収穫感謝礼拝
創世記17
止むことのない慈しみ
創世記 8:13-22
13 ノアが六百一歳のとき、最初の月の一日に、地上の水は乾いた。ノアは箱舟の覆いを取り外して眺めた。見よ、地の面は乾いていた。14 第二の月の二十七日になると、地はすっかり乾いた。15 神はノアに仰せになった。16 「さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい。17 すべて肉なるもののうちからあなたのもとに来たすべての動物、鳥も家畜も地を這うものも一緒に連れ出し、地に群がり、地上で子を産み、増えるようにしなさい。」18 そこで、ノアは息子や妻や嫁と共に外へ出た。19 獣、這うもの、鳥、地に群がるもの、それぞれすべて箱舟から出た。20 ノアは主のために祭壇を築いた。そしてすべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた。21 主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。22 地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも/寒さも暑さも、夏も冬も/昼も夜も、やむことはない。」
神の前で静まる
箱舟に留まる
今日の本文は大洪水が終わっていよいよ箱舟から出る場面です。
ノアが600歳の年の2月17日から雨が40日間降り続け、箱舟は漂流を始めました。
雨が降り始めてから150日後、7月17日に箱舟はアララト山に止まりました。
水は徐々に引いて行き、10月1日に山々の頂上が見えてきました。
40日後、ノアはハトを放して水が乾いたかどうか確かめます。ハトがオリーブの葉を取って来てその役割を終えたときには、12月頃になっていたと思われます。
今の日本のカレンダーでは12月と言うと冬ですが、旧約時代の12月は冬の終わりです。新しい芽が出て春を迎えようとする時期になります。
天気のいい日には春の陽気に誘われてお散歩したくなります。
ワクワク。ハトはもう出ていってしまいました。
しかしノアはまだ出ません。
年が明け、ノアは601歳になりました。
元日、ノアは箱舟の覆いの部分を外し、外を眺めました。初日の出の光で世界は色づいていきます。
以前は青い空に青い海しか見えなかった。それが今は青い空、雪を被った白い山、茶色い地面、所々に草木の緑が見えます。もう地面は乾きました。
オリーブの他にどんな草木が芽を出したのだろう。ちょっと近くに行って見てみようか。
好奇心がわきます。
ウズウズ。
しかしノアはまだ出ません。
2月27日になりました。地面はすっかり乾いています。
この日、神はノアに言いました。「さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい。すべて肉なるもののうちからあなたのもとに来たすべての動物、鳥も家畜も地を這うものも一緒に連れ出し、地に群がり、地上で子を産み、増えるようにしなさい。」
これを聞いてノアは家族や動物たちと共に箱舟から出ました。
やっと出れました。長かった。
箱舟に入ったのが600歳の年の2月17日で、箱舟から出たのが601歳の年の2月27日。1年と10日ぶりの外です。
皆さん、こんなに長く同じ場所に留まれますか?ネットフリックスもないのに。
私はずっと同じ場所にいると体から根っこが生えてダメになってしまうような気がして、耐えられません。
皆さんはどうですか?インドア派の方でも、1年以上同じ場所にいられますか。
ノアの場合、9ヶ月くらいは大洪水のせいで箱舟の中にいるしかありませんでした。しかし12月頃には水が引いています。外に出るチャンスはありました。ハトのように外の世界に羽ばたいても良かった。
1月には地面が乾いたことをその目で確かめています。外に出ようと思えば出れました。
しかしノアは2月27日まで待ちました。とても慎重ですね。
箱舟から出て真っ先に礼拝する
皆さんが1年ぶりに外に、娑婆に出られるとしたら何をしたいですか?
