創世記18
虹:人はみな尊い存在
創世記 9:1-17
1 神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。2 地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。3 動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。4 ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。5 また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。6 人の血を流す者は/人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。7 あなたたちは産めよ、増えよ/地に群がり、地に増えよ。」8 神はノアと彼の息子たちに言われた。9 「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。10 あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。11 わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」12 更に神は言われた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。13 すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。14 わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、15 わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。16 雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」17 神はノアに言われた。「これが、わたしと地上のすべて肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」
人は神のかたち
今日の本文は箱舟から出る者たちが神と契約を結ぶ場面です。
人間の暴力性を想定した祝福の言葉
神はノアとその息子たちを祝福して言います。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」
どこかで聞いたことがある言葉です。創世記1章で神が人に与えた祝福ですね。大洪水によって神が新しい創造を行ったというイメージがここにも反映されています。
しかし最初の創造とは違うところがあります。
天地創造のとき、神は「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」と言いました。神に代わってこの世界を管理する役割が任せられています。
今日の本文でも地上の動物、空の鳥、海の魚が人間の手に委ねられています。
しかしその方法は、恐れによる支配です。人間が恐ろしい存在なので、生き物たちはおののいて暮らす。
愛の神の代理人というイメージとは違っています。
また神は動物の肉を食糧とすることを許可しました。
エデンの園では、園の中の果物や野菜を食べて暮らしていた。人が罪を犯して以降は顔に汗を流して土を耕し、食糧を得ていました。
大洪水によって地球環境も変わってしまったのでしょうか。肉も食べて栄養を取ることになります。
エデンの園で動物たちは、人の助け手の候補として連れて来られました。動物を友として共に生きる可能性があったわけです。箱舟の中でも人と動物は共に生きました。
しかし洪水後は、動物は食用などの目的で人間に利用されることになります。
ただし肉を食べるときは、よく血抜きをしなければなりません。生臭くなりますからね。
理由は味だけではありません。
神は、血は命だと言います。だから血を含んだ肉を食べてはならず、血は大地に返してから、命のない肉を食べなさいと。
そして神は、人の血が流された場合のことに言及します。
もし人間の血が流されるなら、その血を流した者に賠償を要求する。つまり人の血を流すなら、その人も血を流さなければならないということです。
これは天地創造の時には一切語られていなかったことです。そこでは人が他者によって血を流されるということが想定されていなかったからです。
人が血を流されたのは、カインが弟アベルを殺した時が最初です。
大洪水で人間の罪を洗い流すことはできませんでした。
神は人間の社会に暴力が蔓延することを想定し、このように語ります。
罪の中でも人の価値は変わらない
なぜ人の命を奪ってはいけないか。
それは人が神にかたどって造られた神のかたちだからだと聖書は言います。
人は怒りや憎しみに燃え、誰かを敵として殺したいと思うことがあります。カインのように妬みに燃え、あんなやついなくなればいいのにと思います。復讐のためだと言って殺人を正当化することもあります。
しかし相手もまた神のかたち。世界にただ1つの傑作品として神が造られた大切な存在です。
その神のかたちは人の罪のために傷ついてしまっていますが、その価値に変わりはありません。
罪人たちに向かって神はこう言います。
わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛し/あなたの身代わりとして人を与え/国々をあなたの魂の代わりとする。
イザヤ書43:4
人は誰しも神の目から見て高価で尊い存在。だから人の命を守らなければなりません。
肉体、精神、霊が総合的に尊重される
神のかたちというのは肉体に限ったことではありません。人間には知性があり、霊的な面があります。
人が神のかたちであることを意識するなら、人間の肉体、精神、霊が総合的に守られなければなりません。
だから誰もが健康的に過ごし、自分の意思が尊重され、神との個人的な関係を持つ権利があります。
一部の国ではまだ食べられる物が大量に捨てられているのに、世界中で食事が足りず亡くなる人がいる。貧富の格差によって医療を受けられない人がいる。戦争や災害によって住む場所が奪われ命の危機に瀕する人がいる。この世界には神のかたちである人間の命を脅かす問題がたくさんあります。
