歴代誌講解26
公平な組分け
歴代誌上 24:1-6
1 アロンの子らも組に分けられた。アロンの子らはナダブ、アビフ、エルアザル、イタマル。2 ナダブとアビフは父に先立って死に、子も残さなかった。そこでエルアザルとイタマルが祭司の務めを果たした。3 ダビデは、エルアザルの子らの一人ツァドクとイタマルの子らの一人アヒメレクと共に、それぞれ任命されている奉仕に従って、アロンの子らを組に分けた。4 家系の長の数はエルアザルの子らの方がイタマルの子らより多いことが分かったので、エルアザルの子らは十六人の家系の長に従って、イタマルの子らは八人の家系の長に従って組に分けた。5 エルアザルの子らにもイタマルの子らにも聖所の長と神の長がいたので、彼らはくじによって組に分けられた。6 レビ人の一人、書記官ネタンエルの子シェマヤが、王と高官、祭司ツァドク、アビアタルの子アヒメレク、祭司とレビ人の家系の長たちの前で、それを記録した。エルアザルの家系が一つ選び出され、また一つ選び出されると、イタマルの家系も一つ選び出された。
多数派の偏った意見
ウナギの産地といえばどこでしょう。多くの人が浜名湖あるいは浜松と答えるでしょう。
餃子といえばどこでしょう。宇都宮か浜松ですね。
静岡県のサッカーチームといえばJ1の清水エスパルスかJ2のジュビロ磐田。
答えは分かれます。
しかしここにいる人たちに聞くと、餃子は浜松だし、静岡県のサッカーチームはジュビロ磐田。ハンバーグのお店はいろいろありますが、ここで聞けばさわやかと答えます。
このように偏った意見が出るのは、ここに浜松市民が多いからです。
いや、三島のウナギもうまいよ。とか実は宮崎も餃子が名物なんだよ。藤枝や沼津にもサッカーチームもあるんだけど…。という少数派の意見は無視されやすいです。
意見を聞くときはバランスが大事です。
偏ると腐る
今日の本文は祭司の組分けです。
祭司職はアロンの子たちに受け継がれました。アロンにはナダブ、アビフ、エルアザル、イタマルという4人の息子がいました。しかし上の2人は勝手な礼拝をささげ、死んでしまいました。それでエルアザルとイタマルの2人の子孫によって祭司職が守られてきた。それが500年ほど続いています。
ダビデはレビ人に役割分担をさせたように祭司の組織を作ろうとしています。
ダビデの時代の代表的な祭司はツァドクとアビアタルでした。アビアタルはソロモンの時代に失脚し、息子アヒメレクが跡を継ぎます。
ツァドクはエルアザルの子孫で、アヒメレクはイタマルの子孫です。そこでそれぞれの家系のリーダーを立て、24組に分けようと考えました。
人口調査の結果、エルアザル家の祭司の方がイタマル家の祭司より多いことがわかりました。
もしこのまま人を集めたなら、エルアザル家の方が多数派ですから、エルアザル家に有利な組分けになってしまうかもしれません。
ダビデはエルアザル家に権力が集中しないように配慮しました。そしてくじ引きによって公平に分けることにしました。
フラットな関係
意見が偏ると、1つのグループに権力が集中してしまうことがあります。
イエス様の時代、律法をどう解釈し適応するかは律法学者やファリサイ派の人たちによって教えられていました。会堂に集まった人たちは皆、彼らの教えに耳を傾け、言われた通りに従いました。誰も彼らに反対しません。
すると律法学者やファリサイ派の人々は、人から敬われることに関心が行くようになりました。人からよく見られようといかにも宗教家という服装をしたり、人から「先生」と呼ばれることを好みました。
イエス様は彼らをこのように批判しました。
だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。
マタイによる福音書23:8
本当に先生と呼ばれるべき方は一人だけ。神様だけ。
他の人は皆兄弟姉妹。フラットな関係だとイエス様は言います。
誰かに権力が集中すると、そのグループは腐敗します。公平になるように配慮が必要です。
教会には牧師がいますが、牧師も信徒の一人です。特別な聖職者や、偉い牧師先生様ではありません。普通の人です。食事の時に、牧師だけ別メニューを出すとかはしないでください。
普段の生活でも、私たちは互いに公平であるということに注意をしていきたいです。
少数の存在を大切に
24組に分けられた祭司の組織が、その後どうなったのかはよくわかりません。
7節から18節には、誰が何番目のくじを引いたかが記録されています。
8番目のくじはアビヤが引きました。
アビヤ組の祭司といえば、誰か思い浮かびませんか。
ルカによる福音書の冒頭に、アビヤ組の祭司でザカリアという人が出てきます。
アビヤ組が当番でザカリアが聖所に入って奉仕をすることになりました。すると天使ガブリエルが現れ、あなたは妻エリサベトは男の子を産むと告げられます。
こうして生まれたのが洗礼者ヨハネです。
ですから洗礼者ヨハネはアビヤ組の子孫として出てきます。
それから、旧約聖書と新約聖書の間の時代に、ユダ・マカバイという人が出てきます。
当時ユダヤを支配していたセレウコス朝シリアと戦った英雄です。この戦いをきっかけに、ユダヤは独立を勝ち取ります。
このユダ・マカバイは1番目のくじを引いたヨヤリブの子孫です。
それから預言者ゼカリヤのおじいちゃんはイドという名前です。
くじを引いた24組のどこに当てはまるかわかりませんが、イドは祭司のリーダーの1人でした。
このように24組それぞれの中から英雄的なリーダーが立てられました。
どこか1つのグループが特別に力を持つということにはなりませんでした。
神様はむしろ、小さなグループに目を留めることがあります。
目に見える美しさや大きさに目を向けるな
歴代誌でダビデの活躍をしばらく見ていますが、ダビデはどのように王になったのでしょうか。
ダビデはエッサイの8番目の息子でした。
エッサイのもとにサムエルが来て、次の王に油を注ごうとしました。エッサイは長男から順にサムエルに紹介します。7人の息子を紹介しましたが、その中に神が選んだ人はいませんでした。
この時、ダビデはその場に呼ばれてもいませんでした。幼い末っ子のダビデは、父親からも期待されていませんでした。
しかし神様は誰からも期待されていなかったダビデを選び、油を注いでイスラエルの王にします。
そのとき神様はこう言いました。
しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」
サムエル記上16:7
小さな者、力のない者に心を配る
私たちは目に見えるものに影響されやすいです。この人は力がある。このグループは多数派だ。長いものに巻かれよとか、寄らば大樹の陰とかいうことわざもあります。大きなもの、数が多いものに心を動かされやすいです。
しかし神様はそのようには見ません。むしろ少数のもの、力のないものにも神は目を留めます。
私たちも小さな者、力のない者にも心を配る者でありたいと願います。