1年の内にやりたいことリストは100個以上溜まっているかもしれません。
ハイキングをしたり、花見をしたり、野菜を育てたり。1年前に住んでいたところがどうなっているかを見たい。
ノアは外に出て最初に何をしたのでしょう。
彼は祭壇を築き、動物の犠牲をささげました。礼拝をささげたのです。
行動する勇気と待つ勇気
このような姿から、ノアがどのような人物かわかりますね。
彼は神を最優先にする人でした。神の声に聴き従い、神と共に歩みました。
箱舟を造れとの神の命令に従い、それを完成させたのは素晴らしいことです。
箱舟に入れとの神の招きに応えたことも勇気ある行動です。
また神が出なさいと言うまで箱舟に留まったことも、立派な信仰の決断です。
行動することも大事ですが、待つ時間も大事です。
私たちは自分で何かをすることで安心感を得ます。
忙しく働くことで、自分は生産性のある人間だと思える。
家族など誰かのために犠牲を払うことで、自分は良い人間だと思える。
聖書通読や祈り、献金など宗教的な行いをすることで、自分は神に喜ばれる人間だと思える。
だから何もしないで忍耐することができません。
何もしていないと自分が無価値で役に立たず、存在しない方がいいのではないかとさえ思う人もいます。
しかし自分が働く手を止めるとき、神の働く余地、神の恵みを受け取る余地が生まれます。
行動を重視し大切なことを見失う
べタニア村でイエス様はマルタとマリアの家に寄りました。
マルタはイエス様をおもてなししようと忙しく働いています。
ところが妹のマリアは何もしないでイエス様の足元に座っています。
マルタはだんだん腹が立ってきます。
なぜ自分だけ動いてマリアは何もしないのか。イエス様からもひとこと言ってくださいよ。何とも思わないんですか?そんなマルタにイエス様は言います。
41 主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。42 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
ルカによる福音書10:41-42
神様のために何かをすることはもちろん大事です。
しかし私たちは神のためという目的を見失い、自分の行い自体が目的になる。そして自分の善行に報いてくれない神に腹を立てます。
だから行動を起こす前に、神の前で静まる時が必要です。
神に集中することで見えてくる恵みと慈しみ
私たちの人生の中には、何もできず待つしかない時もあります。それは決して無駄な時間ではありません。そこで静まって神に集中するとき、私たちは本当に大切なことに気づきます。神の恵みと慈しみは絶えることなく降り注がれていたと。だから自分で何かをしようと焦るのを止め、忍耐して神の言葉を受け取ってください。
神の慈しみは今も注がれている
人の心は幼い時から悪いので
ノアは動物を焼き尽くすいけにえとしてささげました。
その煙は上空へ立ち上っていきます。
主なる神様はその香りをかいで言われました。
「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。」
人が心に思うことは、幼いときから悪い。本当にその通りです。
イエス様は「子どものように神の国を受け入れる」という話をしましたが、子どもはそこまでピュアできれいな心ではないですよ。自己中心で、平気でウソをつき、大人なら言えない残酷なことを言ってしまう。
大人も同じ。大人たちが自分の利益を優先し他人の痛みに無関心だから、世界の格差は広がり、戦争が起こります。
こうして人が常に悪いことばかりを心に思い計っているので、洪水で世界を滅ぼしたんですよね。
しかしここでは、いつも悪いことばかりを心に思い計っているから、世界を滅ぼすことはしないと誓っています。
以前は裁きの理由だったものが慈しみの理由に変わっています。
血を流すことで罪を償いとする
神はあくまで人を愛しています。
その人を破滅に導く罪を憎んでいます。
神は洪水によって罪を洗い流そうとしましたが、それでは人を罪から救うことはできませんでした。
そこで神は人を罪から救うために次の段階に進みます。
それは犠牲の血が流されることで罪を償うという段階です。
これ以降の時代、動物の血が流されることで人の罪を赦す儀式が繰り返し行われます。
そして神の子羊イエス・キリストが十字架で死なれたことで、私たちの罪は完全に永遠に償いが完了しています。
巡り来る四季の中で
復活したイエス様は天に上げられ、いつか帰って来る。その時に私たちの救いは完成します。今の世は過ぎ去り、新しい天と新しい地がやってきます。
それまでは大洪水のように世界が滅びることはありません。
その神の慈しみのしるしとして、「地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも/寒さも暑さも、夏も冬も/昼も夜も、やむことはない。」 と約束されています。
寒い冬は過ぎ去り、暖かい春が来る。種蒔きの季節。人は畑を耕し、種を蒔く。そして水や肥料を与える。しかし成長させてくださるのは神です。
暑い夏が来て草花は大きく成長し、花を咲かせて実をつける。
そして収穫の秋を迎える。
今日は収穫感謝礼拝。野菜や果物を準備してささげました。これらの実りも神が与えてくださったもの。
私たちは昼間、それぞれの働きをする。そして夜、自分の手を休め、重荷を下ろし、眠りにつく。中には夜に働く人もいますが。
休むとき、私たちは神にすべてを委ねます。神の恵みと慈しみにその身を委ねるしかありません。
すると神は新しい日を与えてくださる。
こうして巡り来る四季の中で、日々の営みの中で、止むことのない神の慈しみを感じます。
恵みと慈しみはいつも私を追う
私たちは神の恵みと慈しみを受け取り、周りに流していきます。
神の祝福は分かち合っても足りなくなることはありません。
ノアのように神を最優先にするなら、天のお父さんがすべての必要を十分に満たしてくださっていることに気づきます。
静まって神に集中するとき、まことの羊飼いであるイエス様に導かれて何も欠けることがないとわかります。
だからどんな時も神様に集中してください。
やることが多くて忙しいなら、まずは神様に助けを求めてください。主が助けの手を送ってくださいます。
心に思い煩いがあるなら、神様に話してください。人知を超える神の平安があなたの心を守ります。
疲れて大変な時こそ神様を求めてください。イエス様があなたの重荷を引き受けてくださいます。
何もすることが無くて暇なら、何もしないで休みましょう。主は愛する者に眠りを与えます。
あるいは神様を賛美してください。そのためにあなたは造られました。
罪責感に悩んで神の目を避けたくなる時、上を見上げてください。あなたのために十字架に釘打たれたイエス様が両手を広げてあなたを待っています。
ダビデはこう告白します。
命のある限り/恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り/生涯、そこにとどまるであろう。
詩編23:6
神の前で静まり、止むことのない神の慈しみを受け取ってください。
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