小さな子どもは親や先生の言うことに従うことで生きる術を学びます。しかしいつかは親を離れて自立します。そのために自分のしたいこと、したくないことは何かという自分の意思が尊重される経験が必要です。
日本の教育ではこの自分の意思があまり大切にされてきませんでした。だから自分で意思決定する自由を放棄してしまっている人が多くいます。親、先生、社会の言いなり。そして自分が何者かを見失います。
一人一人はユニークな神のかたちです。人が神のかたちであることを意識するなら、神がどのようなお方であるかを知ることはとても大事です。異端やカルト宗教などの問題もありますが、信教の自由は保障されなければなりません。
様々な違いはあっても人はみな生まれながらに尊い存在
「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」という神の祝福を受け、人は世界に広がっていきます。
その中で様々な民族、国家、言語に分かれ、様々な宗教も作り出します。もちろん男女という違いもあります。やがて貧富や身分などの格差なども出てきます。複雑で多様な人間たちによってこの社会は作られています。
そのような違いはあっても、人は誰もが生まれながらに尊い存在であり、人間らしく生きる自由があります。人間には人権があるのです。
神を見失うと人間らしさも見失う
この人間の多様性を尊重する人たちのシンボルとして虹が使われることがあります。
虹の中には様々な色がありますが、それらがすべてつながって一つの虹となっています。
それで「色々な人がいるけれど、みんな同じ人間だよね」と言うわけです。
このような人権はとても大事なのですが、その根拠は「神のかたち」です。
今は多様性の時代だからと、個人の自由をあまりにも主張しすぎてはいないかと心配があります。
「私は大切な存在だから自由が尊重されるべき」と自分勝手に生きることを正当化する人がいます。
そうして人間らしく生きることを追い求めた結果、混乱した人生をさまよう人がいます。
神を見失っては人間らしく生きられないのです。
「神のかたちだから自分は大切な存在」と神の中にある自由を生きてほしいと願います。
約束の虹
洪水で世界を滅ぼすことはしない
神はノアとその息子たち、箱舟に乗った動物たちとも契約を結びます。すべての被造物との契約です。
契約の内容は、洪水によって世界を滅ぼすことはしないということです。
その約束のしるしとして、神は虹をかけます。
ヘブライ語で虹という単語には弓という意味もあります。
英語でも虹をrainbow(雨rain+弓bow)と言いますね。
虹は大雨の後に現れます。空気中の水滴に当たった光が屈折したり反射したりすることで、様々な色の弧が見えるという仕組みです。
しかしノアたちにとって大雨は大洪水を思い起こさせるものだったに違いありません。この1年間の出来事は絶対トラウマになっています。
この物語を語り告いだイスラエルの民にとって、大雨というのは民族的なトラウマでした。
詩編7:13-14で、神に立ち帰らない者に対し神は憤り、弓を引いて火の矢を射かけるとうたわれています。
天からの火の矢は稲妻のことです。嵐というのは神の怒りを連想させるものだったわけです。神はあの洪水の時のように怒り、弓を構えているのではないか。
しかし神は、もう洪水で世界を滅ぼすことはしないと約束しています。
だから怒りをもって弓を引くことはしない。
そして神はその弓を置きました。
それが虹です。
もう神の怒りは過ぎ去ったのだと、虹を見ながら安心できます。
これが神と被造物との契約です。
一方的な神の愛
大人の皆さんは何かの契約を結んだことがあると思います。
通常の契約では「甲は乙に対してこれを約束します。」「乙は甲に対してああしてください。」みたいに、契約を結ぶ双方が守るべきことがあります。そして約束を保障するしるしを残します。
ここでは神様と被造物が契約を結びました。神様は洪水で世界を滅ぼすことはしないと約束します。その約束のしるしとして虹を置きます。
では被造物の側は神様に対してどのような義務を負うのですか。
何も。
何も求められていません。
通常の契約とは違い、神が一方的に約束を宣言しています。
一方的な神の愛が示されました。
これでいいのでしょうか。
洪水後も人間の罪は残っています。初めから人間社会に暴力が蔓延すると想定しなければならないほど、人間は生まれながらに罪人です。
本来は人間に対し、「わたしはこれを約束したから、お前たちはわたしに従え」と要求してもいいです。
そして「神に背くならお前たちの血で償え」と言っても良かったです。
しかし神はここでそういうことを一切要求しません。
でも正義の神は人間の罪を放っておくことができません。
人間の罪は人間が血を流して償わなければならない。
誰が血を流したのか。
御子イエス・キリストです。
滅んでいい人など一人もいない
神は私たちがいつも悪いこと心に思い計っているのを見て心を痛めます。そして涙を流される。
大雨は神の怒りではなく、父なる神の憐みの涙なのかもしれません。
神はあまりにも私たちを愛しておられるので、ご自分の独り子を与えてくださいました。
私たちが一人も滅びないで永遠の命を得るために、独り子を十字架につけて殺したのです。
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。』
ヨハネによる福音書3:16
神は今もこの一方的な愛を私たちに示しています。
私たちがどのような人間かは関係ない、無条件の愛です。
すべての人は尊い存在。
一人も滅びないで永遠の命を得てほしいと、今も私たちを見て心を痛め、涙を流しておられます。
私たちはこの神の愛を受け、すべての人を尊い命として大切にしていきたい。
自分自身も神の目に高価で尊い存在。この命は御子キリストの血の代価で買い取られた大切な命。
そのことを覚え、神のかたちとしての尊い人生を生きていく一人一人になることを願います。




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