくださった夢を人生のガイドラインとして歩むとき、私たちは希望を持って歩み続けることができます。
社会を変えていく夢
キング牧師は演説で「I have a dream(私には夢がある).」と語りました。
アメリカ独立宣言にある、すべての人は平等に作られているという理念を現実のものにするという夢です。
いつの日か肌の色でなく人格によって評価されるようになる。
演説の中でキング牧師はこのように語りました。
「私には夢がある。それは、いつの日か、あらゆる谷が高められ、あらゆる丘と山は低められ、でこぼこした所は平らにならされ、曲がった道がまっすぐにされ、そして神の栄光が啓示され、生きとし生けるものがその栄光を共に見ることになるという夢である。」
キング牧師はこの夢の実現を見ることなく暗殺されてしまいます。
しかしこの夢を受け継いだ人々によって今も実現しつつあります。
アメリカだけでなく世界中で、あらゆる差別が禁止されつつあります。
そして主の栄光が現れるのを肉なる者が共に見る、神の国の実現を夢見続けています。
夢を語り合う
神様は私たち一人一人に夢を見させてくださいます。
神様があなたに見せた夢は何ですか。
一人一人に与えられた夢を語り合い、分かち合うとき、その夢は皆の夢になります。
教会に与えられる夢もあります。神様はこの地で私たちを通して何を成そうとしておられるでしょうか。
夢を語る時には、壮大な夢を語り合ってください。
人から笑われてもいいです。どうせ夢なのだから。
聞いたときに「あり得ないでしょ」と、つい笑ってしまうくらいがちょうどいいです。
神にできないことは何一つありません。
神は私たちの想像をはるかに超えて素晴らしいことを行われます。
もし現実で理解できる程度の期待しかしていないなら、神が成し遂げてくださった御業も理解できる範囲しか受け取れません。
壮大な夢を見る人は、その期待をはるかに超える奇跡を目撃します。
今年、夢を見よう。夢を語り合おう。
神様が与える幻が、私たちを支え導く人生のガイドラインになります。