ペンテコステ礼拝
全体のため個々に働く聖霊
コリントの信徒への手紙一 12:4-7
4 賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。5 務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。6 働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。7 一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。
ペンテコステ
今日はイースターから7週間後の日曜日。ペンテコステです。
イエス様が十字架で死なれた後、弟子たちはユダヤ人たちを恐れて閉じこもっていました。
イエス様が死んでから3日目、その部屋の真ん中にイエス様が現れました。そして弟子たちに息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい」と言われました。
それから40日間、イエス様は弟子たちの間に現れました。「高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」と弟子たちに言い残し、手を上げて祝福しながら天に上げられました。
弟子たちはエルサレムで部屋に閉じこもり、祈っていました。そして10日後、イエス様が約束した聖霊が弟子たちの上に降りました。弟子たちは他の国々の言葉で神の偉大な働きを語りました。
ユダヤ人を恐れてイエス様を3回も否認したペトロが、ユダヤ人の前に立って大胆にキリストの復活を証ししました。心を打たれた3000人がその日に洗礼を受けました。
こうして教会の活動が始まりました。教会の誕生日です。
聖霊の賜物
パウロはコリントの信徒への手紙一の12章から14章で聖霊の賜物について語っています。
コリント教会では賜物の自慢という問題がありました。
賜物というのはギリシア語でカリスマと言い、神様からの素晴らしい贈り物を意味します。救い自体が神様からの贈り物なのですが、聖霊は一人一人に異なった贈り物を与えます。
聖書には聖霊の賜物として、預言、癒し、教育、異言などの賜物が紹介されています。
異言というのは、他の国の言葉や人間の理解を超えた言葉です。異言の賜物を受けた人は、人間の理解を超えた言葉で祈ることができます。
ペンテコステの日に弟子たちは他の国の言葉で神を証ししました。
それでコリント教会では異言の賜物がある人がそれを自慢したり、他の賜物が与えられた人を軽んじたりすることがあったようです。
一人一人に聖霊の賜物が与えられている
あなたは聖霊を受けましたか?
それをどう証明できますか?
イエス様を信じること自体が聖霊の働き
イエス様は最後の晩餐の時から、聖霊を送ると繰り返し約束していました。
その約束された聖霊がペンテコステの日に降りました。
イエス様が繰り返し約束したのは、聖霊の働きがとても大事だからです。
イエス様が天に上げられた後、地上に残った弟子たちによって神の国が建て上げられていきます。その力を与えるのが聖霊です。
聖霊は私たちに罪を悟らせ、キリストの十字架の死と復活を知らせ、受け入れさせてくれます。
聖霊の働きによって私たちはイエス様を信じ、キリストにつながり、キリストの体である教会の一員になります。
聖霊は私たちを導き、地の果てに至るまでキリストの証人としていきます。
だから聖霊なしに教会の活動はできません。そもそも聖霊によらなければ誰も「イエスは主である」とは言えません。言い換えると、イエス様を信じた人にはすでに聖霊が働いています。
炎のような舌が現れたとか、異言の賜物が与えられたとか、そういう体験がなくても大丈夫です。
イエス様を信じたこと自体が聖霊を受けた証拠であり、聖霊はあなたの内に住んでいます。
賜物を活用する
聖霊の賜物は一人一人に分け与えられています。どれかが優れているとか劣っているとかいうことはありません。
自分に何の賜物があるでしょうか。
自分で気づいている賜物もあると思います。賜物は自分にとってできて当たり前という部分もあるので、気づきにくいこともあります。他の人に聞いてみることもいいです。
まだ気づいていない賜物もあります。色々なことにチャレンジして開発してみることも大事です。
土に埋もれたままにしてはいけません。聖霊が賜物を与えたのは、使ってもらうためです。
ペトロも賜物を活用するように勧めています。
あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。
ペトロの手紙一4:10
イエス様を信じたのなら、聖霊はあなたの内に住んでおり、聖霊の賜物を分け与えてくださっています。
その賜物を知って活用していきましょう。
キリストの体全体、神の国全体のため
今日の本文でパウロは、同じ霊から色々な賜物が、同じ主から色々な務めが、同じ神から色々な働きが出ると言っています。
霊とは聖霊、主とは新約聖書ではイエス・キリストのこと、神とは父なる神様のことです。
三位一体の神がクリスチャン個人や教会に色々な役割を与えるということです。
それは全体の益とするため。つまりキリストの体全体を建て上げるため、神の国をこの地に建て上げるためです。
見える奉仕と見えない奉仕
よく見える奉仕があり、よく見えない奉仕があります。
たとえば礼拝の中で賛美、説教、祈りなどの奉仕は目につきます。
礼拝はそれだけで成立しているのではありません。放送を行う人がいて、掃除をする人がいて、礼拝をささげる環境が整えられています。
祈りも前に出て祈る人だけではなく、そっと祈りをささげる人の祈りで礼拝は支えられています。
体の中には色々な部分があります。目につく部分もありますが、骨や内臓のような見えない部分もあります。
特に内臓は弱いです。しかしこの弱い内臓が命を支えています。その内臓を肉や骨が包み支えています。
そのように見えない奉仕が教会を支えています。
弱くなり、祈りしかできないという人もいます。しかしその祈りが、神の国を前進させる原動力になっています。
創立15周年礼拝を来月ささげます。皆さんで知恵を出し合い、準備ができることが感謝です。祈り課題も共有して、一緒に祈りながら準備していきましょう。
自分たちと違う働きを尊重する
教会の働きも色々あります。
自分たちの住んでいる地域でイエス様のことを伝える伝道の働き。他の国などでイエス様を伝える宣教の働き。貧しい人や弱い人を助ける救済の働きなど。
この教会も韓国からの宣教師たちの宣教の働きで立てられました。学校や病院の中にはキリスト教の精神に基づいて建てられたところもあります。スポーツや放送を通して宣教する働きもあります。
ここでも大事なのは全体の益になることです。
自分たちの教会が祝福されることばかりを見ていてはいけません。聖なる公同の教会、キリストの体が建て上げられることを願うのです。地域にある他の教会の祝福を祈り、協力していくことが大事です。
自分たちの教会が大事にしていることと、他の教会が大事にしていることは違います。だから他の働きを見て、否定的な思いになることがあるかもしれません。
しかしその働きもまた神から出ているのです。
パウロはこう勧めています。
3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
フィリピの信徒への手紙2:3-4
自分たちとは違う働きをしている人たちを尊重してください。彼らは私たちの手の届かないところに福音を伝えているのです。
逆に、あなたにはあなたにしか福音を届けられない領域があります。それはあなたの周りです。
三位一体の神に支えられ、互いに協力し合い、この地に神の国を建て上げていきましょう。